空気を読みすぎる日本人
2012年 07月 31日
日曜日のエントリーにおいて、クリスマス・レクチャーでご一緒した邑本先生(現在は東北大学災害科学国際研究所のご所属)のパフォーマンスについて触れたが、その邑本先生が書かれた『大学の授業を運営するためにー認知心理学者からの提案ー』をもっと早く読めばよかったと公開している(苦笑)。
これは、東北大学のProfessional Development用のブックレットで、「学生に伝わる講義とは」「学習意欲を高める授業運営」「役に立つ知識の習得を促すために」……と、明日の授業やプレゼンに即、役立ちそうなポイントが満載。
授業といえば、年々、こちらからの質問に積極的に答える学生が少なくなる傾向を感じる。
「答えは知らなくて当然ですよ」「思いついたことを言ってみて」「ウケ狙いでもいいから!」などと促してもなかなか……なのだが、授業が終わると「先生、ここがわからないのですが……」「これは、こういう意味ですか?」などと訊いてくる。
良い質問をして目立ってやろう、などとはまったく考えていないらしい。
そういえば、「JALの入社式の今昔の違い」が面白いと教えてもらっていたのを思い出した。
画像を探して、こちらのブログ「伽藍の世界」をリンクしておこう。
日経新聞2010年9月16日付夕刊に掲載された、「経済今昔物語」という記事を取り上げているのだが、その記事に掲載された2010年と四半世紀前の1986年のJAL入社式の様子の違いが衝撃的だ。
まぁ、解釈や理由の推測はいろいろとあろうが、とにかく、四半世紀前の方がはるかに多様性があったということ。
今は「空気を読みすぎる」時代なのだと感じる。
戦後にどんどん整っていった6・3・3制がちょうど第二世代に入ったあたり、つまり、初等中等教育を教える方も6・3・3制で育った頃からが、急激な均一化の始まりかもしれない。
うちの父親の頃は陸軍幼年学校なんてエリート教育のための学校があって、入学資格は「旧制中学1年から旧制中学2年修了<程度>」だったらしい。
旧制高校と予科も併存していたから、本当にいろいろな教育スタイルがあったのだろう。
金子みすゞの詩をいつも思い出す。
わたしと小鳥とすずと
わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんのうたは知らないよ。
すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。