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研究者コミュニティーはどう見られているか?

今日から明日の夜まで、慶応大学で開かれている国際シンポジウムに出席。
Cortical Developmentについて、増殖・分化や細胞移動の話題が盛りだくさん。

ところでその折りに、とある先生と「捏造論文」の話題になった。
「(T大のケースは)どうしてあそこまで巨額の研究費が配られたのでしょうね? 数年前から、研究者仲間では<怪しい>という声が上がっていたのに」
「良い雑誌にどんどん素晴らしい論文が出たからでしょうね。それによって、研究費が配分され、さらに論文を出す必要に迫られたということでしょう」
「でも、当時は、研究者サイドでは誰も声を上げなかった訳ですね」
「そうですね。研究評価にまったくの外部機関が関わるという話が出ていますが、そうなったら、たいへんなことですね」
「研究者コミュニティーが信用されていないってことですよね」
「出された論文の数や、ジャーナルのインパクトファクターや引用件数だけで評価するのであれば、一応誰でもできるでしょうが、それでは本当にその研究に価値があったかどうか、分からないでしょうね」
「息の長い論文などは、はじめは評価が低いかもしれませんしね」

やれやれ・・・
バイオ系では、個々の論文の価値とは別に、雑誌の格というものがこの20年くらいの間に確立してしまった。
これは植物でも動物でも統一ルールで判断できるので、本来同じ土俵には載らないはずの異なる分野の論文の評価を、研究を知らない人間でも評価できるようにしてしまったということになる。
工学部の先生方と付き合いがあるが、工学はあまりにも分野が多岐にわたるので、雑誌全体を統一的に評価できる状態にはないらしい。
文系の雑誌がどうなのか聞いてみたことはないが、インパクトファクターは存在しないだろう(そもそも、日本語の論文も多いだろうし)。
だとすると、このシステムは私たちバイオ系の研究者が、アメリカ的競争が激しくなった頃に作り上げ、それによって自分たちの首を絞めているのではなかろうか?

本来、近代科学が成立した頃でも、真理をめぐって科学者同士の論争はあった。
例えば生物学の分野では、神経系全体が網状になっているか(網状説)、多数の細胞が繋がっているか(細胞説)など。
標本を見て、自説に近いスケッチを描いてはいるが、これを捏造というのは酷であろう。
やがて生物学も「証明してナンボ」の時代になり、どのようにすれば証明したことになるかという「お作法」は確立していったが、その「お作法」に則りさえすればよい、という価値観も同時に生みだしたには違いない。

圧倒的多数の生物学者には倫理観や自尊心があることは間違いない(もしそうでなければ、もっと多数の論文がCNSに載っているだろう)。
論文捏造が問題になるのは、そこに税金を元にした研究費がつぎ込まれたり、昇進がかかっていたりするからであるが、「他人を騙そう」と思っているごく少数の研究者を見つけるのには、どのくらいのコストがかかるのだろう?
捏造論文の発見は「キセル」の摘発のようにはいかないと思うのだが、研究者コミュニティー全体が「怪しい集団」として疑いの眼差しを向けられないようにするためには、どうしたらよいだろう?

日本ではいわゆる無賃乗車や「キセル」などの摘発のために、自動改札や車内検札にかなりのコストをかけているが、そのパフォーマンスはどのくらいなのだろうか?
無賃乗車やキセルは、持っている切符などを見せればすぐ分かることだが、捏造論文の発見は、そう簡単にはいかない。
研究者コミュニティー全体が「怪しい集団」として疑いの眼差しを向けられないようにするためには、どうしたらよいだろう?
by osumi1128 | 2006-01-30 22:49 | Comments(8)

日本版テニュア制度

私にとって最終電車というと、東京21:32発やまびこ225号のことになる。
東京にいた頃は、遅くなると終電というタイムリミットを気にしながら実験したが、仙台のラボではほぼ皆、徒歩、自転車、車(場合によってはタクシー)である。
時間の使い方という意味では、良いのか悪いのか・・・

