基礎科学はなぜ必要か?【追記あり】

一昨日から昨日だったでしょうか、Twitterの一部で盛り上がっていた話題に、科学技術立国と標榜している我が国において、基礎科学をどのように扱うべきなのか、というものがありました。
民主党政権になって、さぁ、来年度概算どうなる?というのも直近で気になるところですし、もう少し長期的に第4期科学技術基本計画の行く末も案じられます。
環境、CO2オンリーになったら、そりゃあ困りますよね……。



で、科学コミュニケーション業界で活躍しているNさんが、こんなアナロジーを持ち出しました。
基礎科学が大事だと基礎科学のコミュニティの人間が言うことは、道路が大事だと、建設業界の人間が言うことと、基本的に同じだ、と。
僕らはほとんどハエなのだからより引用)

Twitterの方には
アナロジーは、単純に、1 予算確保に向けた訴え「元」が狭い利害関係者の外側に現時点において広がっていないこと、2 これまで使って(使われて)きた予算確保の論理に限度があること、の2点のみしか考えていません。

という補足がありました。

この、「基礎科学と道路のアナロジー」が妙にトゲとなって引っかかっており、自分の感覚からすると「ナンカ違うな〜」というモヤモヤ感を抱えつつ、本日は(日付けは変わっていますが)5年間のプロジェクトの終了報告書書きに明け暮れていました。

科学技術の施策にも関わってこられたYさんはTwitterに次のようなTweetを残されました。
公共事業の談合とピアレビューを違いを丁寧に議論する必要有り。道路は目標が明確ですが、学術研究は目標設定より自由が大切。外部からの縛りより研究の自由が社会への成果の期待値を増すという発想。


これも大事なご意見なのですが、ピアレビューの話題はまた別の折にしたいと思っていて(日本における学術雑誌のあり方、などのテーマで)、少し違う観点から述べたいと思います。

そもそも、お金の桁も随分と違う話ではありますが、「道路は本来、役にたつ。採算を度外視して、あれば有り難い。造るのに雇用を生みだすことができる」などなど、明々白々に誰かの為であることがはっきりしていますよね。
でも、基礎科学は誰の為のものであるのか、ほとんどはっきりしないのですね。
だから、道路を造るべきかどうかは、そのときどきによって「誰の為」なのかが変わるにせよ、関わる人たちの利益のバランスで決まってきたのだと思います。

基礎研究のコマッタことは、役に立つかどうか分からない、誰のものなのかも分からない、でも、きっと途絶えたらマズイことになりそうな気がする、という曖昧さです。
小さな基礎研究の一つ一つが集まって一つの山になり、そういういくつかの山の上に立って新たな展望が開けるというのが、私が抱く基礎研究のイメージです。
つまり、基礎研究者の一人ひとりは、そういう小さな山に、小さな石を一つ、また一つと積み上げていくという、見ようによっては地味でつまらないことに情熱を傾けている訳です。

山中さんのiPS細胞だって、遺伝子導入や遺伝子スクリーニングや、遺伝子改変マウスやES細胞や、そういうこれまでの技術や知見の上に初めて成り立ったものであり、コンセプトとしては「細胞を癌化させるにはいくつの遺伝子が必要か?」というような問いの変形バージョンでもあります。

「これまで使って(使われて)きた予算確保の論理に限度がある」という指摘はもっともだと思います。
私もしばらく前までは、応用にはほど遠い研究しかしていなかったのですが、その頃、確かに各種申請書の最後におきまりのように「この研究は<遠い将来>役に立ちます」という呪文を書いたことは確かです。
ところが、実際に応用という出口が見える研究も行うようになってみると、この「遠い将来役に立ちます」という呪文のまやかしの部分が気になるようになりました。
つまり、基礎研究は基礎研究として「こんなに面白い研究なのだから研究費下さい!」と言うべきなのではないかと思うようになったのです。

「予算確保に向けた訴え「元」が狭い利害関係者の外側に現時点において広がっていない」という点も確かにそうで、多くの基礎研究者はどうやったら施策を変えられるかには興味が無く、決められた枠の中でのコスパを上げるように努力するのが普通です。
というか、研究以外のことに興味の無い方も多く、また、向いていない方も多々おられます。
この点をなんとかするのも、科学コミュニケーションに含まれることでしょう。

なので、Nさんの言われることに異論は無いのですが、「道路(でも空港でもよいのですが)とのアナロジーはちょっと……」とやっぱり思うのです。
基礎研究者は道路工事の人足でしょうか、それとも建設会社でしょうか。
ポストが確保されるという意味では現場の労働者に近いのかな。
利潤を得る訳ではないし……。

何より基礎研究に大切なのは「多様性」だと思います。
皆がプロジェクト研究に走ってしまったら多様性が無くなります。
自然界と同じように、多様性が無くなると、大きな環境変化に対応できないで皆討ち死に、ということが起こりそうな<気がします>。

科学者の日々の営みは、発見を求めて試行錯誤することであり、そういう意味では無駄も多い。
何年にも渡って気付かないでいることもありますし、でもそれは、誰かが「気づきなさい!」と命令してもどうにもならないパーソナルなことです。
ところが、時としてセレンディピティーが訪れ、ブレイクスルーにつながります。
進化と同様に予測不可能です。

基礎科学の予算は、単に昨年度よりもどれだけ伸びるか(減るか)で考えられるべきではありません。
今、どれだけの研究者がいるのか(大学院生の数も増やしましたし、ポスドクも増えました)、一人当たりどのくらいの予算配分が為されるべきなのか、その点をきちんと積み上げるべきなのだと思います。
もう一つ、とくに大学においては、次世代の科学者を育てるということも同時に行っていることを無視するべきではありません。
研究者は研究という行為を行うことを通じてon the job trainingする必要があり、そのためには某かの研究費が必要となります。

……うーん、当たり前すぎる論調ですね(苦笑)。
政治家から予算ふんだくるためには、ちょっとインパクトに欠けるなぁ……。
ま、いつまでも国に頼る研究費のあり方というのも、どうかと思っていますが、この話題もまた別の折ということで。

【追記】K_Tachibanaさんのブログ「基礎科学はなぜ必要か?」の説明の論拠がよわいという話に上記が引用されています。
基礎科学は基本的にバラマキで,バラマキの重要性をいかに第三者が納得でき
るように説明できるかというところではないかと.

と言われる「バラマキ」という言葉もトゲになって引っかかりますね。

例えば、初等教育などは「バラマキ」の最たるもの(数から言っても研究業界と比較にならないうらい多い)ということになりますが、教育の機会均等が担保されることは極めて重要です。
どんな才能があるかもしれない、まだそれが分からない子供が、親の経済状態等によって教育を受けられないということは、あってはならないと思います。

基礎科学もどこから芽が出るか分からない、のだから、とりあえず最低限均等に水と肥料を与えましょう、というアナロジー。

そういえば、基礎科学研究振興によって利益が出るのは、科学機器、試薬、実験動物関連等の企業なのかな?
現場の労働者の雇用は別として。
by osumi1128 | 2009-10-27 02:02 | サイエンス | Comments(0)

大隅典子の個人ブログです。所属する組織の意見を代表するものではありません。


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