論文のauthorshipについて

一昨日のエントリーに対して、いくつかのコメントをいただきました。
まず、ラボ内のことをうかつにblogに書くべきではなかったと反省しています。
私がエントリーしたこと、そしてそのことにより受けたコメントにより、この論文に関わる人の気持ちを傷つけることになってしまいました。

これまでから、例えば「今日は日曜日だが、ラボにはたくさんの学生が来ていた」と書けば、たまたまその日来なかった人がブログを読んだら、大きなプレッシャーになるだろうと思ったりして気をつけてきたつもりでした。
今回はちょっとした達成感を自分のこととして書いたことを発端としていますが、まったく私の責任です。
関係者には深くお詫びした上で、論文のauthorshipのことなどについて触れたいと思います。

最近のNatureなどでは、それぞれの著者がどのように関わったかを詳しく書くようにまでなっています。
今、アクセスできるインターネット環境にいませんので、後でその実例を載せておきますが、複数の著者がいる論文の場合に、それぞれの著者はさまざまな形でcontributeすることになります。
したがって、個々の論文の中のauthorshipは多様なバリエーションがあり、一律に論じることは不可能です。
共著の論文の場合に、極端な例を挙げるとすれば、筆頭著者がcorresponding authorも兼ねて、図の作成から本文執筆、カバーレターまですべてを自分の裁量で仕上げる場合もありえるでしょう。
逆に、last authorがすべて仕上げる場合があるかというと、それはまずないでしょう。
筆頭著者がもっともその研究内容に貢献するデータを出す実験をしたはずです。
場合によっては、second ahthorの貢献は非常に大きいが、first authorの学位申請のために譲った、ということもあるでしょう(かつて私はそういう立場で論文を書いていました)。
著者の中には、共同研究先の研究室主催者が入る場合もありますし、論文を仕上げるために行ったディスカッションで大きな貢献をしていただいた方に入ってもらうこともあります。
あるいは、研究のヒントとなったアイディアを出した方が加わるなんてこともあるかもしれません。
どのような方々が著者になるかは、主に筆頭著者とlast authorが協議して決めることになるのが普通だと思います。

さて、今回の論文について言えば、最終的に何人の著者になるのかは、まだ決定されている段階ではありません。
Main contributorsは二人います。
データの貢献度としては、その研究に関わった時間経過の違いもありますので、片方の人の方がより大きいと判断できますので、筆頭著者としてはequally contributedではありません。
データを出すということについていえば、直接は実験をした訳ではありませんが、私はさまざまなsuggestionsをしています。
また、研究の方向性を決めたり、研究費を獲得し、研究場所を提供しているのは私です。
したがって、私はlast authorとしての資格が十分にあると思われます。
他に、試料等を提供して頂いた方も共著者に加わることになります。

日曜日の時点で私が書いたのは、いわゆるドラフトと呼ばれるたたき台です。
メインストーリーをはっきりさせ、何が強調すべき点なのか、何が弱い点か、それを補うにはどんなデータを追加すべきか、優先順位は低いがやっておくべき実験は何か、そういうことについてメインオーサー2人とディスカッションするために書いたものです。
論文を書いたことがある方ならわかるでしょうが、このたたき台がそのまま論文になるわけではありません。

さて、日曜日のエントリーに対するコメントで「つまりさん」という方が「大隈(原文ママ)研を卒業した博士は英語論文を書く力がないのか、と聞いてるのです。」という主旨のコメントを二度に渡って寄せられましたので、はっきりと「そうではない」と否定しておきましょう(書く能力はある、という意味です)。
ただし、エントリーにも書きましたように、競争相手がいることが最近わかり、とにかく早く出さないといけないと思っていて、筆頭著者からドラフトが上がってくる原稿を待っていられなかった次第です。
筆頭著者には前々から「書いた分があれば見せるように」と言ってありましたが、たまたま予定外に日曜日にまとまった時間ができ、私としては、いてもたってもいられなくなってしまったのです(そういう研究者の気持ちを理解する方がこのブログを読んでおられることを希望します)。

恐らく、「つまりさん」という方が誤解されてしまったのは、その前に「zea_maizeさん」という方から頂いたコメントに対し、私が「一般論」として返答したことが原因と思われます。
明らかに、昔の大学の先生よりも、今は個別対応が求められていると認識するようになりました。
大学院生にしろ、ポスドクにしろ、その人がどんな人生設計を描いているか、それを踏まえた上で、どんなスキルが求められているかを指導者は考えなければならない時代なのではないかと思うのです。

はっきり言って大変なことです。
実験や論文の読み方、書き方を教えるのはいいとして、大学の先生は、英語の文法をどのように教えたら相手によくわかるのかというトレーニングを自分が受けたわけではないにも関わらず、それをこなさなければなりません。
さらに、「ビジネスメールの書き方」や、「プレゼンテーションの仕方」や、「会議の運営の仕方」など、多くの普通の社会で必要とされるスキルを身につけられるようにもする必要があります。
そういうことを、ラボの中で個別に指導するだけでは恐らく不十分なのではないかとも感じています。
また、何より、そういうスキルを学ぶ必要があるという自覚がなければ、暖簾に鎹となってしまいますね。

最後に、Tさん、kさん、コメント有難うございました。
by osumi1128 | 2006-03-01 01:33

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