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スーツケースの顛末

さて、こちらの時間で木曜日行方不明になったスーツケースですが、「6時くらいに届きますから」と言われましたが、予想通り(!)その日の晩のうちには届きませんでした。
オンラインのtracing systemがあるので見てみると、「Received at airport/Delivery initiated」という状態であることが分かり、とにかく見つかったようでした。
学会初日の木曜日、会う人ごとにlost baggageの話をしまくったので、翌日、皆さん「どうなった?」と訊いてきましたが「まだ駄目」。
午前中のセッションの休憩時間に電話をかけたところ、「届けなければならないbaggagesが沢山あって、お届けが遅れています」。
(やっぱりそんなにあるのかと思いつつ)「いつ届きますか?」
「お昼過ぎには・・・」
携帯電話の充電器をスーツケースに入れてしまっていて、バッテリー残量が少なかったので、冷や冷やものでした。

で・・・・・結局、ちゃんと昼過ぎには届けられました。
めでたし、めでたし。
初めてのlost baggageだったので、もっとドラマがあるかと思っていたのに、あんまりブログのネタにはなりませんでした(苦笑)。

出張前に報告書を2つ仕上げて来るのを忘れており、目下追いまくられているので、これにて。
by osumi1128 | 2007-03-31 16:34 | 旅の思い出 | Comments(0)

スウェーデン語の読み取りとかかけて

     スウェーデン語の読み取りとかかけてサイエンスと解く。
     その心は、どちらも暗号の謎解きのようなものである。

スウェーデン語はちょっとドイツ語に近いような雰囲気がですが、アルファベットに付く○とか・・とかがあって、発音はよく分かりません。
タクシーの運転手もそこそこの英語を話せる国なので、スウェーデン語はほとんど聴き取れないままに2晩過ごしました。
ホテルではすべてスウェーデン語と英語が併記されていたので、両者を比べながらヒエログリフの解読のような気分を味わっていました。

初めてのストックホルムだったのですが、訪問先であるカロリンスカ研究所の近くのホテルに泊まり、1日セミナーやディスカッションをしただけで、市内観光も全く無しの慌ただしいスケジュールでした。
共同研究先との交渉もあったので、ビジネスとしては十分目的を果たしたのですが。

もう一度振り返ると、まずパリからの便が2時間近く遅れて、アーランダ空港に着いたのは夜中の12時過ぎ。
荷物はキャリー・オンしていたので、すぐさまタクシーでホテルに向かいました。
30分くらいで到着し、お金を払おうとしたら、なんと、スウェーデンはクローネだったということに気が付きました!
いやー、EUに加盟していたから、当然のようにユーロが使えると思っていたのですが、馬鹿でした。
でも、タクシーはカードで払えて事なきを得ました。
また、訪問先の方にセミナー当日の夕食は御馳走して頂いたので、一度もクローネを見ないままでした(苦笑)。

研究所ではセミナーの前後に、数人とディスカッションしたのですが、そのうちの一人は、以前Cellに面白い論文を出していた方でした。
14Cを用いた化石の年代測定がありますが、それを「人体」に応用すると、細胞の「古さ」を測ることもできる、というものです。
ヨーロッパではロシアが最後に行った核実験のときに大量の14Cが出来、それが植物に取り込まれ、食物連鎖でヒトにも到達する訳なのですが、年が経つにつれ、その量が減衰していきます。
したがって、ある組織を取ってきて、その中の14Cの量を測定することによって、その細胞が1980年頃に作られた、などと推測することが可能なのです。
これが何故嬉しいかというと、例えば、ヒトの脳の中で本当に新しく神経細胞が生まれているかについて証明できるのです。
これまでに、癌患者さんのボランティアの方にBrdUという増殖細胞を標識出来る薬物を投与し、その方が亡くなられたときに、脳の切片を作って調べてみると、確かに、ラット、鳴禽、サルなどで証明されたと同様に、海馬で新たに生まれた神経細胞が存在していた、という論文はあるのですが、追試が為されていません。
ですが、14Cを用いた方法により、海馬の細胞の方が大脳皮質の神経細胞よりも「若い」ということが確かめられるという訳です。

