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書評:『コンビニ人間』の恵子は個性的である(ネタバレあり)

今年の芥川賞受賞作『コンビニ人間』をようやく読了。実に興味深い作品だった。作者の村田沙耶香氏自身が、長年にわたり週3日ほどのコンビニバイトを続けているという経験にもとづいているため、コンビニ内の描写が実にリアル。誰もが知っているコンビニの裏側を知るという意味でも面白かったが、なんといっても主人公である古倉恵子がきわめて個性的なのが気に入った。
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冒頭で子どもの頃の恵子のエピソードがいくつか披露される。死んだ小鳥を焼き鳥にしてお父さんに食べてもらおう、と言って周囲にドン引きされたり、喧嘩をしている男の子たちを止めさせるのに、スコップで殴ったり。「だって、<止めて>って言ったから……」というのが恵子側のロジック。確かに、物理的に喧嘩を止めることにはなった。

こういう恵子の行動から、周囲は恵子のことを「変わった子」と見るようになる。恵子の「社会性に欠ける」点が「普通の」人々には付き合いづらいのだ。誰も、恵子の視点からも世界は存在することを理解できない。結果、恵子は貝のように口を閉ざすようになる。

だが、大学時代に、恵子は近所で新規開店したコンビニ「スマイルマート」のバイトとして働くようになる。そこには完璧な「マニュアル」があり、働く人間としてどのように振る舞えば真っ当か、実にわかりやすい。「コンビニのバイト店員」というドレスコードを纏うことによって、恵子は恵子らしい生活を続けていた。スマイルマートの店長は8代目になり、バイトの店員も多数入れ替わったが、恵子は勤続18年。結婚も就職もせずに……。

そこに、ある意味、さらに個性的とも言える人物が登場する。白羽という若い男性なのだが、35歳で職歴なしの割には、やたら高飛車で、自分はコンビニの店員にはふさわしくないと見なしている。ではなぜコンビニのバイトを始めたかというと、婚活のため。ほどなく、店に来た女性客をストーキングしたために解雇される。

白羽は恵子に対して「そんなコンビニバイト生活を続けていて恥ずかしくないのか?」という世間の常識を突きつける。そこで、恵子は白羽に「同棲しよう」と持ちかける。恵子の魂胆は、「なぜ結婚も就職もしないでコンビニバイトを続けているのか?」という周囲の目を誤魔化すため。

「契約」にもとづいて男女が一つ屋根の下で暮らすというシチュエーションとしては、TVドラマになった『逃げ恥』に共通する面が無くはない。ただし、食べ物に執着の無い恵子が作る料理は、「加熱されている」し栄養のバランスも考慮されているが、味付けされておらず「餌」のようなもの。白羽も食べられれば良いと納得。普段は浴室を自室として暮らす。実態を知らない妹や友人たちは、ついに恵子が「まっとうな」人生を選んだものと喜んだ。

だが、恵子の妹が恵子の部屋を訪れて、「コンビニバイトの女が無職の男を囲っている」というシチュエーションがバレる。白羽の義妹もやってきて借金を払えと言い、白羽は自分の借金を返済させるために、恵子のバイトを辞めさせると宣言。もっと良い会社に就職させようという作戦だ。コンビニという生きるための物差しを失った恵子は、昼も夜も無い生活に陥る。

ついに、白羽が探した就職先の面接に行くことになった恵子。会場に向かう途中で、同行した白羽が用を足すためにコンビニに入る。そこでは店長不在の中、バイトの店員が困っていた。スーツ姿の恵子は、コンビニ本社社員を装って、自ら棚を直したりバイト店員にアドバイスをする。そうして、自分は「コンビニ人間」であることを自覚し、白羽からも去ることを決意する。

こうして、あらすじにしてしまうと、随所に散りばめられた「恵子らしさ」が失われてしまって残念なのだが、恵子はその名前に似合わず実に個性的だ。研究者という生業を続けている私には、周囲にまぁ、一風変わった友人や知り合いも多いので、そういう人々との繋がりの中に恵子がいる。研究でも「自閉症スペクトラム障害(ASD)」のメカニズムを追求しているので、恵子の行動や思考パターンには、ASD的な点もあると感じる(詳しくは拙著『脳からみた自閉症 「障害」と「個性」のあいだ』参照)。そういう意味で、本書はとても興味深かった。
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「個性」とは何だろう? 平均値から離れていることが「個性」なのだろうか? だが、種々の指標に関して平均的であること自体も「個性」と言えるのではないか? 今年立ち上げた文科省のグループ研究、新学術領域『多様な「個性」が創発する脳システムの統合的理解』では、あと4年余の間に「個性学」とも呼べる学術領域を築くことにチャレンジする。多様な個性が活かされる社会に貢献できたらと願う。
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by osumi1128 | 2016-12-29 11:37 | 書評 | Comments(0)

