児玉先生発言に端を発して思う科学リテラシーのこと

本日はRISTEX社会技術研究開発センター主催によるシンポジウム「震災からの復興を<活力ある街・地域>創りにつなげる~地域の「潜在力」を引き出す社会技術~」が仙台国際センターで開催され、最後の統括パネルディスカッションを聴きに行った。
有本さん率いるこのRISTEXは独立行政法人科学技術振興機構の傘下にあり、「人々や社会が抱える問題の解決のために、多くの方々の協働の場となり、知識や経験が地域・分野・組織などの境界を越えて広がっていくプラットフォームになることを目指す」と謳っている。
今回のシンポジウムは、種々の東北地方再生復興プロジェクトの紹介や問題点の指摘が中心。
4月の学術会議総会の折に「ペアリング支援」を提唱された石川幹子先生@東大も御登壇されていた。

有本さんから「何かご意見を」と振られたので、今回の東北地方の震災復興は(ここでは原発関係は含めない)、戦後のものとは違って、エリアが広いが日本全体ではないこと、昨日までの普通の暮らしが無くなってしまったこと、被災状況はパーソナルであることなどを指摘し、復興プロジェクトの中に「心のケア」を常に年頭に置いて欲しい、職場や職業が失われた人達に一刻でも早く仕事をしてもらえるようにすべき、ということを話した。

その冒頭に「今日は原発関係のことには言及しませんが、こういう状況においては科学コミュニケーションが一層大事であると考えています」と言ったのだが、本当は次のようなことを話したかった。




先日、7月27日に児玉龍彦先生@東大先端研が国会の参考人として福島原発関係について、生命科学者の立場から説明と提言を話され、その情熱と迫力が半端無いものであったために、大きな注目を集めている。
拙ブログでもすでに紹介したが、ここに再掲しておく。
動画YouTube(先日のものよりも冒頭が欠けていないバージョン)
同書き起こし全文掲載版(国会使用資料リンク付き)

Twitterによると、この反響がいろいろなところに及んでいるらしいのだが、たまたま参加している女性研究者のメーリングリストにおいても話題になっていた。
そこで気付いたことがある。
それは、皆、自分の専門のところには厳しく、それ以外のところには価値を低く見る傾向がある、ということだ。

例えば生命科学が専門でない方は、放射能を「物質」的に呼んだ(児玉先生はアイソトープセンター長も兼ねておられるし、この類のことは「言い間違え」レベルだと私は受け取ったのだが)ところや、チェルノブイリ後の話が今回の福島の問題に聞き間違えられやすい、あたりを厳しくツッコミを入れていた。
悲しいことに「研究費獲得のための過剰演技」というような評まであった。
このあたり、児玉先生のパーソナリティーを知っているかどうかで、受け取り方は違うのだろう。
仙台通信:一つの薬が治療戦略を変える
一方、「癌抑制遺伝子p53」の話などが出てくると、よく分からないために「論理的な話し方ではない」という反応だったりする。
まぁ、児玉先生の熱弁において情熱が勝ちすぎていることは確かなのだが。

私の感想としては、今回の児玉先生の「国会議員向け」説明として大事な点は、放射能による内部被爆がどのように癌に結びつくかをかいつまんで話されたことだと思う。
つまり
     放射能
      ↓
      ↓
      ↓
      ↓
      癌

というのを

     放射能
      ↓
   分裂期のDNA
      ↓
p53など癌抑制遺伝子の障害
      ↓
    細胞増殖亢進
      ↓
      癌

くらいの説明にはなっていると思う。
その上で、だから、細胞分裂が盛んな胎児や、臓器・器官・組織の中でも髪の毛、骨髄などが冒される、という説明も理に適っている。

また、児玉先生は「1人1人の遺伝子は300万箇所くらい異なるし、システム生物学的に考えて、ただ個体全体が低レベルの放射能に曝露されるとどうなるか、という観点ではなくて、臓器ごとにどうなっているかなど明らかにしていくことが大切であることを強調しておられる。
そのために、ここも誤解が生じているらしいのだが、「放射能の基準値など意味がないと発言していて、トンデモナイ!」という風評もある。
生物学の実験では、誤差10%内で進めるが、素粒子物理学の世界だったら、そんな馬鹿な!と言われるだろう。
だが、あまりに複雑な生体では、いくら精度を0.1%に高めたとしても、あまり意味が無いことを生物学系研究者は肌で感じている。

つまり、例えば生物学者と物理学者の間で、かなり「科学リテラシー」が異なるらしいなぁ、ということに気付かされた次第。

もうひとつ、動画で映像と音声を同時に聞くのと、書き起こしの原稿は若干印象が異なる。
おそらく、「その場」にいたら、テキスト化されないことで伝わっていることはもっと増えるのだけど、テキストとして書くときにはより正確さが要求される。
「発言するときにも限りなく正確であるべき」という主張もあるが、本来コミュニケーションというのは臨機応変に為されるべきものと私は思う。
相手の様子を見ながら、納得していそうだったら、省ける言葉はいろいろある。
むしろその方が大事な言葉が強調される。

某福島県のアドバイザーになっている方の「100ミリシーベルトでも大丈夫です」発言などは、これまたアバウト過ぎてなんだかな、と思う。
おそらく、患者は何も知らなくてもいいという教育を受けた時代の先生なのだろう。

……という訳で、互いに正確さを競って細かいツッコミを入れるよりは、科学者の総体としてどうアドバイスするのか、ということが求められているのが、まさに今、なのだ。

最後に、科学技術振興機構研究開発戦略センター長の吉川弘之先生の提言の一部を掲げておく。
政府の依頼、あるいは政府がその助言を受けることを前提として、必要な助言を作るための専門科学者の集団を、科学者コミュニティが自ら選出して作る。そのような“場”において、その集団が該当する分野の専門科学者の“合意した声”を作る。それは科学コミュニティの外のいかなる勢力からも独立であり、学説間の均衡を保ち、いかなる党派にも属さぬ声(coherent voice of scientists, unique voice of scientists などと呼ばれる)であることが要請される。


もう一度、繰り返す。
今こそ、異なる分野の科学者がcoherent voiceを上げ、邪魔なノイズ(放射能不安を煽って儲けようとする、根拠無しに安全と言い張る)が聞こえないようにすることが求められているのだと思う。

【参考サイト】
東京大学児玉教授の衆議院での証言、4ヶ国語で(日英仏独)
by osumi1128 | 2011-08-05 00:31 | 科学技術政策

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