大隅典子の仙台通信:オピニオン
2020-03-08T12:28:10+09:00
osumi1128
大隅典子の個人ブログです。所属する組織の意見を代表するものではありません。
Excite Blog
新型コロナウイルスは黒船か? 日本の変革のチャンス
http://nosumi.exblog.jp/27996882/
2020-03-08T12:28:00+09:00
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osumi1128
オピニオン
【国際女性デー】新型コロナウイルス感染症対応について
筆者の周りでは、学内対応について慌ただしく整備が為され、今が正念場、ということで一昨日(3月6日)に総長からのメッセージも発出されたところ。学生・教職員への注意喚起だけでなく、いわゆる卒業式(学位記授与式)や入学式の対応についても、リンク先にまとまっている。
総長メッセージの中にも書かれているが、「小中学校などの一斉臨時休業に伴って、時差出勤、テレワークなど教職員への柔軟な就業の取り扱いも実行」することになったのは、このたびのCOVID-19のおかげと言えなくもない。
(もちろん、今年、中学校の卒業式が中止となった生徒さんたちは、9年前に3.11のせいで卒園式ができなかった方々で、とても残念と思うし、お子さんを自宅に残して働く保護者の方々の負担も大きいことはわかる)。
実際、すでに多数の大規模会議が中止され、30名余ほど集めての学会理事会などがウェブシステムを用いた遠隔会議となった。そもそも、種々の会議が東京で為され、仙台からは新幹線で1時間半で、下手すれば都下からの移動より早いくらいではあるものの、交通費もかかる。東北大学はキャンパスも4つ分かれているので、全学的な会議もどこか1ヶ所に集まって行うのはたいへん。なので「ウェブ会議にしましょうよ♬」キャンペーンは以前から主張していたところに、新型コロナウイルスがやってきた。黒船来航によって近代日本が開かれたような、「その時、歴史は動いた」感がある。
人間の心理というのは面白い。理性で「電子化は大事」と思っているだけでは、行動変容には繋がらないが、「新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)は怖いのかも?」と情動が揺さぶられると人は動く。もちろん、皆がマスクやトイレットペーパーを買いに走るという、かつてのオイルショックの繰り返しのような集団心理も働いてしまうことになるが、ともあれ、今回の件で日本中の電子的な対応が進むことは間違いない。時差出勤、テレワークなどの「働き方改革」も進むことを期待する。そのことによって、ジェンダーギャップ指数が121/153位という残念な状態も変えることに繋がるのではないだろうか。
COVID-19の最初の大規模アウトブレイクが中国の武漢市で起きたために、対岸の日本での感染拡大は大きな危機感を持って迎えられた。だが、中国での感染拡大がピークを迎えた後のこの1週間の動きとして、各国・地域における新型コロナウイルスの感染状況(外務省発表)によれば、韓国、イラン、イタリアの感染者数増加が著しく、次いで、ドイツとフランスも日本の数を上回った。(注:このサイトでのスペインの患者数が日本より多いのか少ないのかについては、本日、3月8日時点で矛盾がある。また日本の感染者数としては顕在化されていない分もあるかもしれない。)
専門家から一般の方にもわかりやすいCOVID-19についての解説パワーポイント資料が3月5日に公開されていた(作成者は倉敷市中央病院 感染症科医師 上山伸也氏という方)。過去の世界規模の感染症(スペイン風邪、SARS、MERS、新型インフルエンザ等)や、一般的な麻疹・風疹との感染力や致死率の比較が為されている(下図)。
感染したのでは、と心配な方は、こちらの東京都のサイトがわかりやすい(もちろん、相談窓口はそれぞれの地域の方にお願いします)。むやみに医療機関を訪れるのではなく、自宅静養を基本とすべき。この点も、「少々熱があっても出勤する」という日本の働き方を改革することに繋がってほしい。
東京都HP:新型コロナウイルス感染症が心配なときに
結論として、標準的な予防策(手洗い、咳エチケット等)がもっとも重要(下図は上記の公開PPTより拝借)。もちろん、軽症や無症状の不特定多数の方がいる人混みを避けること、睡眠、栄養、適度な運動も忘れずに!
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公財政教育支出の規模と子どもの数
http://nosumi.exblog.jp/27849416/
2019-11-03T10:41:00+09:00
2019-11-04T07:46:08+09:00
2019-11-03T10:41:41+09:00
osumi1128
オピニオン
財務省HP:財政制度分科会(令和元年11月1日開催)提出資料
上記のサイトより参考資料として「文教・科学技術」についての資料がまとめられており、p3に以下の記載とグラフがありました。
○ 日本の公財政教育支出の対GDP比は、OECD諸国の中で低いとの指摘がある。
○ しかしながら、日本の子供の割合もOECD諸国の中で低い。
このような「ファクト(事実)」から「因果関係」についてどう考えるかは、一通りではないと思います。この資料では以下のように解釈しているようです。
因果関係1:日本の子供の割合がOECD諸国の中で低い==>>>公財政教育支出の対GDP比が低い(のは当然)
しかしながら、上のグラフ「公財政教育支出の対GDP比が低い」というファクトと「日本の子供の割合がOECD諸国の中で低い」というファクトの間には、逆の関係も考えられるのではないでしょうか?
因果関係2:公財政教育支出の対GDP比が低い===>>日本の子供の割合がOECD諸国の中で低い
つまり、日本では家庭での教育費が高いことによって、子供を生み控える傾向がもたらされるのではないか、という因果関係も考えられると思います。
日本ライフマスター協会:子どもの教育費いくら必要?
経済のプリズムコラム No16:―家計の消費構造の変化―子どもの減少と相反する一人あたり教育費の増加 (PDF)
もちろん、合計特殊出生率の計算には未婚の女性も含まれるため、子供の数の減少には結婚しない女性の増加(男性もですが)も影響します。
「ファクトフルネス」という言葉が流行っているようですが、「真実(truth)」が何かは、よく考える必要があると思います。
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研究者の働き方改革を考える
http://nosumi.exblog.jp/27848703/
2019-11-02T19:55:00+09:00
2019-11-03T00:10:49+09:00
2019-11-02T18:32:04+09:00
osumi1128
オピニオン
新たな気付きの多いご講演でした。興味のある方はぜひ和辻哲郎文学賞の受賞対象にもなった『戦国日本と大航海時代』(中公新書)をお読みください。
web中公新書:『戦国日本と大航海時代』/平川新インタビュー
会場のさくらホールは満席でした。公開講演会だったので、同窓生に加えて市民の方も多数参加されていたものと思います。
私にとってこの休日の講演会は、普段聴いたことのないお話を伺い知的な刺激を得るという意味では、充実した余暇としての時間でもありましたが、実は、12月の第16回男女共同参画シンポジウムのご来賓として平川先生をお呼びしているということもあり、ご挨拶をしたかった、という意味もあります。平川先生の宮城学院女子大学は、9月に「心は乙女な男性」 を受け入れる方針であるという発表をされ、広く報道にも繋がりました。そのような観点からお声がけさせて頂きました。
つまり、講演会に参加して平川先生にお目にかかるというのは、共同参画担当の副学長としては「業務」と言えなくもないことになります。
また、片平のオフィスに立ち寄って少しメール処理なども行いました。その中には論文投稿に関するものもありました。これは研究者としての活動になります。私の立場では、休日出勤の分をどこかで埋め合わせるということは行いません。行えないということではありませんが、空いている日が無いのです(苦笑)。
さて、今年度より「働き方改革」が遂行されることとなり、本学でも始業・終業のチェックを行うこととなりました。部局長連絡会議の折にも「研究者にはそぐわない制度である」という意見が相次ぎました。
