岡田節人先生の思い出

阪神・淡路大震災から22年目の日に、岡田節人が亡くなられた。享年89歳。最後にご尊顔を拝したのは、京都大学の友人のご披露宴の折だったのではと思う。その方の息子さんが、なんともうお受験らしいので、12年以上前のことになる。

最初にお目にかかったのは、たぶん大学院時代の発生生物学会の年会だったはず。京都大学の岡田研で修士号を取った方が、自分にとっては医科歯科で2つ上の先輩だったので、折りに触れ、その人となりは伺っていた。学会では若い方の口頭発表を一番前で聴いて、「あんた、何のためにその研究をしとるんや?」などと、鋭い質問をされていた。「節人節(ときんどぶし)」と呼ばれていた。
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ご縁があって、その後、何度か国際会議で御一緒させて頂く機会があった。内藤財団の国際会議で、香港に御一緒したこともあったはず。だが手元に残っているのは、日本から10数名が参加してインドのマイソールというところで開催された1995年のシンポジウムの折のもののみ。やはり、トレードマークともいえる緑のジャケットをお召しになっている。上の写真は、シンポジウムの最後の懇親会で、感謝の記しとして、先方の主催者の先生に額をお渡ししているところ。カエルの研究者の方だったので、カエルのモチーフだ。
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節人先生のことは、きっとこれから、もっと身近な方々がたくさんのメッセージを残されると思うが、発生生物学会や細胞生物学会など、関連学会の方々にとっては、とてもとても大きな存在であった。国際発生生物学会の会長もなさっておられたし(そのときの国際学会では、白地の紋付袴でバンケットに出られていた)、京都大学を退官されてから、基礎生物学研究所の所長、そしてJT生命誌研究館の館長などを歴任されていたので、本当に長い間、この分野を見守って来られたと思う。

伊丹に代々続く造り酒屋の「ぼんぼん」だったので、車はアルファロメオ、大学の先生にしては(笑)ファッションも一流、でもさらにお爺様の代のエピソードが豪奢で、蝶だったか鳥だったかのコレクターだったのだけど、斡旋業者から「珍しい鳥(蝶?)がありますが、その輸入のためには、一緒に象(!)を連れてこないといけないのですが……」、「よっしゃ、買うたる!」ってことで、象とともに鳥がご自宅に到着。でも冬が越せなくて象が死に、結果、鳥も死んでしまった……」なんていうお話を伺ったことがある。

伊丹弁でお話されるのだけど、「You know, ...」という英語の発音が「そやろ?」と同じだったなぁ、なんてことを思い出す。文化功労者に選ばれた折に、授賞式のために宮中に参内したら、同時に受賞される何かの芸術系の方から「最近は科学をされている方も受賞しはるんですな……」と言われたと笑っておられた。でも、節人先生ご自身は音楽の造詣も深く、生命誌研究館の「サイエンスとアート」を融合したようなイベントにも熱心であられた。

私自身にとって、研究キャリアの最初が発生生物学だったのは、もともと時間軸に沿って変化する現象が好きだったこともあるが、『試験管の中の生命 細胞研究入門』(岩波新書)の影響もある。節人先生は日本において、古典的な「実験発生学」の時代から、細胞レベルの研究への梶を切った方だった。その当時、結構流行っていた「誘導因子」を個体まるごとから見つけるということよりも、もう少し単純な系にシフトした方が、明快に理解できることも多い、という方向付けだった。

節人先生は「Transdifferentiation(分化転換)」という概念を提唱され、モノグラムも英語で書かれている(……そう、思えば、昔の学者はこういうモノグラムを書かれたものだが、最近はインパクト・ファクターの付かない著作は無駄だから行わない、という研究者が増えたのが残念だ)。ちなみに、TS Okadaの「S」は「節人」の「節」を「Setsu」と読んだもの。

Transdifferentiation: Flexibility in Cell Differentiation by Tokindo S. Okada (Hardback, 1991)
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分化転換とは、例えばイモリの黒目の細胞(色素細胞)が色素を失った脱分化した状態を経て、透明な水晶体細胞に分化するという現象のことを指す。言葉そのものを名付けたのは、もしかすると元熊本大学長などもされた江口吾郎先生だったかもしれない。

恐らく、節人先生にとっては、留学先のエジンバラ大学でコンラッド・ウォディントンの影響があったのだろうと想像するが、分化転換という現象は、その後、例えば山中先生のiPS細胞の誘導や、あるいは、直接、皮膚の細胞を、多能性幹細胞を経ずに神経系の細胞にする、などの技術の下敷きとなっている。そういう意味では、節人先生や江口先生のご研究が山中先生のノーベル賞に繋がったと言えなくもないだろう。スティーブ・ジョブズの伝説的なスピーチの言葉をちょっともじって言うなら、「点と点は後から見れば繋がっているのだ」。