『とめはねっ!』で現代の書道の動向を知りました

高校時代、芸術系の科目として音楽、美術、工芸、書道の四択があって、書道を選択していました。PC時代になって、手書きが読めないくらい悪筆の現在からは想像できません……。うちの学生さんとのやりとりでも、学生さんはこっそり秘書さんに私の手書きのコメントの読み方を訊いていたりするくらいです。小学校、中学校は祖父の影響もあってマシだったはずなのですが……。ともあれ、その書道の授業は面白かったです。判子を彫ったり和綴じを習ったり、単に書くことだけではなかったこともあり。

最近になって『とめはねっ!』という漫画を一気読みしました。舞台が鎌倉市にある高校ということも馴染みがあって、随所に懐かしい地名もあり。篆書、隷書、あるいは前衛書などの解説も久しぶりに面白かったです。
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でも、びっくりしたのは、高校書道部の全国の大会のレベルがものすごく高くなっているという事実。揮毫のパフォーマンスの大会などがあることも初めて知りました。

普段、自分の気持ちや考えを表すには、はるかにキーボードを使う方が手書きよりも楽なのですが(漢字が出てこないことも多いですし……)、やっぱりアナログな世界も大事だなぁと思いました。「臨書」といって、要するに過去の素晴らしい書をお手本に書き写す、それによって、原著の技術や精神性を学ぶというスタイルがありますが、これなんて、コピペしてしまったら何にもならない。最初から最後まで書き損じもできない緊張感の中で、3000字もの大作を仕上げるなど、精神的にもタフになるでしょうね。

先日のソウルの学会場で見かけたハングル文字の書を再掲します。きっと、この作者のスタイルなのだろうと想像するのですが、内容が読めないというのが悲しい……。
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by osumi1128 | 2016-07-25 23:37 | 書評 | Comments(0)

井村先生の『健康長寿のための医学』(岩波新書)

京大総長を務められた井村裕夫先生は、神戸市立医療センター中央市民病院院長や初代の総合科学技術会議議員等の要職を経られ、現在は先端医療振興財団理事長や稲盛財団の会長を務めておられる。すでに多数の医学関係の書籍を出版されているが、この2月に『健康長寿のための医学』というご高著を岩波新書として上梓された。
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井村先生は京都大学医学部卒の内科医としてのバックグラウンドから、人体の成り立ちについて広い見識を持っておられるだけでなく、「進化医学」や「先制医療」などの重要なキーワードを社会に浸透させるのに重要な役割を果たしてこられた。今回の書籍ではさらに広げて「ライフコース・ヘルスケア」という概念を提唱されている。年をとってからの病気を予防する上では、成人期からではなく、青年期、あるいは胎児期まで遡ったケアが必要であるという考え方だ。

また、健康状態や疾病の発症は、その個体よりも前の世代の影響も受ける。この概念は「DOHaD仮説」(Developmental Origin of Health and Deseaseの頭文字を取ったもの)もしくは「発達プログラミング仮説」とも呼ばれ、前世紀終わりから着目されつつある(拙著『脳からみた自閉症』の中でも触れた)。第2次世界大戦時のオランダでの大飢饉の頃に胎児期を過ごした人が成人になってから、心疾患、糖尿病、高血圧やメタボリックシンドロームの発症が増加した。同様な結果はイギリスのバーカーも報告しているが、バーカーはさらに古く、出生時の低体重と成人期の虚血性心疾患の発症に相関性があることを見出していたため、「バーカー仮説」と呼ばれることもある。さらにSusserらは、オランダの飢餓後のコホート調査により、統合失調症の増加も報告している。なぜそのようなことが生じるのかについては、ぜひ本書の第5章を読んで頂きたい。

本書ではさらに発達期のストレスの問題、母親の痩せ願望によると考えられる低体重出生の増加なども取り上げられているだけでなく、精子から子どもに伝わるエピジェネティックな変化など、最新の基礎研究についても触れられている。医学は一生、勉強し続ける必要があるが、85歳を超えられてなお最先端の研究動向を消化されている井村先生には、尊敬の念を禁じ得ない。

第2次世界大戦以降、乳幼児の感染症が激減したことにより、平均寿命がどんどん伸びて、日本では2014年時点で女性が86.83歳、男性が80.50歳となった。115歳くらいまでは生きられるとも言われているので、医療はこれまで以上に長いスパンで考える必要がある。受精から発生、発達、そして成人期から高齢期へと、人体は時間とともに変化する。増大する医療費を抑えるためには、「ライフコース・ヘルスケア」が必須であろう。そして、従来の「予防医学」よりも一歩先んじて行う「先制医療」に取り組む必要がある。そのためには、大規模かつ長期のコホート研究や、個人の遺伝子型の同定や各種バイオマーカーの探索も重要といえる。

本書は、健康に気を使われる方であれば是非、読まれるべきである。また、今年の学部生向けの「お勧めの本」に加えておきたい。

【関連リンク】


by osumi1128 | 2016-05-09 23:17 | 書評 | Comments(0)