研究は朝9時から夕方6時までで完結するというような仕事ではありません。実験条件によっては、夜中に作業をせざるを得ないこともありますし、集中して長時間実験することも、誰かに押し付けられて行うのではありません。アルキメデスの「Eureka!」のエピソードで知られるように、お風呂に浸かっていてもアイディアを思いつくことはあるでしょう。「シンポジウム」の語源は「共に飲食する」ことですが、研究者同士が集まって食事をしながら意見を交わし合うことも研究の一部です。私は明け方に良いアイディアや論文の文章を思いつくことが多いのですが、睡眠時間にも記憶の整理が為されているのかもしれません。つまり、寝ている間にも研究はできる訳です。
いわゆる文系の先生方の反対意見は「大学に出勤しなくても就業している」という主張でしたが、理系の方からは「学生指導や論文執筆のために夜10時過ぎまで研究室にいる場合、自己研鑽とは言い難い」という点が問題視されていました。分野による意識や問題点の違いも大きいです。「自己研鑽の時間帯に事故が起きたらどのような対応になるのか?」という点も論点になりました。
正直言って、研究者の立場からは、この新しい法律は極めてやっかいです。おそらく芸術の世界なども同様でしょう。ただし、労働者の健康を守るという意味で、長時間労働等は避けなければならないことは当然です。また、日本の長時間労働をいかにして減らすかという意味で、会議を減らす、一堂に会さず遠隔参加でもOKにする、時間を短くする、IT活用によるペーパーレス化、システム化等を進めることなどは重要です。
現代社会における働き方には多様性が必要です。時間単位で就業するのが向いている業種と、そうでない業種があります。研究者でも、子育て世代の方などで「今は9時ー5時で働きたい」という方とそうでない方がいても良いのではないでしょうか。ぜひ、自己申告による例外規定などを作って頂けないかと思います。
【参考】
厚生労働省HP:「働き方改革」の実現に向けて
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陛下のご高著『水運史から世界の水へ』を読んで:これからの皇室への思い
http://nosumi.exblog.jp/27627940/
2019-06-02T16:12:00+09:00
2019-06-24T21:46:20+09:00
2019-06-02T16:12:15+09:00
osumi1128
オピニオン
米国大統領と令夫人をお迎えしての宮中晩餐会が、今上天皇と大統領それぞれのスピーチまでTV放映されたというのは、「開かれた皇室」をかなり意識してのことだったのではと拝察します。それに先立つ会見も、お迎えにあたって皇族方が通訳なしで対応されている様子がYouTubeにも残っており(映像提供は宮内庁)、いろいろな意味で時代が動いたことを感じさせます。(もちろん、未解決の社会問題が多々あることは折り込み済みではありますが……)
トランプ大統領夫妻招き宮中晩さん会 陛下「強い友情の絆」=宮内庁提供映像(2019年5月27日)
天皇、皇后両陛下とトランプ米大統領夫妻が会見=宮内庁提供映像(2019年5月27日)(こちらは音声はありません)
おそらく、天皇陛下も皇嗣殿下もオックスフォード大学に留学されたこともあり、それ以前からの英国ロイヤル・ファミリーとの家族レベルの交流も含め、「開かれた皇室」の在り方について、英国王室の現代社会への対応を大いに参考にされたのではないかと拝察します。
ちょうど令和幕開けの連休中に見た皇室関連のTV報道の中でも、天皇陛下のご学友が、1983年から1985年の間の英国留学により陛下が大きな影響を受けたというエピソードが語られていました。他に下記のようなエッセイが参考になるでしょう。
新天皇が35年前のロンドン留学で私に見せた「意外な素顔」(2019.5.9)
天皇陛下は学習院大学で水運史等のご研究を続けておられ、その成果を折々に講演されてきました。その講演記録が『水運史から世界の水へ』(NHK出版)というタイトルで、即位前の4月5日、徳仁親王のお名前で上梓されました。
ここで少し話を脱線させますが、この装丁に使われているのが筆者も大好きな吉田博の「光る海」という版画(下記Amazonからの表紙画像参照)。吉田博は他にも瀬戸内海に浮かぶ船の風景を題材にした「帆船」というシリーズなどもありますが、この版画はMOA美術館所蔵のものを使われたようです。上記書籍の表紙と同じ「光る海」の版画が実は故ダイアナ妃の執務室に飾られていたというエピソードがあるのです。
FASSHION PRESS:吉田博展が新宿で開催 - 世界を渡り歩いた「絵の鬼」の風光明媚な風景画、ダイアナ妃の肖像も
ちょうど天皇陛下がご留学から帰国された翌年の1986年に、故ダイアナ妃はチャールズ英皇太子とともに来日され、当時、浩宮様として修学院離宮をご案内した写真などが残されています。
さて、陛下は2003年より世界水フォーラムの名誉総裁も務められており、また、「水」という切り口が社会の多様な問題に繋がることを説いておられます。以下、少しだけ引用します。
水問題は、あたかも水がどこにでも流れていくように、世界の紛争、貧困、環境、農業、エネルギー、教育、ジェンダーなどさまざまな分野に縦横無尽に関わってきます。(はじめにより)
本書の第7章は「水災害とその歴史」として、2012年に学習院女子大学で行われた講演をもとにして日本の津波被害について述べられています。2011年に起きた東日本大震災のビフォー・アフターの画像も多数、配されており、Wikipediaによれば2019年3月8日時点で、死者は1万5,895人、重軽傷者は6,157人、警察に届出があった行方不明者は2,533人という被害の大きさに、被災地にもっとも近い総合大学の一員として、改めて心が痛みます。
さらに、古文書等に残された地震や津波の被害についての記載を紐解いた資料研究の事例が多数、紹介されていました。この章の最後の文を載せておきましょう。
被災地の復興には時間がかかると思います。私も雅子とともに、被災された方々と被災地にこれからも心を寄せ、その復興を見守っていきたいと思っております。
天皇陛下は、これからの皇室の在り方として、このような文章として発信していくということも考えておられるのかもしれません。これまでより、皇族方はそれぞれのご専門分野があり、論文の執筆などもされていますが、このような側面は、英国王室よりも素晴らしいことだと心より敬服しています。
過日、秋篠宮皇嗣殿下がご訪問された東北大学災害科学国際研究所は、まさに文理融合型の災害科学を推進しています。いつかぜひ、陛下もお成りがあることを祈っています。
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小泉進次郎のスピーチから考える日本における英語教育
http://nosumi.exblog.jp/27586733/
2019-05-06T08:58:00+09:00
2019-05-17T14:02:12+09:00
2019-05-06T08:58:39+09:00
osumi1128
オピニオン
折しも元号が令和に改正となり、新しい時代が始まるというこのタイミングに、さらに、ちょうどワシントンDC訪問中の山下貴司法務大臣も巻き込んでのイベント企画は、あまりにタイムリーで誰のアイディアだったのだろうか、と思うが、CSISのHPには「New Perspectives from Japan's Rising Political Leaders」というタイトルの記事が全1時間半におよぶ動画とともに掲載された。(画像はYouTube動画よりキャプチャ)
日頃、政治家の英語スピーチを聴く機会は多いとは言えないが、この進次郎氏のスピーチは新鮮な驚きだった。こんな政治家がいるのか!
拙ブログでは政治の話はしないつもりなので、その内容に踏み込むことはしないが、ここではなぜ私がこのスピーチを素晴らしいと思ったのかと、日本における英語教育について思うことを記す。
進次郎氏は関東学院大学を卒業後、ニューヨークのコロンビア大学に留学し政治学の修士号を得たあとに、CSISに1年奉職した。つまり英語漬けの生活としては、23歳からの3年間だ。
したがって、進次郎氏の英語は、決してバイリンガルレベルではない。
だが、彼のスピーチには伝えるべき「内容」があり、伝えたい「思い」があった。さらに言えば、目の前の多様な聴衆の笑いを取れるユーモアや、これまでの政治家としての活動で培ったであろう多数の聴衆の前で臆さず話せる自信があった。
比較するのは恐れ多いが、今は上皇さまとなられた前の天皇陛下の英語でのスピーチを日本国際賞の授賞式や祝宴などで拝聴する機会があり、大事なことは、一見、流暢に聞こえる英語を話すことではなく、中身なのだと感じたことを思い出した。
2020年より小学校英語が正式に教科として教えられるようになる。この教育ではどのレベルを目指そうとしているのだろうか?
