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異分野交流の面白さ

北米神経科学学会を早めに切り上げて帰国したのは、北大で開かれた生命リズムと振動子ネットワークに参加するためであった。
北大の21世紀COEの1つ数学のプログラムの支援によるとのこと。
どうしても初日は聞くことができなかったが、2日目、3日目のお話(それだけでも十分盛りだくさん)を堪能し、大いにインスパイアされた。
数理学、生物学、工学の方々による発表は、それぞれ面白かった。

以前、数学科の友人Kさんと「生き物とは?」について議論したことをこのブログにも書いた。
現在、普通の生物学における主流の定義(はずせない3ヶ条)としては
1)膜で囲まれている
2)エントロピーが増大しない
3)次世代を生みだす

というものがあり、Kさんは2)は必須だけど、他は必要ない、という意見だった。
今回のシンポジウムに参加して、真性粘菌が群全体として一つの生き物のように振る舞う様子を見て、自説を曲げてもよいと思うくらい感動した。
ちなみに、「もやしもん」という漫画の中に出てくる「最短コースを選ぶ粘菌」の実験のネタになったNatureの論文の筆頭著者の方にお会いすることもできた。

私の定義としては3)が一番捨ててもよい事項であるが、1)は結構捨てがたい。
粘菌だって、よく考えれば、細胞膜は持っているしね。
でも、なんだか、形そのものも、ちぎれたりくっついたりするくらいでどうにでもなるし、そもそも、上記の定義でも、ウイルスはどう扱うか、などの問題がある。

細胞性粘菌の振る舞いのビデオも感動物。
ごく単純な原理だけで、細胞が集まり、traveling waveを示しつつアメーバ状に動き、中心が盛り上がっていく、などの形態形成を示す。
たぶん、個々の分子の挙動など理解しなくても、おそらくこれと同じような動きをするものを群体ロボットで再現することが可能(東北大学工学部I先生の発表より)。
現時点では二次元シミュレーションではいい線行っていたけど、実装ロボットは、まだまだ可愛い動き。

こういう異分野研究者のシンポジウムでは、どれほど一般性のある話ができるか、本質を突いた研究目的であるかどうかが重要なポイントである。
また同時に、その内容をどう「見せるか・喋るか」という技も、相手の理解や感動の程度につながる。
今回は、皆さん「振動子」「引き込み」「縮約」などなどはオッケーの人たちが集まっているハズ(私以外)、ということで定義なしでずんずん進まれてしまい(いや、初日パスしていたこともあるので、定義なしだったかどうかはわからない)、こちらは、とりあえず「帰納的」に、個々の発表を聞きながら、こういうこと、らしい、と感覚的・直感的に理解しようとした。
別に、自分で数式を書いて変数を決めてシミュレーションするつもりはないのだから、これで構わない。

生物学には「時間軸」は必ず含まれているはずなのに、「時間生物学」や「記憶」といった分野以外では、あまり本質的に扱われていないことを再認識した。
四次元の世界のはずの「発生生物学」でさえ、in situハイブリダイゼーションの羅列やら、ノックアウトマウスの表現型やらで話が進み、時間は断片としてしか捉えられていない。
時間とともに神経管が徐々に巻き上がるというダイナミックな形態形成でさえ、かつて大学院時代にコピーし、擦り切れるくらい読み倒した1980年代の論文以上に何が分かったのか。
これこれの遺伝子は必要だ、という記載ばかりが累積していくのはいかがなものか。

*****
さて、札幌は食文化のレベルが高いところにある街である。
地元の方に連れて行って頂いたランチや夕食は、どれも美味しかった。
写真は思い切り手ぶれのスープカレー(野菜)。
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by osumi1128 | 2006-10-20 23:23 | サイエンス | Comments(0)

Neuroethicsということ

事情により北米神経科学学会@アトランタの参加は本日まで。
明日の早朝に発つので、パッキングは夜のうちに済ませないと・・・

昨年のSfN@ワシントンDCは2万7千人の参加者だったそうだが、今年は今日の時点で2万1千人余である。
おそらくこの学会はもっとも車椅子の参加者の多い学会なのではないだろうか?
脊髄損傷の患者さんなどが、1年間での研究のアップデートを自分の目で確かめに来たりしている。
患者団体も展示ブースを出しているし、また、「Education in Neuroscience」というセッションもあり、その年のBest Educator in Neuroscience」の表彰などもある。
関連して、例えばSchizophrenia Research Forumというwebを運営しているNPOは夜のセッションを1つ催していた。
このサイトでは、最新の研究に関する情報だけでなく、ウェブ上での討論や、研究者が必要な試薬を捜したり、グラントや就職情報が載っていたり、研究者でない人たちも参加している。
とにかく、昨年初めて参加したときもそうであったが、学会といっても様々な立場の人たちが参加しているということが強く印象に残った。
こういう層の厚さが米国の脳科学を支えていると感じた。
科学コミュニケーションの場として、今後、日本の学会も解放されることになるだろうか?
お座なりな市民公開講座を学会会期中に開くだけでは、まだまだだと思う。