皆さん(とくに関西以西の方々)、仙台が盛岡と同じくらいのところにあるとか、東京から名古屋までよりも遠いと思っておられるが、普通は東京から1時間40分程度。
ただし、各駅停車に近い「やまびこ」は、2時間以上かかってしまうので、せっかちな私としては好きではない(しかも料金は同じだし)。
金曜日の夜だけは22:20発、仙台到着が23:59という臨時電車があるのだが、是非毎日にしてほしいものだ。

ところで、昔からの業界友達で、日本の企業の研究所とアメリカのアカデミアでのポスドクを経験された方から、「キャリアパス問題」についてメールを頂きました。
貴重なご意見なので紹介しておきます。
要点をかいつまむと、以下のようになります。

アメリカでは博士研究員は即戦力として雇われる。ただし、会社が育てる訳ではない。チャンスはあげるが、使えなければクビという発想。これはアカデミアでも同様で、10人のPI(Assistant Professor)を取ったら、次の契約更新をして生き残れるのは2名程度(東海岸のトップ大学だとおそらくそれ以下)。
日本は終身雇用制が基本なので、新入社員が即戦力でないことは分かっていて、入社した後に育成する。したがって、若い人材の方が好まれる。会社では30前後くらいからふるいをかけるので、その間アカデミアで過ごした人間は頼りなく見える。


この方は、「本来学生さんが自分の将来像をしっかり見据えて、自ら足りないであろう部分を予め磨いておくべき」というご意見でした。

私自身は留学せずにPIになったので、キャリアパスできなかったPIキャリアパスから外れたPIをあまり知りません。
私よりも若い世代の日本人の方で、アメリカで独立された方も多いのですが、とりあえずまだPIを続けておられるようです。
したがって、テニュアを取れるのが1/5という印象はあまりなかったのですが。

ところで、文科省は大学に対して「テニュア制度」を進めています。
といっても「日本版テニュア制度」です。
つまり、本来のtenureというのは終身在職権があり、定年がない(自分で研究費を稼げる限り)はずですが、日本版ではそうではありません。
助教(Assistant Professor)から、準教授(Associate Professor)、教授(Full Professor)へと、査定を経て「キャリアパス」する昇進する制度、ということになっています。
ついこの間までは「終身雇用だと流動性がなくなるから、任期付きにせよ」という指導で、私の所属する東北大学大学院医学系研究科では、平成14年度から教授も含めて任期制にしました。
今後、「テニュア制度」の具体化、任期制との整合性について、また検討しなければならないというのは、本当に頭の痛いことです。
こういうことによって、現場の研究力が下がるということを、よく考えてほしいと思います。
by osumi1128 | 2006-01-29 01:03 | Comments(21)

サイエンスカフェ・数学版

友人Kさんがサイエンスカフェを担当するということで、ちょっと遅刻になってしまったが、どんな様子か覗いてきた。

会場はメディアテーク1階のロビーで、天井が高くて気持ちのよいエリア。
駆けつけたときは、すでにKさんの講演が半ばを過ぎてしまっていて、とても残念。
実はその前に市長が3分のところ、10分以上も挨拶したらしいのだが(迷惑)。
以下の説明よりも、会場に張ってあったポスターの案内文が素敵だったのだが、覚えきれなかった。
自然界にある対称な形を、最小作用の原理(「自然は無駄なことはしない」ニュートン)で説明します。光の経路、蜂の巣、ギリシャ時代からある等周問題、シャボン玉など、身近な問題を取り上げます。本年度の猿橋賞の受賞対象となった「結晶格子の幾何とランダムウォーク」についても紹介します。数学はむずかしい思っている高校生や市民の方に、その誤解を解き、数学は面白くまた役に立つものだと感じていただけるように工夫した話です。

Kさんとしては、彼女の信じている「数学って面白い」という世界を短い時間で一生懸命伝えておられた。
私にとって印象深かったのは、「もやもやしているアイディアに、相応しい言葉を付けてあげることがbreakthrough」ということだ。
私のいる生物学の世界でも、それは同じことだと思う。
私の場合はとくに、その仮説がどのように絵に描けるか、が、自分にとってどのくらい理解できたか、を端的に表すと思う。

