書評『さえずり言語起源論 新版 小鳥の歌からヒトの言葉へ』

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岡ノ谷一夫さんの新刊『さえずり言語起源論 新版 小鳥の歌からヒトの言葉へ』を岩波書店編集部から送って頂いた。
編集者の浜門麻美子さんは、私も拙著『心を生みだす遺伝子』(岩波現代文庫)でお世話になった方。
旧版の『小鳥の歌からヒトの言葉へ』も面白かった記憶があるが、それからすでに7年の月日が流れていることに、改めて驚いた。
その間、岡ノ谷さんの研究は理化学研究所脳科学総合研究センターで発展し、ERATOプロジェクトを展開され、所属は東大の駒場に移られた。

「え? 鳥のさえずりがなんでヒトの言葉と関係あるの?」という疑問は、しごく普通の感覚であろう。
だが、本書を読み終わる頃には、「きっとそうに違いない!」と思うようになるはず。
「岩波科学ライブラリー」に収められた本書は、分量的にも丁度良いし、岡ノ谷さんの文体は読みやすい。




従来の言語起源論では、まず「意味」を持つ単語が生じて進化し、その後、それらを制御する「文法」が生じたと考える。
岡ノ谷説はこれに対し、意味の進化と同時並行に「性的ディスプレイ」の進化が生じ、これらが絡み合って「言語」が進化していったと推測する。

きっかけは、ジュウシマツの歌には「文法」がある、という発見だ。
ジュウシマツの雄は雌に対して求愛のラブソングを歌う。
雌は歌の上手い(複雑な)雄をつがいとして好む傾向がある。
「こんなに歌が上手いのなら、その他の面でも優れているに違いない」ということが、生得的な繁殖戦略に刷り込まれているのだ。
これを「性淘汰」という。
鳴禽の歌だけでなく、アズマヤドリなどの美しく飾り立てた巣や、カタカケフウチョウのダンスなども、ジュウシマツの歌と同様の「性的ディスプレイ」である。
これらは、コストがかかっても、雌を射止めることのメリットの方が大きく、そのような雄が子孫を残すことができたために広まっていった。
このような「性的ディスプレイ」を担うのは、主に運動系の調節や感覚系との統合を行う神経系である。

このような「性的ディスプレイ」は、厳しい環境では発達しにくい。
実際、上記のような歌やダンスや巣を作る鳥たちは、餌を求めて渡りをする種類ではなくて、暖かく食べ物の豊富なところに棲息している。
ジュウシマツの歌も、より野生のコシジロキンパラの時代よりも、ペット化されるようになって複雑化したと考えられる。
この間、たった250年だ。

人間も、「集団生活、道具使用、農耕牧畜によって自己の棲む環境を安全で豊かなものに作り変えてきた。」
これは「自己家畜化」と捉えることができると岡ノ谷さんは考える。
「性淘汰」によって進化しつつあった行動が、「人間の自己家畜化により制約を緩和されたことで」、ダンスや歌などのディスプレイがより大げさになることができ、文法を可能にした「前適応」が進化したという。

ここまでの「ヒト言語の文法の性淘汰起源説」は、すでに旧版で唱えられていたことなのだが、本書ではさらに新たな仮説が付け加えられている。
それは「状況と音列の相互分節化仮説」というものである。

歌の変異が蓄積していく過程において、歌は性的な文脈以外でも、例えば、狩りの前の儀式や、食事の前や、亡くなった人を悼むためにも歌われるようになった。
そのとき「ある文脈における歌と、他の文脈における歌とが一部の歌節を共有」していたとすると、帰納的にその共通項がある「意味」を持つようになり(例えば「みんなで○○しよう」)、さらに次の段階では演繹的にその「歌節」を応用して使うことができるようになるという仮説である。

私自身は、この進化した「相互分節化仮説」がとても腑に落ちた。
おそらく、このようなことが可能な神経基盤は生物学的に共通して存在しており、したがって文化的な差異も超えて機能しうるものと捉えられる。
子どもが母語やそれ以外の言葉のシャワーを浴びて育つ過程においても、おそらく、子どもの脳の中では膨大な数の言葉の中から帰納的に共通項を見つけることが可能で、さらに、その共通項を自分で自由に操ることが可能になるのだろう。

旧版もそうであったが、岡ノ谷さんは研究成果を紹介するときに、その研究に関わった学生さんや研究員の方を主語にして説明されるのが素敵だと思う。
研究はやっぱり「人」が行うものであって、そうやって語られることによって次に伝わっていってほしいと願う。

ちなみに、私自身は言語にとても興味があるので、自分で研究そのものを今行っている訳ではないが、例えば下記のような本のチャプターにも参加させて頂いている次第。
言語と生物学 (シリーズ朝倉「言語の可能性」
岡ノ谷さんの今後のご研究の発展を見守りたい。
by osumi1128 | 2010-12-13 00:09 | 書評

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