今日も朝5時に目覚めて、メールを片付けてから翻訳の校正の3分の1を終わらせた。
その後、午前中のLectureとしてNeuroethicsについてJudy Illesという方が講演されるのを聴いた。
Neuroethicsの定訳は神経倫理なのだろうか?
まだ日本語として定着していない気がするが、その重要性については非常に注目されてきている。
日本では言い出されたのはbrain-machine-interface (BMI)のや脳イメージングの研究分野からなのだが、本当はゲノム情報というのも極めて倫理的問題を含んでいる。
例えば、ボランティアで脳研究のために画像を撮ることに協力して、実は脳腫瘍が見つかったら、どのような気持ちになるだろう?
精神疾患のリスク遺伝子が多数明らかになったとして、それを知りたいかそうでないか?
糖尿病や高血圧よりも、脳に関する問題はデリケートだ。
今後、科コミの世界ではどのように扱われるようになるだろう?
by osumi1128 | 2006-10-17 11:20 | サイエンス | Comments(2)

言語科学のモデル動物

着いた初日は夕方から夜中まで寝て、その後ずっと起きていた。
昨日は午後から北米神経科学学会の初日で、Congress Centerに出向いた。
ホテルからまっすぐの道だったので、学会のシャトルバスは利用せずに歩いた。
辺りには、同じ目的地を目指す雰囲気の方々(つまり神経科学者)が歩いているので、なんとなく、同じ方向に向かえばよいのだろうと踏んで、安心して歩いた。
そうでなければ、見知らぬ土地を一人で歩く、というような探索行動は取らないのが普段の私である。

午後のMIni-Symposiumでは言語科学をモデル動物で扱おうというセッションに参加した。
数年前に、発話・言語障害のKEファミリーという家系の遺伝学的解析から、FOXP2という遺伝子が原因の候補遺伝子として浮かび上がった。
意外なことに(発生生物学者の私の目から見たら意外ではないのだが)、FOXP2は転写制御因子という、他の遺伝子のスイッチを入れたり切ったりする役目のタンパク質を規定する遺伝子であった。
これが、例えば、神経細胞間のシナプスで働くような、細胞機能に直結したタンパク質を規定する遺伝子であったら、話は非常に簡単で分かりやすかったのだが、そうではない。
しかも、解き明かしたい生命現象は「言語・発話」であり、例えば癌や代謝疾患のように、単純にノックアウトマウスを作ればよい、というものでもない。

昨年、「言語科学の百科事典」に分担執筆する際にFOXP2について調べた限りでは、FOXP2の発現が運動の制御に関わる脳の領域に見られることが、マウスや鳴禽で分かったくらいで、まだ取り上げるべき機能解析には至っていなかった。
言語学の専門家も、遺伝学の専門家もお手上げかなと危惧していたら、しっかりと時代は動きつつあることを、今回のミニシンポジウムから感じた。

FOXP2の同定に貢献したオックスフォード大のSimon Fisherは遺伝学が専門だが、(Welcome Trustからかなりの援助を得て)分子・細胞レベルの研究を展開しつつある。
こちらは直接、言語機能との関わりにたどり着くには時間がかかることは確かだが、基礎研究としては非常に大切である。

UCLAのGeshwindは、進化的な観点で、例えばチンパンジーとヒト遺伝子のメタ解析などを行っているらしいが、ゲノム科学的アプローチにより、FOXP2の標的遺伝子を網羅的に解析・比較することにより、どのような遺伝的プログラムが言語獲得に関わるかを解明しようとしている。

ヒトの言語学習のモデルとして、鳴禽(ゼブラフィンチやジュウシマツなど)が用いられているが、ベルリン自由大学のSharffは、ゼブラフィンチを用いてFOXP2のRNA干渉による機能阻害にチャレンジしていた。
本来FOXP2が働いているAreaXという脳の領域に、ウイルスベクターに乗せたRNA干渉型FOXP2を注入し、歌学習に与える変化を見ている。
まだ、コントロールの取り方などでツメが甘いのではないかと思ったが(破壊実験は簡単である)、こういうチャレンジングな取り組みがちゃんと行われていることを知って嬉しかった。

ミニシンポジウムのオーガナイザーでもあるUCLAのStephanie Whiteは、歌学習に伴い、FOXP2の発現がどのように変化しているかを見ていて、上記と矛盾するように思ったが、歌わせた2時間後の脳のAreaXではFOXP2の発現が低下しているというデータを披露していた。
これらの矛盾については、きっと解析が進むにつれて真実が浮かび上がってくるだろう。

