お初釜
2006年 01月 08日
前日から東京に移動し、今朝早くから着物を着付けて、お茶の先生のお宅に伺って、水屋の仕事(註:お茶用語で「裏方」の意)と半東(「亭主(お茶を点てる人)」のサポート役)を行った。
よく人から「お茶のお稽古って、何が楽しいんですか?」という様な質問を受ける。
あるいは外国人からは「一体、tea ceremonyとは何を習うのですか?」とも聞かれる。
究極には、ただ「一碗のお茶を美味しく点てたり飲んだりできるようにする」のが到達目標である。
そのために、プロセスを理解したり、美味しく点てる技術を身につけたり、美しい所作でできるように練習するのは勿論なのだが、それに加えて、お茶を点てるのに必要な道具の扱いを覚えたり、陶器や漆器の種類や歴史を学ぶ、掛け軸の書の意味を知る、季節ごとの花のあしらいを愛でる、懐石料理やお菓子の食べ方、作り方を身につける・・・などなど、習得すべきことは山のようにあって、極めようと思ったら、いくら時間があっても足りないくらいである。
もっとも、私自身は「極めよう」とは思っていないので、月に1回程度、畳の上に座って、ゆっくりとした時間の流れに身を置くことでリフレッシュするために続けている。
これを「横書きの世界から縦書きへの変換」と称する。
お茶の先生はもう90歳を超えられているが、足が大分弱って来られたのと、若干お耳が遠いのだけど、でも、お稽古をつけて下さるだけ頭はしっかりしておられる。
今は、お嬢さん先生(といっても70歳近い方)の方に少しずつシフトされつつあるが、是非長く続けて下さればと弟子達は願っている。
週2回くらいお弟子さん(自分よりも若い人たち)が来るというのは、適度な刺激であろう。
そういえば、「脳ドリル」のようなものが最近、巷に溢れているが、これも「若い大学院生達が老人ホームを訪問してデータを取り、テストの結果をほめてくれるから、脳のパフォーマンスが向上するのだ」と言われている。
自分でこもって自宅でやっても駄目とか。
ナルホド。さもありなん。
私はオトナになってまで「ドリル」はしたくないなあ、と思っている。
そんなことしなくても、リタイアして時間がたくさんできたら、「イタリア語を習って、イタリアに行く」とか、「フラワーアレンジメントを習う」とか、「毎日ミステリー三昧する」とか、やりたいことはたくさんあるし。
・・・帰ってきたら、雪がちらついている。
今夜も寒くなりそう。