その方はKirsty Spaldingという、まだ若いAssistant Professorの女性だったのですが、上記の原理を実際に「使える」状態に持っていくには、かなりいろいろな試行錯誤があったということを話してくれました。
例えば、ヒトの試料を使う前段階の実験として、ウマを用いてみたり(いつ生まれたかはっきりしていて、さらに十数年くらいの比較が可能)、細胞の14Cを測定するのにも、核だけ抽出するのが一番、夾雑物が少ないということに辿り着くのに数ヶ月かかったり、とにかく紆余曲折、いろいろあったと(今だから)楽しそうに言っていました。
でも、こういうまったく新しいアプローチはきっと楽しいだろうなと思いました。
さらに彼女は、「もしかして、これは法医学に使えるのでは?」と考えて、歯のエナメル質の14Cを測定してみると、これまでの法医学では、時間の経った死体が見つかったときに、歯の磨り減り方や、骨の緻密度などから、「30歳から40歳」などというアバウトな年齢を割り出していたらしいのですが、一ヶ月くらいの誤差で年齢を推定できるということも発見したそうです。
スゴイなあ・・・
このネタがミステリーの世界に使われるのは、いつ頃でしょうね?
是非、車椅子の科学捜査官シリーズあたりで使ってほしいものです。

* ****
さて、木曜日の朝7時頃にストックホルムのホテルを出発し、ロンドン経由でエジンバラに到着したのが午後2時頃。
今回は、ヒースロー空港の乗り換えがあったので、荷物は2つに分けて、キャリーバッグをチェックインしたのですが、ついに、生まれて初めて! ロストバッグを経験することができました!!!

バゲッジ・クレームに行って手続きをしたのですが、あっさり「今日の夕方六時くらいには滞在先にお届けできると思います」と言われました。
「どこで行方不明になったのでしょうか?」
「たぶん、ロンドンの乗り継ぎだと思いますが。」
なるほど、2時間弱の乗り継ぎ時間だったので、ちょっとキケンかなと思ったのですが、やはりそのようでした。
でも、ヒースロー空港の乗り換えはゲートも離れていたし、イギリス国内線に乗り換える際に「機内持ち込み荷物は1つです」とうるさかったし、やっぱり預けなければならなかったから、仕方なかったですね。
エジンバラの空港には「持ち主不明トランク」なのか、「持ち主はすでに手続きをして空港から離れたトランク」なのか分かりませんが、大量のトランクがありましたので、日常茶飯事のようですね。

* ****
で、空港からタクシーでHeriot Watt大学の宿舎に到着。
部屋を探すのに迷路のような建物でかなり時間がかかったのは、私の方向感覚の障碍によるものでしょう。
夕方のPlenary Lectureから英国発生生物学会、細胞生物学会、遺伝学会のジョイントの学会が始まります。
by osumi1128 | 2007-03-30 06:02 | 旅の思い出 | Comments(0)

ヨーロッパでのインターネットアクセス

ヨーロッパでのインターネットアクセスは未だにあまりよくありません。
昨晩、ホテルにチェックインした際に、「インターネットアクセスはどうなっていますか?」とフロントの方に伺うと、「ワイヤレスです」
「部屋からアクセスできるのですか?」
「はい、大丈夫です」
ということだったので、にこにこしながら早速試しました。
が、そもそもフランス語版のアクセス頁しかなくて、雰囲気的にIDとパスワードっぽいことを訊かれていると思ったのですが、どうやってそれをゲットしたらよいのかわかりません。
もう一度、フロントに戻って訊くと、「ああ、そうそう、カードを購入してもらうのでした。あ、今、20分のカードしかありませんが、何枚にしますか?」
(なんということ!と思いましたが、にっこり)「とりあえず、1枚御願いします」
で、再度部屋に戻り、アクセスしようとしたのですがやっぱり駄目で、今度は、フロントにPowerBookを持って行って、どうしたらよいか訊きました。
先方も分からず、数カ所電話をし、結局、ちょっと違う画面のところでIDとパスワードを入力しなければならないことが分かりました。
結局アクセスできたのですが、ここに至るまでに1時間弱かかる始末(苦笑)。
まあ、こんなものですね。