最後の演者はWashington大のHolyで、彼はマウスも歌うということを示して、1年前に話題になった。
実際は「超音波」の音域なので、ほとんどヒトの耳には聴き取れないくらいなのだが、コンピュータ処理をすると、確かにsong birdのようなフレーズをもっている。
実は、1877年(!)のNatureにはSinging Mouseという論文が投稿されているらしく、これは是非手に入れてみたいと思ったが、業界の中で埋もれていた研究の再発見という意味では、メンデルの法則のような事例である。
実際、彼はまだ研究の基礎段階で、マウスの系統による歌の差や、ましてやノックアウトマウスでどうなるかなどは調べていないのだが、発表の後には非常に沢山の質問が来て、皆の期待と関心の高さが伺えた。

このミニシンポジウムではどの講演者も未発表データを惜しげもなく示し、突っ込んだ議論がなされていて心が安まった。
昨今の分子レベルの生命科学では、やれ特許だ、やれ論文投稿だ、で、発表の中身はin pressになったものというつまらない状態に陥っていることが多い。
(これは、論文受理までに2,3人の査読者をクリアーすればよいことを意味するので、論文捏造の温床になっているのではないかと考察している)
ここではまず専門家同士、コミュニティーの中で議論があり、きっとその上で論文という後世まで残る形になっていくという、科学の作法の本来の姿が見られたように思う。

私自身は言語科学の専門家とは言えないが、言語には非常に興味を持っており、時間のあるときには関連書籍を読んでいる。
自分が大学や大学院への進学を考えるような時点では、言語のような問題を「理系」で扱うことなどできないと思っていたが、四半世紀の間にこの進展ぶりである。
思いは通じるもので、日本での鳴禽研究の第一人者である理研の岡ノ谷さんとお知り合いになったことがきっかけで、上に述べた百科事典の分担執筆の機会を頂いたのだが、さらに最近、重鎮の長谷川寿一先生からもFOXP2について1章分くらいの分担執筆を依頼されたところである。
私のような者にお鉢が回ってくること自体は日本の言語学研究のいびつさを表しているともいえようが、これらの方々が広い心で、業界外の人間にが参入することを認めて下さったことは素晴らしい。

たぶん、裾野の広い科学コミュニティー醸成で大切なことは、セミプロ〜アマチュアレベルの人たちの存在ではないだろうか。
例えば音楽や絵画であれば、後世まで名が残る超専門家のトップから、普通のプロフェッショナルな集団、批評家の方々、プロの仕事を理解して楽しむことができるセミプロからアマチュアの多くの方々までが、途切れのないコミュニティーを形成している。
生命科学の分野では、プロの集団がアマチュアから浮いている状態になっていることが大きな問題ではないかと思う。
これは、いわゆるウェットな実験がどんどん高度化し、高額機器の具備が必要条件となり、必然的にお金のかかるものになっていったことに大きな原因があろう。
現在、ボランティアベースの理科実験のデモや、さまざまな科学コミュニケーションの機会が増えつつあるが、大事なことは、「アマチュアだけど好き」という人たちを増やし、そういう方達が最先端の知見に触れる機会を増やすことだ。
もしかしたら、最先端のシステム生物学やゲノム科学のようなドライな分野では、セミプロの人たちがどんどん参入できるかもしれない。
それなりの知識とコンピュータがあれば、論文として公表されているデータベースを元にしたメタ解析も可能なのではないだろうか。
昆虫採集を趣味とする方が新種の発見を報告されるように、在野のアマチュアが専門誌に投稿してもよいはずだ。
大切なことは、そのときプロ集団がアマチュアにも門戸を開放することである。

*****
昨日はセッションが終わってから、日本人24名でストーンマウンテンのレーザーショーを見にいくツアーに参加した。
音頭を取って下さったのは京大のMさんだが、彼はさりげなくこういうボランティア的精神を発揮してくれるのが頼もしい。
ちょうどハロウィーン間近の週末とあって、家族連れでかなり混んでいた。
アトランタはCNNとコカコーラの街であるが、1リットルくらいのコーラを毎食飲んでいたらこうなるであろうという体型の人たちが非常に多い。
たぶん、日本人はあそこまで行く前に糖尿病になると思われるが・・・

さて今日は朝8時からのSlideセッションがあるのでこれにて。
by osumi1128 | 2006-10-15 20:14 | サイエンス | Comments(0)

形態学の神髄

REDEEMの実習の前半3日の間には「分子生物学実習」と「細胞生物学実習」が組まれている。
分子生物学実習はラットの肝臓からゲノムDNAを抽出し、さらにそれを鋳型としてPCRによる遺伝子増幅を行うというものである。
ゲノムDNA抽出は古典的なフェノール・クロロホルム法で、15mlのチューブで行うので、析出したDNAが糸状に見えるところがなかなか感動的。
最終的にはエタノール沈殿したものを、可愛らしい小箱に入れて「REDEEM実習記念」としてお持ち帰り頂く。
PCRはそれぞれが違うプライマーセットで行って、さらに制限酵素処理したものを泳動し、バンドパターンから増幅したDNAが何であったかを推論する、というクイズ形式になっている。