確かに脳科学的には「臨界期」があるので、「より小さいときから教えた方が語学は身につく」というのは、ネイティブな発音を聞き取ったり話せるために大事なポイントかもしれない。
だが、学校の教科として学ぶ程度の時間では、自然に英語に接するというネイティブな環境からは程遠い。
「文法を教えるから英語が嫌いになる」という説があるが、筆者は「外国語」として学ぶには「ルール(文法)」を覚えた方が無限の応用が効くという意味で重要であると考える。これは、言語学者の鳥飼玖美子先生なども同様のご意見である(リンク記事参照)。
母語をきちんと学ぶこと(書くこと含め)の上に外国語教育があると思う。(注:これは、環境によってバイリンガルとして育つことを否定するものではない。彼らは2つの母語を持つと考えられる。ただし、社会人のスキルとしてはライティングが必須なので、2つの母語を同じレベルで書けるようになるのには、かなりの努力が必要であろう。)
何より大事なのは「教科」だから学ぶということではなく、「世界の中には日本語を話せない人々がいる。英語を使えば意思疎通が可能な人がたくさん増える」という背景と、「自分の意見を相手に伝わるように話すことがコミュニケーションの基本」であるという原則なのではないだろうか。
スピーチの中でも触れられていたが、進次郎氏は横須賀で育ち、米軍基地は身近な存在であり、その太平洋を超えた先には常に米国があった。筆者も高校時代まで隣の逗子に住んでいたので(かつては同じ神奈川2区)、横浜が国際港であったことなど含め、雰囲気はよくわかる。また、父である小泉純一郎氏からも「外から日本を見なさい」と教えられたという。そういう必然性やモチベーションが無ければ、単に「教科」として英語を教えたからといって、日本の国際化が進むとは言えない。
外国人労働者の参入も増えている現代において、その子どもたちが小学校、中学校で排除されないという観点も、英語教育の中に盛り込まれると良いと願う。
最後に、中身そのものについては考察しないが(とはいえ、追って個別に論じる論点はあるかもしれない)、進次郎氏が改元という絶好のタイミングで「日本は変わる」「日本の少子高齢化はチャンスでもある」というポジティブなメッセージを発したことは重要だ。また、自身の経験ももとに「若い世代の海外留学、国際社会で切磋琢磨する経験」を大事にしている姿勢も、アカデミアの人間として高く評価したい。
【参考リンク】
小泉進次郎オフィシャルブログ:ワシントンでスピーチをしました(2019.5.4)
5月3日のCSISでのイベントを、すぐにアップしているのは進次郎氏のチームの発信力やスキルの高さを感じますね。
進次郎氏の感想とともに、種々の情報がまとまっていますが、以下に直リンクも付けておきます。
CISIのHPにおけるイベント紹介:New Perspectives from Japan's Rising Political Leaders(2019.5.3)
YouTube動画:New Perspectives from Japan's Rising Political Leaders(2019.5.3)
スピーチ英語テキストPDF(アドリブ部分含まず)
スピーチ英語テキストPDF(アドリブ部分含まず)
日本語サマリーPDF
拙ブログ:科学における創造性と使われる言語について(2016.7.30)
上記について言及している鳥飼玖美子氏著書:『話すための英語力』(講談社現代新書, 2017年)
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学術雑誌の行方
http://nosumi.exblog.jp/27313992/
2018-12-31T13:37:00+09:00
2019-01-05T08:55:58+09:00
2018-12-31T13:37:59+09:00
osumi1128
オピニオン
学術雑誌の歴史
学術雑誌の始まりはおよそ17世紀。厳密に言えば最古ではないとのことですが、現在でも続いているのが『ロンドン王立協会紀要(Transaction of Royal Society of London)』という雑誌で、王立協会の事務局長であったHenry Oldenburgという方が始めたのだそうです(詳しくは、赤松幹之博士が「情報管理」に載せた書評「学術雑誌はいかにして始まったのか」(リンク先はPDF)をご参照あれ)。
それまではどうだったかというと、何か新しいことを見出した人が、王立協会宛に「手紙letter」の体裁で発見内容を書いて送っていたのでした。Nature誌に今も残るLetterというスタイルはその名残です。20世紀の終わり頃まで、Science誌の論文も、最後に著者名が付く、手紙っぽいスタイルでした。ともあれ、編集長と数名の査読者による掲載決定というシステムが徐々に整ってきたのでした。
学術雑誌という紙媒体を印刷し、読者宛に郵送するというのは、よく考えるとリスクも伴うベンチャー事業であった訳ですが、1665年にオルデンバーグが開始していなかったら、学術分野はどうなっていたのでしょう? 進化の過程で他の可能性があったのかどうかと同じような感覚を持ちます。
学術雑誌が大きく変わる節目としては、「要旨」が本文の前に移動したり、「材料・方法」が後ろに移されたり(すべてではないですが)、タイトルを読めば何を書かれているのかがわかるようなものになったり(古い論文は「◯◯についての研究」というようなタイトルでした)、20世紀半ば以降のカラー印刷の普及もありましたが(例えば、1953年に創刊されたJournal of Experimental Embryology & Morphologyという雑誌がDevelopmentという名前に変わった1987年はそのタイミングの象徴です)、なんといっても1990年代以降に急速に進んだディジタル化とインターネット化でしょう。逆に言えば、17世紀から20世紀半ばまでの学術雑誌の変化というのは、そんなに大きなものではなかったということになります。本稿ではディジタル化・インターネット化に注目したいと思います。
昔話で恐縮ですが、筆者が学位論文を出した頃は、ちょうど手書きの原稿からワープロ、もしくはPCを用いたテキスト作成への移行期でした。図の作成について、当時はまだ、写真を焼いて(←若い方々には意味不明かも?)台紙に糊で貼り付け、略語を「インスタントレタリング」で入れるという手作業を行い、3部か4部の必要部数、同じものを作成することが必要でした。印刷したテキストやカバーレターとともにそれらの原稿を封筒に入れ、少しでも早く国際郵便を出すために、夜中まで開いている各地の中央郵便局まで抱えて走る、という経験のある研究者は読者の中に多数おられると思います。いったん国際宅急便で送れば、しばらくは穏やかな日々を送ることができます。査読結果が出るまでには、短くて1ヶ月、長ければ3ヶ月以上の時間がかかるのが普通のことでした。査読結果の連絡は、私の駆け出しの頃はFAXで届くのが一般的でした(その前は国際郵便)。
現在では、テキスト作成も図の作成も、すべてPC作業です。楽になった面もありますが、いかにデータをビジュアルに訴求力のあるものにするのかについては、むしろ高度化していると感じます。研究機関によっては、学会発表や論文作成等の支援のためにプロのデザイナーを雇用しているくらいです。そして、投稿に関しては基本的にオンライン化されました。もはや原稿の入った封筒を抱えてドキドキしながら走ることはなくなり、最後に「Submit(投稿)」の1クリックをするだけ(これがいささか拍子抜けだと思うのは、筆者が旧世代に属しているからかもしれません)。
さて一方、論文のスタイルが「より早く内容を読み取れる」ように変わったのと並行して、査読にかかる時間はどんどん短くなり、査読を引き受けると追い立てられるように締切の連絡がメールで届きます。筆者の所属する生命科学分野では、査読期間は2週間が普通で、まぁ、その期間にはできないことも多々ありますが、どんなに長くでも1ヶ月くらいでしょうか。あるいは、商業誌などでは「Editorial kick」と呼ばれる、雑誌編集者による門前払いも、早ければ翌日にメールで知らされます。つまり、投稿した方もゆっくりしていられないのです(このようなIT化に伴うせわしなさは学術分野だけに限ったことではなく、現代社会の抱える慢性ストレスの通奏低音のように思われます)。
学術論文のディジタル化がもたらした変化
ディジタル化によって雑誌のスペース問題が解決されました。2007年のノーベル生理学・医学賞は「ノックアウトマウス作製技術」に関して授与されましたが、その基盤技術の一つとしての胚性幹細胞(ES細胞)の確立に関する黎明期の論文として、1974年にCell誌という雑誌に掲載されたMartin Evans博士のものがあります。この雑誌は、その名称のとおり、当時盛んになりつつ合った生命科学研究の論文を受け入れるために創刊されたものです。最初はマサチューセッツ工科大学(MIT)の出版部から発行されていましたが、その後Cell Pressとなり、現在ではElsevier社の傘下に入っています。