* ****
昨晩のディナーは、ジャック・モノー研究所の訪問先のAPさんと、APさんの元上司のMWさんとご一緒に、ホテルの傍のレストランへ。
このあたりは、いわゆるカルチェ・ラタンのはずれに当たるのですが、学生街の雰囲気に溢れています。
前菜としてポロネギのテリーヌ、メインには白身のお魚のグリルを選択しましたが、混んでいる店だけあって美味しかったです!
しかも、前菜が一律7ユーロ、メインが一律17ユーロというリーズナブルな設定で、これにグラスワインを白と赤と1杯ずつ頂きました。
かなり話がはずんで3時間くらいいましたが、最後お会計は「研究所でカバーしてもらうから」ということになり、丁重にお礼を申し上げました。

Y御大も以前ブログで、いわゆる来訪者の接待の費用が何故日本では研究費や研究機関でサポートされないのか、ということを言われていましたが、同感です。
何も、星の付いたレストランで食事をする訳ではなし、一定の上限を設けても構いませんが、一律に「食べ物(アルコール含む)は駄目」的な扱いは、グローバルな基準からいっておかしいと思っています。
もちろん、現状ではできないので、自腹を切ったり、他の日本人参加者からも少しずつ援助してもらったりしてしのいでいるのですが、独立したての若手PIだったら大変でしょうね。

ホテルは、いわゆるパリの街中の古くからある建物なので、かろうじてエレベーターはありましたが、閉所恐怖症の私には2階まで上がるのが辛いくらいの狭さ。
小錦は入れないくらいでした(笑)。
でも、ちゃんとバス付き、プチ・デジュネ(簡単な朝食)付きで89ユーロというリーズナブルな価格。
しかも、研究所まで歩いて数分というロケーション。
訪問先の方に予約して頂いて良かったです。

* ****
昼時にセミナーをした後に、さらにランチを食べながらのディスカッション。
キッシュの美味しいお店でした。
彼女がもともとイタリア人で食べ物が好きそうなのが有り難かったです。
そうそう、彼女にとって、母語はイタリア語で、第二言語が英語、ご主人がフランス人らしく、フランス語にも不自由せず、さらにスペイン語まで喋れるというのは羨ましい限り。
で、面白かったのは、「スペイン語はフランス語よりもイタリア語に近いのだけど、どうも混同するのはスペイン語とフランス語なのよね。やっぱり、母語は特別なのかもしれない」という発言でした。
なるほど、後から覚えたスペイン語とフランス語の方が脳の中で曖昧に処理されているようで、さすがに、系統が離れている英語との混同はないということなのですね。
これって、東京弁を母語とする私が大阪弁と京都弁を覚えたら混同するっていうレベルなのでしょうかね?

* ****
今晩のうちにストックホルムに移動するために、早めにシャルル・ドゴール空港に着いたのですが、さてここでまたインターネット・アクセスで問題が生じました。
「ワイヤレスのオレンジカード(注:JRのものではありません、当然ですが)を購入して下さい。」
「どこで買えるのですか?」
「本屋さんです」
というので、ゲートに近い本屋さんらしきものを探したところ、いわゆる新聞・雑誌等をメインに売っているお店があり、そこで、60分、10ユーロ(すごく高い!)のカードを購入。
それを使ってアクセスしようと30分以上費やしましたが、どうしても進むことができません。
まったく、なんでこんなことをしているのか、心やすらかに、ただ本でも読んで過ごせばよいところ、あくせくしているのが情けなくなります。
インターネット設定等をあれこれ設定を変えても駄目で、どうしようかと思ったところで、クレジットカードを使うやり方もありそうなことに気付きました。
試しに、その路線で進めてみたところ、無事に60分4.5ユーロという料金でアクセスすることができました。
おかげで、数十件のメールをダウンロードし、サーバを空にできました。
やれやれ・・・まったく・・・
ヨーロッパに来たことを実感しますね。

* ****
という訳で、シャルル・ドゴール空港からのエントリーです。
予定のフライトは1時間以上遅れる見込みとのアナウンスがありました。
はあ、やれやれ・・・
とにかく無事に飛びますように。
by osumi1128 | 2007-03-28 02:58 | 旅の思い出 | Comments(1)

恩師の本を読んで

エール・フランスでの渡欧だったので、久しぶりに成田空港の第一ターミナル北ウイングに行きました。
お引っ越しした全日空のある南ウイングは綺麗になったのかもしれませんが、北ウイングはちょっと寂しい感じがしました。
パリ便AF275はほぼ時間通りに飛び立ち、機上の人となりました。
以下、ちょっと長いエントリーになってしまって恐縮ですが、お時間のあるかたはどうぞ。