それにしても、つい先日(1月10日)にはオリヴァー・スミティーズ先生がお亡くなりになったところだ。2007年にノーベル生理学医学賞を受賞されたスミティーズ先生は、奥様の前田信代先生のご家族が仙台在住というこもあり、何度も本学を訪れておられる。昨年11月に来仙された折、当研究室にもご訪問頂き、ラボメンバーとディスカッションさせて頂いたばかりだというのに、突然のことで言葉もない。その折にデータの解釈について指摘して頂いたことを、現在第三コーナーを曲がった段階の研究を発表する際に是非活かしたいと願っている。

巨星の先人たちのご冥福を心よりお祈り申し上げます。合掌。


# by osumi1128 | 2017-01-18 23:15 | 雑感 | Comments(0)

アカデミア広報とは?:フレンドリーなアウトリーチと健全なアドボカシーを目指して

しばらく前に、阪大医学部に広報室ができて「日本で初めて」という新聞報道を見かけたので、「それは違うでしょう。初めてだったのはうち(東北大)でしょう」と思ったのだが、それはさておき、過日、「アカデミア広報」についての取材を受けた。

アカデミアや関連行政向けに発行されているフリーペーパーの特集記事に、東北メディカル・メガバンク機構の広報を取り上げるという企画で、機構長や現場の方々に加えて、同機構の広報渉外・企画の部門長という立場のためお鉢が回ってきたのだが、これまでの科学コミュニケーションに関する経験を含めてお話しさせて頂いた。話し足りなかったこともあるので、記録と補足のために拙ブログにも残しておく。
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科学を支えているのは科学者だけではない。ダヴィンチの時代なら、裕福なパトロンが類まれな才能を持った人材を抱えていたが、職業としての科学者が成立し、その数が増えた現在、科学者の営みはかなりの部分、国家が支えている。つまり、国民の税金が科学の振興のために使われる。寄付の税制が異なることもあり、我が国では米国のように大富豪が大きな財団を作って、直接、科学者に資金を渡すことは少ない。したがって、現在の日本で科学を支えているのは、間接的ではあるが、国民である。ステークホルダーである国民に対して、科学者の説明責任があるのは当然だ。ただし、科学者が皆、国民に対しての説明をうまくできるかというと、必ずしもそうではない。長い歴史の中でより難解になった分野などはとくに、新しい発見を理解するためのリテラシーのギャップが著しい。そこで、科学者と国民を繋ぐインタープリターが必要となる。

……というのが、第三期科学技術基本計画策定のための文科省委員を務めていた頃から一貫して、「科学コミュニケーションの必要性」として主張してきたことだが、この10年余の間に、アカデミアを取り巻く状況は非常に変わってきた。一言で言えば、商業化が進んだのだと思う。これは国立大学を法人化したことの当然の帰結とも言えるだろう。研究組織間の競争が熾烈になる過程において、それぞれの研究組織をアピールするか、ということに、一世代前とは異なる意識が向けられるようになった。

製品を売る会社では、「宣伝」と「広報」は区別されている。研究成果等を訴えたいアカデミアの場合、これは実に悩ましい。雑誌やテレビなどのマスメディアに「広告」を出すことは、現時点ではさほど多くない。お金がかかりすぎるという側面もあるし、大学という組織は法人化されたとはいえ、まだまだ部局の集合体なので、数ある成果の中から「宣伝」に使う材料を「広報部門」の誰かが決めるということには、抵抗も大きい。それよりも、アカデミアとしての、なんというか、「品位」のようなものを大事にしたい伝統はあって、つまり、いかにも商業的な「宣伝」になってはいけない、というようなメンタリティが背景となっている。

したがって、現在、アカデミア広報の主流となっているのは、論文発表に合わせたプレス・リリースだ。研究成果を他分野の研究者や市民にわかりやすい形に直して、研究機関のHPに掲載するとともに、記者クラブなどに投げ込みをする、場合によっては記者会見を開く。結果として、マスメディアに取りあげてもらうことを期待する、ということが定着してきたと思う。また、TwitterやFacebookなどのソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)を広報に利用する機関も増えてきた(大学公式Twitterアカウントを作ったのも、うちがかなり早いはずで、実際、東日本大震災時には、被災状況や生活関連情報などの周知にかなり役立った)。多くの私大では、さらに若い学生をターゲットとして、各種のお知らせにLINEを使っているようだが、本学ではまだトライしていない。

