アカデミア広報とは?:フレンドリーなアウトリーチと健全なアドボカシーを目指して

しばらく前に、阪大医学部に広報室ができて「日本で初めて」という新聞報道を見かけたので、「それは違うでしょう。初めてだったのはうち(東北大)でしょう」と思ったのだが、それはさておき、過日、「アカデミア広報」についての取材を受けた。

アカデミアや関連行政向けに発行されているフリーペーパーの特集記事に、東北メディカル・メガバンク機構の広報を取り上げるという企画で、機構長や現場の方々に加えて、同機構の広報渉外・企画の部門長という立場のためお鉢が回ってきたのだが、これまでの科学コミュニケーションに関する経験を含めてお話しさせて頂いた。話し足りなかったこともあるので、記録と補足のために拙ブログにも残しておく。
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科学を支えているのは科学者だけではない。ダヴィンチの時代なら、裕福なパトロンが類まれな才能を持った人材を抱えていたが、職業としての科学者が成立し、その数が増えた現在、科学者の営みはかなりの部分、国家が支えている。つまり、国民の税金が科学の振興のために使われる。寄付の税制が異なることもあり、我が国では米国のように大富豪が大きな財団を作って、直接、科学者に資金を渡すことは少ない。したがって、現在の日本で科学を支えているのは、間接的ではあるが、国民である。ステークホルダーである国民に対して、科学者の説明責任があるのは当然だ。ただし、科学者が皆、国民に対しての説明をうまくできるかというと、必ずしもそうではない。長い歴史の中でより難解になった分野などはとくに、新しい発見を理解するためのリテラシーのギャップが著しい。そこで、科学者と国民を繋ぐインタープリターが必要となる。

……というのが、第三期科学技術基本計画策定のための文科省委員を務めていた頃から一貫して、「科学コミュニケーションの必要性」として主張してきたことだが、この10年余の間に、アカデミアを取り巻く状況は非常に変わってきた。一言で言えば、商業化が進んだのだと思う。これは国立大学を法人化したことの当然の帰結とも言えるだろう。研究組織間の競争が熾烈になる過程において、それぞれの研究組織をアピールするか、ということに、一世代前とは異なる意識が向けられるようになった。

製品を売る会社では、「宣伝」と「広報」は区別されている。研究成果等を訴えたいアカデミアの場合、これは実に悩ましい。雑誌やテレビなどのマスメディアに「広告」を出すことは、現時点ではさほど多くない。お金がかかりすぎるという側面もあるし、大学という組織は法人化されたとはいえ、まだまだ部局の集合体なので、数ある成果の中から「宣伝」に使う材料を「広報部門」の誰かが決めるということには、抵抗も大きい。それよりも、アカデミアとしての、なんというか、「品位」のようなものを大事にしたい伝統はあって、つまり、いかにも商業的な「宣伝」になってはいけない、というようなメンタリティが背景となっている。

したがって、現在、アカデミア広報の主流となっているのは、論文発表に合わせたプレス・リリースだ。研究成果を他分野の研究者や市民にわかりやすい形に直して、研究機関のHPに掲載するとともに、記者クラブなどに投げ込みをする、場合によっては記者会見を開く。結果として、マスメディアに取りあげてもらうことを期待する、ということが定着してきたと思う。また、TwitterやFacebookなどのソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)を広報に利用する機関も増えてきた(大学公式Twitterアカウントを作ったのも、うちがかなり早いはずで、実際、東日本大震災時には、被災状況や生活関連情報などの周知にかなり役立った)。多くの私大では、さらに若い学生をターゲットとして、各種のお知らせにLINEを使っているようだが、本学ではまだトライしていない。