* ****
ちょうど昨日、ちょっと分厚い封筒が自宅に届いたのですが、差出人を見ると中学時代の恩師のお名前がありました。
中には、国語の教師であったI先生が御定年になってから15年で自費出版された本が入っていました。
『いまはむかしのひとりごと』というタイトルが付けられ、装丁のない簡素な文庫本で234頁あります。
今回の旅のお供にどの本を連れて行こうかと思っていたところでしたので、迷わずこちらにしました。

余談ですが、普段はたいてい四六判くらいの本を一、二冊トランクに入れるのですが、今回の海外出張は最初の予定が詰まっているので、すべてキャリー・オンにする覚悟でパッキングしており、空港で文庫本を買おうと思っていたのですが、実際にはそれだけの時間の余裕がなく(空港で報告書の中身を秘書さん宛に送ったりしていたため)、持参したI先生の御本は新幹線から成田エクスプレスの間に読んでしまったので、現地でどうするか思案中。
ネットで落とせる小説でも探してみましょう。

さて、「まえがき」の中に「この本は自分史ではありません。個人的に知らない方が読んでも、まったく面白くないでしょう」と書いてありましたが、私にとっては大事な先生なので、先生がどんな風に75年を過ごされたのか、とても興味がありました。
ちょうど、先生にお目にかかった中学時代は、先生のキャリアにとって折り返し地点にあたり、また、定年後、どのように過ごされるかを考えていた頃のようでした。
ふと気が付くと、自分も今ちょうど同じくらいの歳なのですね。

I先生は神奈川県で教員免許を取得され、最初は小学校、それから、ほとんどのキャリアを中学校の教師として過ごされました。
御本の中には、教材研究をどのように工夫したか、いかに生徒のことを知ろうとしたか、そのために放課後のクラブ活動(卓球)を行ったり、おしゃべり会をしたり、というような私の知らない中学教諭の世界のことが沢山書かれていました。

ご自分のことを「餓鬼大将」と分析されるように、反骨精神と、生徒まで巻き込んで何かを成し遂げるパワーを持っておられる方で、それは当時の中学生だった私たちにも伝わっていました。
その中学校は昔の高等師範の附属という歴史があって、教育のモデル実験校のようなところだったのですが、先生の授業にも様々な工夫がありました。
確か、毎時間の始めの10分は漢字のテストだったのですが、それは、教科書に載っている教材(読み物)をすべて用いないことによって、指導要領に含まれていても教えられない漢字をカバーするためであったのですね。
今でも覚えているのは、「要約の作り方」で、「重要度の低い字句を消す」というやり方と、「大事なキーワードを拾う」という2つのやり方で作ってみる、という授業です。
それまで、なんとなく行っていた作業も、効率の良いやり方がある、ということを知ったのが新鮮だったのだと思います。
「書く」ことの楽しさを教えて頂いたのもI先生でした。
きっとそれが今、ブログをしたためることに繋がっているのでしょう。

I先生は、ちょうど私たちの中学にいらした頃に体調を崩されていたらしいのですが、当時の我々には「小田原から鎌倉まで毎日車で1時間半かけて通っておられて、大変らしい」くらいしか分かっていませんでした。
慢性胃炎ということでしたが、おそらく胃潰瘍との間を行ったり来たりという状態だったのではないかと拝察します。
今なら、きっとピロリ菌駆除などで比較的早く完治されたかもしれませんが、胃潰瘍の原因の1つにそんな菌が関わることが分かったのは、私が助手になった頃だったでしょうか。
ノーベル賞が与えられたのも、つい最近です。

体調の理由もあり、県の教育庁への異動という出世コースのお話を断られ、地元の小田原にまた戻られたのですが、その数年後から、いわゆる中学校が荒れた時代になったようです。
どんな風に、番長その他の生徒と対応したのかなどがリアルに書かれていました。
最後の数年は教頭先生となられたようですが、御定年の1年前に国語の教師が足りないとのことで、管理職と現場を掛け持ちされたとのこと。
「最後に現役で終わった」ということを誇り高く思われるのがI先生らしさでした。