さて、1974年のGail Martin & Martin Evansの論文を改めて眺めると、牧歌的な時代であったことを感じます。一つの図としてまとめられているのはたった2つの写真。全部でFig.10までありますが、現代の生命科学トップジャーナルの基準で言えば、Figureとして2つ分くらいのボリュームしかありません。原著論文にも関わらず著者も2名と少ないです。
これに対して、例えば、最新号のCell誌の論文では、メインの図6つか7つにそれぞれ付随するSupplemental Figuresが同数あり、一つひとつの図はAから始まってHやIまでの図が組み合わさって構成されています(Supplemental Figuresは、印刷される雑誌のページには含まれませんが、オンラインで掲載され、PDFにも含まれます)。つまり、この40年くらいの間に、トップジャーナルに出すための基準が大きく変わりました。ざっくり10倍程のデータの厚みが必要となったのです。当然、一人の研究者でこなせる量ではなく、著者の数は5名でも少ないくらい。複数の研究室の共同研究により10名を超える著者となることも珍しくありません。
論文作成のディジタル化は、テキストや図の作成を容易にしましたが、これはまた一方で、論文不正が生じる環境的条件ともなりました。本稿ではこの点については論じませんが、興味のある方は筆者が1章担当した『責任ある研究のための発表倫理を考える (高等教育ライブラリ)』(東北大学出版会)をご覧下さい。
研究競争の激化とインパクト・ファクター
技術的な基盤としてのディジタル化・インターネット化がもたらしたものの一つとしてインパクト・ファクター(IF)という評価指標についても触れる必要があるでしょう。Eugene Garfieldという方が20世紀半ばに考案したIFは、1975年から使われ始めました。Journal Citation Reportsというデータベースに収録される自然科学、社会科学分野の約11,000誌それぞれに含まれる論文数と被引用数から算出されるIFは、本来、その雑誌の平均的な論文の引用数を示すものであり、一つひとつの論文の価値を示すものではありません。また、引用数はその分野の研究者人口に左右されるだけでなく、引用が批判的に為されたものか建設的なものかをデータ分析ツールは判断できないという限界もあります。にもかかわらず、とくに生命科学業界では高いIFのもの(例えば前述のCell誌なら2017年の指標で31.398)から、IFが付かないくらい、誰にも引用されない論文ばかり掲載される雑誌もあります(ハゲタカジャーナルとの関連については後述)。種々の問題があると知りつつも、数字はわかりやすいので、研究者は自分が出す論文が掲載される雑誌のIFに敏感です。
IFが広がった背景には、学術誌の商業化が大きく作用しています。学術雑誌には、ざっくり2つに分ければ歴史的に古い「学会誌」の系統と、Nature誌やCell誌のような「商業誌」があります。それぞれの学術分野の研究者の集まりである学会の持つオフィシャルジャーナル、つまり学会誌は、例えば、英国発生生物学会はDevelopmentという雑誌を発行しており、NPO法人のCompany of Biologistsというところから刊行されています。冒頭のTransaction of Royal Society of Londonや米国のProceedings of National Academy of Scienceなどのような科学アカデミーが発行する総合雑誌も、学会誌の仲間と言えるでしょう。このような学会誌のEditor-in-Chief(編集長)は学会員から選ばれ編集委員会が組織されています。かたや商業誌の場合には、編集長は専任の方で、出版社に所属しています。ややこしいのは、学会誌と言えども、例えば筆者が現在、副会長を務める日本神経科学学会のオフィシャルジャーナルであるNeuroscience Researchという雑誌は、現在、Cell誌も傘下に収める巨大企業Elsevier社から発行されています。
IFが普及する以前からも、雑誌の「格」はありました。科学の週刊誌として始まったNature誌は、70年代にはすでに「Natureに論文が出ました」と言えば研究者仲間から「おめでとう!」と言ってもらえる雑誌でした。でも、それは現在のNature誌のIF値41.577と、生命科学系の学会誌の一つ、Rockefeller University Pressが発行するJournal of Cell BiologyのIF値8.784との格差ほどの違いは無かったように思います。きちんとした学会誌に論文発表を重ねていくということが良識のある研究者のライフスタイルでした。ところが、研究者人口が増え、分野が細分化されて深化し、自分のよく知る分野以外の研究成果の評価が難しくなると、一つのわかりやすい物差しとしてのIF値が利用されるようになったのです。つまり、植物学分野で「Plant Cell誌(IF値8.288)に発表されている論文なら、きっと信用できる成果に違いない」というように、論文の中身ではなく雑誌のIF値が独り歩きするようになってしまいました。
さらに、生命科学業界の競争激化は、「インパクトのある成果」とは「論文が高IF値の雑誌に掲載される」ことと同義になりつつあるという状況を招いています。これが研究室主宰者にとっては大型研究費の獲得に関係し、若い研究者にとっては次のポストに進めるかどうかに関わるのです。このような状況が研究不正を生む土壌にもなっていますが、やはり本稿では割愛します(『責任ある研究のための発表倫理を考える (高等教育ライブラリ)』(東北大学出版会)参照)。
学術雑誌のオープンアクセス化
さらに学術誌を取り巻く環境として、とくに2000年以降、インターネットの普及とともに急速に広まったオンライン化について取り上げる必要があります。電子化されてオンライン掲載される雑誌は「電子ジャーナル」とも呼ばれますが、その草分けとして、Journal of Biological Chemistryという雑誌があります。これはAmerican Society for Biochemistry & Molecular Biologyという学会のオフシャルジャーナルなのですが、1994年にStanford Universityの図書館のサーバに登録されました。その後、ブラウザ上ではHTML形式で、さらに印刷しやすいPDF版もダウンロードできるという現在の形式が整ってきました。「論文は紙でないと……」という方もおられますが、PDFをモニタ上で拡大できるというのは筆者にとっては有り難いです。Dropboxに入れておいて、どこにいてもiPadなどで閲覧することも可能となりました。コピーした論文を擦り切れるまで読んだのは、遠い昔となった感があります……。
ジャーナルの電子化の最大のメリットは、冊子体に載せることができなかった顕微鏡画像の動画データなどの掲載が可能となったことだと思います。また、互いの論文がどのように引用されているのかについても把握が容易になりました(このことが引用数をもとにした雑誌のIFに繋がっています)。さらに、図書館に行かなくても、いつでもどこでもネットに繋がっていれば電子ジャーナル情報にアクセスできるようになりました。
ここで昔話を披露しますが、1980年代頃にいっとき流行したCurrent Contents(カレコン)という週刊誌のことをご存知な方は少ないかもしれません。これは当時の主要な医学生物学分野の雑誌、数百タイトルについて、最新号の論文を網羅したもので、著者目次やざっくりとしたキーワード検索が可能でした。読者はいち早く興味深い論文に目をつけ、その論文の「別刷り請求」を国際郵便葉書で送り、著者は論文の印刷体であるreprintを自分の費用でリクエストをしてくれた研究者に送ったのでした(…遠い目)。それが、今や需要はPubMedやWeb of ScienceやGoogle Scholar等の検索分析サイトに取って代わるようになったのは、雑誌の電子化の恩恵です。
学術雑誌の出版を手がける大きな出版社は、次々と学術雑誌の電子化を進めました。紙媒体の雑誌の購読とともに、電子ジャーナルを閲覧できる権利として購読料が位置付けられるようになったのです。当初、雑誌の電子化は「智を広める」ことに役立つと考えられました。紙媒体の雑誌を購入するよりも電子ジャーナルは安価であったからです。大手出版社は電子ジャーナルのタイトルを多数集めて「パッケージ化」を推進しました。J Stageに掲載された倉田敬子教授の論考によれば、現在、「全世界の雑誌のディレクトリであるUlrichWebが収録しているもので約37,000タイトル存在」し、「日本の大学図書館が提供している電子ジャーナルタイトル数は,国立大学図書館全体で一館当たり平均すると約8,600タイトル」に上るとのこと。そしてこのように、電子ジャーナルの利用が広がり研究者の日常に不可欠なものとなってから、出版社は徐々に電子ジャーナルの購読価格を上げ始めたのです。