テーブル席は満杯で今日の入りは150名を超えて、8月からの開催で最も多かったとか。
Kさんが30分の講演を行った後、各テーブルで、針金細工の枠にどんな形の石けん液の膜が張るかの体験&ディスカッション。
あちこちのテーブルで「おおっ・・・」という歓声が上がる。
その後、質疑応答の時間が取られ、数人の方々が質問され、Kさんは丁寧に答えておられた。
答えられなかった質問には、後日webで回答されるとのこと。

今回の聴衆は、男女はほぼ半々。
年齢層は高校生くらいからリタイアされた方まで。
とくに、男性リタイア組が熱心。
まあ、平日18:00からなので、バリバリ働いている方達は男女とも来にくいとは思うが。
あ、あと、金曜日ですから、デートの方が優先かも。

6月末に担当予定なので、下見しておいて良かった。
仕掛けを作った、理学研究科、福西先生に感服。
by osumi1128 | 2006-01-28 00:59 | Comments(3)

ポスドクのキャリアパスについて

先週金曜日から土曜日の東京出張の折に「震度0」(横山秀夫著、朝日新聞社)を読みました。
ミステリー系が好きで、同じ作家の本を続けて読む癖があるのですが、今は日本人だと横山秀夫か高村薫に集中しています。
数年前には、「何故この人の印税に貢献する必要があるのか?」と悩みながらも、森博嗣の文庫シリーズを読破してしまいました。

「震度0」はやはり警察小説なのですが、キャリア組vsノンキャリア組の対立が一つの軸になっています。
横山はなかなか良い心理描写をしていると思うのですが、女性の描き方はイマイチだと思います。
自分が女性だから、余計感じるのでしょう。
そういえば、大学の事務方も、地元採用と本省からの出向の方がおられますね。

この話を枕に持ってきた訳は、先日、理研の事務系の方(文科省からの出向)とお話した折に、「ポスドクがそのキャリアを活かして、文科省などに就職することはできないんでしょうかね?」と伺ったところ、「国家試験の受験資格がないんじゃないですか?」と言われました。
「えっ? 国家公務員試験って年齢制限があったのでしたっけ?」と聞くと、「もちろんありますよ。当然でしょ」とのこと。

すみません、世間のことを知らなくて・・・(反省)。
で、後で調べたら、国家I種(法律職、経済職、行政職)が22-33歳とのことでした。
そもそも、この仕分けも非常に「文系」ですが、例えば27歳で自然科学系の学位を取り、2回くらいポスドクをすると、国家公務員としてのキャリアパスはなくなるということが分かります。

ここで少し脱線ですが、大学の教員というのは、大学院の入試を最後としてまったく試験を受けずになることができますね。
学位取得のための審査というのは、やはり「試験」とはちょっと違いますから。
(ただし、研究費獲得のための「ヒアリング」などはありますが)
会社でも「管理職のための試験」があると聞きますが、アカデミアのシステムは専門性に重きを置く、違う体系であるということなのでしょう。

さて、ここからが本日のエントリーの本題です。

1月6日のエントリー「科学技術関係人材のキャリアパス多様化促進事業」に対して、いろいろなコメントを頂き、有難うございました。
1月18日になってから者地区さんという方からコメントを頂き、以下のように数回のやりとりをしました。
以下、少し長くなりますが、背景説明のために引用します(ご存じの方はすっ飛ばして下さい)。

Commented by 者地区 at 2006-01-18 01:57 x
ビジネスサイドの者です。大きな勘違いをしているのではないでしょうか。博士研究員は即戦力でもないし、同じ給料なら新卒を選びます。なぜならトウのたった者が新卒と同じ給料でいては和を乱しますから。かといって基礎研究をしていた博士はビジネスの即戦力にはなりません。だからわざわざ博士は取らないのです。これでは問題解決は程遠いですね。

Commented by osumi1128 at 2006-01-19 01:07 x
者地区さん
コメント有難うございます。
アメリカだと多数の博士研究員が企業に就職していくのですが、何故日本ではそういう風にならないのか、その点を大学で教育に携わる人間はもっと考えなければならないと思いますし、ポスドクをする間に研究以外にも必要なスキルを身につけないといけないのではないかと思います。
実際に、どういう点が日本のポスドクは即戦力にならないのでしょうか?

