<   2005年 09月 ( 26 )   > この月の画像一覧

こんばんわ

ジンパとサンパと火事と悪臭

先生がブログ書いておられるとは知りませんでした!
とても楽しい内容で面白く読ませて頂きました。
by osumi1128 | 2005-09-29 23:39 | Comments(1)

内田直滋さんのセミナー

昨日は歯科基礎医学会サテライトシンポジウムで神経堤細胞の話をした。
10年前には神経堤細胞をテーマとしてセッションが組まれることなどほとんどなかったので隔世の感がある。
演者の一人が大熱弁をふるって大幅に時間が超過して、そのセッションの最後だったのでかなりはしょって話をしたが、「神経堤細胞、面白いでしょ!」というメッセージは伝わったのではないかと思う。

昨日の夕方からCold Spring Harborの内田さん(今度Harvardで独立される)が来仙され、今朝から生命科学のI先生、加齢研のN先生のところとお連れし(これってイニシャルにする意味あるかしらん?)、お昼は近所の牛タンのお店に行って、さらに医学部のM先生、そのあとはうちのラボメンバーとディスカッションしてもらうというハードスケジュール。
夕方4時からセミナーをして頂き、理研時代の匂い地図のお話から、匂い識別を用いた意志決定課題をラットにされるという最新のお話までして頂いた。
イントロのところで引用されたJames Watsonの言葉がencouragingだったのでここに残しておく。
Francis Crick and I have brought together physics and chemistry. The next century will bring together biology and psychology.
(Time誌 2003年、出だしの部分ちょっと違うかも)

昨日の夜は医学部近所の多国籍料理の店で、うちの学生やポスドクとともに盛り上がって、気が付いたら11時をかなり回っていた(抑制系の解除による)。
今日は少数のオトナだけで国分町のキンキの焼き物で有名な居酒屋に行き、セミナー後にさらにディスカッション(若干アルコール付き)。
今はなんといっても戻り鰹とサンマの刺身がとても美味しい。
by osumi1128 | 2005-09-29 23:36 | Comments(0)

昔の記憶

世の中には自分が生まれたときの光景を覚えているという人までいるそうだが、私には小さいときの記憶がほとんどない。
小学校低学年までのもので思い出せるのは、よく遊んだおもちゃくらいだ。
表に平仮名の「り」と書いてあって、裏には林檎の絵が付いている類の、子供に文字を覚えさせるための木の札や、子供向きのはっきりとした色で塗られた積み木、52色のクレヨン、タミーちゃんという人形(世代的にはリカちゃんでもおかしくないのだが、小学校の頃には人形遊びを卒業していたからだと思う)、三匹の子豚の英語のソノシート、ピーターパンのお話のレコード(その中の音楽とともに)、などなど・・・
皆、画像や音声の記憶なので、やたらメモリを食っているせいで、「こんなことがあった」「あんなことをした」というエピソードのテキスト記憶がストアされていないのではないかと勝手に解釈している。

写真に残っているものは、それを何度か見返しているからしっかりとした記憶に定着しているのだろうか?
だとすると、親がビデオで子供の記録を取って、子供がそれを何度も小さいときから見続けていると、その記憶はどんどん強化されるかもしれない。
そういうところにメモリを使ってしまって良いのだろうか?
記憶の追体験ではなく、本当はもっと他のことに使った方がよいのでは、などと心配してしまう。

