「生き物」の定義をめぐって

今日の夕ご飯は「オープンキャンパスfor女子高生お疲れ様会」に便乗させて頂いた。
テーマは「東南アジア系」ということで、生春巻き、春雨サラダ、トムヤムクンなどなど。
私はサボってデリでお総菜を買って参加。
話は両立支援の補充人員の話から、ホームヘルパー、癒し系ロボットになり、「家に帰ってきたら<お帰りなさい>と優しい声で迎えてくれるロボットがいたらいいかも」
お掃除ロボットにそういう機能も付けておけばよいのでは?

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昨日は延々夜中まで、友人Kさんとまた「生き物の本質とは?」という議論を、とあるイタリアンの店でしていた。
もうひとりSさんという方も加わっていたが、たぶんKさんが5割、Sさんと私で5割くらいの発現頻度ではなかったかと思う。
私は学部の1年生相手や人材育成の集中講義で「細胞生物学」を教えているので、以下のようなスタンダードな定義を持っている。
1)膜で囲まれている(外界との区別)
2)エネルギー代謝を行う(エントロピー非増大)
3)子孫を残す(進化の歴史)

Kさんは2)についてはOKで、エントロピーが増大しない方向にひたすら振る舞うことこそが「生命体の本質」であるという立場。
それ以外は本当に本質的か?ということが問われた。
逆にもし、この中の誰かが一人地球以外のどこかに置かれたとして、そこでは<生命体>と見なされるだろうか?

しばらく観察されても3)の条件を満たすことは不可能だから、じゃあ、<生き物>ではない、ってことになったら、ちょっと困るなあ・・・
by osumi1128 | 2006-09-03 23:26 | サイエンス | Comments(2)
Commented by 片木 at 2006-09-04 20:45 x
片葉を改め片木です。

1)は、2)が成り立つなら自明であって、必要ないでしょう。
3)も、2)が開放系の中で半永久的に継続するなら、
必要ないような気がします。

しかし、これは抽象化したマクロな生命象であって、
実際の生命とはかなり異なった印象があるのはなぜでしょうね。
Commented by osumi1128 at 2006-09-05 22:37
片木さん
私の感覚では2)が成り立つときに1)が自明であるとは思えないのですが。
3)が必要かどうかについては、友人Kさんは片木さんに近い考え方なのだと思います。
いずれにせよ、1)についてはまた今度取り上げるつもりです。
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