細胞生物学の方は、初日に培養細胞をまき直し、2日目に4種類のうちのいずれかの発現ベクターをリポフェクションで遺伝子導入し、3日目に固定して、蛍光顕微鏡で画像を取り込んで、どんな発現ベクターであったかを当てる。
ミトコンドリア、小胞体、ゴルジ体、細胞膜、それぞれを標識するような市販の発現ベクターを利用している。
この実習は学部レベルで行っているところはないだろうと自負している。

本日3日目は、CCDカメラ&モニタ付き顕微鏡による画像取り込みが律速段階なので、その間に、2光子顕微鏡によるタイムラプス観察のムービーのデモと、ヒトの種々の正常組織のプレパラート観察も並行して行うという盛りだくさんメニュー。

*****
医学部の(歯学部も)基礎教育には解剖系の実習として組織学実習が欠かせないのだが、これは今だにプレパラート標本を顕微鏡で見てスケッチするのがお決まりだ。
私はこの「スケッチ」が大の苦手で、どうやっても上手く描けない。
まあ、80名のクラスのうちものすごく画才のある子は数名なのだが、「美しい」と認識するものを、そのようにアウトプットできないというのは自分では悲しいことだと思っていた。
ただし、ひたすら見たものを頭に焼き付け、微妙な差異を見いだす訓練にはなった。
また、模式図を簡単に描けるようになったのも、この時期のトレーニングのせいかもしれない。

大学院に進学すると、スケッチしなくて良くなった。
当時はまだCCDカメラの普及前だったので、まずはひたすらアナログにフィルム撮影を行ったのだが、構図、すなわち写真に写すフレームを決めて、フォーカスを合わせ、光量や露光時間を調節して写真に撮るというのは性に合っていた。
少なくとも、色鉛筆で描くよりも美しく表現できると感じたし、時間当たりたくさんのサンプルからのデータを取ることができた。

蛍光顕微鏡の撮影の場合には、真っ暗な部屋を締め切って、場合によっては10分もかかる露光時間の間、息を詰めていた。
ときにはラジカセで音楽を聴きながらということもあったが、たいていは、その間ずっと、シャッターの切れる音がするまで、今、写しているデータから何が言えるか、仮説やストーリーを考えていた。

スペインの偉大な神経解剖学者ラモニ・カハールは膨大な数のスケッチを遺している。
きっとそれを描きながら、論文の構想を考えていたのだろうと、100年以上前の研究室の様子に思いを馳せる。
ときにドラマチックで詩的な記述は、現代の研究者をも活性化させるに十分である。

明視野の顕微鏡撮影でも同じことだが、撮り終わったフィルムを現像に出して初めてデータとして記録できたことになるので、かつては捨てるフィルムも多かった。
今では、モニタで確認しながらデジタル画像として取り込むことが可能である。
初心者でも比較的容易にデータを無駄なく確実に取れるようになったことは確かだが、もしかしたらゆっくりストーリーを考える時間は減ってしまったのかもしれない。
あるいは、スケッチを描くということによって連合的に頭を使った昔の方がcreativityは高かったような気がする。

形態学は、サンプルを調整するところでエネルギーを使い果たしてはいけない。
ようやく観察できる標本を得て、それからが本番なのだ。
by osumi1128 | 2006-09-07 00:59 | サイエンス | Comments(0)

「生き物」の定義をめぐって

今日の夕ご飯は「オープンキャンパスfor女子高生お疲れ様会」に便乗させて頂いた。
テーマは「東南アジア系」ということで、生春巻き、春雨サラダ、トムヤムクンなどなど。
私はサボってデリでお総菜を買って参加。
話は両立支援の補充人員の話から、ホームヘルパー、癒し系ロボットになり、「家に帰ってきたら<お帰りなさい>と優しい声で迎えてくれるロボットがいたらいいかも」
お掃除ロボットにそういう機能も付けておけばよいのでは?

*****
昨日は延々夜中まで、友人Kさんとまた「生き物の本質とは?」という議論を、とあるイタリアンの店でしていた。
もうひとりSさんという方も加わっていたが、たぶんKさんが5割、Sさんと私で5割くらいの発現頻度ではなかったかと思う。
私は学部の1年生相手や人材育成の集中講義で「細胞生物学」を教えているので、以下のようなスタンダードな定義を持っている。
1)膜で囲まれている(外界との区別)
2)エネルギー代謝を行う(エントロピー非増大)
3)子孫を残す(進化の歴史)

Kさんは2)についてはOKで、エントロピーが増大しない方向にひたすら振る舞うことこそが「生命体の本質」であるという立場。
それ以外は本当に本質的か?ということが問われた。
逆にもし、この中の誰かが一人地球以外のどこかに置かれたとして、そこでは<生命体>と見なされるだろうか?