Commented by 者地区 at 2006-01-19 13:44 x
アメリカはしりませんが、日本企業が年を食った博士をとるなら、学卒より高いビジネス能力がなければいけません。そういう教育をしてください。例えば、社会を見る目、人を動かす力、お金をもうける能力、会社のために働く意欲などです。研究がしたいなら、会社を儲けさせる研究をしてください。

Commented by osumi1128 at 2006-01-19 22:36 x
者地区さん
会社では、どのようにして「社会を見る目、人を動かす力、お金をもうける能力」を学卒の方にトレーニングしているのでしょうか?
会社のために働く意欲については、トレーニングではないと思いますが。

Commented by 者地区 at 2006-01-20 11:25 x
実際に働くことがトレーニングです。
会社のために働く意欲がない人を採用はしません。

Commented by osumi1128 at 2006-01-20 22:49 x
者地区さん
確かに、実際に働くことはよいトレーニングだと思います。
では、アメリカではなぜ「実際に企業で働いたことがない」博士号取得者や博士研究者をあんなにたくさん採用するのだと思われますか?
日本のポスドクの人たちも、毎日一生懸命働いているのだと思うのですが、その働き方だとなぜいけないのでしょうか?

Commented by 者地区 at 2006-01-21 00:02 x
さて、それは大学側が考えることではないでしょうか。どうも拝聴していると、受け身の姿勢が気になります。そういう人は採用されません。
こちらとしては結果にしか興味ありませんので、会社にとって利のある教育をしてもらえればなんでも構いません。アメリカがそういう教育をしているのなら、真似すればいいんじゃないですか。

Commented by 者地区 at 2006-01-23 12:54 x
返答がないようですので、あまり深く考えたことがないものとお察しします。
大事なのは、学生が商品とするならば大学が売り手で、企業が顧客、買い手ということです。売れないのは買い手が悪い、というのはビジネスでは最悪の言い訳で、売れないのは売り手の責任です。顧客はニーズを教えてはくれません。そのニーズをいち早く把握した企業が勝つのです。相手が何を求めているか分からない、と言っているような人を企業は求めていません。

Commented by osumi1128 at 2006-01-23 13:09 x
者地区様
再度のコメントを有り難うございます。
本件は重要な問題ですので、改めて別エントリーを立てるつもりにしています。


この方の最後のコメントはとても含蓄が深いと思いました。
「売れないのは売り手の責任です。」
「相手が何を求めているか分からない、と言っているような人を企業は求めていません。」

博士研究員、すなわち「ポスドク」は、ほんの10年前までは日本の大学にはあまり存在しなかった職位です。
「ポスドク1万人計画」が始まったときに、多くの日本の自然科学系研究室では、この方達をどのように「育てるか」という意識が欠落していたのではないかと想像します。
ポスドクは「学生に学位を取らせるような教育はしなくてよい」立場で、でも、「本当にアカデミアに残るかは未知数」と思われていたのではないでしょうか?

私の世代ではまだ日本の中のポスドクは多くありませんでしたが、学位取得後に留学先でポスドクをするのは、一種のキャリアパスとみなされていました。
それは、外国語習得や、外国人の友達を作ることや、そして良いラボに行けば良い論文につながる早道だったと思います。
もちろん、同世代の方達がすべてその後アカデミアで生き残っている訳ではないのかもしれませんが、需要と供給のバランスはまだ合っていた時代だったかもしれません。

さて、やがて時代はより「競争的」になり、校費はどんどん減り、プロジェクト研究の比重が増すようになりました。
「成果」の求められる、どくにトップダウン的プロジェクト研究では、ポスドクの方達が「労働力」と見なされるようになるのは必至であったと思います。
また、古いアカデミアの教育スタイルは「マンツーマン」あるいは「一子相伝」的であって、ボス一人で何人ものポスドクに「アカデミアで生き残るには」というノウハウやスキルを教えることはできなかったのではないでしょうか。

別の見方としては、「学位を取った人間は、自分でなんとかせよ」という、本人の自主性任せの指導(?)スタイルもあったと思います。
悪く言えば「落ちていくのは仕方ない」という考え方でしょうか。