現在、国立大学法人に文部科学省から配分される運営費交付金は、毎年1.6%ずつ減少しているため、電子ジャーナルの価格上昇は大学予算に大きな影響を与えることになります。結果として、2017年に発表された国立大学協会の調査結果「国立大学における学術情報の状況及び課題に関するアンケートについて」によれば、2014年から2016年の間に受け入れタイトル数を減らした大学が86大学中78大学に上ることになりました。必要な学術情報にアクセスするのに困難を感じている構成員がいるという回答をした大学は40大学もあります。同様の状況は公立大学、私立大学でもあると想像されます。
商業誌はさらに営利を得るための手段として論文掲載料(Article Processing Charge, APC)に目をつけました。この背景として先に、雑誌のオープンアクセス(OA)を推進する非営利団体ができたことを先に説明する必要があるでしょう。生命科学分野では、その最初はPublic Library of Science(PLoS)というNPOがPLoS Biologyというタイトルを設立したのが2003年10月のことでした。この電子ジャーナルは、人類が智を共有するための手段として、論文を発表する研究者がAPCを支払うことによって成り立っており、図書館は購読料を支払うことなく、研究者はOA論文を掲載することができ、読者は論文にアクセスすることが可能となる訳です。つまり、営利目的ではなく、皆がwin-winになることを目指している訳です。
PLoSのこのコンセプトは好意的に受け入れられ、2005年時点のPLoS BiologyのIFは14.672となりました。遅れて、やや軽めの論文を掲載できる雑誌としてPLoS ONEというタイトルが創刊されたのが2006年12月。2010年のIFが4.441でした。査読プロセスの間に査読者と意見が異なると論文がリジェクトされるということがありますが、PLoS ONEでは、得られたデータが科学的に正しい手順を踏んでいれば、基本的に掲載可能という方針を強く打ち出している点に特徴があります。
これに大手出版社が目をつけました。Nature誌は、OAの姉妹誌として2010年よりNature Communicationという総合誌を創刊しましたが、さらに2011年からScientific Reportsというタイトルを創刊しました。こちらは現在、IFのスコアとしてPLoS ONEを抜いており(4.122)、実は日本でもっとも論文数の多い電子ジャーナルとなっています。APCはSci Repの方が若干高いのですが、IF値に引きずられる研究者が多いということでしょうか……。興味深いのは、過日行われたOAについてのセミナーSPRAC JapanにおいてMax Planck Digital Library(MPDL)の館長Ralf Shimmer博士の方の発表資料(PDF)によれば、マックス・プランクにおいてもっとも論文掲載が多いタイトルがSci RepではなくPLoS ONEとなっている点です。欧州の文化や良心としての商業誌への抵抗が現れているように感じます。
さて、さらにOA誌に目をつけたのがいわゆる「ハゲタカジャーナルpredatory journal」です。筆者のところにも毎日、「うちの雑誌に投稿しませんか?」という見知らぬメールが届きます。内容を確認して迷惑メール扱いにするのですが、それでも次々と違う雑誌から届くので、いったい世界中でどのくらい新たにできているのかわかりません。こちらは、OAなのは良いとして、その出版プロセスに問題があり、きちんとした査読を受けずに掲載されるため、内容がアカデミアでほとんど担保されていない点が大きな問題です。研究環境が厳しくなり、「どんな雑誌でも良いので、DOIの付く雑誌であれば出したい。OAであるからといって、実際には誰も読まないんだし……」というような心境なのでしょうか……。ハゲタカジャーナルについては、例えば「日本の科学と技術」という個人ブログの記事を参照下さい。
ただしここで思い起こして頂きたい重要な点は、どんなに査読の厳しい雑誌に掲載されたからといって「真実」といえる段階ではないという点です。研究業界以外の方には理解して頂くことが難しいかもしれないのですが、peer reviewというプロセスはいわば、たった2名〜4名くらいの専門家が了解したという意味であり、その後、多くの読者が実験の再現性を確かめたりすることにより、その発表内容が科学的に強固なものになっていくか、「あの論文はちょっと違うようだ」という評判になるのかが分かれていくのです。いわば、本当の意味での研究の価値は、論文が出されてからの時間の流れの中で取捨選択されていくのでしょう。
しかしながら、ハイインパクトな雑誌に掲載されることが次の研究費やポジションに繋がるという現代は、なんとかして例えばNature誌に掲載したいという研究不正の動機を与えることにもなってしまっています。
このような混沌とした状況の中、科学者の良心に基づく活動として、「プレプリント・サーバ」の活用が注目されています。こちらは、査読を経る前の原稿をインターネット上に公開する仕組みで、物理学系のarXivというタイトル(といって良いのか)が最初でした。実際には1991年から運用されています。2013年に生命科学系でBioRxivというプレプリント・サーバが開始され、現在、PLoS Biologyや欧州の学会誌EMBO Jでは、BioRxivに公開された原稿をそのままオンライン投稿版とすることが容易なシステムも用意しています。
我が国においてOA2020は実現するか?
上記のMPDL等は現在、世界的にオープンアクセスの推進のためにOA2020という活動を展開しています。徐々にハイブリッドジャーナルのAPCと購読料の二重支払いを止めて、APCのみでいこうという作戦です。シマー館長の資料を見て頂くとわかりますが、Full OA誌では平均$1600、ハイブリッド誌では$2900かかっており、この値は、購読料ベースで計算した1論文あたりのコスト(€3800)より安いからです。今月20日に大手出版社であるエルゼビア社との契約を行わない方針を発表し、契約は本日大晦日をもって終了となる予定です。
すでに2013年にG8科学大臣会合で合意されたオープンアクセス拡大方針ですが、我が国でどのように学術情報へのアクセスを確保していくのか、その費用対効果等を含めて喫緊の取り組みが求められています。これまでに、大手雑誌社との交渉に際しては、大学図書館コンソーシアム(JUSTICE)が中心となって対応し、冒頭で紹介したように、SPARC Japanセミナーのシリーズなどの情報交換・啓発活動を行って来ましたが、我が国のアカデミアの取りまとめ機関である日本学術会議も2016年7月6日の時点で「オープンイノベーションに資するオープンサイエンスのあり方に関する提言」(PDF)をすでに公開し、2017年5月18日に「危機に瀕する学術情報の現状とその将来」というフォーラムを開催しました(リンク先はPDF)。そのPart2となるフォーラムが、2019年4月19日に日本学術会議において開催される(リンク先はPDF)予定です。来年はオープンアクセスについての節目となる年になるかもしれません。
【関連拙ブログ】
オープンアクセス(OA)促進に関するセミナーで話した
【追記(1/4)】
上記の他に我が国の学術雑誌に関する問題としては、小さな、インパクトの少ない学会誌系の学術誌が多く、IF値で言えば損をしているということがあります。生命科学連合に所属する生命科学系の雑誌を全部合わせればインパクトを上げられるように思います。中国では、Cell Researchという雑誌が1990年に創刊され、現在のIFは15.606となっています。日本人研究者コミュニティに「新しい統合的な雑誌を作れば良いのでは?」と申し上げても聞き入れられず、かといって、そういう方々が御自分が積極的に日本の学会誌に出しているかというとそうでもなく、さらに良くないのは、そういう雑誌に出した論文を戦略的に引用しないという点があると思います。
このことについては、すでに拙ブログで取り上げていました(このときのCell ResearchのIFが11.981で、それから1年ほどでさらにIFが4も上がったということに愕然としています・・・)。
日本の学会系科学雑誌を盛り上げるには:研究者も海外ブランドがお好き?(2015.4.19)
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ご意見募集:理系女性のキャリアパス
http://nosumi.exblog.jp/27081677/
2018-08-31T07:10:00+09:00
2018-09-09T23:27:57+09:00
2018-08-30T22:15:23+09:00
osumi1128
オピニオン
そのおかげで基礎系の研究室に進学し、思った通りに研究が進まず、人生最大(当時)の挫折を味わったりしたものの、なんとかキャリアを繋ぐことができた。私の学年では、歯学部定員80名のうち、女性が確か11名、大学関係に今も残っているのは3名だったかと思うが、他の方も卒業後、すぐに開業した方もいれば(当時は初期研修制度が無かった)、フルタイムだったりパートタイムだったり、免許を活かしたキャリアに就いていると思う。