東北大学では大学本部の広報課が裏方となって「サイエンス・カフェ」のイベントを毎月開催しており、この1月に136回目が開催された。英国が発祥というサイエンス・カフェは本来、もっと小規模な科学イベントなのだが、本学のスタイルは、地元のせんだいメディアテークの1階ロビーという広い場所を会場に、ときには100名を超える聴衆が集まることもある。「本学教員による講演+グループ・ディスカッション+質問発表・まとめ」というスケジュール。グループ・ディスカッションには「サイエンス・シュガーズ」(カフェにはお砂糖という意味ね)という学生のファシリテータが活躍する。総合大学の利点を活かして、講師には多様な研究者が参画してきた。また、いわゆる文系のイベントとして「リベラル・アーツ・サロン」も開催されるようになった。

アカデミア広報が充実してきたことに加え、ここ数年、日本人のノーベル賞受賞者が連続したことや、国立科学博物館や日本科学未来館に科学コミュニケータの人材が増えたことなども連鎖反応となって、世の中に溢れる情報の中で、アカデミアから研究に関して発信される割合は確実に増えたと思う。だが、スダンダップ・コメディアンのネタに科学用語が使われるほどには、まだまだ日本のサイエンスは市民に浸透しているとは言い難い。噺家やお笑い芸人が2016年のノーベル生理学医学賞の受賞対象となった「オートファジー」などを話題にするようになれば、本当に科学のアウトリーチが進んだと言えるだろう。

私個人としては、依頼される原稿だけでなく、2005年に始めたブログを使って、折々に自分が関わった研究成果について発信する活動を続けている(「サイエンス」や「科学コミュニケーション」のカテゴリ記事参照)。この背景には一つのエピソードがある。もう10年以上前のことだが、学生主体のとあるイベントに招かれ「科学コミュニケーション」についてのパネル討論に参加した折、某新聞社の記者と御一緒だった。そのとき「もっと新聞に科学記事を掲載して頂けないか?」と申し上げたところ、「新聞は世の中の<悪>について書くのが本務。科学記事を発信したいのなら、マスメディアに頼らなくても、独自の大学HPなどでできるでしょう」と切り替えされた。実際には、新聞にはスポーツ面など、世の中の「悪」を取り上げたのではない記事も圧倒的に多いのだが、それはさておき、「そうか、既存のメディアに頼らなくてもいいのだ」と、目から鱗の瞬間だった。よく考えると、論文の元となっているのは、科学者がその帰属する組織(例えば、王立科学アカデミー)宛に「このたび、このようなことを発見しました云々……」という「レター(手紙)」が原型とも言える訳で、当時は「peer review(査読)」のシステムも無かったのだから、個人の責任において発信することには何ら問題は無い。

自分の関わる研究広報としては、研究費の一部を用いてニュースレターを発行したこともある。CRESTという枠組みで「ニューロン新生の分子基盤と精神機能への影響の解明」という研究を行う5年間の間、年に2回、市民向けの「Brain & Mind」という冊子を編集した。東北大学グローバルCOE「脳神経科学の成果を社会へ還流する教育研究拠点」を主催していた頃には、広報スキルの高い方やイラストレータを雇用し(どちらも現在、東北メディカル・メガバンク機構で大活躍されている)、さらにレベルの高い冊子を作成したり、市民向けのイベントを開催したりした。現在、文科省の新学術領域研究などでも、年度末の分厚い報告書(実は誰も読まない)を発行するのではなく、市民も読めるような冊子(そういう配慮が為されているか、内輪の研究者向きかは、それぞれ異なるものの)に変わってきたのは、良い方向であると思う。

以上のような経験と研究環境の変化を踏まえ、アカデミア広報として、さらに今後、目指すべきは、フレンドリーなアウトリーチと健全なアドボカシーだと思う。主体となるプレス・リリースの内容は、キャッチーかつ平易であるとともに、誇大広告となってはいけない。わかりやすさと正確さの狭間で、研究者も広報担当者も最大限に知恵を絞らなければいけない。そうして、税金を元にして行われた研究の成果がきちんと市民に還元され、その生活やこころを豊かにし、幸せにすることに繋がってほしいと願っている。


by osumi1128 | 2017-01-14 10:21 | 科学 コミュニケーション | Comments(0)

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