いずれにせよ、者地区さんからは「トウのたった博士やポスドクなど日本企業は求めていない」というご意見を突きつけられています。
「実際に働くことがトレーニングである」とされ、「トウのたった人は会社のために働く意欲がない」と見なしておられるようです。

私自身は企業で働いた経験はまったくありません。
友人、知人からの伝聞でしか、その世界を知りません。
そんな人間に企業のやり方を云々する資格はないと言われるのは承知で申し上げるとすれば、「実際に働くことがトレーニングである」というのは何も考えていないのと同じではないでしょうか。
また、「会社のために働く」という意識は、今後どれだけ若い世代の方達に受け入れられるでしょうか。

「高いビジネス能力」が求められるのは理解できます。
それを「社会を見る目、人を動かす力、お金をもうける能力」と分析されていますが、それらは、アカデミアで生き残るために必要な資質でもあります。
ですから、ポスドクを雇う立場の研究者は、彼らが「どんな分野でも通用する」ように「社会を見る目、人を動かす力、お金をもうける能力」を育てるべきだと思います。

私は、文章力、プレゼン力は社会で生き残るために必要であり、時間はかかりますがトレーニングできるスキルだと思っています。
また、会議を取りまとめたり、人と交渉したりする能力も大切です。
情報収集力というのも、研究費獲得(=お金を儲ける)能力につながることだと思います。
私自身は折に触れて研究室の中でこれらのことに言及しているつもりですが、どれだけ聞く耳を持っているかというのも、実際には関わってきます。
(これは責任転嫁をするつもりではありません。教育というものがいかに公立の悪いことであるかは、日頃から身にしみていますが、私は、「人は変われる」と信じています。あ、女が男になれる、などという意味ではありません。念のため)。

1月6日のエントリーに戻ると、若手研究人材のキャリアパス多様化のための取組例として様々なものが挙げられています。
この文科省のプロジェクトとして、実際にどれだけの事業が立ち上がって動くようになるのかは未知数ですが、「若手人材と企業等の人事担当者、研究機関の関係者の交流セッション」などがどんな展開になるのかを見守りたいと思います。

キャリアパスのためのスキルセミナーについては、学会等でも取り組み始めています。
科学技術インタープリター養成については、いくつかのプログラムが立ち上がり、また昨年12月の分子生物学会年会でも、日本科学未来館の長神風二さんとCDB広報国際化室の南波直樹さんにより「研究を伝えること、研究に伝えること −生命科学のコミュニケーション −」 というワークショップが開催されました。
恐らく、ポスドクの方達の意識も変わりつつあると思います。

私としては、バックグラウンドの異なる「学」の人材を受け入れる土壌が、「官」にも「産」にも培われてほしいと願っています。
それはまた逆も然りだと思います。
by osumi1128 | 2006-01-25 01:32 | Comments(51)

科学と音楽の夕べ

先週金曜日のことになるが、(独)科学技術振興機構主催により、新国立劇場で科学と音楽の夕べ」「なるイベントが開かれた。

事前にお知らせを頂いていたので、母にメールを転送し「近所なのだから行ってみては?」と伝えたところ、電話で登録し(注:本来の登録方法はメールかファックス)、父とともに行って来た。
私たちの世代なら、サイトからメールで申し込むのが最も簡単なのだが、このあたりの感覚は年代によって異なる。

一応、英国の「金曜講話」に倣った企画とのことで、第一部の特別講演会では永山國昭先生(生理学研究所)がタキシード姿で講演されたらしい。
ただ、残念なことに、「金曜講話」につきものの「実験」は、イマイチだったとのこと。
プログラムには出ていなかったが、某大臣や遠山元文部科学大臣のご挨拶もあったとか。

すみません、あまり伝聞でこういうことを書くべきではないと思うのですが、このエントリーをしておこうと思ったのは、日本でもこういうイベントをするようになったということが一つ。
もう一つは、「金曜講話」の実験は、その場で「おお!」と分かるようなものでないと聴衆を楽しませることができないと思われるのだが、さて、そういう実験を自分の研究で組むことができるだろうか?と考えたからだ。
このあたりが、アウトリーチ活動で難しいところだと思う。