7月末に報道された某医科大学の女性差別入試の件は、自分が大学院進学当時、「うちは女性の院生は取らないから……」と言われた事実に対して、「そんなものか……」と反発まではせずに受入れたことを思い出させた。日本国憲法第14条には「1.すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」と書かれているが、「女性であるために、大学院への進学を認めない」というのは明らかに憲法違反である。某医科大学の事例も同様だ。
にもかかわらず、「女性は結婚、出産、育児などで離職するから(大学進学時、大学院進学時に受入れない)」というまことしやかな<理由>を、憲法制定後、女性も受入れてきたのだ。やはり、これは間違いであったことを、今、改めて考える好機としなければならない。
別の折、とある審査を行う過程で、若手の女性の応募者が非常に少ないことにびっくりした。生命科学系なので、女性が20%くらいいてもおかしくないはずなのに、なんと5%も応募していない。その応募は複数回可能であるにも関わらず、男性では二度目、三度目の応募者が10名程度はいたと思うが、女性はゼロであった。先人の先生方や我々がこんなに頑張って女性研究者を育成しようと努力してきたつもりが……と思うと、本当に辛かった……orz
ここからの考察はあくまで私見であるが、いくつかの理由を考えてみた。
①現在40歳未満の年代で、優秀な自然科学系の女性研究者が非常に少ない。その理由として、優秀な女性研究者は出産や育児のために研究キャリアから退いている。
②仮に大学学部レベル・修士レベルで女性が25%程度進学していたとしても、その多くはより安定的なキャリアを目指すことができる別の業界で職を得ている。
③現在40歳未満の優秀な女性研究者は、さっさと日本に見切りをつけて海外で活躍している。
④女性研究者は一度、挫折すると、男性よりも再チャレンジすることに躊躇する。
さて、このような仮説のどれがもっとも可能性が高いのか、あるいはさらに他の理由があるのか、それが知りたいのですが、残念ながら、手元のメーリングリストは現役の女性研究者や、定年までキャリアを繋げた女性研究者で構成されているので役に立たず、また、学協会関係のルートには若手は含まれるものの、やはり現在、研究業界に在籍している母集団となります。
そこで、こちらの拙ブログを読まれた方で、いったんは理系進学されたり、研究者を目指したものの、現在は異なる環境におられる方があれば、ぜひ、ご自身のキャリア遍歴、生活環などについて、コメントを残して頂けないでしょうか?
どうぞよろしくお願いいたします。
(ブログのサムネイル用画像は新しく作成した本学共同参画プロモーション動画より拝借。Tohoku University YouTubeにて公開しました!)
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幼児・児童虐待の防止対策を
http://nosumi.exblog.jp/26887260/
2018-06-11T07:49:00+09:00
2018-06-13T15:57:46+09:00
2018-06-11T08:02:35+09:00
osumi1128
オピニオン
先週、5歳の女の子が両親から虐待を受けて亡くなるという痛ましい事件が起き、平仮名で書かれた反省文が公表され、多くの方がさらに心を痛めました。
何度か保護される機会もあったにも関わらず、最悪の事態になったことは残念でなりません。
ただし、子どもの虐待は死ななければ良いという問題ではなく、暴力、ネグレクト含め、子どもが心や身体を蝕むような環境に曝されているときには、なるべくすぐにその環境を改善しないと、大人になっても心の強さを保てないことに繋がります。
どうか、痛ましい今回の事件が、虐待を受けた幼児、児童を速やかに安全で必要な栄養を得られる環境に保護できる制度の整備に繋がることによって、少しでも供養になればと願います。
日経サイエンス:児童虐待が脳に残す傷(2002年6月号記事)
関連拙ブログ:元ポスドクさんの論文発表:心の病発症しやすさの臨界期(2013.4.13)
【追記】
AERA.dot:結愛ちゃん虐待死「ひどい親」と批判しても事件は減らない 「評価」に追い詰められる親たち(2018.6.8)
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国際女性デーに合わせてNature Index 2018 Japan用記事が掲載されました
http://nosumi.exblog.jp/26548976/
2018-03-09T07:57:00+09:00
2018-03-08T17:08:46+09:00
2018-03-08T17:08:46+09:00
osumi1128
オピニオン
Japan's woman problem
打ち明け話としては、最初のバージョンからNature編集者があれこれ修正してくださり、原稿修正される学生の気持ちになりました(笑)。ともあれ、取り上げているファクトやエピソード自体はそのままですし、「これ、女性だけの問題ではなくて、日本全体の意識改革の問題だから」という主張は変わっていません。
関連して、東北大学のグローバルウェブページにも記事を掲載しています。こちらも、グローバル広報チームのネイティブの方によって洗練された英語になっています♬
International Women's Day 2018
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Gender Gap Event@WCPG 2017
http://nosumi.exblog.jp/25879858/
2017-10-15T10:38:00+09:00
2017-10-17T05:58:30+09:00
2017-10-15T10:38:31+09:00
osumi1128
オピニオン
ミュンヘンのThomas Schulze先生に依頼されて、ジェンダー関係イベントに登壇してほしいとのことだったので、さすがにそれだけのために地球の反対側に来るのも費用対効果が悪いと思い、ポスター担いで来ました。研究発表の方は遺伝学というよりもエピジェネティクスなのですが、珍しいと思われてポスター見に来た方には恵まれました。
毎年参加している北米神経科学大会(←北米と言いつつ、実際には世界中から参加あり)と異なり、日本からの参加者が少ないのは、我が国における精神医学の中で遺伝学が嫌われてきたという歴史が反映されているのかもしれないと推察します。日本では「遺伝子決定論」のイメージが強く、また、精神科医に精神疾患患者の人権保護という役割が求められたことも、これまでの研究動向に影響しているのでしょう。
次世代シーケンサーの登場とともに、どの疾患についてもDNAやRNAの解析が盛んになっています。ゲノムDNAの塩基配列ですべてが決まる訳ではない、ただし、ゲノムに書き込まれた情報を理解することは重要である、という理解がもっと浸透するべきと考えます。
さて、学会参加者には女性も多く、参加したシンポジウムには、座長2名+発表者4名すべて女性というセッションもあったりしましたが(とくに発達障害関係は女性が多い印象です)、キャリアパスの上ではまだまだバイアスがあるということでのジェンダーイベント開催でした。
今回のイベントは次世代シーケンサーの大手であるイルミナ社が後援。遺伝学を支えている企業さんですからね🎶 NIMHのディレクターJoshua Gordon先生もパネリストとして参加。速報は下記リンク先のTogetterに他の方のツイートをまとめておきました。画像はイルミナさんのTwitterより拝借。
WCPG2017 Gender Gap Session
その後のレセプション付きということもあってか、イベントには男性も多く参加しており、男女比は1:2程度。座長のNaomi Wray先生から「FactではなくてSolutionを話すように」という指示があって、自分のプレゼンはスライド4枚に絞られたのですが、出だしはこちら。Gender Gap Indexが117カ国中111位、しかも前回の調査よりも後退している我が国には、種々の問題がありますが、小さいときからの刷り込みがより強い、ということもその一つ。これは聴衆にウケたようで、Twitterにもわざわざ画像を撮ってアップされていました。
そして、なぜ女性が上位職に少ないかという背景には、男性との志向の違いもあるという調査結果を挙げました。実際にはアニメーションを使って、女性のグラフを見せた後に、さて、男性はどうでしょう? というインタラクティブなプレゼンとして行ったので、聴衆からの反応も良かったです。
別の言い方をすれば、なぜ、男性の方がポジティブシンキングなのか? Self-condidenceが高いのか?