しばらく観察されても3)の条件を満たすことは不可能だから、じゃあ、<生き物>ではない、ってことになったら、ちょっと困るなあ・・・
by osumi1128 | 2006-09-03 23:26 | サイエンス | Comments(2)

日米先端工学シンポジウムリハーサル

金曜日から土曜日、日米先端工学シンポジウムJAFoEの第6回会議に備えた国内リハーサルに参加した。
昨日はCyber securityとOrganic electronicsというセッションがあり、ウェブ改竄をどんな風にwatchするか、とか、ぐるぐる巻ける液晶モニタができたら、などというお話を聞いた。

今朝は自分担当Biomechatronicsのセッションのリハーサル。
お呼びしたスピーカーは東大の大武美保子さんと東工大の小池康晴さんだが、小池さんはリハーサルには参加できず。
大武さんにはbiomechatronicsについてのイントロの後に神経筋ネットワークや脳内神経ネットワークのシミュレーションのお話をして頂いた。
なんと、統合失調症のネットワークモデルを立てておられるのは知らなかった。
今度もっと詳しく伺ってみたい。

今年はもう一つややバイオ系のシステムバイオロジーのセッションがあり、こちらは理研CDBの上田さんにオーガナイズをお願いしたところ、東大の竹内さんという、もともとマイクロマシン系の方で、今は細胞くらいの大きさのリポソームを作ったり、そこに膜タンパクを埋め込んだりという興味深いお話。
このセッションでは「細胞は作れるか?」というあたりまで踏み込んだ話が聴ける模様。

この企画に関わるのはこれで3回目になる。
ちょうど5年前に東北大学の医工学COEが始まって、図らずも巻き込まれてしまったことがもとでセッションチェアのお声がかかった。
若手の異分野交流の会なので、そろそろ引退したいと思うが、こういう面白い話を聴ける機会は捨てがたい魅力がある。

私が思うに、一般論としてエンジニアサイドの方の発表の方が分かりやすく魅力的である。
一つには、工学は実学であり、しかもエンジニアサイドの方の半数弱は企業の方なので、プレゼンそのものが分かりやすいということがある。
例えば、サイバーセキュリティーに関してなら、私も日々ウェブを使っているので、細かいことは分からなくても、その対象は身近であるし、有機エレクトロニクスなら、その材料は人や地球に優しいのだろうか? というツッコミも入れることができる。
これに対して、生物系、中でも分子系の分野は、共通のバックグラウンド(細胞とか、ミトコンドリアとか、転写因子とか)がなく、話がとても抽象的で難しいことが多いということである。
見慣れない組織や細胞の画像を見せても、どこが見るべきポイントなのかわかりにくいし、電気泳動のバンドパターンのあり、なしは分かっても、その解釈には数段階の説明が必要だったりする。
ITリテラシーのレベルも平均的には高くないので、分かりやすいムービーなどを盛り込めないということもあるかもしれない。
同じ土俵の学会や班会議ならそれでもよいのだが、分野を超えた枠で競争的研究費を取ろうというような場合に、これは大きく不利に働くだろう。
まずは自然科学系他分野の人にも分かってもらえるように話すということがアウトリーチの第一歩かもしれないと思う。

追伸:将来を担う若手研究者として東北大学のサイエンスエンジェル達を育てるのに、まずはプレゼンのお作法セミナーをし、その上で互いに自分の研究の紹介をするというのも丁度良いかもしれない。
みなそれぞれ分野がいろいろなので。
また、そういう横の交流の経験は、きっと将来役に立つときがくるはず。
by osumi1128 | 2006-09-02 16:10 | サイエンス | Comments(0)

モノグラフ

学生さんが撮ってくれたカニの画像がまだ手に入らないので、とりあえず他の話題に進みます。
数日ぶりによく晴れた一日でした。
それでも風が吹くと秋の気配を感じます。

『エッセンシャル発生生物学第2版』の翻訳作業を進めていましたが、本日をもってようやく脱稿しました。
この第1版は自分にとっては2冊目の翻訳ですが、丸々自分で訳したという意味では初めての思い出の1冊です。
発生生物学の教科書には第7版にまでなった分厚いGuilbertや、植物もかなり盛り込まれたWilt & Hake(本年翻訳本刊行)、ちょっとクセのあるWolpertなどがありますが、Slackによるこの教科書は「モデル生物別立て」という珍しい構成です。
ボリュームも手頃だったので、原著を読んで「これは是非翻訳すべき」と思いました。
ちょうど歯学部で発生学の授業を担当することになり、一通り読み直したいという動機もあって、数章訳してから出版社に持ち込んで交渉し、引き受けてもらうことができました。
(普通はやっぱり出版社の方から持ち込まれますので)