東北大学では大学本部の広報課が裏方となって「サイエンス・カフェ」のイベントを毎月開催しており、この1月に136回目が開催された。英国が発祥というサイエンス・カフェは本来、もっと小規模な科学イベントなのだが、本学のスタイルは、地元のせんだいメディアテークの1階ロビーという広い場所を会場に、ときには100名を超える聴衆が集まることもある。「本学教員による講演+グループ・ディスカッション+質問発表・まとめ」というスケジュール。グループ・ディスカッションには「サイエンス・シュガーズ」(カフェにはお砂糖という意味ね)という学生のファシリテータが活躍する。総合大学の利点を活かして、講師には多様な研究者が参画してきた。また、いわゆる文系のイベントとして「リベラル・アーツ・サロン」も開催されるようになった。

アカデミア広報が充実してきたことに加え、ここ数年、日本人のノーベル賞受賞者が連続したことや、国立科学博物館や日本科学未来館に科学コミュニケータの人材が増えたことなども連鎖反応となって、世の中に溢れる情報の中で、アカデミアから研究に関して発信される割合は確実に増えたと思う。だが、スダンダップ・コメディアンのネタに科学用語が使われるほどには、まだまだ日本のサイエンスは市民に浸透しているとは言い難い。噺家やお笑い芸人が2016年のノーベル生理学医学賞の受賞対象となった「オートファジー」などを話題にするようになれば、本当に科学のアウトリーチが進んだと言えるだろう。

私個人としては、依頼される原稿だけでなく、2005年に始めたブログを使って、折々に自分が関わった研究成果について発信する活動を続けている(「サイエンス」や「科学コミュニケーション」のカテゴリ記事参照)。この背景には一つのエピソードがある。もう10年以上前のことだが、学生主体のとあるイベントに招かれ「科学コミュニケーション」についてのパネル討論に参加した折、某新聞社の記者と御一緒だった。そのとき「もっと新聞に科学記事を掲載して頂けないか?」と申し上げたところ、「新聞は世の中の<悪>について書くのが本務。科学記事を発信したいのなら、マスメディアに頼らなくても、独自の大学HPなどでできるでしょう」と切り替えされた。実際には、新聞にはスポーツ面など、世の中の「悪」を取り上げたのではない記事も圧倒的に多いのだが、それはさておき、「そうか、既存のメディアに頼らなくてもいいのだ」と、目から鱗の瞬間だった。よく考えると、論文の元となっているのは、科学者がその帰属する組織(例えば、王立科学アカデミー)宛に「このたび、このようなことを発見しました云々……」という「レター(手紙)」が原型とも言える訳で、当時は「peer review(査読)」のシステムも無かったのだから、個人の責任において発信することには何ら問題は無い。

自分の関わる研究広報としては、研究費の一部を用いてニュースレターを発行したこともある。CRESTという枠組みで「ニューロン新生の分子基盤と精神機能への影響の解明」という研究を行う5年間の間、年に2回、市民向けの「Brain & Mind」という冊子を編集した。東北大学グローバルCOE「脳神経科学の成果を社会へ還流する教育研究拠点」を主催していた頃には、広報スキルの高い方やイラストレータを雇用し(どちらも現在、東北メディカル・メガバンク機構で大活躍されている)、さらにレベルの高い冊子を作成したり、市民向けのイベントを開催したりした。現在、文科省の新学術領域研究などでも、年度末の分厚い報告書(実は誰も読まない)を発行するのではなく、市民も読めるような冊子(そういう配慮が為されているか、内輪の研究者向きかは、それぞれ異なるものの)に変わってきたのは、良い方向であると思う。

以上のような経験と研究環境の変化を踏まえ、アカデミア広報として、さらに今後、目指すべきは、フレンドリーなアウトリーチと健全なアドボカシーだと思う。主体となるプレス・リリースの内容は、キャッチーかつ平易であるとともに、誇大広告となってはいけない。わかりやすさと正確さの狭間で、研究者も広報担当者も最大限に知恵を絞らなければいけない。そうして、税金を元にして行われた研究の成果がきちんと市民に還元され、その生活やこころを豊かにし、幸せにすることに繋がってほしいと願っている。


# by osumi1128 | 2017-01-14 10:21 | 科学 コミュニケーション | Comments(0)

大人のための最先端理科第100回:ヒトへの応用も始まったゲノム編集の未来と倫理

ただいま発売中の週刊ダイヤモンド「大人のための最先端理科」の連載第100回を担当しました。「ゲノム編集」シリーズの最終となる第3回目で、うちの元大学院生の関係した論文のことも、少しだけ触れています♬ ご笑覧あれ!
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週刊ダイヤモンドのオンライン版でも読めます♬
大人のための最先端理科第100回:ヒトへの応用も始まったゲノム編集の未来と倫理



