星に願いを

2007年もちょうど折り返してしまった訳で、益々1年が短くなっている気がします。
ラボに来る途中、車にガソリンを入れて洗車してもらっている間に、注文してあった海外対応FOMAをゲットすべく、定禅寺通りを歩いていたら、前から来るうちの学生さんに気が付きました。
携帯の機種変更を済ませて、さらに国産ファーストフード店Mでランチを取って、ガソリンスタンドに戻って料金を払って、医学部の駐車場まで着いたとたんに携帯の着信音。
K先生からだったので出ると「さっきガソリンスタンドの近くで見かけたから電話してみたの」というハローメッセージでした。
きょうはよく人に目撃される日、のようでした。

* ****
届いていたのになかなか読む時間がなかったIllumeの最新号(37号)の特集は宇宙関係でした。
前にもご紹介したと思いますが、東京電力が出しているこの雑誌は、企業の社会貢献という意味もありますが、とにかく読み応えがあって、しかも画像やイラストも美しく、ある意味、お金がかかっていることがよく分かります。

日頃は天文学と接する機会もないので、宇宙は星と銀河と光らない物質(これらをまとめてバリオンと言うそうです)と、その他にダークマターと、ダークエネルギーから成るなんてことは須藤氏(東大・物理)の記事を読むまでよく知りませんでした。
バリオンは全体の4%程度とみなされているそうで、ちょうど、ゲノムのうち、タンパク質を作るための鋳型の情報となっているのはたった1.5%で、まだまだわかっていないことが多い、というのと似ているなあと思いました。
それにしても、宇宙の果てから100億かけて届く光が、重力レンズ効果を持つ、60億光年先の銀河団のまわりのダークマターのために曲げられて四重の像になる、なんて、なんとも悠久の時間ではないですか!

他には、ハワイの「すばる望遠鏡」の初代観測所長の海部氏のインタビュー構成記事も面白かったですし、現在チリに建設中のALMA(Atacama Large Millimeter/Submillimeter Array)という国際共同プロジェクトが、どのような経緯で進められてきたか、という記事も読み応えがありました。
また、先日初めてお目にかかった中島秀人さんが書評を担当して「科学不正」関係の本を挙げておられました。

最後に、雑誌の冒頭にThe Editor's Angleとして載せられていた劇作家の山崎正和氏のエッセイから、氏の天文学に対するロマンチックな文章を引用しておきます。
……天空の観察はまた天体運行の正確な規則性を発見させ、それをきっかけとして自然の法則性、世界の秩序の必然性について考えることを教えた。
……
 だがそれよりまちがいないのは、あの天空の規則的な運動が人間を触発して、偶然にまみれた地上の自然にも法則性があるはずだ、と考えさせたことだろう。これと並行して発見された数学の秩序とあいまって、秩序と法則性の概念が人間精神を導く中心的な駆動力となった。やがて、賢い人間は自然現象から偶然性を排除して観察するために、自然を拷問にかけて真実を白状させる「実験」という方法を考え出した。……だが、自然科学が真に始まったのは、じつはその実験をも含むより幅広い知的な観察の方法、対象に手も触れずしかも知的な観察をおこなう方法を、天文学が発見したときだと思われる。
 その方法はとりもなおさず、アンリ・ポアンカレが協調した、あの「仮説」と実証を循環させる思考法である。……
 「事実のただの集積が科学でないのは、たんなる石の集積が家でないのと同じだ」とポアンカレは言う。……もちろんこの思考法は人文・社会科学でも用いられるが、もっとも華麗な働きを見せるのはやはり自然科学においてだろう。
……
……
 最後に感動的なのは、天文学が科学ななかでも今もっとも純粋な認識の営みであり、一途に知的な好奇心にのみ奉仕し続けていることである。かつて天文学も暦づくりや航海術に役立ち、二十世紀には宇宙開発という効用に結びつけられたことがあった。しかし巨大望遠鏡が観測可能な宇宙を爆発的に拡大した今、あらためて天文学はそうした公共をとるにたらない矮小な一隅に置き、かつて人類が初めて知的な認識にめざめたときの感動を再現しようとしている。純粋に知るために知ることが人間をいかに高貴なものにするか。この功利主義の時代にあって、天文学は哲学と並んで、人間性の最後の砦でありつづけているように見えるのである。

生物学、あるいは生命科学の分野によっては「役に立つ」ことを期待されていることは現在間違いなく、流れる時間が生き物としてのヒトに密着しているからといって、そのことが学問が高尚かどうかに関わるとは思いませんが、天文学の歴史とスケールはさすがに大きいですね。
紀元前3000年頃のシュメール人の粘土板には、当時の宇宙観が刻まれていたと言います。
CNSに載る載らないでアツくなるのも、現世のゲームという意味では楽しいですが、何億年もかかって地球に届く星の光の旅に比べたら、とても小さなことかもしれません。
せめて100年、引用されるようでありたいと願います。

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須藤氏の文章の中に引用されていた、アイザック・アシモフの出世作という『夜来る』を読んでみたくなりました。
by osumi1128 | 2007-07-01 22:54 | サイエンス

大隅典子の個人ブログです。所属する組織の意見を代表するものではありません。


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