今日は「言語科学の百科事典」の原稿の最後の項目「脳の進化と分子進化(仮)」について書いた。
折しも先日Natureでチンパンジーゲノム特集号が出たこともあり、アップデートした内容にできたのが有り難い。
今回は「書き下ろし」の部分が多かったので、文章の体裁を整える前に、まず助手のN君に読んでもらうつもり。
先日たまたま見つけたサイトで、レポート作成だったか何だったか、今そのサイトを探そうとして30分悪戦苦闘したが見つからなかったので思い出せないが、とにかく、文章作成プロセスを進めるコツのようなことを書いてある記事に、「6割できたらまず人に見せる」ということが書いてあり、ああ、自分と同じやり方だと思った。
これも何かの本に書いてあったのだが、作品を最後1割完成させるのに必要なエネルギーは全体の6割を作りあげるよりも大きい、とのこと。
だから、6割でも7割でもいいが、そのくらいのところで一度誰かに見てもらう方が、「自分としてはこれで完璧(限界)」というところまでもっていってからガラガラと直されるよりも効率の良い進め方になるのだ。
そこのところを分かっていない学生が多い。

明日は歯科基礎医学会のサテライトシンポジウムで神経堤細胞についてのトークをする予定。
夕方、今度アメリカで独立する内田直滋さんが来仙することになっている。
by osumi1128 | 2005-09-28 01:09 | Comments(3)

原稿を書きながら

たいていいつも何かの締め切りに追われている。
上には上がおられてたいへんなのだと言い聞かせながら、動き回っているのは子年のせいなのか?
今抱えているのは『言語科学の百科事典』の分担執筆5項目、それぞれ2000字プラス図1点というものを月末までというお約束。
5つのうち2つは何度も書いてきた「神経発生」や「分子メカニズム」のテーマなので、すでに書いた原稿のファイルのつぎはぎから出発すればよいので、そう大変なことではない。
(あ、こういう原稿の作り方も、進化の過程で起きた遺伝子重複と機能分担に似ていなくもないと思う)
だが、残り3つはなにせ「言語」というお題を頂いているので、初挑戦。
話を振ってこられたのは岡ノ谷さんで、先日の進化学会のシンポジウムとセットで付いてきたようなものだ。

原稿を書くときは必ず素材を集めることから始まるが、今ではインターネットのお世話になることが多い。
英語の論文ならもちろんPubMedで、日本語の抄録はJ-STAGEで検索できるし、キーワードをGoogleに放り込むと、信頼度の高そうなホームページからそうでない個人のブログまで、さまざまな情報を手に入れることができる。
本当の専門分野でないテーマでミニ総説のような記事を書くのは、大学時代に書いた生物学のレポートのようだ。
クラブとバイトに明け暮れていた教養時代に唯一自主的に勉強したのがこのレポートだった。
2つが必須だったところに3つ書いて出したと思うが、そのうちの1つが『生命の起源』というテーマ。

海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。
そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。

三好達治の「郷愁」からの引用を冒頭に冠した手書き(!)のレポートは、原始の海、やらコアセルベートやら、オパーリンの受け売りオンパレードに近いもので、当時としてもやや古めかしかったと今は思うが懐かしい。


さて、今回ちょっと「自閉症」について検索をかけていたのだが、患者団体による日米の公式サイトの差が目に付いた。
例えば「社団法人日本自閉症協会」の公式サイトには病気の説明やいろいろな情報が載っているが、「参考文献」のところにちゃんとした学術論文がリストされていないことに気が付いた。
アメリカでは患者団体の数も多く、そのうちのいくつかのサイトではきちんとした引用文献付きの立派な総説が掲載されていて大いに参考になった。
そんなこんなでネット検索を続けていると、患者の母親のホームページやブログにいくつもぶつかった。
全部読み切った訳ではもちろんないが、「脳日記」というホームページを書いている方は、自閉症の息子さんの病気を治す手段はないかと、インターネットを使って一生懸命勉強したことを書き留め、考える姿勢に胸を打つものがあった。
以前飛行機の上で観て、涙が止まらなかった「ロレンツォのオイル」を思い出した。

******
発達障害のあるR太の、日々の脳の記録を含む、雑多な日記です。
日々の療育のこと、脳に関するさまざまな本を読みかじった感想、脳障害という現実に対峙しながら錯乱を極める母親のぼやき、等々、なんでも書きなぐっているので、かなり読みにくいかと思います・・・・・。
******