なるべくリアルなものの方が、一般市民には分かり易いだろうが、例えば「分子」の話は、仮に生の標本を見せても分かりにくいものが多いだろう。
あるいは、バーチャルな3D画像などを見せることになり、それはそれで「ほー」という感想にはなるのかもしれないのだが・・・
by osumi1128 | 2006-01-24 01:51 | Comments(0)

河北新報連載

ご要望がありましたので、河北新報の連載記事を転載する許可を頂き、先程別ブログを立てて、そちらに掲載致しました。
興味のある方は、ブログの「リンク」の「エッセイ集」をクリックして頂くと飛べるようになっています。

ちなみに、先週、今週に取り上げたのは、『博士の愛した数式』関連です。
ちょうどこの間の土曜日から全国ロードショーでしたね。

見に行かなくっちゃ!
by osumi1128 | 2006-01-22 15:43 | Comments(2)

惜別

仙台の家では新聞を取っていない。
メジャー紙の夕刊がないのと、出張のたびに「いつからいつまでお休みします」と伝えるのが億劫なためだ。
普段のニュースはネットやテレビがあるが、新聞というのはそれにはない楽しみも多い。
研究室では河北新報という地方紙をとっていて、これは学内の先生の記事などが多く掲載されているので身近で面白い。
で、東京の実家に来るたびに、朝日新聞をまとめて読む。

昨年12月11日に亡くなった月田承一郎先生の記事が、1月16日月曜日の朝日新聞夕刊「惜別」のコーナーに掲載された。

800字に満たない字数で52年間の人生を表すというのは、どんなに難しいことだろう。
まして、残された家族や友人が読まれるということを考えると・・・。

記事を書かれた瀬川茂子さんは、東大の地学出身で、MITに留学されサイエンスライターのコースを取ってから朝日新聞社に就職された方で、科学朝日やアエラにも出向されたが、今は科学医療部の記者をされておられ、ご著書には『不老不死は夢かー老化の謎に迫る』(講談社)などがある。
私にとっては高校の後輩であり、研究プロジェクトのニュースレターの対談をお願いしてお世話になっている。

関西でお仕事されていたときに月田先生にお目にかかることもあったらしい。
記事では、熊本大学の永渕さん、阪大の高井先生、CDBの竹市先生の言葉が取り上げられている。
静謐な筆致といおうか、プロジェクトXのナレーションを思い出した。
以下、最後の2段落を引用させていただく。

 一昨年、膵臓がんが見つかった。「余命が限られているのなら、薬の副作用で考える力が衰えるのは耐えられない」と研究仲間の野田哲生・癌研究会癌研究所副所長に話し、慎重に治療法を選択した。研究史をまとめ、「もう15年くらいは研究したかった」と書いた。

 死の3日前まで研究室に通った。最後の論文は、三つの細胞が接する点で働く分子の発見について。その成果を大学院生が学会で発表した様子をビデオで見届けてから、自宅で家族と親しい友人に見守られて旅立った。


記事に使われた写真は、研究室で、家庭で、30年来ともに過ごした早智子さんの肩を抱いて、楽しそうに笑っておられる2004年春のもの。
人々の記憶の中で、月田先生はこの笑顔として固定化されるのだろう。
52歳の死はあまりにも早かった。 
by osumi1128 | 2006-01-21 10:34 | Comments(3)

ひるまない、ひがまない、ひっぱらない

午後に文部科学省の「生殖補助医療」についての専門委員会に出たあと、男女共同参画学協会連絡会の歴代委員長および「2005年女子高生夏の学校」実行委員長の先生と、「少子化・男女共同参画大臣」である猪口邦子大臣を表敬訪問した。

国会議事堂駅そばにある内閣府の建物の3階に猪口大臣のオフィスはある。
たくさんの胡蝶蘭と、大きなテーブルにかかったクロスが女性的な印象。
猪口大臣とは先日別の折に名刺交換させていただいているが、今回は「共同参画」関係で、科学技術分野における共同参画に大臣の大きな力添えがあったことに感謝し、引き続く支援をいただきたい旨お願いしてきた。

