研究の「質感」とは

昨日エントリーした今年の初書評(福田伸一著:生物と無生物のあいだ)のつづきです。

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昨日取り上げた「面白さ」の一つ目と二つ目に関係することなのだが、福田氏はこの本の中で、2種類の生命科学者のタイプを対比させている。

一つは「演繹型」で、「ひらめき」に基づいて美しい仮説を立て、それを証明しようとする「理論家」タイプ。
もう一つは「帰納型」で、あくまで「データ」に忠実に基づいて、そこからセオリーを構築する、いわば「職人型」タイプ。
前者の典型例としてワトソン&クリックを、後者の典型例として、ノーベル賞を待たずして亡くなった、DNAの結晶解析を行ったロザリンド・フランクリンと、肺炎双球菌を用いてDNAこそが遺伝を支える物質であることを証明したエイブリーを挙げている。

これらのスタイルは本来、どちらが良いとか悪いとかいうものではない。
ただ、福田氏は、ともすると前者のタイプに研究不正(捏造・改竄)が生まれやすいのではないかと指摘する。
「自分の立てた完璧と思える美しいセオリーの前に、このデータでは……。そんなはずはない。そうであるべきではない。……」
人は騙されやすい動物であり、自分をも欺く。
あるいは、ボスとしてプレッシャーをかければ、弱い立場の人間は(意に反して、かどうかはその人次第だが)セオリーに合ったデータのみを提示するだろう。

後者の「帰納型」として扱われたエイブリーは、当時、「複雑な<遺伝>の元となるような物質は、DNAのような、4つの塩基の種類しかないような、単純なものであるはずがない。きっと、タンパク質の混在のせいで無毒なR菌型から有毒なS菌型へ形質転換したのだろう」という批判に曝され(同じロックフェラーの同僚からも)、追試に重ねる追試を行った。
タンパク質分解酵素を加えた場合にも、形質転換作用は変わらない、逆に、DNAの分解酵素を加えた場合には形質転換作用が消失する、などなど。
このエイブリーの努力を支えていたものは何だったのか?
その答えとして、福田氏は次のように夢想する。
おそらく終始、エイブリーを支えていたものは、自分の手で振られている試験管の内部で揺れているDNA溶液の手応えだったのではないだろうか。DNA試料をここまで純化して、これをR菌型に加えると、確実にS菌型が現れる。このリアリティーそのものが彼を支えていたのではなかったのか。

福田氏はこれを「研究の質感」と呼ぶ。
研究上で成功するために必要なのは「ひらめき」や「セレンディピティー」だけではない。
現場の研究者の感じる「これは<当たり>に近いぞ」という「質感」も非常に重要なのだ。
ただし、「質感」を感じ取れるようになるためには、感性を研ぎ澄ましつつ、地道な経験を積まなければならないことは言うまでもない。

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このブログを読んで下さっている、とくに若い方々に、応援を込めて。
それぞれの研究の「質感」を感じ取れるようになって下さい!
by osumi1128 | 2008-01-04 10:50 | サイエンス | Comments(0)
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