私たちは気が短くなっているのか?

研究者は論文を書くことが仕事です。大学院に進学したいといって訪問してくれる学生さんに、「<研究者>って何をする職業だと思う?」と聞くと、「えっと、実験をする人」という答えが返ってくることが圧倒的多数です。訪問者は大学の学部4年生だったり、修士1年生だったりするので、なんとなく「研究室」という職場を見て、ラボメンバーが実験しているから、そういう印象を持つのかもしれません。あるいは、理系の実習が実験を主体とすることが多いから、「大学で理系の先生=実験する人」と思っているのかもしれません。

でも、私は「研究者=論文を書く人」だと思っています。私たちが実験をするのは、「想像で論文を書く」のではなく、実データに基いて考察し、それを文字や図として発信するために行っているのであって、「実験のために実験をする」のではなく、「論文を書くために実験をしている」のです。

ですので、高校の出前授業などでは、「研究者は英語で論文を書くのですよ!」とお話します。すると、かなり聴衆がどよめきます(本当です。毎年、そういう経験をしています)。「理系だからといって、国語や英語を疎かにして良い訳ではありません」としっかり、生徒さんにも先生方にも伝えるようにしています。

理系の研究者は「編集者」に似ているなぁと思うこともあります。文字だけでなく、データをどのように図に表すかなとも必要な能力だからです。ちなみに、最近少なくなったかもしれませんが、「学者=本を書く人」だと思っています。本を書くためには、専門外まで含めて広く論文を読みこなして、より俯瞰的な文章にまとめあげることが大切ですね。

さて、研究者である私にとって、今年の年明け最初の論文投稿は1月12日でした。それが、予想より早く、昨晩、戻って来ました。より正確には、査読結果が電子メールで通知されて来ました。

最近の論文投稿はオンラインで行うプロセスです。かつては、ハードコピーの原稿を入れた国際郵便を出すために、24時間開いている中央郵便局に走ったものですが、今はオフィスから「クリック一発!」なので、若干味気ない気もします。

専門的な科学雑誌に投稿された論文は、編集サイドで不備が無いかどうか確認された後に、専門家(つまり、同じ分野の研究者)による「査読=評価」に回ります(商業誌の場合には編集サイドでの却下もありますが)。現在、生命科学系では、査読を引き受けた場合に与えられる猶予(査読期間)は、2週間というのが標準だと思います。なので、投稿から1ヶ月未満で査読結果が戻ってきてもおかしくないのですが、昨晩、感じたのは「昔よりずいぶん早くなったなぁ……」ということでした。

査読はお互いに「ボランティア」で行う(つまり報酬を得る訳ではない)ので、私自身も毎月数本の論文を査読します。査読者として「ここを改善すべき」などのコメントを戻したり(もちろん英語)、handling editorとして査読者を決めたり、お願いしたりするのですが、最近では(困ったことに)査読期間前にリマインドメールが届くは、締切過ぎたら催促が届くは、ということになっているのです。これらはシステム化されているので、自動的にメールが送られてくる設定になっている訳です。

この傾向の元になったのは、「競争が激しいから、少しでも早く論文発表したい」という研究者側の意向だったと思います。日本では年末から1月くらいまでの間は、学位申請にも関係して「駆け込み」の論文も多々あります。また、雑誌の側も「うちは査読期間が平均1.7週間です(エヘン!)」というように、査読期間が短いのはいいことだ、と宣伝に使います。なので、査読プロセスを早く早く……という傾向は止められない状態になっています。

しかしながらこのような「スピード・アップ」や「オート・リマインド」は、実は危険な要素も孕んでいます。短い期間で査読を行うことによって、細かいチェックが疎かになるかもしれません。きちんと読みこなさずに表面的に評価するために、論文の萌芽的な面白さや重要性が見落とされる可能性もあるでしょう。早く査読コメントを出して下さい、という編集サイドからのプレッシャーの元で査読を行うと、ネガティブな気持ちが評価に反映されてしまうことが無いでしょうか?

過日、学内で研究不正防止に関するセミナーを行った際に、生命科学系の査読期間が2週間〜4週間くらい(締切踏み倒したとして)と話したところ、数学分野の参加者が、「数学の査読は1年くらいかかりますね……」と言い放って、同じ理系でも遥かに異なる文化を持っていることに愕然としました。数学科のK先生にも確認しましたが、「へたすれば2年とかかかっちゃうことありますね。仕方ないじゃない」ということだったので、N=2ですが、たぶん本当なのだと思います。

「紙と鉛筆があればできる」数学と異なり、お金のかかるウェットな実験を主体とする生命科学分野では、1回の査読に1年もかかったら、それはそれで困ることになりますが、現在の状況は、ちょっと「追いまくられている感」が強いような気がします。

おそらく、いろいろなところで社会の動きは加速しているのだと思います。コンピュータの処理速度も早くなってくると、私たちはますます、ちょっとでもダウンロードが遅いと「イラっと」してしまいがちです。それを待っている間に、スマホに手を出して、何かの情報にアクセスしたいという気持ちになります。皆、気が短くなっているのです。

このような「気の短さ」は、もしかすると人間の「許容力」を下げているのではないでしょうか? 立ち止まって、ゆっくり考えてから判断せずに、反射的に気分で反応することが多くなってはいないでしょうか? 進化の過程でヒトが発達させたはずの前頭葉を駆使するのではなく、情動をもとに行動しがちな傾向に陥ってはいないでしょうか? 私たちが創りだした環境自体によって、私たちの思考パターンや行動様式が変化していくのに、私たち自身が追いついていないことが種々のストレスの元になっているように思われます。


……ていうようなブログを書いている間に、査読対応!!!

Commented by 山形方人 at 2015-02-07 12:47 x
確かに「気が短くなっている」という時代なのだと思います。私は、「研究者=論文を書く人」というのも、また時代のせいではないか、と思います。私は、研究者の理想としては、真に報告すると感じる「大発見」をするまで、ひたすら「大発見をするためだけ」の実験をすることだと考えています。本当に心から書きたくなるまで論文など書かない。でも、研究を続けるために研究費が必要になったり、学位が取れなかったり、ポストがなかったり、業績がないと見苦しいので、論文を書いたりする必要がでてきてしまう。こういう必要性に迫られて論文を書くというのは科学者の本来の姿ではないと、私は思います。才能だけを認められて、無条件に研究費だけはサポートされるというような状態が研究者の理想なのだと思いますが、実際はそんな人はほとんどいないのが現実だと思います。理想は論文を書かないで研究だけをひたすら続けること。ただし、これはあくまで理想で、書かざるを得なくなるのが現実ということだと、私は思っています。

私も指導を受けたことがある野依良治先生の言葉にこんなものがあります。
「私たちは論文を書くために研究をしているわけではありません。しっかりと研究をすれば、おのずと論文は書けるものです。」

ホメオティック変異の発見でノーベル賞を受賞したEd Lewis氏は、ほとんど論文は書きませんでした。Ed Lewis氏が生涯でどれくらい論文を書いたか、調べてみられると興味深いと思います。それも、そういう時代だったから可能だったのだと思いますが。
Commented at 2015-02-07 14:15 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
by osumi1128 | 2015-02-07 11:09 | 雑感 | Comments(2)

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