# by osumi1128 | 2017-01-12 08:24 | サイエンス | Comments(0)

ミシェル・オバマ氏のファーストレディとしての最後のスピーチ:多様性と教育を信じて

先週の金曜日にミシェル・オバマ氏がホワイトハウスで行ったスピーチが素晴らしかったので残しておきます。大統領夫人、つまりファーストレディとして最後の公式スピーチとのことでした。(画像はNBCのサイトから転載しています)
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プロンプト無しの21分のスピーチの中で、とくに若い方々に向けて人的多様性(diversity)こそが、アメリカ合衆国の伝統であり、力であることが強調されました。さまざまな国々からの移民を受入れ、何世代にもわたり、その多様な文化、才能、考え方が融合することで、米国が素晴らしい国になったのだと。それぞれ多様な宗教を信仰していても、みな、誠実さや正義、正直さが大事だと唱えているのだから、それに誇りをもち、その多様性を認めることが大切だと。

You see, our glorious diversity, our diversities of faiths, and colors, and creeds, that is not a threat to who we are. It makes us who we are.
つまり、私たちの多様性の輝かしさ、信仰や信条や肌の色の違いというものは、私たちを脅かすものではありません。それは私たちを私たちたらしめるものです。

ただし、このような権利は、ただ与えられるものではなく、日々、努力して獲得していくべきものだ、とも付け加えていました。

Right now, you need to be preparing yourself to add your voice to our national conversation. You need to be prepared yourself to be informed, and engaged, as a citizen. To serve and to lead, to stand up for our proud American values, and to honor them in your daily lives. And that means, getting the best education possible, so you can think critically. So, you can express yourself clearly.
今から、皆さんは国レベルの会話に、あなたの声を付け加える準備をする必要があります。情報を得て、市民として参画する準備をです。市民として携わり、先導し、誇らしいアメリカの価値のために立ち上がる必要があります。日々の生活の中でその価値を称賛することが必要です。そしてこれは、最上の教育によってこそ可能となります。教育によって、批判的に考えたり、自分自身を明瞭に表現することが可能となるのです。

このように、「教育(education)」という言葉を繰り返し述べられたことが印象的でした。教育を受けることができる環境は、世界中すべてではありません。ミシェルさんは自分の夫や自分が大統領やその夫人になったのも、すべては教育のおかげであり、それを享受しつつ努力したことが元であると信じています。それこそがアメリカン・ドリームであると。例えば、以下のようなフレーズが心に残りました。

Be empowered. Empower yourselves with a good education. Then get out there and use that education to build a country worthy of your boundless promise.
Lead by example with hope. Never fear.
エンパワーしましょう。良い教育によって自分をエンパワーするのです。そうしたら次は、その力を用いて、この国があなたの果てしない望みにかなう国となるようにしましょう。希望を持って模範を示すのです。決して恐れることはありません。


締めくくりとして、「皆さんにとってのファーストレディとなれたことは、私にとってもっとも光栄なことでした。そして、皆さんが私のことを誇りに思って下さったのであれば幸甚です(Being your First Lady has been the greatest honor of my life, and I hope I've made you proud.)」と述べるあたりでは、ミシェルさんの目にも涙が浮かんでいました。

昨年の大統領選の後にも書きましたが、ミシェルさんが将来、米国大統領に選ばれる可能性はあっておかしくないと、さらに確信したスピーチでした。

【参考リンク】
ニューヨーク・タイムズの記事(動画抜粋にテキスト付き):

フル動画:

Elle誌にスピーチの全文テキストが掲載されていました:

# by osumi1128 | 2017-01-08 21:26 | ロールモデル | Comments(0)

2017年新春:今年もどうぞよろしくお願いいたします

拙ブログ、今年も元気に続けます。
どうぞよろしくお願いいたします。
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# by osumi1128 | 2017-01-02 22:42 | 雑感 | Comments(0)

わが家にブラーバ君がやってきた!

長いことお掃除ロボットのルンバ君を買うか迷っていましたが、絨毯のフリンジが苦手という話に躊躇していたところに、ブラーバ君が良さげ、という話を聞きつけました。簡単に言えば、ルンバ君はiRobot社製のロボット掃除機で、ブラーバ君は同じメーカーの床拭きロボットです。
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わが家に来たのはBraava 380jという名前の子。働き方としてはドライモードとウェットモードがあります。付属のクロスも使えますが、市販のディスポーザブルなもの(例えばクイックルワイパー用のドライシートなど)が使えるというのが良いですね。

とにかく、音がうるさくないので、家にいて何かしながらでも床拭きを任せられます。だいたい、直線上に、少しずつずれながら行ったり来たりするという動作が基本。壁などの障害物にぶつかると方向転換します。高さ8cm以上の隙間の下にも入れるので、ソファの下なども拭いてくれます。