したがって、女性のキャリアパスにとっては(どんな業界においても)このconfidence(自分に自信を持つこと)を高めるようなアプローチが重要であろう、ということを指摘しました。
(イラストは元本学医学系研究科広報室におられた池田さん作)
私の次のプレゼンがイルミナ社のAssociate Directorという立場の方で、もちろん博士号を持っておられますが、企業で有効だった3点について挙げられました。その3つとは、internal recruitment & retainment, company culture, external presence & visibilityです。1つ目は草の根的な活動として、社内でのネットワーキングやメンターシップを行うこと。これはうまく私の話からも繋がりました。また、意識的であれ無意識的であれ、社内にバイアスがあったらそれを吸い上げるしくみも重要。また、日本の「くるみんマーク」に相当する、ただしもう少し、単なる両立支援というよりは、キャリアパスを重視したAthene SWASの制度を企業でも導入するということも話されました。
スピーカーリストはこちら
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日本分子生物学会理事のコメント(拙ブログに仮置き)
http://nosumi.exblog.jp/20921342/
2014-07-18T22:01:00+09:00
2014-07-19T21:47:22+09:00
2014-07-18T22:01:53+09:00
osumi1128
オピニオン
【追記】日本学術会議の方からも近々、意見表明が為される予定と聞いています。
*****
学位審査を含む様々な審査や試験制度は、我々の社会の成立を支える根幹の一つと言っても過言ではありません。たとえ失望を招く結果であっても、皆がその結果を遵守し社会が成り立っています。今回の早稲田大学の調査委員会の結論のように、博士論文が重大な欠陥を含むことは認めながら、間違って製本提出された原稿であるとみなし、、、、学位取り消しは無しと判定していては、社会の根幹を揺るがします。全ての職業人はおろか、小学校入学から大学に至るまで受験を経験する幼稚園児から高校生までに、早稲田大学の責任者は一体どのように説明できるのでしょうか。
上村匡
*****
皆様
「仮に博士論文の審査体制等に重大な欠陥、不備がなければ、本件博士論文が博士論文として合格し、小保方氏に対して博士学位が授与されることは到底考えられなかった。」というのは、極めて重い指摘だと感じます。この指摘に対して早稲田大と教員の皆さんがしっかりと向き合う必要があることを、教育研究者の声として社会に届けていく必要もあると考えます。
五十嵐和彦
*****
【追記】
皆様
早稲田大学の小保方氏の学位認定と、その後のCDBのSTAP細胞の論文取り下げ事件は直結しております。本学位論文が、その内容に限らずその後の波及効果も含めて、今までに取りさげられた学位論文の中でも最悪のレベルに位置することは明白であります。その学位を認可するという今回の早稲田大学の調査結果は、(少なくとも日本における)PhDの価値および大学院教育の意義を完全に否定するものとなります。これは、先進国においてあり得ない事態といえます。
渡邊嘉典
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賢慮(フロネシス)のススメ
http://nosumi.exblog.jp/20719759/
2014-05-18T22:54:00+09:00
2014-05-18T22:55:43+09:00
2014-05-18T22:54:43+09:00
osumi1128
オピニオン
ともあれ、この話はちゃんと取り上げておこうと思っていた。1ヶ月ほど前に、総合科学技術会議(←まだこの名称で良い?)常勤議員の原山優子先生を囲んで、仙台縁のメンバーで集まった夕食会(原山先生は元東北大学大学院工学系研究科教授)があり、まぁ、久しぶりにお目にかかった方々で、SXXP細胞のことやら、これからの第5期科学技術基本計画はどうあるべきかなど含め語りあったのだが、そのときに原山先生が「フロネシス」について言及されていたことが話題に登った。 「フロネシス」とはちょっと聞き慣れない言葉かもしれない。アリストテレスによれば「中庸を守る特性」であり、智恵や叡智を意味する「ソフィア」とは区別され、バランスを大事にした実践的な智とされる。富士通総研理事長、カリフォルニア大学バークレー校ゼロックス知識学ファカルティー・フェローの野中郁次郎は、第二次世界大戦における日本の敗戦について、この「フロネシスの欠如」が問題であると指摘し、2006年11月30日の第3回イノベーション25戦略会議では、こちらの資料のようにフロネシスを定義している。 イノベーター育成-- 知識創造人材を育てる--(PDF)
野中は「イノベーションの本質は知的創造プロセスである」とし、そこでは「暗黙知=アナログ知」と「形式知=ディジタル知」との相互作用が必要であると論じる。そして、「知識創造の根幹に、知識の知恵化を支援するフロネシスがある」とする。
ここで特筆すべきは、「フロネシス」には「賢慮prudence」や「実践的智恵practical wisdom」に加え「倫理ethics」の意味があるという捉え方だ(末尾補足参照)。野中によれば、フロネシスは「倫理の思慮分別をもって、その都度の文脈で最適な判断・行為ができる実践的知恵(高質の暗黙知)」と定義される。そして、野中はフロネシスを備えたリーダーがイノベーションを生み出すのに重要であると主張する。 同様の主張が為されている、より実践的に噛み砕いた文章として、下記の原山先生のエッセイを挙げておきたい。その中の野中からの引用によれば、「イノベーティブなひと」に必要な特質であるフロネシスとは、「個別具体的な場面のなかで、全体の善のために、意思決定し行動すべき最善の振る舞い方を見出す能力」と定義されている。
東北大学原山優子教授の産学連携講座現場からのレポート第18回「イノベーティブなひと」とは?
ちなみに、上記2つを引用されている黒川清先生の文章はこちら。合わせて読むと理解が深まるだろう。
黒川顧問からのメッセージ・第4回「イノベーティブな人」の条件「フロネシス(Phronesis)」とはなにか?(2006/12/11)
さて、これらの文章はみな8年前のものであるが、まったく古びていないどころか、ほとんど実践されていないのではと思えるほどだ。フロネシスが必要なのは「イノベーションを生み出すリーダー」だけではない。社会の変化のスピードが早い今日、産官学すべての組織のリーダーに求められるのはフロネシスという特質、あるいは「徳」であろう。種々の研究不正が問題となっている現場においても然りである。
フランスからレジオンドヌール勲章を授与されている原山先生は、上記のエッセイの中でフロネシスという言葉の引用に至るまでにパスカルを引用し、「幾何学の精神esprit de geometrie」と「繊細の精神esprit de finesse」という捉え方の両方が重要であるということも述べておられる。それらは論理的思考と情動的判断と言い換えることもできるかもしれない。それらがバランスしていることが重要なのだ。「正しい」ことの判断には、主観的な倫理観や公正性の背景がある。以下、原山先生の文章を引用することで締めくくりたい。
科学的知識と実践的知識を融合してアクションを取るイノベーティブなひとには規範的な側面においても卓越していることが求められるのではないでしょうか。
補足:私はフロネシスの概念の中に入るものは、「倫理」よりも「公正性integrity」という言葉を当てはめた方がぴったりくると思う。Integrityの語源はラテン語の「全体、完全、健全」に由来するが、今では「誠実、正直、高潔、品位」などと訳され、Research integrityという用語は「研究の公正性」という日本語が定訳となりつつある。個人的には「誠実さ」がもっとも好きな言葉である。(下引用した図はLinda Reidという方のコーチングサイトの記事The Power of Integrityより)
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日本腎臓学会の男女共同参画企画で講演しました
http://nosumi.exblog.jp/18741904/
2013-05-12T09:40:00+09:00
2013-05-17T17:30:11+09:00
2013-05-12T09:40:46+09:00
osumi1128
オピニオン
「他のセッションと重ならないところで男女共同参画企画を入れたい」という委員会の先生方の強いお気持ちがあって実現したことと伺っています。
ちなみに、男女共同参画委員会の委員長の内田啓子先生(東京女子医科大学教授)は、元神宮でラケットを振っていた仲間であり(超強かった!)、そのご主人とは私は大学の同級生という関係でもあります。
「学会活動における男女共同参画:みんなにとってメリットは?」
日時:5月11日(土曜日)13時30分~14時
会場:第1会場(ホールC)
司会:内田 啓子(男女共同参画委員会)
演者:大隅 典子(東北大学大学院医学系研究科創生応用医学研究センター・脳神経科学コアセンター発生発達神経科学分野 / 東北大学女性研究者育成支援推進室)
昨年の企画が黒川清先生X桃井真理子先生というビッグな対談でしたので、私の方はデータを示すことによって「無意識のバイアス」に気づいてほしいという意図で作りました。
おかげさまで、講演の後になればなるほど(笑)人が集まって何よりでした♫
招待講演の外国人の先生方3名は、私の日本語講演の間も席におられたのですが、かなりビジュアルなパワポで、英語のものもいくつかあったので、ジョークの部分でちゃんと笑って頂けました。
今年は節目の年、ということで1913年の東北大学入学女子学生の顔写真と女子学生百周年記念ロゴマークも、しっかりお持ち帰り頂けたものと思います。
委員会の先生からすぐに御礼メールを頂いて嬉しかったので(勝手に)貼り付けておきます。
ほんの30分でしたが、腎臓学会においで頂いてありがとうございました。もっといろいろなことを伺いたかったという男性教授のコメントがありましたがこれは誰しも思われた(私も)ようですし、ご講演の要旨の印刷物はありませんかとおいでになっ た某国立大の50歳前後の男性など、これまでで最も事後の反応が多かったご講演でした。
という訳なので、講演PPTファイルをResearchmapの方にアップしておきます。
どうぞご自由にお使いください。
イントロ次のスライドは、慈恵医大の横尾先生との共著のPNAS論文で、私のpublication listの中で今のところ唯一kidneyを扱ったものです♫
ご準備頂きました関係各位に心から御礼申し上げます。
関連して、先ごろGenes to Cells誌に掲載された日本人女性研究者のvisibilityに関する本間美和子先生らの論文と、それを引用しているScience誌へのLetterのリンク先も記しておきます。
Maximizing the Potential of Scientists in Japan
- Promoting equal participation for women scientists through leadership development
Homma MK, Motohashi R, Ohtsubo H.