最新の日記は9月13日のもので、Wikipedia英語版のOmega-3 fatty acidの記事について<以下引用>
ニフティの翻訳サイトを利用しつつ、読んでみた。

なにしろバカ翻訳サービスなので、ところどころ、ものすごいことになっているが、私が自力で翻訳していたら人生が終ってしまうので、しかたなくりようさせてもらった。
<引用終わり>

このような翻訳サービスは確実に利用者を広げつつある。
日本語で普通の人が正確な情報を集められるためには、日本で専門家が正確な内容を市民のために説明するサイトがもっと立ち上がるべきだろうし、一方で世界共通語になってしまった英語による情報を楽に取り込める「翻訳ソフト」を賢くすることは大切だろう。
by osumi1128 | 2005-09-27 01:14 | Comments(3)

マイ・ホーム・スタバ

マイ・ホーム・スタバ(MHS)は二つあって、一つは一番町というショッピング街の中のものでここではeat-in(店内お召し上がり)する。
もう一つは車を停めてちょっと寄ってto-go(お持ち帰り)用に使う店。
この夏からのお気に入りはSoy Latte、すなわちミルクの代わりに豆乳を使ったカフェオレで、夏はアイスだったがそろそろホットの季節。
はっきり言って、そんなに美味しくないです(苦笑)。
でも、ヘルシーな「豆乳」だし「2%(non-fatミルクとの混合)」よりは美味しいかな。
最近食べ物が変わって、「キッシュ」や「チキンとキノコのサンドイッチ」など美味しそうなメニューが増えた、また「サラダ」も復活して、ヘルシー路線を強調している。
ただし、ちっちゃなサラダが400円以上するというのはとても日本的。
アメリカなら、値段が同じでも量が3倍以上あるだろう。
料金設定がやや高めなのはオコチャマ(かつてマックフライポテトで粘っていた私のような)を排除するためには仕方ないかもしれないが。

さて、スターバックスの店員にはロゴの付いたグリーンのエプロンはお決まりだが、制服はない。
ただし、ちゃんとルールがあって、「上下とも色は白、黒、カーキのみ、トップは必ず襟があるもの(シャツ襟もしくはタートルで、丸首のTシャツは不可)」
このルールのおかげで、個人個人の好みを大切にしつつ、世界中どの店に言っても不思議とスタバらしい雰囲気が生まれている。
(しかも、制服は支給しなくてよいから、会社側としては経費削減で一石二鳥)
こういう決まり事はよいと思う。

かつて、私の通っていた中学には制服があったが、さらに細かな規則の一つに「女子生徒のソックスは三つ折り!」というものがあった。
当時、「スタンドソックス」といって、折らないで、カモメマークの「ソックタッチ」なるものでソックスの上をくっつける、というのが(少なくとも鎌倉では)流行っていた(スミマセン、このネタで受ける方は同じ世代ですね)。
生徒会長になった私の「改革」の一つは、「ソックスの自由化」であり、もう一つは「セカンドバックの自由化」というもの(学校指定のものだけでなく、これまた当時流行だった「マジソンバッグ」も可とした)。
他に何をしたのか忘れてしまったが、そのくらい必死に先生側との折衝に当たったから校則改正の方は覚えているのだろう。
今から思うと、何故そんなことに夢中になったのかとアホらしい。
また、以来政治の世界からは足を洗うことにした次第。
by osumi1128 | 2005-09-25 22:31 | Comments(0)

ネオテニー

暑さ寒さも彼岸まで、やら、一雨ごとに寒くなる、とはよく言ったものだと思う。
台風も近づいているようで、せっかくの連休中日なのに冴えないお天気。

仙台には三越の支店の他に藤崎という地元オリジナルのデパートがある。
ちょっと買い物をしに婦人服売り場に寄ったら、店の奥に銀色に光るアイスクーラーがあり、シャンペンを振る舞っているのを目敏く見つけた。
じっと物欲しげに見ていたからだろうと思うが、「どうぞ良かったら・・・これからファッションショーが始まりますので・・・」と店員が愛想良く言ってくれたのを良いことに、本当は顧客限定であろうイベントに参加。
KENZOの秋冬コレクションのショー(ミニミニ版)だった。

