ポスドクのキャリアパスについて

先週金曜日から土曜日の東京出張の折に「震度0」(横山秀夫著、朝日新聞社)を読みました。
ミステリー系が好きで、同じ作家の本を続けて読む癖があるのですが、今は日本人だと横山秀夫か高村薫に集中しています。
数年前には、「何故この人の印税に貢献する必要があるのか?」と悩みながらも、森博嗣の文庫シリーズを読破してしまいました。

「震度0」はやはり警察小説なのですが、キャリア組vsノンキャリア組の対立が一つの軸になっています。
横山はなかなか良い心理描写をしていると思うのですが、女性の描き方はイマイチだと思います。
自分が女性だから、余計感じるのでしょう。
そういえば、大学の事務方も、地元採用と本省からの出向の方がおられますね。

この話を枕に持ってきた訳は、先日、理研の事務系の方(文科省からの出向)とお話した折に、「ポスドクがそのキャリアを活かして、文科省などに就職することはできないんでしょうかね?」と伺ったところ、「国家試験の受験資格がないんじゃないですか?」と言われました。
「えっ? 国家公務員試験って年齢制限があったのでしたっけ?」と聞くと、「もちろんありますよ。当然でしょ」とのこと。

すみません、世間のことを知らなくて・・・(反省)。
で、後で調べたら、国家I種(法律職、経済職、行政職)が22-33歳とのことでした。
そもそも、この仕分けも非常に「文系」ですが、例えば27歳で自然科学系の学位を取り、2回くらいポスドクをすると、国家公務員としてのキャリアパスはなくなるということが分かります。

ここで少し脱線ですが、大学の教員というのは、大学院の入試を最後としてまったく試験を受けずになることができますね。
学位取得のための審査というのは、やはり「試験」とはちょっと違いますから。
(ただし、研究費獲得のための「ヒアリング」などはありますが)
会社でも「管理職のための試験」があると聞きますが、アカデミアのシステムは専門性に重きを置く、違う体系であるということなのでしょう。

さて、ここからが本日のエントリーの本題です。

1月6日のエントリー「科学技術関係人材のキャリアパス多様化促進事業」に対して、いろいろなコメントを頂き、有難うございました。
1月18日になってから者地区さんという方からコメントを頂き、以下のように数回のやりとりをしました。
以下、少し長くなりますが、背景説明のために引用します(ご存じの方はすっ飛ばして下さい)。

Commented by 者地区 at 2006-01-18 01:57 x
ビジネスサイドの者です。大きな勘違いをしているのではないでしょうか。博士研究員は即戦力でもないし、同じ給料なら新卒を選びます。なぜならトウのたった者が新卒と同じ給料でいては和を乱しますから。かといって基礎研究をしていた博士はビジネスの即戦力にはなりません。だからわざわざ博士は取らないのです。これでは問題解決は程遠いですね。

Commented by osumi1128 at 2006-01-19 01:07 x
者地区さん
コメント有難うございます。
アメリカだと多数の博士研究員が企業に就職していくのですが、何故日本ではそういう風にならないのか、その点を大学で教育に携わる人間はもっと考えなければならないと思いますし、ポスドクをする間に研究以外にも必要なスキルを身につけないといけないのではないかと思います。
実際に、どういう点が日本のポスドクは即戦力にならないのでしょうか?

Commented by 者地区 at 2006-01-19 13:44 x
アメリカはしりませんが、日本企業が年を食った博士をとるなら、学卒より高いビジネス能力がなければいけません。そういう教育をしてください。例えば、社会を見る目、人を動かす力、お金をもうける能力、会社のために働く意欲などです。研究がしたいなら、会社を儲けさせる研究をしてください。

Commented by osumi1128 at 2006-01-19 22:36 x
者地区さん
会社では、どのようにして「社会を見る目、人を動かす力、お金をもうける能力」を学卒の方にトレーニングしているのでしょうか?
会社のために働く意欲については、トレーニングではないと思いますが。

Commented by 者地区 at 2006-01-20 11:25 x
実際に働くことがトレーニングです。
会社のために働く意欲がない人を採用はしません。

Commented by osumi1128 at 2006-01-20 22:49 x
者地区さん
確かに、実際に働くことはよいトレーニングだと思います。
では、アメリカではなぜ「実際に企業で働いたことがない」博士号取得者や博士研究者をあんなにたくさん採用するのだと思われますか?
日本のポスドクの人たちも、毎日一生懸命働いているのだと思うのですが、その働き方だとなぜいけないのでしょうか?