どちらかというと、狭いところに入りたがる傾向があります。「もっと広いところが、まだ残っているでしょ?」とこちら思っても、なぜか隅の方に拘ります。隅をちゃんと拭くように教え込まれているようです。一番可愛い動きは、テーブルの脚の周囲に沿って、ぐるっと廻りながら拭くときに見られます。かなりたどたどしいのですが、それが何とも可愛げに見えます。

基本的に段差を感知して止まることはできますが、玄関で後退りした際に、上がり框から三和土に落ちそうになったところを回収しました(笑)。キッチンマットの下に入り込むこともありました。ラグには乗り上げない、ということでしたが、たまたまホットカーペットの上に乗り上げて、逆に降りられずに困っていたのは降ろしました。まだ、どういう動作をするのか興味津々なので、なかなか目が離せません。
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付属品で「NorthStarキューブ」というセンサーがあり、一応、自分が部屋のどこにいるのか把握しているらしく、約2時間半くらい経つと、ほぼ最初の位置に戻ってきてお休みモードになります。ルンバ君と違って、充電ステーションに自分で乗っかることはできないので、お疲れ様、と言って高速充電スタンドに戻してあげます(よく考えると、毎回、これに戻さなくても良いのかも……)。

フリンジが絡まないのは確かに有難い。隙間に入り込むと出られなくなることがあるので、家具の配置などには配慮が必要かもしれません。人間でも、困ったときに近視眼になって、ますますドツボにハマることがありますが、ブラーバ君の困った様子を大所高所から見ていると、なんでそうなる……と思えますね。でも、ブラーバ君は可愛いです。

もちろん、細かい部分の塵埃吸い取りについては、ダイソン君に働いてもらうことも必要ですが、わが家の床ようにフローリングが多い場合には、ブラーバ君は大活躍です♬ しかもルンバ君よりかなりお安い……ww まったくCOIありませんが、お勧めです!

【参考リンク】

より細かいスペックのことなどについては、下記のまとめ記事などが参考になるでしょう。






# by osumi1128 | 2016-12-30 23:55 | 雑感 | Comments(0)

書評:『コンビニ人間』の恵子は個性的である(ネタバレあり)

今年の芥川賞受賞作『コンビニ人間』をようやく読了。実に興味深い作品だった。作者の村田沙耶香氏自身が、長年にわたり週3日ほどのコンビニバイトを続けているという経験にもとづいているため、コンビニ内の描写が実にリアル。誰もが知っているコンビニの裏側を知るという意味でも面白かったが、なんといっても主人公である古倉恵子がきわめて個性的なのが気に入った。
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冒頭で子どもの頃の恵子のエピソードがいくつか披露される。死んだ小鳥を焼き鳥にしてお父さんに食べてもらおう、と言って周囲にドン引きされたり、喧嘩をしている男の子たちを止めさせるのに、スコップで殴ったり。「だって、<止めて>って言ったから……」というのが恵子側のロジック。確かに、物理的に喧嘩を止めることにはなった。

こういう恵子の行動から、周囲は恵子のことを「変わった子」と見るようになる。恵子の「社会性に欠ける」点が「普通の」人々には付き合いづらいのだ。誰も、恵子の視点からも世界は存在することを理解できない。結果、恵子は貝のように口を閉ざすようになる。

だが、大学時代に、恵子は近所で新規開店したコンビニ「スマイルマート」のバイトとして働くようになる。そこには完璧な「マニュアル」があり、働く人間としてどのように振る舞えば真っ当か、実にわかりやすい。「コンビニのバイト店員」というドレスコードを纏うことによって、恵子は恵子らしい生活を続けていた。スマイルマートの店長は8代目になり、バイトの店員も多数入れ替わったが、恵子は勤続18年。結婚も就職もせずに……。

そこに、ある意味、さらに個性的とも言える人物が登場する。白羽という若い男性なのだが、35歳で職歴なしの割には、やたら高飛車で、自分はコンビニの店員にはふさわしくないと見なしている。ではなぜコンビニのバイトを始めたかというと、婚活のため。ほどなく、店に来た女性客をストーキングしたために解雇される。

白羽は恵子に対して「そんなコンビニバイト生活を続けていて恥ずかしくないのか?」という世間の常識を突きつける。そこで、恵子は白羽に「同棲しよう」と持ちかける。恵子の魂胆は、「なぜ結婚も就職もしないでコンビニバイトを続けているのか?」という周囲の目を誤魔化すため。