モデルのお姉さんは、クールな黒髪の方と、スィートな茶髪の方と二人が交代交代で、ランウェイならぬ、ただ店の奥から出てきて脇に座っている私たちの前を、それでもしゃなりしゃなりと、あるいはくるっとターンを決めて歩く。
司会をしているのは本社から出張で来ていると思われるお兄さんで、周りがすべて女性であってもまったく動じる気配がない。
「この<ルック>は今年のKENZOの感じがよく表れています。云々」と説明するのだが、例によって、英語のLookではなく<ルック>の<ク>にアクセントが来るのが気になってしまう。
これって、さらに日本人が英語下手になる元ではないか・・・?

ええと、私の理解が正しければ、一応KENZO今年のコンセプトは「18世紀のイギリスの貴婦人がインドに行ってその美しい伝統的な文様に魅せられた」ということらしい。
つまり、ブリティッシュなジャガードとかツイードなどの素材、プラス、カシミール模様、ってことですね。

見ている人たちは(私以外)その店の馴染みの客らしく、店に対する忠誠心を示すためにちゃんとKENZOのアイテムを身につけておられる。
現在のデザイナーは2004年からAntonio Marrasとのこと。
なるほど、ちょっとSpanishな感じはそのせいね。
ハンガリーの結婚式で用いられるピンクッションにアイディアを得たという<ハッピーモチーフ>は、綿でちょっと膨らませたブローチなのだが、小学生の手芸のようだゾ、などと心の中でツッコミをいれる。

30分ほどで終わり、集まった20名くらいの客はその後、商品を手にとってああだこうだと始まったが、さてどのくらいの経済効果があるのだろうか?
私は1杯のシャンペンのみで失礼してしまった次第(ごめんなさい)。

さて、モデルといえば最近気になることがある。
これまで、トップモデルは若くても大人っぽい綺麗さだと思っていたのだが、ここ数年で非常に変わってきた。
例えば、今の一番人気の一人はジェマ・ウォードという16歳の少女だが、2004年のプラダのモデルを務めた際に「ドール顔」として大ブレイクし、現在ではシャネルを始めほとんどのコレクションに出ているらしい。
エルメスやブルガリの雑誌の広告で見たことがある人もいるのではないかと思う。
日本では「ロリコン」な傾向があるが、いわゆる「西洋人」は16歳でもかなりオトナ的だと思っていたら、世界的に「幼顔」を発掘する時代になったようだ。

そもそも、ヒトは霊長類より幼生化している。
ネオテニー(幼形成熟)は、もともとウーパールーパー(アホロートル)などが幼生の形態のまま生殖腺が成熟して生殖可能になる現象を指す。
ヒトがチンパンジーの子供に似ていることから、「人類ネオテニー説」を唱えたのはL. ボルグという人らしいが、確かに、生まれてすぐに自力で動くことはできないし、成熟するまでにも時間がかかる。
これは寿命が延びたからだという説もある。
フリーターやニートが増えていくというのも、さらにネオテニー化しつつあるということなのだろうか?
by osumi1128 | 2005-09-24 21:14 | Comments(2)

