発達障害:研究と支援を車の両輪に!

毎年、5月から7月は毎週、医学部・歯学部学生相手の「発生学」講義を担当しており、気が抜けない季節。最新の研究成果なども盛り込むので、PowerPointの更新もあるが、同じスライドを使って講義していても発見があるというのが授業の面白いところ。学生さんとの相互作用によって、私の脳も活性化するのだ。

今週の授業で気づいたことがある。自分の研究の専門である神経発生について、教科書以上に踏み込んだ講義内容にして熱く語っていたのだが、大脳皮質の領域化に関して、以下のような(業界では)有名な模式図をスクリーンに移して説明した。
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大脳皮質にはいわゆる「領野」と呼ばれるエリア分けがある。ヒトの脳ではブロードマンのものが有名だが、基本的なパターンは齧歯類でも同様であり、脳の後ろ側には「視覚野(この図ではV1)」があり、やや前の方に「運動野(M1)」があって、その間に挟まれて「感覚野(S1)」が存在する。

このような脳の領域が形成されるのに種々の遺伝的なプログラムが働いているのだが、中でも、Emx2とPax6は互いに相補的な働きをしているようで、Emx2は大脳皮質原基の後ろ側と真ん中側で強く働くのに対して、Pax6は前側と側方でその働きが強い。

これらの遺伝子の働きが完全に失われると(つまり、ノックアウトマウスや変異マウスでどうなるかを調べることによってわかる)、Emx2の場合にはM1が広がってV1が狭くなり、Pax6の場合にはV1が広がってM1が狭くなる。

ちなみに、Pax6は私にとってはずっと研究してきたmy favorite geneなのだが、自閉スペクトラム症のリスク遺伝子でもある(より専門的には、シモンズ財団の自閉症関連遺伝子データベース上ではsyndromic geneとして登録されている)。我々自身も貢献しており、これまでにPax6遺伝子の自然発症変異ヘテロ接合ラットおよびマウス(遺伝子の片方のみが傷ついている)を用いた解析によって、齧歯類版での「自閉症様行動異常」を示すことを報告してきた(Umeda et al., 2010; Yoshizaki et al., 2016)。

講義室の大きなスクリーンに映し出されたこの図を説明しながら、Pax6の機能が失われた場合のV1が広がってM1が狭くなるという状態(専門家は「表現型」という言い方を好む)は、視覚記憶が鋭い(見たそのままの情景を絵に描けるなど)ケースや、逆に軽微な運動異常(塗り絵をはみ出してしまうなど)を伴う自閉症の病態を、統一的に説明できるのではないか? ということに気づいたのだ。

あるいはもしかしたら、自閉症などの発達障害の方の「感覚過敏」の原因としては、V1とM1の間のS1(感覚野)がやや広がった状態なのではないだろうか? あるいは、Pax6は前頭葉エリア、側頭葉エリアでも発現しているので、もしPax6の機能が悪くなったら、種々の連合記憶だったり、言語中枢の働きも障害を受けるのではないか???

……そう思って、成体Pax6変異ヘテロ接合ラット脳の画像解析の論文(Hiraoka et al., 2016)を見直した。正常な野生型のラットに比して、Pax6変異ラットでは脳のいろいろな部位で容積が減少している。大脳皮質の領野はどうかと当たってみると、残念ながら、運動野が小さくなって、視覚野が広がっている、という傾向は見られないと結論づけていた。もう一度、この画像解析はどの程度、機能的な領野を反映できているのか、筆頭著者と議論しようと思った。


そんな気分だったので、授業後、島根大学医学部の講義のために出張する際、故オリバー・サックスの『火星の人類学者』を読み直した。改めて、このストーリーテラーは天才だと思ったのだが、それはさておき、この本に取り上げられている7人のエピソードの中には、フランコ・マニャーニ、スティーブン・ウィルシャー、テンプル・グランディンなど、視覚記憶が非常に優れている方のものが含まれている。Pax6遺伝子はそもそも眼や鼻の形成に重要で、まったく働かないとのっぺらぼうになる。Pax6の機能が半分失われた状態でも、種々の程度の虹彩の形成異常(まさにスペクトラムで)が生じるので、単純なヘテロ接合のラットやマウスでは良いモデルではないことは確かだ。視覚そのものが損なわれていたら、それによって脳の領野形成も異なるかもしれない。もっと大脳のパターン形成に異常を生じるようなモデルをつくることによって、メカニズムに迫るべきなのだろう。
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ところで、オリバー・サックスが序文を書いた『Neurotribes: The Legacy of Autism and the Future of Neurodiversity』というスティーブ・シルバーマンの著書は、ノンフィクションに与えられるサミュエル・ジョンソン賞も受賞した好著(先月、邦訳『自閉症の世界 多様性に満ちた内面の真実』がブルーバックスから刊行されました)。とくに、レオ・カナーとハンス・アスペルガーが、それぞれどのように自閉症を捉えていたか、その後の紆余曲折など非常に興味深い内容が含まれます。「Neurotribes」という造語も洒落ています。「Neurodiversity」が重要という考え方は、「個性」の脳科学を推進しようとしている立場からも、大いに賛同します。

ただ、シルバーマンの立ち位置は、自閉症等の発達障害の根本原因を探る基礎研究に資金を投じるよりも、そのような方々への支援を先に考えるべきという点にあるように思われました。とくに、基礎研究としてこれまで行われてきたのは関係する遺伝子の同定と、その遺伝子のノックアウトマウスを作製したり、患者さんからiPS細胞を作って、そのiPS細胞から神経細胞を作って、直接見ることが難しい神経細胞の病態を探るというような研究が中心だったので、その研究成果から創薬までの道のりはかなり遠いことは確かです。

さらに言えば、遺伝子・分子レベルの研究というのは、肉眼で見えない世界なので、一般の方々から理解して頂くのが難しいということがあります(シルバーマンにとっても同様だと思います)。しかしながら私自身は、発達障害の基礎研究と、当事者の支援は、車の両輪であるべきと考えます。どちらか一方だけではグルグルと回ってしまうだけでしょう。

本書はブルーバックスの枠に納めるためだったのか、原著から大幅に割愛されている部分などもありますが、一読の価値があると思います。
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by osumi1128 | 2017-06-22 00:18 | 自閉症

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