「契約」にもとづいて男女が一つ屋根の下で暮らすというシチュエーションとしては、TVドラマになった『逃げ恥』に共通する面が無くはない。ただし、食べ物に執着の無い恵子が作る料理は、「加熱されている」し栄養のバランスも考慮されているが、味付けされておらず「餌」のようなもの。白羽も食べられれば良いと納得。普段は浴室を自室として暮らす。実態を知らない妹や友人たちは、ついに恵子が「まっとうな」人生を選んだものと喜んだ。

だが、恵子の妹が恵子の部屋を訪れて、「コンビニバイトの女が無職の男を囲っている」というシチュエーションがバレる。白羽の義妹もやってきて借金を払えと言い、白羽は自分の借金を返済させるために、恵子のバイトを辞めさせると宣言。もっと良い会社に就職させようという作戦だ。コンビニという生きるための物差しを失った恵子は、昼も夜も無い生活に陥る。

ついに、白羽が探した就職先の面接に行くことになった恵子。会場に向かう途中で、同行した白羽が用を足すためにコンビニに入る。そこでは店長不在の中、バイトの店員が困っていた。スーツ姿の恵子は、コンビニ本社社員を装って、自ら棚を直したりバイト店員にアドバイスをする。そうして、自分は「コンビニ人間」であることを自覚し、白羽からも去ることを決意する。

こうして、あらすじにしてしまうと、随所に散りばめられた「恵子らしさ」が失われてしまって残念なのだが、恵子はその名前に似合わず実に個性的だ。研究者という生業を続けている私には、周囲にまぁ、一風変わった友人や知り合いも多いので、そういう人々との繋がりの中に恵子がいる。研究でも「自閉症スペクトラム障害(ASD)」のメカニズムを追求しているので、恵子の行動や思考パターンには、ASD的な点もあると感じる(詳しくは拙著『脳からみた自閉症 「障害」と「個性」のあいだ』参照)。そういう意味で、本書はとても興味深かった。
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「個性」とは何だろう? 平均値から離れていることが「個性」なのだろうか? だが、種々の指標に関して平均的であること自体も「個性」と言えるのではないか? 今年立ち上げた文科省のグループ研究、新学術領域『多様な「個性」が創発する脳システムの統合的理解』では、あと4年余の間に「個性学」とも呼べる学術領域を築くことにチャレンジする。多様な個性が活かされる社会に貢献できたらと願う。
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# by osumi1128 | 2016-12-29 11:37 | 書評 | Comments(0)

拙著あとがきのあと(その11):東田直樹さんのNHKスペシャル番組に関わりました

米国大統領選番狂わせの影響で放映日がずれ込みましたが、昨晩、NHKスペシャル「自閉症の君が教えてくれたこと」を視聴しました。エンドロールに自分の名前が載った初めての番組なので、少し思いを記しておきます。

そもそものきっかけはブルーバックスさんから『脳からみた自閉症 「障害」と「個性」のあいだ』を刊行したことでした。ディレクターの方の目に留まり、取材を受けることになりました。

前回の「君が僕の息子に教えてくれたこと」は、東田直樹さんの著書『自閉症の僕が飛び跳ねる理由』を翻訳したデイビッド・ミッチェル氏が、そのことをきかっけに自分の自閉症の息子のことを理解することができたというヒューマン・ドキュメント。平成26年度文化庁芸術祭テレビ・ドキュメンタリー部門大賞などを受賞しました。今回は、その2年後の直樹さんの成長、認知症のお祖母様への気持ち、自身が癌に冒され障がいを持つことになったディレクターの視点が主軸となりました。

番組制作の過程において、「脳科学的な観点を取り込みたい」ということでしたので、東北福祉大学特任教授の小川誠二先生にお繋ぎしました。小川先生は、機能的脳画像撮影の原理開発により2003年に日本国際賞を受賞された研究者で、現在は福祉大の感性研究所に研究室を持っておられます。
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今回、直樹さんの休息期脳活動計測や心理検査などを行うことになり、現場に立会いましたが、この部分は残念ながら番組の中には盛り込まれませんでした。その理由としては、50分のヒューマンドキュメンタリー番組の中に「脳科学」をうまく入れることが難しかったであろうことや、直樹さんの「個性」を十分に説明するだけの説得力のあるデータとして耐えうるか、という面があると思われます。しかしながら、テレビ番組制作の過程の一部を観る貴重な経験をさせて頂きました。

直樹さんは、多動の傾向もありますし、簡単に言葉を発することができないので、通常の知力検査では低いスコアしか出すことができません。つまり、豊かな感性があったとしても、それを客観的に示すことは困難です。発話が不自由な面は「文字盤」を使って補うということで対応しています。キーボード型に配置された文字を指差し、それを追いかけながら一字一字発音することで、発話のきっかけとしているようです。一方、PCを使って執筆活動をすることは可能で、これまでに多数の著書を出してきました。