脳のはたらき

オフィスの机の上を1時間ほど片付けて、机の面が50%見える程度に回復した。
まだまだかかりそうだが、サイトビジットまでになんとかしないと・・・

さて、先日のブログ「ヒトとロボットの境」に対しては(珍しく)いくつかコメントを頂きました。
また、以下のブログに関連記事が書かれています。

http://d.hatena.ne.jp/roadman2005/20050920

・・・で、後でまた話がここ<異常から正常を知る?>に戻るのですが、とりあえず21日朝に書いていたものを載せます。

******
念のために早めに行こうと思ったら1時間半も前に着いてしまい、まだ会場の有楽町朝日ホールには誰も人がいなかった。
仕方ないなと思ってマリオンのビルの1階に戻って、さあ、どこか喫茶店はないかと思って歩き出す。
長年の習慣で向かう方向は数寄屋橋側、ソニープラザのある交差点で左に折れてみたが、西銀座デパートはまだ開いていないし、渡って1ブロックエリアにもスタバはない。
銀座の四丁目あたりなら犬も歩けばスタバに当たるだろうに、何故ここには無いのか?と心の中で悪態を付きつつ、季節毎に衣裳が替わるペコちゃんの人形がある不二家のビルの、その地下にある「牛すき焼きバーガー始めました」という宣伝のかかったロッテリアに入る。
正確な名称は「半熟タマゴの牛すき焼きバーガー」で290円。
もちろんこれは食せず、アイスコーヒーのみオーダー。

高校時代にはまだスタバがなかったので、マクドナルドとロッテリアには通い詰めた。
といっても、コーラとポテトだけで数時間粘って、友人たちとコントラクトブリッジをするか、ひとり試験勉強するかなので、決して感謝状をもらうことはできない。
私の場合、ざわめいている店内の方がかえって集中できる。
「音」が「ドレミファ」に変換されてしまうので、友人たちのように音楽を聴きながら本を読んだりすることができないのが長らく不思議だったが、これは小学校時代に通った音楽教室で、先生が弾くピアノのメロディーや和音を楽譜に書き取る(その際、音が一旦コトバに変換される)トレーニングをしたためだ。
おそらくfMRIを取れば、モーツァルトのソナタを聴きながら聴覚野とともに言語野が活動しているのだろう。
視覚情報からの言語処理のタスクとかちあってしまうのだ。

さて、この数寄屋橋のロッテリアではピアノ曲に鳥の鳴き声が混じった有線が流れているが、鳥の声のせいか、この程度の文章をタイプするにはさほど困らない。
これはまた不思議なことだ。
高周波帯の音には人をリラックスさせる効果があるという話を聞いたことがあるが、不規則でゆらぎのある鳥の鳴き声が、聞き覚えのあるイージーリスニング系のピアノ曲と一緒になったときに私の脳がどんな風に活動しているのか見てみたい。

さて、では30分前くらいなので出かけてみよう。
*********
・・・という原稿を書いてからシンポジウムに臨んだのだが、最後の演者の多賀厳太郎さんの「乳児における発達脳科学研究」が興味深かった。

こういう未開拓分野を切り開くという学問はさぞかし面白いだろう。
今までにないイメージング技術を取り入れながら(近赤外光トポグラフィーによる測定が乳児の脳の発達にまったく影響がないかどうかは未知だが)、知覚の発達などを調べていくのはチャレンジングだ。

とくに、生後間もない赤ちゃんの睡眠時には、音声刺激により聴覚野のある両側頭葉だけでなく、視覚野のある後頭葉も反応するらしい。
これは一種の「共感覚」だと捉えられるが、要するに最初は脳の反応がglobalであるのが、発達とともにspecificになっていくことによる、かなり一般化できる現象だと多賀さんは考えている。
ミエリン化(髄鞘化)との関連はどうなのか、今度聞いてみたい。

私の場合の、音楽(とくにきちんと音階化されたピアノやバイオリンの音)によって言語野が刺激される(私自身はイメージングしていないけど、絶対音感のある人で見るとそうらしい)のは、むしろ大分たってからトレーニングによって連関してしまうようになったから、乳児のナイーブな共感覚とは違うものだろう。

*********
さてここからがいよいよ今日の本題なのですが、この発表で見たデータが、エラーバーがやたら大きくて、「これで差がある、なんてウチの業界では絶対に通らない!」というようなものだったんですね。
一般市民向けの講演会だから許されるということもないだろうし、もうちょっと厳密にサイエンスしてほしいなあと思ったのですが・・・