15分の面会時間とのことで、猪口大臣はほとんど喋りっぱなしで、こちらとしてはあまり説明の時間がなかったのだが、それはひとえに私が不慣れなせいであった(反省)。
でも、いくつか興味深いお話を伺った。
以下はそのうちのひとつ。

女性にとって(キャリアアップ、社会進出、など)大事なのは3つの「ひ」です。
「ひるまない、ひがまない、ひっぱらない」
何か逆境にあっても、とにかく「ひるまない」こと。
自分よりもよく見える人にたいして「ひがまない」こと。
そして、成功した人の足を「ひっぱらない」こと。


これは別に、女性だけに当てはまることではありませんね。
とにかく、パワーのある方でした。
by osumi1128 | 2006-01-20 23:14 | Comments(3)

暮らしやすい都市の指標

今日の仙台は風がとても強く、体感温度がだいぶ低く感じられた。

最高気温が30℃以上の日は真夏日、最高気温が0℃未満の日は真冬日と定義されている。
一年の間で、真夏日から真冬日を引いた絶対値が0に近いほど、快適な気候の指標となるという話を聞いた。
この定義に従うと、日本の政令指定都市で最も快適なのが仙台なのだそうな。
札幌だと真夏日が少なく、東京以西は真冬日が少ないが、ちょうど仙台あたりだと真夏日と真冬日の日数が均衡するらしい。

この話を聞いたときに、もっと宣伝すればよいのに、と思った私は仙台出身ではないからのようだ。
もともとの仙台人は、そんなことを教えて人がたくさん来てしまったら環境が悪くなると思っているという。

大学で研究する人間として仙台が良いのは、なんといっても職住近接だ。
もちろん、東京の山手線内でもそれは可能であるのだが、国立大学の教員の給料で無理なく、そこそこ広い住エリアを確保できるのは、土地の値段が安いからである。
おかげで、通勤時間は短く、ラッシュもほとんどなく、その分のストレスがない。
毎日の積み重ねが何年にも渡れば、大きな違いになるだろう。
by osumi1128 | 2006-01-20 00:11 | Comments(4)

なんでもググる

自宅からもインターネットにつながるようになると、つい何でもGoogleのお世話になる。
百科事典を引くよりも簡単に思えてしまうのだが、ただし、事典の類を読む楽しみである、探すついでに他のところも読んで面白がれるところに欠けるのは残念。

最近PubMedよりもGoogle Scholarの方が便利だという噂を聞いて試してみた。
うちの研究室のアイコン遺伝子である「Pax6」をキーワードにしてサーチすると、約4440件がヒットした。
PubMedだと新しい順に並んでいるが、こちらはどういう順序なのかやや不明。
もしかしてcitation index順?

次に、「Pax6, Osumi N」でサーチすると、341件が挙がってきたのだが、この中には私が著者ではない論文も多数ある。
Google Scholarではデフォルトでテキスト全体を検索しているので、引用文献の中に私の名前があるような論文までがヒットしているのだと思われる。

Advanced Scholar Searchにすると著者名やジャーナル名、出版された期間などを絞り込み項目に入れることができるようだ。
PubMedではいったんabstractのページに飛んで、それから必要があればさらに論文をHTML形式なりPDFなりで読むことになるが、Google Scholarは直接PDFに飛ぶ。
これは好きずきだろう。
<追伸:PubMedのAbstract頁に飛ぶ場合もあり>

出版年で並んでいないのがちょっと残念だが、広めにサーチできるというメリットも大きそうという感想になった。

ところで、一昨日、中学時代の友人から突然メールが届いた。
どこの検索エンジンだったかは不明だが、ウェブサーチして、たぶんホームページからアドレスを見つけたらしい。
彼女とはかつて「交換日記」なるものをしていた間柄で、高校から違う学校だったのだが、ずっと年賀状のやりとりもしていた。
それが、ちょうど仙台に引っ越した頃に途絶えてしまって、残念に思っていたのだが、本当に久しぶりに音信が開通した(日本語、合ってる?)。
そのこと自体は嬉しいのだが、ある面、プライバシーのない時代になったということかもしれない。
by osumi1128 | 2006-01-19 01:39 | Comments(4)