脳梗塞の幹細胞治療から考える一回性の科学【追記しました】

「第2回機能回復神経サマーセミナ札幌」という会で講演をさせて頂いた。
一人目の講演者は札幌医科大学神経再生医学講座の特任教授である本望修先生で「脳梗塞の再生治療」というタイトルだったが、ラットを使った基礎研究だけでなく、脳梗塞の患者さんへ骨髄由来の間葉系幹細胞を移植した効果について、劇的な動画を示されて感銘を受けた。
通常、脳梗塞の治療は急性期にいかに症状を改善できるかが、その後の予後に影響すると考えられているが、本望先生の症例では、脳梗塞発症後1ヶ月以上経ってからでも幹細胞移植によって、大きな治療効果が得られるという。




このような臨床研究の場合には、適切な「対照群」を設定することがとても難しい。
その患者さんは、もしかすると幹細胞移植を行わなかったとしても、同様に回復したかもしれないことをどうやって否定できるか?
目の前に患者さんがいて、もしかしたら治療効果があるのではと思っている治療法があって、もちろん患者さんもそれを望んでいるとしたら、「治療を行わない」ことは道義的に難しいし、ましてや「効果が無いかもしれない細胞」をわざわざ移植して比べるなんてできない。

動物実験の場合には、遺伝的に同等と考えられる同じ週齢のネズミを多数用意して、血管結紮などによる脳梗塞モデルに対して、何もしない群、幹細胞を移植する群、他の細胞を移植する群、などと分けて、その効果を「科学的に」調べることは可能だが、人を対象とした場合にはそうはいかない。
人の場合には赤の他人と0.1%もゲノム情報が異なるから、同じ「治療=実験的操作」をしたとしても結果が異なる可能性は多い。
本当に効果を統計学的に判定するためには多数(1000人、10000人〜)の症例が必要となる。

個々の患者さんの側から見るとどうだろう?
あるとき、不幸にして脳梗塞になってしまったとして、同じ自分に対して、幹細胞移植という治療をした場合と、あるいは他の治療法(例えば幹細胞の培養液上澄みーconditioned mediumの注入など)を「同時に」試すことはできない。
50歳で脳梗塞になったとして、そのときにAという治療法を選択する。
次に60歳でまた脳梗塞になったときにBという治療法を試して、それを50歳のときと比べるのが科学的かというと、10歳年を取る間の変化を考慮しなくてよいか?という問題が生じる。
現在、生命科学分野では、私たちの遺伝情報は「DNAの配列」レベルで同じであったとしても、年を経る間に「上書き」される情報があって(これをエピゲノム情報と言う)、そういう意味では、「昨日の私と今日の私は厳密には同じではない」のだ。

いわゆる「科学」のお作法には「再現性」が求められる。
誰かがある実験で得た結果は、他の人が行っても同じでなければ信用されないのがルールだ。
だが実際には、X研究室で得られた結果がY研究室では得られない、ということは日常茶飯事なのが生命科学であり、まして対象が「人間」となると、もっと扱いにくい。
脳梗塞の治療でも癌の治療でも同じだし、卑近な例で言えば、「低炭水化物ダイエット」と「低脂肪ダイエット」とどちらが効果があるのかを、自分自身で試してみたとして、「低炭水化物ダイエット」後の自分は、それを試していない自分とは異なる状態かもしれず、「低脂肪ダイエット」のみの効果が得られたのかどうかを科学的に判定することはできない。

このようなケースは、例えば物理学の世界とは大きく異なる。
証明できない、再現性が取れないのは、「進化」を科学的に扱おうとする場合にも非常に問題となる。

……そんなことを考えたのは、以前に瀬名秀明さんの講演の中に「一回性の科学」というキーワードが出てきたのが印象的だったからもあるのだが、最近、放射能問題を見ていて思うことがあったからだ。
非常に厳密に放射能を測定したとして、その影響を受ける「人間」というのは、ものすごく多様性があって、ある「基準」というのがその人個人にどれだけ当てはまるのかは「予言」することが非常に難しい。
多数の事例を元にして「確率」を「推測」することは可能だが、それがその「個人」への影響をどれだけ予測するのに役立つのか?
「ある抗癌剤は50%の患者さんに効きます」というデータがあったとして、当人にとっては「効く」か「効かない」かの「ゼロ・100」になる。
同様に、例えば「Xベクレルの放射能が検出された牛乳を飲んだら癌にかかるリスクが(仮に)Y%上がります」ということが分かったとしても、その基準がその人個人の運命を予言できるかどうかは生命科学者、医学者にはわからない。

放射能が人体に対して大きな影響を与えることは、すでに広島・長崎・チェルノブイリで知っていることではあるが、低レベルの内部被爆に対しての知見は少ない。
「Xベクレル」の放射能が発癌のリスクを10%上げるとして、でも、世の中にはもっといろいろな発癌物質が多数存在するし、喫煙、運動頻度、食生活等の生活習慣によってもリスクは大きく変わる。
そういう情報がもっと伝わるべきなのではと思う。

私が聴いた講演ではないのだけど、同様の趣旨の瀬名さんの講演内容はこちら
by osumi1128 | 2011-09-03 00:53 | サイエンス | Comments(0)
<< マウスを透明にする魔法 市民公開講座「こころの脳科学」 >>