でも、明らかにテーマは魅力的だし、『脳と身体の動的デザインー運動・知覚の非線形力学と発達』(金子書房)なんてタイトルは、心理学系の人からも知能ロボティクスの人たちからも受け入れられやすいキーワードが含まれている。
同じキーワードで検索して引っかかってきた「認知発達理論分科会第16階例会」の発表の1つ京都大学中本敬子氏の発表内容によれば、「乳児の歩行が一旦退行現象を見せるなどのU字型行動」は「脳の変化だけでは説明できず」「生体力学的な文脈の重要性」が大事で、「非神経的変化が訓練により歩行を維持できる理由」であるという引用がなされている。
あたかも脳や神経は重要でないような捉え方だ。
さらに思ったのは、世の中には「遺伝子は嫌い」という人種がいるのではないかということだ。
ワトソン・クリックが発見したことなど無視しても構わないと思う人は世の中に案外多くて、そういう人たちが徒党を組むと分子生物学者は圧倒的に不利。
やっぱり高校の教科書からDNAが抜け落ちたのは問題だと思う。
(DNAを教えなくても良い、と思う人たちが決めちゃったのだから仕方ないが)
いやいっそ義務教育として中学の教科書に盛り込むべきかも、というのは自分側にバイアスかかりすぎているだろうか。
by osumi1128 | 2005-09-23 16:37 | Comments(0)

黄金色の田んぼ

今日は昼過ぎまでプログラムオフィサーの用務があって、夕方ようやく仙台に戻ってきた。
昼間の新幹線の移動だったので、車窓の風景を楽しむことができたが、田んぼが黄金色に色づいていて、ちょうど刈り取った稲穂を天日干ししていたり、収穫直前だったり。
心和む情景だった。

******
昨日の脳の世紀シンポジウムは事前登録が700名を超えており、会場の朝日ホールは8割方埋まっていた。
若い人も多いが、年配の方々の方が多く、熱心にメモを取っておられた。
毎年聴きに来る常連さんもいるらしい。
お陰様でKeynoteによるプレゼンは無事に、しかもきっちり時間通りに終えることができた。
気合いを入れて業者に描いてもらったイラストも分かり易いとお褒めの言葉を頂くことができてほっとした。

さてその日の夕方、とあるインタビュー本?のための対談?を行ったのだが、最近はこういう本の作り方が増えたようだ。
喋った言葉をテープから起こし、それを元に原稿を作成して、写真を嵌め込むと本になる。
そうやって世の中にどんどん本が出ていく。
ある意味、これだけ様々な情報をウェブから得ている時代でさえ、まだまだ本という形態は残っているし、むしろ本屋はどんどん大型化している(ただし、町の本屋さんのような小さいところは経営難という)。
新聞も今のところまだ健在だが、購読者の年齢層はどんどん上がっていると聞いた。
すなわち、若い世代の人たちは新聞を読まなくなっているようだ。

いろいろな情報が溢れていて、でもそのかなりの部分が電子媒体や磁気媒体に依存するようになって、もし200年後に読み取るツールがたち消えになってしまったらどうなるのだろう?
「貝塚」ならぬ「CD-ROM塚」のようなものが見つかったときに、200年後の人たちは「一体何をするためのモノだったのだろう?」ときっと首をひねるのかもしれない。
あるいは1000年後(もし人類が存続していたとして)の考古学者は、「西暦2000年からの100年間の人々の暮らしがどのようなものであったのか、あまり遺産が残っていないのですよね・・・」などと話し合っていたりして。

実は昨日はブログ用に書いたネタがあったのですが、PowerBookをラボに置いてきてしまったので、それはまた明日にでもアップしようと思います。
by osumi1128 | 2005-09-22 23:48 | Comments(0)