小田原に戻られた後に、教師が面白くなくなった、ということが書かれていました。
それは、いわゆる「ゆとり教育」という改革のためで、「総合学習」の時間をどうするか、という会議を放課後に開かなければならなくなったり、研修などの出張が多くなったりということで、生徒と触れ合う時間が結果として減ってしまったことが諸悪の根元とI先生は言われます。
本当は、今行われている「教育再生会議」も、現場をよく知らない人たちを集めて、何を議論しているのか、「ふざけんじゃねぇ!」と怒る先生の声が聞こえそうでした。

現在、大学で教育に携わる人間の立場からは、博士号取得者やポスドクの就職先として中学・高校の理科教師に門戸を開くことを要望したり、小学校の理科を教える教師を派遣することについてはすでに予算化されていますが、現場の混乱を招かないように、極力注意しないといけないでしょうね。
また、経済界も「働く意義を教える」ために、講師を中学校などに派遣することを決めたということですが、こういうことも気を付けないと、余所者が勝手に入ってきてかき回すだけ、という結果を招きかねないでしょう。

先生がさらに指摘されていたのは「高学歴化」の問題です。
日本全体でそんなに高学歴になるのが本当によいことなのか? という問いは、しばらく前から私も考えていました。
どんな専門的仕事でも、最初10年はひたすら覚えたりチャレンジし、次の10年で自分なりに展開していくとしたら、一人前になるのに20年はかかります。
義務教育を終えて現場の仕事に就くと、10代後半から修行を積むことになり、35歳でかなりの立場になる訳ですが、ズルズルと大学まで進学すると7年以上遅れることになります。
「高度専門教育」が必要な科学技術分野といっても、大学院からは生活できる程度の奨学金を出して、修行の期間として扱うべきだと考えているのですが、そのサポートは現行の大学院定員をすべてカバーはできないでしょう。
そもそも、本当に大学院指導をするだけの力のない大学も、あの「重点化」の時期に皆、右にならえ、で後先考えずに大学院を作ったことは、きわめて日本的現象だと思います。
今、21世紀COEやらグローバルCOEやら、特色ある大学院GPやら、そういうグラントを競争によって獲得させることによって大学をふるい分けしようとしているのかもしれませんが、これ以上続けると現場の疲弊が著しくなりすぎて、きっとイノベーションどころか、普通の教育さえもまともにできなくなるかもしれません。

・ ・・そんなことをいろいろ考えさせられたI先生の本でした。
定年後、先生はご自宅の二反の田んぼで「キヌヒカリ」というお米を作る毎日で、そのほか、昔撮られたモノクロの写真を現像したりという悠々自適の暮らしをされているようです。
もう長いことお目にかかっていないのですが、是非一度、お訪ねしようと思いました。

*****
無事にパリに着きましたので、こちらをエントリーしておきます。
by osumi1128 | 2007-03-27 06:14 | 雑感 | Comments(2)

渡欧前の最後の食事

朝、コンピュータに向かっているときに「あれ?」と思ったのは、能登半島の大きな地震の影響だったようです。
その後も比較的大きな余震も続いたようで、現地は大変なことと思います。
早く復旧できることを祈っています。

さて、昨日は風邪を早く治さなければと、学生N君とのディスカッションを本日に延期し、持ち運び用PowerBookを置いてきてしまったのを学生S君に届けてもらったりと迷惑をかけましたが、お陰様で今日はたいぶ良くなったので、お昼前からラボに出ることができました。
海外出張前の残務整理をしていたら、学生T君が「先生、ご飯食べに行きませんか〜?」と言ってきました(午後2時過ぎなんですけどね)。
昨日からあまり食欲が無かったのですが、せっかくなので、「いいけど、どこに行く? この辺、日曜日は開いてないでしょ」
「ちょっと車で行ったところに、美味いラーメン屋があるんっすけど」
「了解」

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という訳で、行ってきました「大黒屋」というお店だそうです。
食したのは「こってりの担々麺(白ごま)」を太麺で(画像)。
各自が小さなすり鉢で胡麻を摺って入れることができるシステムがちょっとユニーク。
餃子の皮にも摺った黒胡麻が入っていて、胡麻好きにはウケますね。

車にはT君、N君のほかにポスドクのH君もいましたが、行きも帰りも「どこどこの何が美味しい」などと、ラーメン談義で盛り上がっていました。
明日からの欧州出張間には絶対に食べられない味でした。
さすがにカロリーがあったと見えて、夜になってもお腹一杯でした(苦笑)。