Commented by 者地区 at 2006-01-21 00:02 x
さて、それは大学側が考えることではないでしょうか。どうも拝聴していると、受け身の姿勢が気になります。そういう人は採用されません。
こちらとしては結果にしか興味ありませんので、会社にとって利のある教育をしてもらえればなんでも構いません。アメリカがそういう教育をしているのなら、真似すればいいんじゃないですか。

Commented by 者地区 at 2006-01-23 12:54 x
返答がないようですので、あまり深く考えたことがないものとお察しします。
大事なのは、学生が商品とするならば大学が売り手で、企業が顧客、買い手ということです。売れないのは買い手が悪い、というのはビジネスでは最悪の言い訳で、売れないのは売り手の責任です。顧客はニーズを教えてはくれません。そのニーズをいち早く把握した企業が勝つのです。相手が何を求めているか分からない、と言っているような人を企業は求めていません。

Commented by osumi1128 at 2006-01-23 13:09 x
者地区様
再度のコメントを有り難うございます。
本件は重要な問題ですので、改めて別エントリーを立てるつもりにしています。


この方の最後のコメントはとても含蓄が深いと思いました。
「売れないのは売り手の責任です。」
「相手が何を求めているか分からない、と言っているような人を企業は求めていません。」

博士研究員、すなわち「ポスドク」は、ほんの10年前までは日本の大学にはあまり存在しなかった職位です。
「ポスドク1万人計画」が始まったときに、多くの日本の自然科学系研究室では、この方達をどのように「育てるか」という意識が欠落していたのではないかと想像します。
ポスドクは「学生に学位を取らせるような教育はしなくてよい」立場で、でも、「本当にアカデミアに残るかは未知数」と思われていたのではないでしょうか?

私の世代ではまだ日本の中のポスドクは多くありませんでしたが、学位取得後に留学先でポスドクをするのは、一種のキャリアパスとみなされていました。
それは、外国語習得や、外国人の友達を作ることや、そして良いラボに行けば良い論文につながる早道だったと思います。
もちろん、同世代の方達がすべてその後アカデミアで生き残っている訳ではないのかもしれませんが、需要と供給のバランスはまだ合っていた時代だったかもしれません。

さて、やがて時代はより「競争的」になり、校費はどんどん減り、プロジェクト研究の比重が増すようになりました。
「成果」の求められる、どくにトップダウン的プロジェクト研究では、ポスドクの方達が「労働力」と見なされるようになるのは必至であったと思います。
また、古いアカデミアの教育スタイルは「マンツーマン」あるいは「一子相伝」的であって、ボス一人で何人ものポスドクに「アカデミアで生き残るには」というノウハウやスキルを教えることはできなかったのではないでしょうか。

別の見方としては、「学位を取った人間は、自分でなんとかせよ」という、本人の自主性任せの指導(?)スタイルもあったと思います。
悪く言えば「落ちていくのは仕方ない」という考え方でしょうか。

いずれにせよ、者地区さんからは「トウのたった博士やポスドクなど日本企業は求めていない」というご意見を突きつけられています。
「実際に働くことがトレーニングである」とされ、「トウのたった人は会社のために働く意欲がない」と見なしておられるようです。

私自身は企業で働いた経験はまったくありません。
友人、知人からの伝聞でしか、その世界を知りません。
そんな人間に企業のやり方を云々する資格はないと言われるのは承知で申し上げるとすれば、「実際に働くことがトレーニングである」というのは何も考えていないのと同じではないでしょうか。
また、「会社のために働く」という意識は、今後どれだけ若い世代の方達に受け入れられるでしょうか。

「高いビジネス能力」が求められるのは理解できます。
それを「社会を見る目、人を動かす力、お金をもうける能力」と分析されていますが、それらは、アカデミアで生き残るために必要な資質でもあります。
ですから、ポスドクを雇う立場の研究者は、彼らが「どんな分野でも通用する」ように「社会を見る目、人を動かす力、お金をもうける能力」を育てるべきだと思います。

私は、文章力、プレゼン力は社会で生き残るために必要であり、時間はかかりますがトレーニングできるスキルだと思っています。
また、会議を取りまとめたり、人と交渉したりする能力も大切です。
情報収集力というのも、研究費獲得(=お金を儲ける)能力につながることだと思います。
私自身は折に触れて研究室の中でこれらのことに言及しているつもりですが、どれだけ聞く耳を持っているかというのも、実際には関わってきます。
(これは責任転嫁をするつもりではありません。教育というものがいかに公立の悪いことであるかは、日頃から身にしみていますが、私は、「人は変われる」と信じています。あ、女が男になれる、などという意味ではありません。念のため)。

1月6日のエントリーに戻ると、若手研究人材のキャリアパス多様化のための取組例として様々なものが挙げられています。
この文科省のプロジェクトとして、実際にどれだけの事業が立ち上がって動くようになるのかは未知数ですが、「若手人材と企業等の人事担当者、研究機関の関係者の交流セッション」などがどんな展開になるのかを見守りたいと思います。

キャリアパスのためのスキルセミナーについては、学会等でも取り組み始めています。
科学技術インタープリター養成については、いくつかのプログラムが立ち上がり、また昨年12月の分子生物学会年会でも、日本科学未来館の長神風二さんとCDB広報国際化室の南波直樹さんにより「研究を伝えること、研究に伝えること −生命科学のコミュニケーション −」 というワークショップが開催されました。
恐らく、ポスドクの方達の意識も変わりつつあると思います。

私としては、バックグラウンドの異なる「学」の人材を受け入れる土壌が、「官」にも「産」にも培われてほしいと願っています。
それはまた逆も然りだと思います。
by osumi1128 | 2006-01-25 01:32

大隅典子の個人ブログです。所属する組織の意見を代表するものではありません。


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