私的科学コミュニケーション、あるいは河北新報一面に載った研究の裏話

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仙台では欅の若葉がとても美しい季節になりました。
まだ気温は高くないのですが、長い冬は終わったと思うとスキップしたくなりますね。

さて、Stem Cellsという雑誌の5月号の表紙になった論文発表に関して5月7日に行ったプレス発表をもとに、11日付けで日経産業新聞さんが記事にして下さったのですが、本日はさらに地元紙の河北新報さんが一面真ん中に書いて下さいました。
ちょうど、脳神経細胞死を抑える働き 秋田大が酵素確認というNatureの論文発表があったので、抱き合わせになった次第です。
ある意味、科学研究の成果が一面に載るというのは、平和な日であることの象徴だと思います。

で、そんな研究の裏話を。



この研究は、科学技術振興機構(JST)の支援による戦略的創造研究CRESTプロジェクト「成体脳ニューロン新生の分子基盤と精神機能への影響の解明」の一環として行われたものです。
JSTさんの方を主体としてのプレス発表にと思っていたのですが、この雑誌は受理されるとすぐにオンラインリリースされてしまうので、掲載が5月号で、表紙になる、という話を雑誌の編集部から連絡を受けた時点では、文科省記者クラブに発表する基準に合わないことになり、東北大学脳科学グローバルCOEと大学院医学系研究科からのリリースとなりました。

ニューロン新生(神経新生とも言います)については先日Twitter Lectureでつぶやいたことをブログにまとめたりもしていますが、要するに、脳の中で新しく神経細胞が生まれるという現象です。
つまり、脳はいくつになってもダイナミックに変化しているのですね。
そして、ニューロン新生が良いことと記憶・学習に相関性があることや、ニューロン新生の低下が心の病を引き起こしやすくする可能性などが指摘されており、世界的に競争の激しい研究分野となっています。

さて、論文の中身は新聞記事やプレス発表を読んで頂くとして、ちょっと研究にまつわるお話をしてみたいと思います。

この研究に中心的に携わったのは、現在、北里大学医学部の助教になっているH君です。
H君は大学院時代は東北大学の生命科学研究科の所属で、青森県の浅虫というところにある臨海実験所でウニの発生の研究をしていたのですが、5年前に博士研究員(ポスドク)としてうちの研究室に来ました。
細胞数も少なくて単純な(ウニにとっては別段困らないのですがー苦笑)生き物から、いきなり、複雑な脳のニューロン新生というテーマになって、当初はかなりとまどったことも多かったと思います。

うちの研究室では20年来、Pax6(パックスシックス)というタンパク質が脳の発生・発達・維持にどのように働いているかについての解析を行っていて、Pax6は私にとっての「お気に入り分子」ですが、ちょうどオーケストラの指揮者のように振る舞います。
つまり、自分では働かない(音を出さない)のですが、「はい、第一バイオリンさん、どうぞ」「オーボエさん、そこでお願いします」と、実行部隊の分子達を働かせる働きがあるのです。

で、Pax6の元で働く「子分たち」について、いくつかの研究を行ってきたのですが、そのうちの一つに「エフリンA5」というものがありました。
エフリンA5は脳の発生のある局面に大事なのですが、ここではちょっと割愛します。
で、Pax6は脳の発生だけでなく、一生涯にわたって、ニューロン新生にも働くことから、「ではエフリンA5も同様なのでは?」ということで、H君のテーマが決まりました。
(このあたりも1年くらいの時間を数行にまとめていますー笑)

で、エフリンA5のノックアウトマウスはすでにその前の研究のときに、スウェーデンの共同研究先から入手していたので、そちらを用いて、海馬におけるニューロン新生の解析を行うことになりました。
神経幹細胞の増殖により神経細胞は生まれるので、その様子を調べてみると、確かに、エフリンの機能が失われていると、増殖が低下することが分かりました。
(このデータが論文の1/4くらいのボリュームです)