丸の内中通り

文科省の用事で東京に来た。
霞ヶ関というよりは虎ノ門の庁舎建て替えのために、約1年半ほど前だったか、丸の内の三菱ビルに文科省のオフィスが仮移転した。
この辺りは丸の内でもお洒落な店が最近とくに増えたエリアだ。
三菱ビルの目の前の通りは「丸の内中通り」といって、年末には「ミレナリオ」のイルミネーションが設置されて、人がわんさか来る。
どう考えても、官庁とは異質の空間だ。
だが仙台から出張する人間にとってこれは本当に有り難い。
虎ノ門までは東京駅から30分みないと落ち着かないが、ここは東京駅丸の内南改札から歩いて5分。
しかも、ビルの1階にはスタバまである!
(註:文科省の中ではありません)
建て替えないでそのままここに残って欲しいが、そういう訳にはいかないだろうなあ・・・

さて昨日のブログにはたくさんコメント頂いた。
それに対してレスしたいところなんですが、明日の準備に追われているので、また落ち着いたらにします。
by osumi1128 | 2005-09-21 00:31 | Comments(0)

ヒトとロボットの境

2年前のことになる。
とある研究費のヒアリングで自分の研究計画のプレゼンをした直後、選考委員の方から開口一番に「(精神疾患のモデルとなる)病気のマウスを調べて、どうして脳の正常な発達を理解することにつながるのですか?」と聞かれ、目が点になった。
「遺伝子変異を有し、行動異常を示すマウス(実はラット)を調べて野生型と比較することにより、正常な発達の遺伝的プログラムを明らかにすることができると思いますが・・・」とかなんとか答えたはずだが、一瞬何を聞かれているのか分からなかった。
歯学部で6年間過ごしたため、「組織学vs病理学」のように正常と異常(あるいは疾患)は私の中では対になっているし、研究も常に「良い対照を取ること」を第一に考えることが習慣なので、「異常を調べて正常の何が分かる?」という問いは初めての経験であり、思わず怯んでしまった。
(そしてそのヒアリングには落ちた。)

この問いはその後ずっと私の心に棘のように刺さっていて、無意識下できっと何度も繰り返されていたのだと思う。
何故なら、そういう審査員に対して怯まず答えて納得させることができなかったら、その研究費を頂くことは不可能だと直感したからだ。
「異常を調べることが正常の理解につながるということが、どうして分からないのですか?」と直接聞く訳にはいかなかったので、その問いを発した審査員の方のバックグラウンドに近いと思われる分野について勉強した。

よく存じ上げない方だったが、恐らくは心理学系や教育学系の方であったように思う。
確かに、例えば発達心理学では対象となる子供の観察を行うのが基本であり、「正常な(と思われる)X歳児6名」などのデータが綿密に記載される。
私たちにとっては、遺伝的にあまりにばらついている個体の例数が6つでは何も言えないのだが、世の中には違う世界があると知った。
これに比較的似た基準なのは、動物行動学だろうか。
ある種の「実験」を行ってはいるが、常に「対照的実験」が為される訳ではない。
いわば「症例報告」のようなものだ。

その後、工学系で脳研究をしている方達の話を聴くようになり、彼らもまた「対照的実験」は必ずしも必要としていないことを知る。
つまり、「時計が動く仕組みを知りたいのなら、動かなくなった時計をいくら調べても無駄」という訳だ。
だが、ここにはちょっとした理論のすり替えがあると思われる。
「時計が動く仕組み」を知りたい人は、時計をバラバラにして、また組み立ててみるだろう。
そのとき、ある部品の組み立て方が悪いと、時計の調子は悪くなるだろう。
そうして、その部品が時計の正しい機能に必要であることが分かるはずだ。
これは、まさに「ある遺伝子(部品)をノックアウトする(機能を働かせなくする)」実験を行っているようなものだ。
ただし、工学者は「どんな部品が必要か」よりも「組み立てて機能させる」ことにより熱意をもって取り組むのではないかと思うに至った。
つまり「必要条件」よりも「十分条件」に重みがあるように見えるのだ。