黒木先生の『研究不正』はバイブルになる

過日、お世話に鳴っている黒木登志夫先生の「傘寿+出版記念お祝い会」が開かれ、仙台から馳せ参じた。そのようなお年にはまったく見えないので、暦年齢として115歳くらいを目標に長生きされてほしいと願っている。ちなみに、お祝い会の最後にスピーチをされた現日本数学会会長の小谷元子先生(東北大学大学院理学研究科教授、総合科学技術イノベーション会議議員)は、目標125歳とのこと。
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今回、黒木先生が上梓されたのは『研究不正 科学者の捏造、改竄、盗用』というもの。中公新書としては『がん遺伝子の発見ーがん解明の同時代史』(1996年)、『知的文章とプレゼンテーション 日本語の場合、英語の場合』(2014年)、『iPS細胞 不可能を可能にした細胞』(2015年)に続く4作目。ちなみに、『がん遺伝子の発見』は山中伸弥先生の「心の糧」にもなった名著。今回のお祝い会では、山中先生からはビデオメッセージが届いていた。

本書で何より圧巻なのは、国内外の種々の分野にわたる42もの事例について、黒木先生ならではの解説が為されていること。論文撤回本数ワースト1位の日本人研究者から、ノーベル賞に絡んだHIVウイルスの発見者、お札にまでなっている野口英世も取り上げられている。拙著『脳からみた自閉症』にも取り上げた「ワクチンによって自閉症が生じる」という論文がまったくの捏造であったこと(ウェイクフィールド事件)などは、もっと多くの方々に知って頂きたいと思う。多数のケースを読むことにより、不正の背景や起こりやすい条件が帰納的に浮かび上がる。

先月、日本内分泌学会という学会で研究不正に関するシンポジウムに登壇した折、「捏造が生まれる瞬間」というタイトルのスライドを入れて、ボスからの過度のプレッシャーは、そういう条件になりうるという説明をしたが、「たとえそうであったとしても、不正をするかしないかは本人次第」「親の教育なども重要ではないか」などのご意見を質疑応答時に頂いた。もちろん、親御さんの育て方から、初等中等教育の問題もあるが、だからといって高等教育機関の教員が何もしなくて良いという訳ではないと思う。まずは現状把握に関して、黒木先生のご著書を参考にして頂きたい。

ともすると暗鬱な気持ちになりがちなテーマではあるが、本書では随所に黒木先生らしいユーモアが隠されている。例えば、山中先生とツーショットを撮られた画像の、黒木先生ご自身の額から上の部分に、お若いときの画像から豊かな髪を切り取って貼り付けるなどは「改竄」にあたる、など。ちなみに、このエピソードに、山中先生が「私の髪も増やしてほしかった」とビデオメッセージでも突っ込みを入れておられた。

最後の章「研究不正をなくすために」のサブタイトルを載せておきたい。
1.研究倫理教育
2.若い研究者だけの問題ではない
3.研究不正の「ヒヤリ・ハット」
4.風通しのよい研究室運営
5.共有化の確保
6.研究組織の責任
7.研究不正はなくなるか
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(黒木先生、小谷先生と記念のショット)

【こっそり追記】実は、本書は原稿の段階で読ませて頂き、謝辞にも取り上げて頂きました。とても光栄に思っています♫

【参考リンク】
拙ブログ:

黒木先生によるiPS細胞解説本

今回、黒木先生のご高著と同日に発行された拙著『脳からみた自閉症 「障害」と「個性」のあいだ』(ブルーバックス)
by osumi1128 | 2016-05-01 22:48 | 書評 | Comments(0)

最相葉月さんの東工大講義『生涯を賭けるテーマをいかに選ぶか』

d0028322_23183514.jpgノンフィクション・ライターの最相葉月さんが、東京工業大学のいわゆる教養科目で、金曜日の朝1限、200名を超える学生相手に4ヶ月にわたって12名の研究者等を取り上げて「生涯を賭けるテーマをいかに選ぶか」という講義された。そんな講義が身近であったら、是が非でも、もぐりで聴講したいが、幸い、その内容は書籍という形で読める。『生涯を賭けるテーマをいかに選ぶか』(最相葉月著、ポプラ社)で取り上げられたのは以下の方々(敬称略)。

最相葉月(兼ガイダンス)
下村脩:ノーベル化学賞受賞
山内一也*:感染症研究
マリー・キュリーと弟子・山田延男:物理学
佐々木玲仁*:原子核物理学から心理学へ
ウェクスラー家の人々:ハンチントン舞踏病研究のための民間活動
古澤満*:分子進化学
江坂遊*:システムエンジニア兼ショートショート作家
猿橋勝子:気象科学者
石田瑞穂*:地震学者
中井久夫:精神科医
柏野牧夫*:聴覚研究者
ジャニン・べニュス:バイオミメティクス研究者

*印を付けた方は、なんとゲストとして講義に登場。実に贅沢な科目である(溜息)。

すでに、最相さんの著書『いのち 生命科学に言葉はあるか』『ビヨンド・エジソン』『セラピスト』で取り上げられていたゲストの方も多いが、若い学生さんとの質疑応答やメッセージが、それぞれの経験や立場から伝えられているのがいい。ロールモデルは多様であればあるほど参考になるのだ。