私自身を振り返ると、PCのキーボードはブラインドタッチでタイプできますが、スマホではそこまで早く自分の気持を言葉として表わせません。そんなときのもどかしい気持ちは、もしかしたら直樹さんが発話に困難を感じることと繋がっているのではないかと思っています。また、直樹さんの書かれたものを読むと、他人とのコミュニケーションが少ない分、自分の脳の中で何度も反芻され、内省された言葉として表れているような印象があり、そのことは、偉大な宗教家の営みとの共通性のように感じます。

脳科学ではこれまで、特定の活動に関わる脳の部位の同定(例えば、発話に関わるのは脳のブローカ野などのように)や、自閉症の人々の脳は健常者の脳とどのように異なるのか、という解析など、10〜20名程度の集団の平均値でデータを理解する方向で進んできました。これからはもっと、それぞれの人の「個性」が脳内でどのように表現されているのかについての理解が進むことを期待しています。そのような視点から、『多様な「個性」を創発する脳システムの統合的理解』という研究班を立ち上げています。この数年の間にこの分野がどのように進展するのか楽しみです。

なお、番組は12月14日(水)午前0時より再放送が決まっています。見逃した方はぜひ♬

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# by osumi1128 | 2016-12-13 00:19 | 自閉症 | Comments(0)

脳科学の未来:RIKEN脳科学総合研究センター20周年記念行事に参加した

理化学研究所脳科学総合研究センター(BSI)が設立20周年を迎えるにあたり、今年はいくつかの記念行事が開催されましたが、その最後となるシンポジウムの末席に登壇しました。会場内300名、ストリーミング配信での参加者450名とのこと。
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所用により、利根川先生のご講演の途中から聞かせて頂きましたが、1997年に初代所長の伊藤正男先生のご尽力により設立された通称「脳センター」は、この20年の間に世界的に認知される研究所になったと思います。画像は利根川先生の使われたスライドの一部ですが、世界の主要な脳科学の研究所と、その業績を研究室あたりの論文数として示しています。
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文字通りゼロからのスタートでここまで到達するのは、そんなに簡単なことではありません。著名な研究者をリクルートし、さらにリニューアルを繰り返して地位を向上させていくことには、大きな痛みも伴うものですし、研究者のみならず事務系の方々や広報室などのチームワークもきわめて重要と思います。同様に、少し遅れて作られた理研のCenter for Developmental Biology (CDB)も、その意味では大いに成功した例だと思います。

第二部では、米国からの帰国途中という山中伸弥先生をはじめ、6名の方の多様なご講演を楽しみました。とくに、高知工科大学の西條辰義先生のご講演は初めて伺うものでしたが、人間としての特徴は、相対性と社会性に加えて、近視性により資本主義と民主主義が進んだが、今後は「現在の自己に重きを置くバイアスを克服する自己制御メカニズム」が無いと、地球の将来は危ういというご指摘をされ、その面で脳科学は貢献できるのではないか、ということを話されました。もしかすると、ヒトは長谷川眞理子先生の言うところの「おばあさんシステム」によって進化できた面もあるので、「7代先の子孫」のことを考えることを、もっと習慣にできるのではないだろうか、などと考えながら拝聴しました。この課題は、もう少し吟味して、いつかまとまった文章にしたいと思います。

私自身、東北大学では医学系研究科附属創生応用医学研究センターの脳神経科学コアセンターや、国際共同大学院プログラムNeuro Globalの立ち上げなどに関わっているので、常に戒めようと思っていることですが、同じ分野の研究者同士が集まって「◯◯学は素晴らしい!」と自画自賛するだけでなく、どうやって社会の期待に答えていくか、より広い研究コミュニティの中でどのように認知され、さらに伍していくのかが問われていると考えられます。

ちなみに、講談社さんが書籍展示販売をして下さっていました。拙著『脳からみた自閉症 「障害」と「個性」のあいだ』も好調な売れ具合で、ありがとうございました。私自身は理研BSI編集のブルーバックスを購入しました♬
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# by osumi1128 | 2016-12-11 15:18 | 科学技術政策 | Comments(0)

第39回日本分子生物学会年会市民公開講座「ゲノム編集は生命観を変えるか?」

この3日間、日本分子生物学会の年会に出席しました。自分のシンポジウムの発表や、ラボメンバーのポスター発表、その他、種々の情報交換も行いましたが、市民公開講座をオーガナイズしました。

昨年、中国でゲノム編集技術を用いて受精卵の遺伝子改変を行ったという論文が発表されたことをご存知の方もおられると思います。2012年以降、CRISPR/Cas9技術の応用が急速に広まる中、実は、2013-2013年に自分が日本分子生物学会理事長をしていた頃に、「ゲノム編集は世界を変える技術。その倫理的な側面について学会として議論をすべき」と思っていたのですが、種々忙殺されてできませんでした。今年の年会長の一條秀憲先生@東大薬学から仰せつかり、念願かなっての企画となりました。