2002年に第1版の翻訳本を出してから4年余で改訂第2版ということになります。
今回大きく違うのは4色カラーになったこと、各章に「まとめ」と「古典的実験の紹介」「将来の展望」が付いたことなどのほか、内容としては「幹細胞」や「進化」を大きく取り上げたことです。
細かい部分では、どの章にも新しい知見が加わっており、この4年の間の発生生物学の進展を改めて感じることになりました。
技術の点においても、マイクロアレイ、プロテオミクス、RNAiなどが取り上げられています。

仙台の研究室が形になってから、年に1冊、何らかの形で本を出せたらと思うようになりました。
研究者には「研究原理主義」(中山敬一さん談)、あるいは「論文至上主義」というタイプの人もいますが、私はやっぱり「本も好き」ですね。
もちろん、研究原理主義の方でも(頼まれて)本を書かれることは非常に多いのですが。
残念なのは、英語を母国語とする方であれば、教科書にせよ、専門書にせよ、一般書にせよ、書いたものは全世界に出回るのですが、日本語を理解できる人は世界からみたら少数派ですね。
しかも、その中で研究に関する内容となると、さらに少数の方が読者ということになります。

以前、岡田節人先生に言われたことですが「最近の人はmonographを書きませんな。学者たるもの、monographを書かんと・・・」
岡田先生の言われるモノグラフは、「ある一つの問題に関する研究を記した論文(Wikipediaより)」というよりも、「研究の専門的な内容について英語で書かれた本」というような意味であり、論文で引用することもあります。
雑誌の総説よりはずっと長く、分担で書くというよりは単著で、教科書的にある学術分野を網羅しているというよりはspecificなテーマについて掘り下げてある、というような本と言えばよいでしょうか。
例えば岡田先生のものでは
Okada, TS (1991). Transdifferentiation. Flexibility in cell differentiation. Oxford: Clarendon Press.
などが相当します。

たぶん、忙しい時代になってしまって、自然科学系の研究者にとって、総説なら日本にせよ英語にせよ頼まれればこなすでしょうが、自発的にmonographを書く時間を見いだすことは非常に難しいのかもしれません。
サバティカルでもあると良いのですが。
by osumi1128 | 2006-08-31 20:41 | サイエンス | Comments(3)

班会議

札幌で特定領域「統合脳」の班会議があった。
5領域がまとまって行うので、参加者が400名くらいという大型のミーティングになる。
企画運営に携わっておられる方々は本当に大変なことと思う。
もちろん我々も自分の領域のセッションを行うのに「若手クルー」を出したりして、コンピュータと液晶プロジェクタの管理や部屋の調光などをお手伝いしているが、全体を仕切っておられる先生方は本当に大変だ。
昨今、学会はいわゆる「学会屋」という会社が成り立ち、会場関係は一手に面倒を見てくれるようになったが(その分もちろん費用は派生するが)、班会議レベルはやはり研究者コミュニティーが中心となっている。
しかも、「統合脳」は年に2回も班会議がある・・・(涙)。

とはいえ、こういう機会がなかったら聞かなかったかもしれないトークを聴くチャンスにもなっていることは確か。
本日午前中最後のセッション(正確には、統合脳にリンクして行われる「脳と心のメカニズム・夏のワークショップ」)は、理論の方のお話。
「グリッド細胞の受容野を再現する自己組織化モデル」というのがタイトルなのだけど、数式を使わずにお話しして下さったので、直感的に理解できる部分があり助かった。
でも、どちらかというと「これこれの生物現象はこういうモデルで説明できます」で終わっていたのだが、私としては、すでに示されている現象ではなく、実験生物学者が証明したくなるようなモデルを見てみたいと思った。

*****
班会議が札幌だったので、行く前に学生さんが「先生、お土産は蟹がいいです!」と言うので、奮発して空港でタラバガニを買ったのだが、夕方研究室に届けたら本人は来ていなくてがっかり。
きっと、世の中のお父さんはこんな気分をよく味わうのではないかと思ったりする。

全国的に大学院入試のシーズンですね。
うちは来週半ばになります。
by osumi1128 | 2006-08-25 22:40 | サイエンス | Comments(0)

「人種の差」関連エントリー・ファイナル

悪い予想は当たり、JFK出発は6時間遅れた。
こんなことなら、翻訳の本も機内持ち込み手荷物にして、作業を続けるべきであったと心の中で舌打ちした。
しかも、日本は週末なので、処理するメールも少ない。
やれやれ・・・・
という訳で、以下かなり長文になります。

*****
一連の関連エントリーにはこれまでになく非常にたくさんのコメントを頂きました。
コメントを入れられた方の実数が非常に多い訳ではありませんが、いろいろな立場のご意見を知ることができましたのは有り難かったと思います。
必ずしも建設的な意見交換ではない場合もときどき見受けられましたが、ブログというコミュニケーションの手段としては仕方ないのかもしれません。
そろそろ煮詰まってきたように思いますので、ここでブログ管理者としては一応ファイナルということにしたいというエントリーをします。