明日の出発時間をチェックしたら、なんと始発の新幹線に乗らなければならないようです(涙)。
始発から数本は「はやて」ではないので、東京まで2時間以上かかるのですよね・・・
やれやれ。
とにかく、寝坊しないように、目覚まし2つ体制で臨みます。
by osumi1128 | 2007-03-25 22:19 | 雑感 | Comments(0)

風邪の治し方

昨日は近所のRで二人目の秘書さんの送別会がありました。
ちょうどラボのサイズが大きくなりつつあったのと、私の仕事の内容が複雑になってきた時期だったので、本当に有り難かったです。
3年間ご苦労様でした。

*****
昨日の午後、突然、喉が痛くなってきて、風邪の引きかけを感じました。
部屋の書類を少し片付けたときに、埃を吸ったのも良くなかったと思うのですが、潜伏期を考えると、いつどこでもらってきたのか、あまり記憶にありません。
普通は、寒かったり、風邪を引いている人と長い時間同じ部屋にいたときには、すぐに用心するのですが、注意力が足りなかったのかもしれません。
しかも、送別会があったので、昨晩は夜更かしはしませんでしたが、テンションが高くなっていたということも、決して良い対処ではありませんでした。

で、朝目が覚めたときには完璧に風邪の症状になっていて、「あー、神様、ごめんなさい。いい子にしますから、どうか早くお治し下さい」と、ふとんをかぶってお祈りしたい気分でした。
平熱が低い方なので、たぶん37℃後半でも結構辛いのですが、だいたい、そのくらいの温度だと思われました。
(決して実際には測りません。測って熱が下がるのなら別ですが、自分の体温は自分の感覚で分かります。実測値が分かったからといって、意味ないので)

巷では抗ウイルス剤のタミフルについていろいろ取り沙汰されていますが、そもそも薬は「百害あって一利」あれば薬だと思っており、基本的には使いません。
どうしても、会議に出るので熱を下げなければ、というときに解熱剤を使うことはありますが、発熱するのは菌を殺すためでもあるので、無理に熱を下げるのは自然の摂理に反することです。
単純な風邪の場合には、葛根湯を飲む、ハニーレモン、生姜湯などでビタミンCや水分をよく補給する、ふとんにもぐって汗をかく、というやり方で、だいたい1晩でなんとかなります。
今日が土曜日で何よりでした。

夕方から、Jeevesシリーズの英語の朗読CDを聴きながら、来週のパリとストックホルムのセミナーの準備のPPTファイルを作っています。
英国発生生物学会BSDBがエジンバラであり、そのついでに共同研究先に寄ってくるので。
Jeevesの朗読はQueen's Englishなので、イギリスに行く前に丁度良かったかも。
帰国したらさらに、大阪である医学会総会でのシンポジウムと、CRESTの市民公開講演
こちらも作らなければ。

*****
という訳で、珍しく、一歩も家の外に出ないで、おとなしく過ごした一日でした。
5号館のつぶやきさんのエントリーPersonalized Google Home にテーマが誕生を読んで、さっそくパーソナライズしたGoogleのトップ頁を作ってみました。
City Viewというデザインを選びましたが、ローカルタイムを入れておくと、時間によってデザインが変わるのが、遊び心があって良いですね。
by osumi1128 | 2007-03-24 22:19 | 雑感 | Comments(3)

放送記念日のテレビ

帰宅してテレビを付けたら、「放送記念日特集<情報発信に世界が動く〜国際放送新時代>」という番組を放映していました。

Wikipediaによれば
放送記念日(ほうそうきねんび)とは、NHKが1943年に制定した記念日。3月22日。
NHK東京放送センターの前身である東京中央放送局(JOAK)が、1925年3月22日に東京都港区芝浦の仮送信所でラジオの仮放送を開始したことを記念して制定された(当時の様子はラジオを参照のこと)。

のだそうです。

各自が携帯でテレビを観るようになるかもしれず、テレビというマスメディアの将来がどうなるのか、私にはまったく想像がつきませんが、近々に<受信料>という収入には頼らない体制は必要なのかもしれないと思っています。

さて、番組はすでに始まっていたところで、ちょうど中国の国営放送の英語版の方針や、中国の「意志」を南の島の国々へ伝えるために、衛星放送アンテナまで整備していること、アフリカ諸国との経済的な関係を築くためのプロパガンダなど、さすが、国営放送、とうならせられました。
(こういう瞬間に、何故、まだ中国に経済援助をしなければならないのか、疑問がわきます)