登壇をお願いしたのは以下の方々です(ご発表順)。
●石野 良純(九州大学農学研究院 教授)
分子生物学者。1986年に大腸菌よりCRISPRを発見。
●斎藤 通紀(京都大学大学院医学研究科 教授)
幹細胞から生殖細胞を分化させることに成功。
●石井 哲也(北海道大学 安全衛生本部 教授)
生命倫理研究者。遺伝子組換え 作物、幹細胞研究、生殖補助医療、遺伝子治療などに関心がある。
●武藤 香織(東京大学医科学研究所 教授)
生命倫理研究者。とくに生殖補助医療や遺伝性疾患に関して、患者や被験者の立場からの問題を扱う。
モデレータ
◯瀬川 茂子(朝日新聞社科学医療部 記者)
防災、脳科学、幹細胞生物学などを専門とする。
最終日のすべてのセッションが終わった後でしたので、学会員の方でどのくらいご参加頂けるか、また金曜日の夕方に横浜まで足を伸ばして頂ける一般の方々がどのていどいらっしゃるか不安もありましたが、蓋を開けてみると300名くらいの会場が7割くらい埋まっていたでしょうか。盛会となってほっとしました。

石野先生のご発表では、1973年の遺伝子工学、1988年のPCRに続き、2012年のCRISPR/Cas9を用いたゲノム編集が、生命科学における第三の技術革命と位置づけられていました。また、taking-home messageとして、「これらの3つの技術革命は、すべて原核微生物の基礎研究に端を発しています。今後もきっと隠された宝が見つかることでしょう」と締めくくられました。

齋藤先生は、CRISPR/Cas9も利用して生殖細胞形成や初期発生の分子メカニズムを研究されています。倫理的課題はありつつも、よく議論して基礎研究を進めることが、将来の医学応用についても重要という立場で発表されました。

石井先生は広く生命倫理を専門とした研究をされていますが、ゲノム編集作物、家畜、人間が日本で作られるかと考えた場合、それぞれ△、☓、◯という見通しと話されました。外来遺伝子がない改変の場合でも、作物を作るのに用いられるよりも、家畜を創り出すことの方が人々は抵抗があるだろう。一方で、ゲノム編集によるヒト受精卵遺伝子改変については、昨年ワシントンで開催されたサミットで先天性の遺伝子疾患の予防という目的が、頻繁に取り上げらていたことを紹介されました。一方、日本は世界でも有数の不妊治療大国であることを考えると、遺伝子変異が原因の不妊の治療につかわれるだろうと述べられました。しかし、それで本当に良いのだろうかという問いかけも。

武藤先生は医療分野における生命倫理や患者の権利などについてがご専門。日本では厳密な法律が無いにも関わらず、指針が守られることによって、生命倫理的にグレーな部分が破綻せずに進んでいると話されました。例えば、胎児を守る法律はありますが、ヒト受精卵については指針において「生命の萌芽」としてリスペクトされなければならないとされています。また、ゲノム編集の応用としての受精卵の段階での病気の治療は、優生学的な側面があり、脆弱性を理由に排除されるべきではないのでは、ということにも触れられました。いずれにせよ、社会に開かれた議論が重要というお立場です。

その後、朝日新聞社の瀬川さんにモデレータをお願いしてパネル討論となりました。登壇者による意見交換の後、フロアからいくつかの質問が為されました。一つだけ取り上げるとすると、「宗教の問題はどのように関わるのかという視点が欠けていたのではないか」というご指摘があり、日本人の場合には、生命倫理を考える上で必ずしも宗教観をベースにしていない側面もありますが、確かに重要な観点です。最後は、「ゲノム編集は生命観を変えるか?」という質問へのそれぞれの意見を述べて終わりました。現場の研究者である石野先生や齋藤先生は、ゲノム編集技術が出てきたからといって自身の生命観が変わるとは考えられない、という立場でしたし、武藤先生は「モヤモヤした気持ちを暖めたい」との答え。石井先生もまだわからないというご意見でした。

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ゲノム編集についての市民を交えた議論については、本年、日本学術会議のシンポジウムや、サイエンスアゴラにおける企画などもありましたが、地道に議論を続けていくことが重要だと考えます。

【Togetherによるツイートまとめ】

【石井先生のNHK視点・論点】

【武藤先生のプロジェクト】

【週刊ダイヤモンド拙コラム】
新年に第3回目を執筆予定♬




# by osumi1128 | 2016-12-03 10:58 | 科学 コミュニケーション | Comments(0)