Genes to Cells(まだアップロードされていないのでリンク先は追って)
Science. 2013 Apr 26;340(6131):428-30. doi: 10.1126/science.340.6131.428-b.
Japan's lagging gender equality.
Homma MK, Motohashi R, Ohtsubo H.
PMID: 23620034 [PubMed - indexed for MEDLINE]
【追記】
拙ブログを読まれた黒川清先生が、ロレアルーユネスコ女性科学者奨励賞特別賞授賞式の画像にご自身が写っていないと御指摘下さいまして、講演スライドPDFを差し替えました♬
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今どきの男女共同参画とは?
http://nosumi.exblog.jp/17465451/
2012-12-20T00:16:00+09:00
2012-12-20T00:26:06+09:00
2012-12-20T00:16:01+09:00
osumi1128
オピニオン
(この図はFacebookで標葉龍馬さん作成のものを拾ってきました。元図よりはるかにわかりやすい)
「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきか?」という問いに、賛成、どちらかと言えば賛成、どちらかと言えば反対、反対、わからない、という選択肢があり、その回答(この図では「わからない」を除く)を男女、年齢別にグラフにしたものです。
全体的には、男性がこの考え方に賛成が多く、女性の反対が多いのですが、年齢別に見ると、若い女性のところが微妙に「コンサバ」的だという点が面白い。
これに対して、各種新聞の論調が異なるという御指摘があったので、それも載せておきます。
朝日新聞:「夫は外、妻は家庭」初の増加 20代顕著、内閣府調査
読売新聞:「夫は働き、妻は家庭」20歳代男女で大幅増
産経新聞:震災のせい?「妻は家庭を守るべき」51% プラス10ポイント、初の増加
Wall Street Journal(時事通信):「妻は家庭」5割が賛成=初の増加、反対上回る—内閣府調査
私は、今どきの若い女性が「やっぱり結婚して、家庭に入って楽したい♬ そういう白馬の王子様が見つかるまでは働こう」というような意識なのかなぁ、と思いました。
(結婚適齢期の30代男性は、すでに「いや、僕だけの収入じゃ足りないから、君もちゃんと働いてよね」と考える人が多くなっているのに対して)
もしかして、自分のお母さん世代は、悠々自適で、お父さんよりも生活をエンジョイしているように見えるのかもしれません。
でも、最近の経済状況から、白馬の王子様はなかなかいないのですね……。
例えば、こんな記事があります→「丸の内OL「私の2倍の年収じゃないと結婚イヤ!」
こういう状況が、晩婚化と少子化を招いているように思います。
そして、生物学的には、晩婚化も(男女ともに)少子化も、人類自身のサステナビリティという意味では非常に問題なのですが……。
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これからの分子生物学会
http://nosumi.exblog.jp/17420673/
2012-12-13T19:00:04+09:00
2012-12-13T18:59:48+09:00
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osumi1128
オピニオン
演題同士の関係がわかる、iPadやスマホに適したwebサイトの構築や、ポスターの3分トークなど、いくつもの斬新な取り組みがあります。
前日の理事会から出向いて、初日のシンポジウム「大量シークエンス時代の医療分子生物学」、男女共同参画委員会主催ランチョンイベントと緊急フォーラム「研究不正を考える」に参加しました。
「ヒトES/iPS細胞における、遺伝子発現およびDNAメチル化の大規模解析」という演題を、山中伸弥さんが話すはずだったのですが、ノーベル賞授賞式と重なって、代わりに大学院生の大貫茉里さんが発表し、冒頭のジョークから最後の総合討論まで、実に立派な発表でした。
今回のランチョン企画「全員参加の生命科学研究を目指して(パートII:生の声を聞こう!」は、後藤由季子委員長からのこれまでの活動のまとめの後、塩見春彦先生のご講演「意識改革の必要性について」があり、男女ともに無意識のバイアスがあることなど指摘されました。
(先日のNAISTで紹介した「女子学生の方が成績はいいんだよね……」というのも、そういうバイアスが露呈している症例です)
その後、テーブルディスカッションとなり、テーブルごとに異なるテーマでディスカッションが為された後に、各テーブルからのポイントの披露がありました。
この手の企画では一方的に聴くだけよりも、自分で話すこともできる参加型は満足度があったのではないかと思います。
参加者の男女比は4:6くらいだったように思います。
分子生物学会では男女共同参画企画への男性の参加者が、年々増えてきていることは好ましいと感じます。
夕方の緊急フォーラム「研究不正を考えるーPIの立場から、若手の立場からー」では、分子生物学会に深く関係されていた方の論文不正に対する対応について、まず小原雄治理事長からの経緯のご説明がありました。
学会としては、所属機関の調査委員会の報告を待ってからアクションしたかったのですが、その報告がとても遅くなったということがあります。
現在、学会から所属機関への問い合わせをしています。
その後、若手教育問題WG初代座長であった中山敬一先生による「捏造はなくせるか? 現在・過去・未来」という講演がありました。
まず、中山先生は若手教育問題WGが開催したシンポジウムで講演をされた方に関わる疑惑であり、少なくとも何らかの責任を取るという形で辞職された、という事実から、何らかの関与はあるとして、「任命責任」としての謝罪をされました。
生命科学系研究における捏造の問題の根幹には、「データの再現性が取りにくい」ということがあるのですが、それを夏目徹博士の作製された「ラボ・ロボット」の正確な実験と人間が行った実験との比較というデータを元に、「もし、正確な実験を行うロボットがすべての実験を行なって再現性が得られれば捏造は無くなるかもしれない」という未来の話でまとめられました。
【ロボットの動画はこちらを参照のこと(感動的です!)】
その後、パネル・ディスカッションとして、小原先生、中山先生に加えて、岡田清孝前理事長、篠原彰第17期広報幹事とともに次期理事長として参加しました。
フロアからは「学会としての対応が遅すぎる」というご意見を皮切りに、「他のセッションと重なる時間帯で行うべきではない」「不正を監視する第三者公的機関は必要か?」「再現性が怪しいデータが得られたときはどう対応すべきか?」「当学会のオフィシャル・ジャーナルGenes to Cells誌掲載の論文不正については追求できるのではないか?」等、種々の意見や質問が為されました。
この問題は来期への引継ぎとなりますので、きちんと対応していきたいと思います。
明日また福岡に戻ります。
生化学会のシンポジウムの方でトークがあります。
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