とくに、物理学から転向して臨床心理士として仕事をされている佐々木玲仁氏や、システム開発のキャリアと作家業を両立されている江坂遊氏など、二足の草鞋というかデュアルキャリアというか、東北大学出身のノーベル賞受賞者である田中耕一さんの言葉によれば「π型人間」(軸足が二本ある)的な方が取り上げられていることは、これからますます発展しそうな融合的な分野に進みたい方にとって、良いモデルとなるだろう。

私自身の研究分野に近いのは古澤満先生。古澤先生には助手の頃にお目にかかっており、提唱されている「不均衡進化説」自体は折込み済み。でも、学生さんへのメッセージとして「自分がやりたいことが決まったら、それを常に頭の中に浮かべておくことが大事」というのが心に残った。天才なら何かを発見してやろうと思って考えてできるかもしれないが、「普通の人間は無理やりに、頭にいつも目標を描きながら生活するしかない」とのこと。科学者としては、どんなに雑事があろうとも「これを知りたい」という目標を頭の隅に置いておくのが良い。

一方、NTTコミュニケーション科学基礎研究所で聴覚研究をされている柏野牧夫氏が、自閉症の病態理解に独自のアプローチで迫ろうとしているのが印象的であった。最相さんにとってはご著書の『絶対音感』の延長上に、自閉症の方の感覚が「絶対音感的」なことが位置するのだと思うが、私自身、研究の出口を自閉症等の発達障害に置いているので、一度お話を直接伺ってみようと思う。柏野氏のメッセージは「結局好きなことをやるしかないんじゃないか。……あれこれ考えて、仮説立てて試してみたら、この間よりちょっとうまくなったっという、その小さい部分が一番おもしろい。わりとそういうことだけで、きています。」とのこと。

もう一例、治療法が見つかっていない神経難病であるハンチントン舞踏病の理解や研究推進のために、財団を設立するなどしているウェクスラー家の方の話は武藤香織さんによる翻訳本『ウェクスラー家の選択』で知っていたが、改めて、科学研究を推進するのは科学者・研究者だけではないことを感じた。

さて、最相さんにとっては「テーマがすべての原動力」(オビより)とのこと。
テーマがある限り、
たぶん私は仕事を続けていきます。
それは研究者のみなさんにも
通ずるところがあるのではないか。

年の瀬に来し方を振り返り、来る方向を見据える上でも、本書がちょうど良い機会となった。

【関連拙ブログ】




by osumi1128 | 2015-12-29 23:17 | 書評 | Comments(0)

お勧めの本『ワンダー きっと、ふるえるー』

本書の主人公オーガストは「ふつうの男の子。ただし、顔以外は。」という設定になっている。生まれつき顔の形成に異常がある10歳の男の子が、米国の小学校で過ごした1年の間の出来事について、本人、姉、本人の友達、姉のボーイフレンド、姉の友達などの視点から描かれている。フィクションだが、作者のR・J・パラシオ氏の体験したエピソードに基いて構想され、きちんとした科学的な取材も為されている。

実は、初めて携わった研究が顔面発生craniofacial developmentであるため、東北大学の医学部や歯学部の「人体の発生」についての講義の中でも、顔の発生とその異常については、ついつい思いを込めて話をしてしまう。顔が「普通に」発生するだけでも、どれだけ多数の遺伝子たちが正常に働く必要があるか、その働きを阻害するような薬物としてどのようなものがあるか、生まれた時点で体の形に異常のある「先天奇形」の頻度はどのくらいか、などなど……。そして、日本人で頻度の高い口唇裂の子どもの画像を見せながら「この子どもの奇形をなぜ治療する必要があるのか」という質問をする。引き出したい答えは、医学的な理由だけでなく、「顔」が人間にとってはそのアイデンティティの象徴でもあるという、認知的、心理的な側面もあるということ。締めくくりの言葉は「この教室にいる皆さんは、こんな複雑な発生過程がすべてうまくいって、ここにいるのです。奇跡だと思いませんか?」

オーガストは顔の奇形があるために、「チーズえんがちょ」などのいじめに合う。物心ついてから慣れているとはいえ、信頼している友達に裏切られたと気づいたときには、とても落ち込む。たまたま行きがかり上、オーガストのことを悪く言ってしまった友達は、そのことがオーガストの耳に届いたと知って深く後悔する。小さい時から弟の顔を見慣れている姉でさえ、心の片隅に「自分の弟が奇形だと友達に知られたくない」という気持ちがあることに気づいて、そのことに傷つく。本書には、そんな子どもたちの心の揺れの様子が、普通のことばで書かれている。400ページを超える本なのに、どんどん読み進められるのは、会話を自然な日本語に訳された翻訳者の力量の賜物である。

オーガストは顔の奇形はあるが、とても頭がよく、ユーモアのセンスもある。その人柄によって友達を得ていき、やがて意地悪な同級生の側にいた子もオーガストを助け、クラスの結束力が固まるところが本書のハイライトではあるが、この達成感・爽快感を味わえるのは、それまでのエピソードでかなり心がふるえさせられるから。