今回の元エントリーはWorkshop on Schizophreniaに参加している間に「ゲノム時代」の「人種」というものに一生物学者として興味と疑問を持ったことが発端です(普段はラット・マウスの世界であり、学問上あまり気にしていない)。
そもそも、どんな「人種」であれ混血が可能なので、大局的な生物学として考えると「たいした差ではない」と言えます(「種」の定義から言って)。
ただし、薬の効き方などを考える場合に(向精神薬も含まれます)、ethnic groupを考慮すべきというのが現在主流の考え方だと思います。
そのことを明らかにするための手段として「統計学」は必要不可欠なものですが、実際の医療の現場では究極には「個人の差」「一回性の問題」に行き着くということでもあります。

実は先週参加したCold Spring HarborのWorkshopの初日の講義「(いわば)統合失調症概論」で以下のようなことを知りました。
統合失調症発症に関する社会的なリスクファクターとして、都市で生まれることのほかに「移民」ということがあるそうです。
イギリスの統計をもとにしていたのだと思いますが(実際にはアメリカでも同様とのこと)、中でもAfricanやAfrican-Caribbeanが非常に高く、non-English whiteよりAsianは低い、というものでした(すみません、ノートを成田からの荷物に入れて送ってしまって、今手元に数字がありません。後でリスクが何倍かを入れておきます)。
解釈としては、移民には言葉の障壁や社会的差別等によるストレスがあるためであろう、Asianにおける発症が移民の中では少ないのは家族で移住するからではないか、という風に「説明」されていました。
ただ、どちらも単独移住が多いAfricanとAfrican-Caribbeanの間でも統計的な差があることについては良い説明がありません。
生物学的な差が何かあるのかもしれませんし、何かpsychiatric genetistsにはすぐ思いつかないような文化的・社会的な差があるのかもしれません。

生命科学分野の中では今、「環境」により「遺伝子の働き方」が変わる、ということ(エピジェネティックな変化)に大きな注目が集まりつつあります。
癌や生活習慣病の場合もそうですが、神経系の場合にはさらに、「学習」などとの関係からも興味をひいています。
面倒見のよい母ラットに育てられるかどうかによって、元々面倒見の悪い系統のラットの仔の脳の中の遺伝子の働き方(それは化学修飾によります)が変化したり、持続的なストレスを与えて(ラットにおける)うつ状態を引き起こした場合、そこに抗うつ剤を持続的に投与した場合などでも、DNAの塩基配列そのものは変わらなくても、そのスイッチの入り方(遺伝情報の発現)に差がでます。
「遺伝」と「環境」という意味で言えば、「どちらが大事」なのではなく「どちらも大事」ということです。

もちろん、ラットやサルではヒトの営みすべてをモデル化できる訳ではありませんから、そのような研究は人間の精神活動を理解する助けにはならない、という哲学もありえるでしょう。
チンパンジーに一生懸命言葉を教えても3歳児程度までにしか発達しないといいます。
「だから、チンパンジーの研究をしても意味がない」という立場もありますが、「じゃあ、チンパンジーとヒトとどう違うのか? 何がヒトの言語獲得に重要だったのか?」を調べてみようという研究も実際に為されています。
あるいは、ある言語障害の家系(KEファミリー)において、その障害と連鎖する遺伝子としてFOXP2という名前の遺伝子が同定されました。
障害のある方にはFOXP2遺伝子に変異があり、そうでない方には変異がないことから、この遺伝子が初のspeech geneとして登場したのが数年前のことです(『心を生みだす遺伝子』の中にも書かれています)。
まだ、この遺伝子がどのように言語機能に関わるのかについて、全貌は明らかになっていませんが、その遺伝子はマウスにも存在しており、運動を制御する脳の領域において働いていることが報告されています。
文法性を持った歌を学習する鳴禽の脳でもこれは同様なので、今後の研究により発話に関わる運動系の制御などの理解に繋がる可能性もあるでしょう。

*****
元エントリーで「アフリカンアメリカンで生物学の研究者は少ないように見受けられるが、これには(社会的な背景が非常に大きいことが予測されるが)生物学的な要因はあるのだろうか?」という意味のことを書き、これについては「人種差別的発言である」というところから、「男女差についても差別的態度なのではないか?」という思いこみのようなご批判を受けました。
元エントリーの「地雷」や、関連エントリーで「バリバリの生物学者」というような言葉で読者を煽ってしまった観があることは行き過ぎだったと反省しています。

