個人の差と人種の差

WorkshopはDay7が終わるところ。
今はいわば自習時間で、5名ずつのグループごとにgrant proposalのプレゼンの資料を作っているところである。
投稿しようとしたらキータッチを間違えて、A4で1頁分くらい書いたものが消えてしまいかなりショックだが、思い出せる限り書き直すつもりである。
(念のため、一度テキストファイルを作ってから貼り付けることにする−学習)

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統合失調症は一卵性双生児における発症率が40-60%であり(註:片方が統合失調症であった場合に、もう片方が発症する頻度のこと。報告によって若干の差があり)、明らかに遺伝が関係するが、だからといって必ず発症する訳ではない。
20世紀初頭にクレッペリンはすでに遺伝の可能性を指摘していたが、1940-1975年くらいの間、とくにアメリカでは社会心理学的説明が盛んとなった。
つまり「あなたのお子さんが統合失調症になったのは、育て方が悪かったせいです」という説明である。
親御さんは二重三重に辛い思いをされたのではないかと推察する。
その後、genetic brain disease modelが主流となり、現代では統合失調症の遺伝子探しがホットになっている。
すでに、家系の解析などから多数の遺伝子座が指摘され、さらにはDISC1, neuregulin, COMT, dysbindin, calcineurin, G72などの遺伝子が原因と目されている。
他方、環境因子についての研究も進んでおり、胎生期から周産期の低栄養、感染、都市で生まれる・育つこと、移住はリスク因子である。
最近の論文では、第二次世界大戦の際、オランダで起きた大飢饉の折に胎児であった集団で、統合失調症の発症が2倍であったというものがあった。
この場合に、低栄養そのものが問題だったのか、その後栄養が回復することにより、低栄養に慣らされた代謝系にとっては過栄養になることが問題なのかはまだ分かっていない(このfetal programming theoryは、成人になってからの高血圧や心臓病などで指摘されている)。

さて、例えばある遺伝子が原因ではないかと考えた場合に、その遺伝子を人工的に機能を失わせた(ノックアウトした)マウスを作製する。
このようなマウスでは「統合失調症の生物学的指標とみなされる音驚愕プレパルス抑制の測定値が低下している」ということが結論であったとしても、生データを見るとそれなりのばらつきがある。
つまり、ノックアウトマウスの方で野生型よりも良い値のものもあれば、その逆もある。
それでも、数十匹のマウスを用いて「統計学的に有意な差」が得られれば、そのデータには敬意を払わなければならない。

遺伝的に均一なマウスでさえこうなのであるから、ヒトを用いた研究に関してはさらにばらつきがある。
つまり、「個体差」の方が「集団の平均値の差」よりも大きいのだ。
赤の他人同士でのゲノムの差は0.1%と見積もられているが、人種(ここでは厳密に「人種」の定義はしない。Human geneticsで用いられるCaucasian, Asianなどだと思って頂きたい)の間の差はこれよりも少ない。
つまり、何かの指標に関して、「日本人の“私”」と「アメリカ人の“あなた”」を比べるなんてことは、生物学的にはほとんどナンセンスである(また、遺伝学では「アメリカ人」という集団で扱うことはない)。
それでも、統計的に「数万人」規模のデータを集めれば、「集団の平均値」としての比較は「科学的に」可能である。
さまざまな疫学調査や遺伝学的解析はこのようなやり方で「人種の差」を扱うことがある。
「男女の差」も同様である(ここでは厳密な「男女」の定義はしない)。

「遺伝と環境」というテーマは遺伝学において、これまでも現在も、おそらくこれからも、重要な課題である。
一卵性双生児の比較、養子に出された場合の比較などの研究が為されてきた。
ただし、実は「養子」を受け入れる家庭は、おそらく経済的にどちらかといえば余裕がある方であることが統計的には多いであろうから、「環境」としてバイアスがかかっている可能性があり、したがって、このような解析は非常に難しいものがある。
ただし最近では、環境が遺伝子の働き方にどのように影響を与えるかについて、分子レベルで解析できる方法がだいぶ整ってきたので、これまでとは違う研究が可能になるだろう。
もって生まれた遺伝子をいかに上手く活かすか、という観点が大切だと思う。
by osumi1128 | 2006-07-29 12:26

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