実は、本書を翻訳された中井はるのさんから依頼を受けて、ごく一部、遺伝学のあたりについて翻訳が適切かどうかなどの確認に関わらせて頂いた。ネット上の書評などから、本書がすでに多数の方に読まれて、その心を「ふるえ」させていることがよくわかる。科学者である私も、心から本書をお勧めしたい。ただし、人前では読まないように。心がふるえて対応に困るかもしれません。

印象的なカバーや章の扉のイラストは、Tad Carpenter Creativeというチームによるものらしい。オーガストの顔だけでなく、他の登場人物のイラストも片方の目のみしか描かれていないのは、誰も完璧な人間ではない、という本書の通奏低音を可視化したもののように感じる。

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by osumi1128 | 2015-08-16 17:19 | 書評 | Comments(0)

天才X努力:『荒木飛呂彦の漫画術』を読み終わって

d0028322_23144472.jpg荒木飛呂彦さんは天才だ。それは、2013年の東北大学ホームカミングデーの基調講演に登壇して頂いたときに、十分わかったのだけど、それに加えて努力家だったのだと本書『荒木飛呂彦の漫画術』を読み終わって痛感した。

漫画を成り立たせている要素として「キャラクター、ストーリー、世界観、テーマ」の4つがあり、それらを増補し統括するのが「絵」と「セリフ」だという。

そのキャラクターを作るのに、詳細な「身上調査書」をまず作成して、登場人物の性別、年齢、生年月日、血液型、出身地、慎重、体重、髪の色、瞳の色、学歴、将来の夢、恐怖、性格、特技、癖……と、本当に細かくいろいろな情報を予め決めておくことが大事。その細かさが半端ない。そうでないと、描いている間に矛盾が生じてしまったりするからだという。

本書は30年以上漫画を描いてきた荒木さんが、「王道漫画」を描くための「黄金の道」を記したものであり、いわば「企業秘密」ではあるのだけど、漫画の世界をこよなく愛しているからこそ、後に続く方が本書を「地図」として、自分を超えていって欲しいと願うのだろう。

頂点を目指すには、「単に一過性でヒットすればいい」と思っていては駄目だと釘をさしてもいる。これはおそらく、どんな分野であれ本当のことだと思う。努力し続けることができること自体も天才なのかもしれない。

荒木さんの漫画の描き方は、デビューの頃と比べて徐々に変わってきた。それは、ご自身の絵の描き方自体も、プロとしてトレーニングされ、洗練されていったからであるとともに、時代の流れをきちんと取り込んできたからでもある。「変わる」ことによってこそ、常に「変わらず」新しい感覚を備えた漫画になるということも、他の分野でもその通り。

本書における「漫画」を「論文」に置き換えて、いろいろ考えてみることにする。


by osumi1128 | 2015-06-14 23:35 | 書評 | Comments(0)

HIV研究最前線:『完治 HIVに勝利した二人のベルリン患者の物語』

実は、日本の若者のHIV感染者は増えている。

東京都は、2014年に都内の保健所や医療機関で新たに確認されたエイズ患者とエイズウイルス(HIV)感染者の合計が前年より43人多い512人だったと発表した。20代のHIV感染者は148人で過去最多だった。都は若者の間でエイズ予防の知識が不足しているとして対策に乗り出す。(m3記事より引用)
良い抗ウイルス薬などの治療法の進歩により、現在ではHIVに感染しても、発症を抑えこむことが可能になっている。原著『Cured: How the Berlin Patients Defeated HIV and Foreover Changed Medical Science』が発表されてから、非常に短い時間で訳書が岩波書店から本書『完治 HIVに勝利した二人のベルリン患者の物語』が出版されたことは、実に英断だと思う。
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著者であるナターリア・ホルトは、自身がHIVの研究者だ。実験中に、誤ってHIVウイルスをマウスに注射するための針で指を刺してしまう、という描写から本書は始まる。淡々とした語り口で、1980年代から2013年までに、HIV感染患者をどのように治すかという研究が進んできたのかが説明される。欧米ならではかもしれないが、駄目もとでも臨床試験をしながら治療法が模索されてきた様子がリアルに描かれる。自ら進んで臨床研究に参加しよう、という意識を持った患者がいなければ、治療法の確立へ向けた研究は進まない。

副題となっている「ベルリンの患者」は、HIVに感染しながら、初期に治療を開始したことにより、重篤な症状を発症しない状態が何年も続いているという2人である。それぞれの症例は治療のやり方にも異なる点があるが、帯にあるように「たった二人の症例が 医学の道筋を 大きく変えた」のだ。
「一つの偉大な物語は、必要なものすべてを網羅したデータ一式より人の心を動かすことがある。科学の進展に物語が与える影響力を、私たちはけっして過小評価してはならない」。
後半に出てきた、この文章がとてもいい、と思っていたら、「訳者あとがき」の中で取り上げられていた。訳者にとっても思い入れのある、力のこもった文だったからだろう。全編通じて、非常に読みやすい日本語になっている。

もう一つ印象に残ったのは、エイズは決して治らない病気ではなくなったが、HIV感染者への偏見が無くなった訳ではない、という記述。このあたり、もしかすると日本の事情はさらに違うのかもしれない。