次は「アルジャジーラ」というカタールの放送局で、こちらも、イスラムの大金持ちの援助で国際(英語)放送「アルジャジーラ・イングリッシュ」が始まり、欧米(英語圏)から技術もキャスターもヘッドハントして、「欧米とは異なる視点」の報道を世界に発信しようとしています。

フランスのシラク大統領肝いりで作られた「France24」も、フランス独自の文化や政策をグローバルに訴えるべく、民間と公営の放送会社の両方からのメンバーを元に、かなりの国費を投じて昨年12月から開始されたようですが、近くある大統領選挙で、社会党が勝つと、かなり体制の転換を求められるのでは、右派のサルコジ氏が勝っても現状は維持できないと案じられていました。
(ちなみに、社会党の候補者は元環境相、家庭相のセゴレーヌ・ロワイヤル氏なんですけどね)

社会がグローバル化する中で、日本はどんな風に情報発信するのかが問われていると思いました。

*****
その後も環境テレビのようにつけっぱなしていたら、「トップランナー」という番組になり、本日のトップランナーはイラストレーターの五月女ケイ子という方。
昭和30-40年代を彷彿とさせる、なんともノスタルジック、かつ、やたらインパクトのある画風で、「年間1000枚のイラストを描く」「ときには日に20枚」という多作な方。
公式サイトはこちら
話を聞いていると、絵に描きこむストーリーには事欠かないくらいイマジネーション豊富な方のようです。
しかも、早い!
番組ではライブでささっと、水彩絵の具(たぶん)で描いていました。
スゴイなあ・・・
by osumi1128 | 2007-03-23 01:53 | 雑感 | Comments(0)

後日譚

一晩明けて、さて手帳をどうしたものやら、と考えました。

まず、東京で利用したタクシーのレシートに会社の電話番号が書いてあったので、そちらにかけてみましたが、「その番号の車はもう上がってきて清掃もしましたが、該当する落とし物はなかったようです」
「もう1社乗車したのですが、レシートをもらい忘れました。どちらにかけたら良いでしょう?」
「そのレシートにある、<東京タクシーセンター>というところにお願いします」
「分かりました」

で、東京タクシーセンターにかけたところ「只今、電話が大変混み合っております。このままお待ち頂くか、しばらく経ってからお掛け直し下さい」とのテープ。
しばらく(1分くらい?)待ってかけ直しましたが、同じことの繰り返し。
昨日の東京では落とし物が非常に多かったのか?と思いつつ、次の作戦を考えました。

最後の用務は「東京工業倶楽部」というところだったので、その代表電話番号にかけましたが、休日と思われ、no response。
主催者の財団も当然お休みだと思ったので、このルートは本日はこれ以上無理。

手元にあった紙に昨日の行動を時間軸に沿って書き出してみたのですが、確実に手帳を開いて使ったのは、仙台駅のスタバしか記憶にありません。
すでに、昨晩、帰りに立ち寄って訊いて駄目だったのですが、もう一度、「もしかしたら、昨日訊いた、あの店員さんが知らないだけかも」と思い直して、104で電話番号を調べ、掛けてみました。

「すみません、昨日の朝、そちらを利用した者なのですが、手帳を落としたのではないかと思い、お電話差し上げたのですが……」
「ああ、緑色の手帳でしょうか?」
「はい、革の手帳で、細いボールペンが付いているものです」
「確かに、こちらで一旦お預かりしましたが、規則により、エスパル(駅前のテナントビル)の防災センターの方に届けることになっておりまして、今はそちらにあるはずです。」
「!!! ありがとうございます! 防災センターの電話番号をお教え頂けますか?」

という訳で、結構あっさりと一件落着となった次第。

うーん、この手帳は本当に運の強い子のようです。
以前、気分一新のために替えようかと思ったことがありましたが、アテネから自力で(宅急便にて)戻ってきた一件から、より愛着が沸くようになりました。
今回も、もし見つからなかったらどうしよう???
ついに、携帯でスケジュール管理をするか、ウェブのカレンダーをメインに使うか、などの選択肢も考えたのですが、アナログな手帳はいろいろなアイディアも書き込んで使っており、ちょっとまだ代替案が浮かびませんでした。
何はともあれ、無事に手帳が戻りほっとしました。

