明治の頃のイノベーション
2006年 12月 21日
東北大学の附属図書館に夏目漱石関連の資料が多数残っているのですが、ガラスケースの中に展示されているものに、東大時代の物理学の答案があり、これはなんと英語で書かれているのですね……。
つまり、当時は日本人で物理学を教えられる教員がいなかったので、英国あたりから招聘されたのでしょう。
旧蔵書で、ニーチェの英語版の本には英語で書き込みがありました。
洒脱な山水画も表装されて飾ってあり、趣味も広かったのだろうと想像しました。
(あまり上手ではないのですが……)
この頃というのは、東京帝国大学創立の約10年後に京都大学が、30年後に東北大学が出来たような高等教育の黎明期であり、先日の東北大学出版会10周年記念講演での新田先生のお話によれば、この頃の知識人であれば、旧制高校時代までに漢籍を叩き込まれていて、さらにその上に外国文学やら、哲学やら、自然科学やらを学んだということです。
そういう広いバックグラウンドを持った方達が明治の終わりに各方面で活躍されたことが、大きなイノベーションにつながったのではないでしょうか。
高校から理系文系を分けて教える範囲を狭めているような教育体系では、新しい融合的・学際的分野の創出など望めないと思います。
明治の改革で残念に思うのは、例えば江戸時代に発達した和算などは、西洋数学に取って代わられてしまいました。
友人Kさんによれば微分などはむしろ日本の方が早く発見していたというお話です。
文化・文明が断絶してしまうということは悲しいことです。
今また、システムとして体を捉える東洋医学に注目が集まっているように、和算も生き延びる手だてがあればと思いますが、絶滅種のように、自然界と同じく、勝手に思ってもどうしようもないでしょうね。
この時期、様々な学問分野において、日本人は西洋文明・文化を吸収するために、一生懸命に「訳語」を生みだしました。
これは、文明・文化を消化吸収するという意味で非常に大きな意味があったと思います。
今の情報科学分野などでとくに「カタカナ」に翻訳?して日本語の中に取り入れているのは、本当は概念など未消化のまま、借り物なのではないでしょうか?
しかも悪いことに、「L」と「R」や「S」と「Th」の区別は付かないから、カタカナから英語への変換が難しい。
もし、欧米の進歩が著しく、訳語をゆっくり考えている暇がないというのであれば、私はそろそろ、「ラリルレロ」とは異なる「L」系のカタカナ表記、「サシスセソ」とは異なる「Th」系の表記を作るべきではないかと考えます。
こういうことも、これからのイノベーションにつながる下地作りだと思うのです。