本書には、かなり専門的な医学研究の内容が含まれつつも、中心となっているのは、さまざまな立場の「人間」である。HIV感染をカミング・アウトするかどうか心を痛める患者、その家族やパートナー、自分自身もゲイであり、患者に寄り添って治療する臨床医、HIVを克服するための研究に熱意と競争心を燃やす研究者、医学研究を支えることを生きがいとする大金持ちの慈善家……。それらの人物が交錯する中で、HIVウイルスが追い詰められていく、まるで推理小説のような印象を持った。

物語は2013年の時点で終わるが、研究は今でもさらに続いている。一つの論文が世にでることは、次のいくつもの論文のための始まりである。医学研究の物語は果てしなく続く。

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【お知らせ】
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来週月曜日は、再び「週刊ダイヤモンド」に拙コラムが掲載されます。今回はiPS細胞を用いた再生医療最前線のお話です。

by osumi1128 | 2015-04-09 22:23 | 書評 | Comments(0)

『あなたは理系女子?』と『嘘と絶望の生命科学』

d0028322_22114042.jpg総合科学技術会議・イノベーション会議常勤議員の原山優子先生は、東北大学工学系研究科教授の頃から存じ上げていますが、お孫さんがいらっしゃるとは思えないくらいのパワフルな方で、大ファンです。その原山先生のご著書『あなたは理系女子? YUKO教授がつぶやく超「理系女子』論(イノベーションのための理科少年・少女シリーズ⑦』が言視舎から刊行され、過日ご恵贈頂きました。

原山先生は、銀座の良家の子女として幼少時代を過ごし(何でも「なぜ?」と訊く「なぜジョ」だったというお話ですが)、女子校に進むものの、お祖父様の勧めにより14歳で渡仏され、いったん帰国するものの、国内でバカロレア試験を受けて、大学はフランスで数学を専攻されます。
その後、ご結婚・ご出産を機に専業主婦をされたのち、ご主人の転勤に合わせてジュネーブへ。そこで今度は教育学と経済学を学ばれ、さらにスタンフォード大学の研究生として「イノベーション論」を学び博士号を取得。ジュネーブ大学で職を得て助教授になるも、経済産業研究所(REITI)に請われて帰国。そして、東北大学工学系研究科の教授になられて、MOT関係のお仕事の傍ら、CSTPの非常勤議員もこなされていたかと思えば、再度、渡仏されOECDの次長職に就かれ、レジオンドヌール勲章も授与されて、それはスゴい、と思っていたところ、ご帰国になってCSTP常勤議員に、という、波瀾万丈というか、ドラマティックなキャリアパスです(本書の第二部「とらわれない生き方」参照)。

そんな原山先生は男性からもファンが多いのですが、本書も「リケジョの勧め」のように見えつつ、実は「ジェンダーを超え、国境も超え、ワールドワイドに活動するための思考法と行動原理」を提示しており、男女関係なく参考になると思います。

大事なポイントは「二分法を超える」、「理系・文系」という呪縛から離れること。「はみ出す」ことを恐れないこと。「ななめからものを見る」こと。第一部の2節が実践的なアドバイスに満ちています。

中学3年生くらいから高校生、大学生、そして中学、高校の教員の方々にも是非、お勧めしたい書籍です。

拙ブログ:OECDに行ってきた


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本日ご紹介するもう一冊、『嘘と絶望の生命科学』(榎木英介著、文春新書)は、これまでに『博士漂流時代』や『医者ムラの真実』などを書かれた榎木さんの近著。帯にはこんなコピーが……。

カネと名誉と成果
ブラック企業化する研究室
STAP細胞事件の背景をえぐるレポート
これまたずいぶんと煽るなぁ……とドキドキしながら読み進めたのですが、いちおう想定内のものでした。

STAP論文をめぐって騒ぎが大きくなったときに、「生命科学分野でなぜ、このように論文不正が多いのか?」と訊かれることがありました。複数の要因があり、それらは絡みあっていて、何から挙げるのが良いかは難しい。きっと、その方の立ち位置によるのでしょう。

榎木さんがもっとも重要視しているのは「バイオ研究は労働集約型である」という点です。ここで言う「バイオ研究」とは従来の自律的・牧歌的な「生物学研究」ではなく、多数のピペド(ピペット奴隷もしくはピペット土方)が研究を支えるような構造になっている状態と捉えておられます。

その次に挙げられているのが「大学院教育の抱える問題」です。20年前の「大学院重点化」以降、大学院の入学者数が2003年頃にピークを迎え、その数年後、2006年を堺に日本から出される論文数が、世界的な傾向とは逆行するように減少していったことは、まったく関係が無いとは思えません。ここで問題だったのは、大学院生の数を増やしたときに、教員の数も比例して増やさなかった(むしろ、その後、運営費交付金の削減により、技官や若手教員ポストが減っていった)ことがあります。