これはある意味、予想通りのことなので、驚くほどの成果という訳ではありません。

ある日、H君に「どう?最近、うまくいってる?」と尋ねると、「いやー、エフリンのノックアウトの方は脳の固定が難しいんですよね……」と言います。
「難しいって、どんな風に?」
「なんか、還流固定するときに、入っていきにくい感じがするんですよ……」
(「還流固定」というのは、心臓に針を刺して、最初に生理食塩水を流し、その後、固定液に変えて、隅々まで固定液を行き渡らせる手法です。)
「ふーん、それってもしかして、脳の微細な血管が細い、ってことない?」
「えー、そんなことありますかね? ちょっと見てみます」

ってことで、H君は当初の予定にはなかった海馬の微細血管の太さを測ることにしました。
すると、確かに、ノックアウトの方が「細い血管が多い」という結果が得られたのでした!

後で文献を調べてみると、たしかにエフリンは胎児期の血管形成にも関わる報告がありましたので、これは幻ではなく、本当にそういうことが起きてもおかしくないのですが、最初からそういう風には捉えていなかったことが、副産物的に挙がってくるというのは、研究をやっている上での楽しさです。

で、「運動するとニューロン新生向上するけど、そのときに血管が太くなっているっていう論文あったよね?」とH君に言うと、
「はい、Kempermannの仕事ですね」
「だったら、血流を改善すればニューロン新生向上するってことじゃないの? 降圧剤を投与したら、ノックアウトマウスのニューロン新生、治せないかな?」
ってことで、H君は、降圧剤を溶媒に溶かした液をマーゲンゾンデという器具でマウスの胃袋に注射する、という実験を開始したのでした。

この実験は(以前はウニの研究をしていた)H君には、ちょっと難易度が高かったようです。
当初、「これはいけるかも!?」というデータも得られたのですが、うまく投与できなかったせいか、ばらつきが大きくて、良いデータとすることができませんでした。

もちろん、もっと時間をかけて薬剤投与のトレーニングを行えば、論文に回復実験まで入れることができたかもしれません。
そうしたら、さらにハイ・インパクト雑誌への投稿も視程距離に入ったかもしれません。
でも、CRESTのプロジェクトは5年という期限があり、H君にはちょうど良い次のポジションの話を頂いたので、そちらに移ることになり、追加の実験を延々と行うということはできませんでした。

論文作成にあたっては、残りの詰めの実験などもあって、週末にこちらに来てもらったりすることもありました。
投稿したのが昨年の夏で、秋から冬の間に査読コメントに対応するための追加実験を行って、年明けに再投稿して、年度内、つまりプロジェクト終了直前に論文受理の知らせを電子メールで受け取りました。
いやー、そのときは本当に嬉しかったです。

という訳で、1つの成果がまとまって、専門家向けの英語の論文という形になり、さらにそれを、もっと多くの方々に知ってもらうためにプレス発表を行って、例えば新聞という媒体に日本語の活字となって載るまでには、筆頭著者以外の方々にも大変お世話になっています。
例えば、マウスの維持管理を行って頂いている技術員の方、日々、実験についての議論やアドバイスを行うラボメンバー、英語を校閲してくれる方々(会社にお願いすると顔もわかりませんが)、雑誌の編集部の方、どなたかはわからない査読者の先生、プレス発表をお世話して下さったグローバルCOE広報室のNさん、JSTの事務局の方々など。
もちろん、研究そのものは国民の税金を元にしていますし。

この場を借りて、5年分の感謝を申し上げます。
有難うございました。
また、さらに次に向かって頑張ります!
降圧剤投与によるニューロン新生回復実験は是非やりたいですね。
Commented by rcis-as at 2010-05-17 08:13
良い裏話ですね。
短いですが、担当者の苦労が分かります。
担当者のご発展をお祈りいたします
by osumi1128 | 2010-05-14 00:21 | サイエンス | Comments(1)

大隅典子の個人ブログです。所属する組織の意見を代表するものではありません。


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