書評『偉大な記憶力の物語』

書評『偉大な記憶力の物語』_d0028322_1910478.jpg岩波書店の編集部からご恵贈頂いた『偉大な記憶力の物語 ある記憶術者の精神生活』(A.R.ルリヤ著、岩波現代文庫)を読んだ。
「世界に類のないほどの記憶力を持っていた一人の人間について、30年もの長い月日をかけて」観察し分析した、いわば症例報告集大成である原著は、モスクワ大学教授、神経心理学者ルリヤにより1968年に刊行され、その著者を留学中の恩師とする天野清の訳により1983年に総合出版から刊行されていた。
それが再び岩波現代文庫として、本年10月に刊行された次第。
この「記憶術者」(本書では〈シィー〉という名前になっている)の記憶の仕方は直観像に基づき、特有の共感覚を伴い、忘却されることがないという。





共感覚というのは、例えばある音に特定の匂いやイメージを感じたりするような、種々の感覚系が混ざり合ったような状態。
いわゆる「絶対音感」というのも共感覚の一種で、ドレミの「音」にドレミという「文字」が自動的に結びついて知覚されるものであり、場合によっては「色」を伴うこともある。
私の場合は、小学校高学年で桐朋音楽教室に通っていたときに、調音のトレーニングをしたためにこの感覚があるのだと思うが、音楽(とくにピアノ曲)を聴きながら、本を読んだり、テキストを書いたりし難いという不便さがある。

シィーの場合の共感覚は、言葉、すなわち音から沸き上がるイメージや匂い、質感等が並外れており、そのために、数字の列であれ、詩の一節であれ、豊かな直観像として記憶されたものが強力に記憶される。
巷に「記憶術」の本などがあって、語呂合わせやイメージを組み込むことを推奨しているが、本書はきっとそんな本のネタだったのだろうと想像する。

こういう共感覚は、実は子どものときには皆、持っていたのではないかとルリヤは考えている。
つまり、発達初期に混じり合っていた感覚が、様々な経験やトレーニングにより分離していくのが普通の過程であり、視覚は視覚、聴覚は聴覚として固定されていく。
そのような、思春期以前の状態が残っているのが共感覚という訳。
神経発達学の立場から言えば、子どもの頃の脳の中では神経細胞の樹状突起が発達しているが、徐々に強固な神経結合を持った突起が残り、それ以外が「刈り込まれて」いくことが知られており、このような過程の間に共感覚は薄れていくのだと説明できる。

共感覚が実際にどのようなものなのか、普通の人間には想像しがたいものだが、本書は極めて忠実な記載により、シィーの言葉としてそれが語られる。
算数の問題などを、記憶力が良いだけでなく、視覚的に素早く解決することができる一方、抽象的な文章や言葉の使われ方に飛躍のある詩などを理解することが難しいらしい。
「忘れられない」ということがどういうことなのか、それが人格形成などにとう影響したのかも。

文庫本解説は慶應大学医学部精神科教授の鹿島晴雄氏。
神経心理学や高次脳機能障害のについて的確な説明を加えることにより、本書を読む助けとなっている。

実に興味深い本である。
共感覚の脳科学が注目されている現代において、本書が岩波現代文庫として蘇ったことは、まさに行幸といえよう。

【参考サイト】
『偉大な記憶力の物語 ある記憶術者の精神生活』(A.R.ルリヤ著、岩波現代文庫)
『神経心理学の基礎―脳のはたらき』(A.R.ルリヤ著、創造医学選書 )
by osumi1128 | 2010-10-23 19:20 | 書評

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