さらに「生命科学の産業化」に言及されています。これは、科学技術基本計画に「ライフサイエンス」が重点分野として盛り込まれたあたりからが本格化したものと思われます。

その他、「論文雑誌の罪」などもありますが、このような背景をもとに、バイオ研究では研究不正が生まれやすいのではないかと議論されています。

私自身は、時代的に榎木さんよりも淘汰圧が低い環境で育ち(ジェンダー問題はここでは置いておくとして)、現在まわりを見渡しても、ここで例示されるほど「奴隷」のように働いている方を目にしないので、今ひとつ「ピペド」という言葉には実感が無いのですが、生命科学の領域によっては「職人的」な面や、時間をかければかけるほど成果が上がる実験があることは理解できます(個人的には「職人的」な面はむしろ好きです)。また、生命科学分野で輩出される大学院生の数に見合って、バイオ系の産業が日本で育ってこなかったことも事実です。国立大学の独立行政法人化にせよ、競争的資金の増加にせよ、種々の施策の悪い面の影響がとくにこの10年くらいの間に蓄積してきたこともあります。

もしかすると、これらのさらなる背景としては、戦後の経済成長時代と同じ発想から逃れられない硬直化した組織、という構図があるのかもしれません。この閉塞感から脱却するには、集団の中のマイノリティーの「ななめから見る」発想が大事なのかもしれないと考えています……。

やれやれ、この分野はどうも、書評というより、自分の意見になりがちですね……(反省)。


by osumi1128 | 2014-07-29 23:24 | 書評 | Comments(0)

『背信の科学者たち』にみるデジャブ

紀元2世紀:プトレマイオス(天文学)
17世紀初期:ガリレオ(物理学)
17〜18世紀:ニュートン(近代物理学)
18世紀:ベルヌーイ(数学)
19世紀:ドルトン(化学)、メンデル(遺伝学)、ダーウィン(進化学)
20世紀:バート(心理学)、野口英世(細菌学)
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科学の世界にいれば誰もがその名前を知っている上記の偉大な科学者が、すべてなんらかの「研究不正」、あるいは不正と言わないまでも、科学者としての倫理規範に抵触していた、という事実は、案外知られてはいません。いわば、研究不正は科学の歴史とともに、どんな分野においても存在したと言えるのですが、その数が増えてきたのは、明らかに科学が国家と結びついてからでしょう。

欧州出張の機上でちょうど読み終えた本書『背信の科学者たち 論文捏造はなぜ繰り返されるのか?』(講談社)の原著は、1970年代からの米国における論文不正事件の多発を背景として1982年に発行され、その和訳の初版本は化学同人社から1988年に出帆されました。日本でもいくつかの科学不正事件が生じたことを背景に2006年に講談社からブルーバックスとして再出版されたものの、絶版になっていたのですが、(幸い)STAP細胞事件がきっかけでこの6月に再刊になりました。電子書籍としても読めます。原著者はウィリアム・ブロードと、ニコラス・ウェイド。どちらもプロの科学ライターで、Science、Natureなどの科学記者として、さらにはNew York Timesなどの新聞でミスコンダクト報道に関わってきた方です。科学史や科学技術論にも詳しく、本書はそういう分野の資料としても役立ちます。訳者である牧野賢治氏は、初版発行時には毎日新聞の科学記者をされており、その後、1980年代末から2009年まで東京理科大学で科学地術社会論を教えられたとのこと。

本書「まえがき」には次のようにあります。
 これまでの伝統的な科学観によれば、科学とは精密な論理のプロセスであり、客観性こそ科学研究に対する基本的な態度である。科学における主張は、綿密な検証と追試(再実験)によって厳格にチェックされる。こうした自己検証的な科学のシステムによって、あらゆる種類の誤りはすみやかに容赦なく排除される。

筆者らは、このような伝統的な科学の性質に対する見解に疑問を持ち「科学が現実にどのように機能しているかを探求」すべく本書を著したと言います。その結果わかったことは、大多数の論文は誰に顧みられることもなく、追試も検証も為されないこと、科学者自身が他の科学者の不正に気づいたとしても、それを質さないこと、科学者もその社会の権威に弱いことなど、上記のような科学者が信じている「自己検証的な科学のシステム」は、実際にはうまく働いていないということでした。

本書では、1981年に米国下院科学技術委員会における証人喚問の場面から始まります。調査小委員会の議長はアルバート・ゴア・ジュニア、証人として召喚されたのは米国アカデミー会長のフィリップ・ヘンドラーその他の科学者。取り上げられていた問題は、ハーバード大学やエール大学という一流の研究機関で生じた研究不正についてでした。その場において、証人である科学者たちが「科学には自己検証機能がある」ことを繰り返したことが、議員たちの不満を募らせたと本書には記されています。「…データの捏造者の比率がいかに小さいものであっても、事件が二〜三ヶ月に一件表面化するだけでも、科学に対する信頼は深刻に損なわれてしまう」のに。

冒頭のプトレマイオスを始め、本書では多数の研究不正エピソードが取り上げられていますが、中でも私が注目したのは「第3章 立身出世主義者の出現」で取り上げられた「アルサブティ事件」です(以下、ネタバレですので注意)。

