お勧めの本『ワンダー きっと、ふるえるー』

本書の主人公オーガストは「ふつうの男の子。ただし、顔以外は。」という設定になっている。生まれつき顔の形成に異常がある10歳の男の子が、米国の小学校で過ごした1年の間の出来事について、本人、姉、本人の友達、姉のボーイフレンド、姉の友達などの視点から描かれている。フィクションだが、作者のR・J・パラシオ氏の体験したエピソードに基いて構想され、きちんとした科学的な取材も為されている。

実は、初めて携わった研究が顔面発生craniofacial developmentであるため、東北大学の医学部や歯学部の「人体の発生」についての講義の中でも、顔の発生とその異常については、ついつい思いを込めて話をしてしまう。顔が「普通に」発生するだけでも、どれだけ多数の遺伝子たちが正常に働く必要があるか、その働きを阻害するような薬物としてどのようなものがあるか、生まれた時点で体の形に異常のある「先天奇形」の頻度はどのくらいか、などなど……。そして、日本人で頻度の高い口唇裂の子どもの画像を見せながら「この子どもの奇形をなぜ治療する必要があるのか」という質問をする。引き出したい答えは、医学的な理由だけでなく、「顔」が人間にとってはそのアイデンティティの象徴でもあるという、認知的、心理的な側面もあるということ。締めくくりの言葉は「この教室にいる皆さんは、こんな複雑な発生過程がすべてうまくいって、ここにいるのです。奇跡だと思いませんか?」

オーガストは顔の奇形があるために、「チーズえんがちょ」などのいじめに合う。物心ついてから慣れているとはいえ、信頼している友達に裏切られたと気づいたときには、とても落ち込む。たまたま行きがかり上、オーガストのことを悪く言ってしまった友達は、そのことがオーガストの耳に届いたと知って深く後悔する。小さい時から弟の顔を見慣れている姉でさえ、心の片隅に「自分の弟が奇形だと友達に知られたくない」という気持ちがあることに気づいて、そのことに傷つく。本書には、そんな子どもたちの心の揺れの様子が、普通のことばで書かれている。400ページを超える本なのに、どんどん読み進められるのは、会話を自然な日本語に訳された翻訳者の力量の賜物である。

オーガストは顔の奇形はあるが、とても頭がよく、ユーモアのセンスもある。その人柄によって友達を得ていき、やがて意地悪な同級生の側にいた子もオーガストを助け、クラスの結束力が固まるところが本書のハイライトではあるが、この達成感・爽快感を味わえるのは、それまでのエピソードでかなり心がふるえさせられるから。

実は、本書を翻訳された中井はるのさんから依頼を受けて、ごく一部、遺伝学のあたりについて翻訳が適切かどうかなどの確認に関わらせて頂いた。ネット上の書評などから、本書がすでに多数の方に読まれて、その心を「ふるえ」させていることがよくわかる。科学者である私も、心から本書をお勧めしたい。ただし、人前では読まないように。心がふるえて対応に困るかもしれません。

印象的なカバーや章の扉のイラストは、Tad Carpenter Creativeというチームによるものらしい。オーガストの顔だけでなく、他の登場人物のイラストも片方の目のみしか描かれていないのは、誰も完璧な人間ではない、という本書の通奏低音を可視化したもののように感じる。

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by osumi1128 | 2015-08-16 17:19 | 書評

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