さて、『デカルトの密室』を読んだ後、著者の瀬名さんがそこでの議論を参考にされたという「けいはんな社会的知能発生研究会」の編による(瀬名さんご自身も執筆されている)『知能の謎−認知発達ロボティクスの挑戦』を手に取った。
<以下引用>
 ヒトを理解するにはいろいろなアプローチの仕方がある。従来の生物学のように、細胞を顕微鏡で覗き込み、遺伝子配列を丹念に読みとることで、人間という生命体の謎を解明しようという方法もある。細かいところへどんどん掘り下げていくという意味で、これはある研究者からの受け売りだが、土に埋もれた遺跡を探す考古学のイメージに近い。
 いま述べたように、この考古学的なやり方では限界がある。だが、工学的な手法を使えば、今あるヒトの機能を機械で再現することで、ヒトの理解を深めることができる。人間をひとつのシステムとしてとらえたとき、システム総体を扱えるという意味でも工学の手法は有効なのだ。つまりこういうことである。人間を理解するには人間の本質を再現するようなロボットをつくり、それを動かしてみればよいのである。そうすれば私たちは人間の知能に関する仮説を検証できる。(序論より)
<引用終わり>

「ヒトの機能を機械で再現する」というのは紛れもなく工学的アプローチだ。
そしてその際、「ヒトとしての機能とは何か?」という命題に直面する。
すなわち、「ヒトとしての本質」を見極めることになる。
これはむしろ「哲学的」な分野に近い。

では、工学的手法で「ヒトとしての機能」を備えたロボットができれば、それは「ヒト」と見なせるのか?
「ヒトらしい知能」や「ヒトらしいコミュニケーション能力」を持ったロボットは「ヒト」なのだろうか?

これは、前に数学科のKさんと行った議論の蒸し返しに近い。
極論すれば、Kさんは「ヒトとしての機能」を備えたロボットを「ヒトと見なす派」であり、私自身は「それには違和感を覚える派」ということになる。
私が違和感を覚える理由は「ヒト」という定義の中に「ヒト⊂生物」という進化の歴史をひきずってしまうからだ。
今日の私たちは地球誕生の後、数億年して生まれた原始生命体から綿々と途切れることなく続いてきた生き物である。
その事実を軽視することが私には難しい。

<以下引用>
 注意しなければならないのは、お手本にそっくりのモノをつくるということは、お手本と全く同じもの(コピー)を作るというのとは違うということだ。人間と完全に同じものをつくるとしたら、人間の身体をつくっている細胞と物質的に同じものをつくらなければならない。細胞膜に包まれた、DNAやタンパク質の複雑な相互作用のネットワークも再現しなければならないということになる。しかし、私たちが「ヒューマノイド」と言う時には、そのような、細胞レベルまで私たちと人間と同じ存在を想定していない。むしろ、私たち人間の本質は何かという仮説を立てた上で、その本質を再現できるようなロボットを私たちは人間そっくりの「ヒューマノイド」と呼ぶのだ。(アプローチ4より)
<引用終わり>

私にとって「ヒューマノイド」は「ヒト」とは見なせないが、ヒューマノイドの研究には非常に魅力を感じる。
還元論では解きえなかった「人とは何か?」に対する答えが隠されているのではないかと期待するからだ。
何より、「ヒトとしての本質」について熱い議論を交わす土壌が育まれていることを知り、大いに嗅覚を刺激されている。

*****
さて、明日からまた東京出張。
21日にはいよいよ「脳の世紀シンポジウム」。
このプレゼンスライドはかなり気合いを入れてKeynoteで作り、分かり易く目に優しいイラストも数枚プロに依頼して描いてもらった。
どんな反響があるか楽しみだ。
by osumi1128 | 2005-09-19 23:13 | Comments(4)