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「女性はもともと理系に向かないのではないか?」ということについて「そうではない」「社会的背景がある」ということを支持するデータを出しておきます。
(プレビューしましたら、あまり画質が良くないようですが、今アクセスできるコンピュータではいろいろいじれないので、とりあえずこのままにしておきます)
15歳時点における数学リテラシーに男女差がない、というのは数学科の友人Kさんにネタ元を聞かないと分からないのですが、「理科を面白いと思うか」という質問に対して、だいたい小学校から中学校まではyesと答えた生徒に男女差はないのですが、その後、男女の差が開いていき、結果として大学進学時点で諸外国では理系が男女半々に近いのに対して、日本では3:1くらいになります(科学技術白書等参照)。
その原因として、周囲の環境が大きいのではないか、ということを表すのが右図になります。
これは文科省の「学校教育におけるジェンダーバイアスに関する研究(平成12-14年度)」からのものですが、中学2年生の男女それぞれに「将来、自分が科学や技術に関わる仕事についたら喜ぶと思う」ということを、「お父さん」「お母さん」がどう思うか、また「先生は私が理科で良い成績を取れると期待している」ということについて「とても当てはまる・だいたい当てはまる・あまり当てはまらない・当てはまらない」という選択肢で回答してもらったものを集計したものです。
お父さんよりもお母さん、そして教師の方がより「女子は理系に向かないのでは」というプレッシャーをかけている(それを子供たちが感じている)実態が浮かび上がります。

もし、本当に「アフリカンアメリカンの方が生得的には他のethnic groupと同程度生物学を指向するにも関わらず、社会的にそれが抑圧されているのかどうか」を調べるとしたら、同様の調査をすることが可能でしょう。
ただし、それはそういうニーズや欲求があればの話かもしれません。
上記は男女共同参画に関わるたくさんの方たちの努力によって、現状を改善するための前段階として実態調査がなされたということがあります。
ちなみに、上記の資料が手元にあるのは、明日、松田科学技術担当大臣に男女共同参画学協会連絡会委員長の立場でご面会することになっており、そのプレゼン資料から抜き出したからです。
頂いたコメントで「現状を変えるべく動いていない」というご批判もありましたので、一応、こういうこともしている、ということを説明しておきたいと思います。

だいぶ長くなりましたが、最後に、一連の関連エントリーの中で、コメントによりご指摘を受けた中で、私が重要と思うことにつきまして、以下取り挙げておきます。

<双子における遺伝率について>
「一卵性双生児における統合失調症の発症率は40-60%」という記載ですが、より正しくは「一卵性双生児の片方が統合失調症を発症した場合に、もう片方が発症する確率は40-60%」というのが一般の方には誤読の少ない記載です。
ご指摘有り難うございました。
双子の親御さんの方、ご心配(びっくり?)させてしまって申し訳ありませんでした。
もっと早くコメントバックしたかったのですが、沢山のコメントに埋もれてしまいそうでしたので、別エントリーにさせて頂きました。

<男性の乳癌について>
「乳癌は女性特有」とエントリーの中に書きましたが、女性の1/100くらいの割合の男性乳癌患者もいるといいます。
1/100という数字の信憑性につきましては、正確なことは専門書等に当たって頂いた方がよいと思いますし、生涯発症率としてどのくらいなのか知らないのですが、「(これは無視できない数字であるので?)、<乳癌は女性特有>という記載は改めるべき」とのご指摘を頂きました。
ご指摘のように訂正致します。
有り難うございました。

<フィンランド人について>
「フィン人はウラル語族の系統です。」という記載について、「人種と民族を混同している」旨のコメントを頂きました。ご指摘有り難うございます。
言いたかったことは、フィンランドの国民の多くを構成するフィン人は、おもにフィン語を使用するのですが、これはウラル語に属するもので、また、身体的にも同じ北欧のスウェーデン人とは異なる、ということです。
身体的な部分は、これまでに実際にお会いした(たかだか)数人のフィンランド人の方たちから私が感じる「印象」で(やや身長が低い、髪の毛の色、目の色が茶系など)、その分類としてどのように扱うのが適当なのかは知識がありません(どなたかお教え頂ければ幸いです)。

なお、Wikipediaを覗いてみましたら、下記のような記載になっていました。

現在のフィンランドの土地には旧石器時代から人が居住した。南には農業や航海を生業とするウラル語族のフィン人が居住し、後にトナカイの放牧狩猟をする、同じくウラル語族のサーミ人が北方に生活を営むようになった。 400年代にインド・ヨーロッパ語族のノルマン人のスヴェーア人がフィンランド沿岸に移住を開始し、居住域を拡大していった。


私のブログよりは影響力が大きいでしょうから、こちらを編集して頂いた方がよいかもしれませんね。

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昨日は成田に着いたのが夜の10時過ぎ。
時差解消にはこういうタイミングの方がよいかもしれない。
今日、明日は東京で用務。
by osumi1128 | 2006-08-07 08:27 | サイエンス | Comments(59)