しばらく「積ん読」になっていたのを、これほど後悔した本も無いかもしれない。今年3月に上梓された『ハイパーワールド 共感しあう自閉症アバターたち』は、自閉スペクトラム症(以降、簡略のためにここではASDとする)に興味のある方にとって必読だ。
著者の池上栄子氏は現在、ニューヨーク在住。ニュー・スクール大学社会学部のWalter A. Eberstadt記念教授という立場で、専門は歴史社会学、文化社会学等。『美と礼節の絆――日本における国際文化の政治的起源』(NTT出版)などの著書を出されている。
もともとASD等を研究されてきた方ではなく、当事者でも無いが、「仮想エスノグラフィー」の手法を使ってASDの人々の感じ方や意識に迫るという画期的なアプローチだ。
もう少し詳しく説明しよう。IT技術が進んで、ヴァーチャル・リアリティや拡張現実など、人間の世界は仮想方向に著しく拡大しつつある。かなり早い時期の仮想空間である「セカンドライフ」という世界があることを知ったのは、2008年に刊行された瀬名秀明さんの
『エヴリブレス』(オリジナルは紀伊國屋書店、2012年より徳間文庫になっている)だったが、自分では入りこんだことが無かった。「セカンドライフ」では、「アバター」と呼ばれる人物たちが社会をつくっており、さまざまな営みが行われている。アバターは好きなようにデザインでき、理想のモデル体型にすることも可能だし、あるいはヒトでさえなくても良い。
池上氏は自身のアバターをつくってセカンドライフの中を探索するうち、ASDがよく出入りするところに出会う。そうしてASDの方が操るアバターから、さまざまなことを聞き出したことなどをベースにして、本書が書かれた次第。
まったく同意するのだが、PC環境がうまく使えれば、ASDの方にとってはセカンドライフのような仮想空間の方がリアルな社会よりも生きやすい。それは、リアルな世界での多すぎる感覚入力にフィルターをかけて減らすことができたり、チャットで為される会話なのでゆっくり考えて発言できるなどのメリットが大きいからだ。
本書にはASDのアバターたちが語る実社会での体験がリアルに描かれ、読者を美しい共感覚の世界や、情報に溢れたハイパーワールドに誘う。ときには、感覚入力が過剰なためにメルトダウンを起こすこともある。もちろん、それぞれの感覚体験には広いスペクトラムがある。
ちなみに、本書の第二章「自閉症の社会史――カテゴリーは人をどう動かしてきたか」では、カナーによる自閉症児の報告から始まるこの分野の歴史が俯瞰的に綴られているが、歴史社会学を専門とする著者らしい公平さで捉えられていることが秀逸である。ASD当事者として発信しているテンプル・グランディンのことや、Autism Speaksやサイモンズ財団等の活動にも触れてあり、最後はニューロダイバーシティという捉え方で締めくくられる。これは私自身が
『脳からみた自閉症 「障害」と「個性」のあいだ』(講談社ブルーバックス)で伝えたかったメッセージと呼応するものである。
本を読んで著者に会いたくなって、
ネットでHPを検索して連絡を取った。10月にニューヨークでお目にかかることを楽しみにしている。
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【追記】NHKのEテレで2017年9月26日、27日と2夜連続で池上英子先生密着取材に基づく番組が放映されます♬
【さらに追記】NHKのEテレ番組、録画してておいたものを続けて観ました。ヴァーチャルな「セカンドライフ」の世界がとても美しく、でもリアルな世界の美しさと同じくらいに、中にいるアバターを動かしている方にとってはリアリティーがあるのだろうと思いました。
2回の番組で計4人のアバター使いの方に会うために、池上先生は6月にアメリカ大陸横断の取材旅行をされたとのこと(実際には5名の方が登場)。
その様子はこちらのウェブサイトに掲載されています。
番組では使われなかったアングルからの画像もあって、映画のメイキングを見るようなワクワク感がありますね。