イラク出身のエリアス・A・K・アルサブティは、17歳でバスラ医科大学に入学し、「ある種のがんの検出に有効な検査法を開発した」ことを政府に伝え、政府はよく調べもせずにアルサブティをバグダット医科大学の5年次に入学させて研究資金を与え研究施設を作らせた。がんの検査法開発は実際には芳しい成果とはならず、代わりに労働者のがん検診を行って金を稼いだ。社会主義国家においてこのような金稼ぎが問題となったときには、すでにアルサブティは国外逃亡。ヨルダンのハッサン皇太子に近づき、フセイン国王医学センターでの研究を認めさせた。さらにヨルダン政府に依頼して米国派遣。アルサブティが参画したのはテンプル大学の微生物学者ハーマン・フリードマンの研究室だった。まずは無給のボランティアとして仕事が与えられ、大学院課程で学んだ。この間にも新しい白血病のワクチンに関する捏造論文を書いていたが、ともあれ学位取得が繰り返し失敗であったために、テンプル大学は去らなければならず、次にジェファーソン医科大学のE・フレドリック・ウィーロックのもとに移った。ウィーロックはアルサブティを「ヨルダン王族の若くして才気にあふれる学生」であると信じこみ、ラボメンバーに加えた。その1万ドルの資金援助はヨルダン当局から為された。この間に、博士号を取得していないにも関わらず虚偽の身分を騙ったりしたが、ラボ内でのデータ捏造が同僚から告発され、ウィーロックはアルサブティを解雇する。ラボを去る際に研究費申請書と論文原稿を持ち出し、それらを用いて盗用の論文を「チェコスロバキアの雑誌」に発表するも、ウィーロック研のめざとい学生に発見される。その頃、アルサブティはテキサスのM・D・アンダーソン病院に異動していたが、これも、病院トップとかけあって「ヨルダン国軍の軍医総監」の紹介状を見せて、まんまとポジションを得たもの。この時代にアルサブティは論文を盗用により量産し、「無名の雑誌」(日本のものも3つあり)に送りつけて掲載を勝ち取っている。自身の所属先をヨルダン王立科学協会やイラクの私設研究室にすることにより同僚の目にふれさせず、投稿先が人目につかない雑誌であったために、盗用された方の著者もまったくわからずに論文不正の発覚には時間がかかった。アルサブティが24歳の時点で履歴書には43編の論文がリストされており、虚偽のPhDも書かれていた。アルサブティはその後も捏造論文を量産し(2年で20本程度のペース)、アメリカ・カリブ大学での学位を取得し、バージニア大学での医学研修プログラムに採用されたが、不正は最終的には発覚する。1980年には自分の論文を盗用された原著者たちが騒ぎ出し、『サイエンス』誌にも事件が掲載されたのである。

論文がインターネットで検索できる現代であれば、アルサブティの不正はもっと早くわかったのではないかと思いますが、この事件にしろ他のものにしろ、「不正は繰り返される」「より助長され悪質になる」という原則が見て取れます。それにしても、次々と所属先を変える際に、採用者がアルサブティの経歴をきちんとチェックしなかったことは、数年にわたって彼が捏造論文を量産できることにつながり、多くの科学者が自分の論文を盗まれることになったのではないでしょうか。

科学者の営みは、突き詰めれば真理を探求することですが、もちろんそのことに伴う「名誉」も大きなモチベーションになることは、他の職業となんら変わらないでしょう。程度の差こそあれ、名誉欲は誰にでもありえるもので、それは小さな子どもが親から褒められたいという気持ちの延長にあるものです。

現代の科学者が不正の誘惑にかられる背景には、「名誉」に加えて「職を得る」ことや「研究費を獲得する」も加わります。原著の書かれた1982年という時代背景には、冷戦終結とともに、米国の国家予算配分が軍事から科学研究に大きくシフトしたことがあります。巨額の資金が科学分野、とくに生命科学分野に流れ込みました。その結果、研究人口が増加し、研究者間の競争が厳しくなったことが研究不正の通奏低音として響いています。日本では当時はまだ対岸の火事だったのですが、1996年に制定された「科学技術基本法」以降、科学と産業の結びつきが強くなり、米国の後を追いかけて研究不正が生じているように感じます。本書で挙げられている研究不正の例は、歴史的な順序は逆なのですが、今、日本で起きているいくつかの重大な事件の既視感があります。

原著の刊行以降も、「ボルチモア事件」など、とくに生命科学・医学領域で多発した研究不正を受けて、1989年に現在の研究公正局(Office of Research Integrity, ORI)の前身であるOffice of Scientific Integrity(OSI)が設立されました。これは米国国立健康研究所(NIH)予算に関わる研究不正を扱いますが、組織的にはNIHから独立しています。また、1990年代半ばからは大学等の研究機関における研究不正の処理手続きが整備されてきました。ORIは、起きてしまった不正への対応だけでなく、その予防としての教育にも力を入れています。先般、ORIのトップが辞任するという報道が為されたところですので、「日本版」ORIを設立するのであれば、現状に則した実行性のあるものでなければならないでしょう。


by osumi1128 | 2014-06-30 22:41 | 書評 | Comments(0)