*****
ところで、トップ頁の画像を「ガジュマル」の鉢植えに変えました。
先日、一目惚れして東京で購入したのですが(もちろん、宅急便で送ってもらいました)、水やりが1ヶ月に2、3回で良いとのことも、即決した理由です。
「サボテン」はあまり好きではないのですが、こちらなら長く楽しめそうです。
日当たりが好きとのことで、朝はカーテンを開けてから出かけるようにしています。
by osumi1128 | 2007-03-21 18:49 | 雑感 | Comments(0)

下水道の話

本日は東京出張。
3カ所の用務をハシゴして、最後は思いがけず会った業界の知り合い(共著者でもある)と、丸の内オアゾの立ち飲みワインバーでひっかけてから帰仙。
そのワインスタンド?で、手帳が無いことにはたと気付いて真っ青。
東京駅の新幹線ホーム、仙台駅の新幹線ホーム、仙台駅のスタバと訪ねたのですが、どこにも届いておらず・・・orz
3カ所の用務先で手帳を取り出した可能性のあるのは唯一1カ所。
でも、思い出してもそこで手帳を開いた記憶は無く、さらに途中退席の際に、書類をまとめて鞄に入れた際に、机の上に手帳があったというイメージは残っておらず・・・(記憶が画像としてストアされる質なので)、まあ、分からないので、明日問い合わせてみるしかないでしょうね。

・・・それにしても、運の強い手帳で、はるかギリシアはアテネのホテルに置き忘れた際にも、国際宅急便で戻ってきてくれたのですが、今回の顛末やいかに???

*****
てな気分だったので、家に戻ってすぐに仕事に取りかかるモードにならず、気分を変えるためにエントリーしようと思った次第。

今日聞いた話で興味深かったのは下水道の話。
Global sustainabilityは21世紀の重要なキーワードなのですが、上水道とともに下水道をどうするかというのは難しい問題です。
下水道の整備のためには、無駄な水を沢山使うし、またパイプラインを引くというのも、集落がまばらな地域などでは非常にコストがかかることになります。
人工的な化学物質が無い時代には、屎尿が肥料になって循環するというサイクルは合理的かつsustainableだったのですが、現在はヒトが摂取するものの中にはさまざまな化学物質がある、ということを改めて認識しました。
つまり、それをそのまま使ってダイジョウブ?ということにもなっている訳ですね。

下水道のその他の問題として、仮に、今よりも低コストの「その場で浄化するトイレ(パイプラインが必要ない)」などが開発されたとしても、発展途上国などでは非常に高価であって、浸透するとは思えないことや、そもそも、トイレの習慣というのは非常に文化的背景に依存していて、タブーがからんでいるので、ちょっとやそっとでは変えられないことも考慮しなければならないなど、いろいろあるのだと知りました。

*****
で、手帳ですが、とにかく「アナログ、一元化」されていましたので、それが無くなると、とんでもないことになりそうです。
今週から3週間分くらいは、記憶に残っているのですが(アナログ、手書きは記憶に残りやすい)、さすがにそれ以降は自信がありません。
世の中には、ちゃんと数日前にリマインドのメールを入れて下さる方もおられるのですが、当日まで放っておかれる場合も多々あり、・・・きっとこれから不義理をしそうです。
ごめんなさい。
といって、このブログをお読みになっている方ばかりではないので、予め謝っても仕方ないのですが。
しかも気付いたら、明日は休日。
問い合わせ不可。
さあ、どうしたもんでしょうね。
by osumi1128 | 2007-03-20 23:30 | サイエンス | Comments(0)

凍りついた香り

本日、仙台空港アクセス線が開通!
最短で空港駅から仙台駅までたったの17分!!!
札幌からの帰り、本日限りの「無料乗車券」を配布していて、「まあ、ラッキー♪」と思って空港2階から直結している駅に行きりました。
これで飛行機の出張がだいぶ楽になりそうです。
・・・と思ったのですが、「反対方向の列車が遅れているので、しばらく停車します」だとか「停止信号を感受しましたので、少々お待ち下さい」だとかで、結局30分以上かかったのでした。
しかも、途中に大きなショッピングモールも開業していて、日曜日とあって買い物客も乗車していたので、激混み。
まあ、910円分をタダにしてもらったのですから、文句を言う筋合いではないのですが。

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さて、以下は札幌で帰りの飛行機の搭乗を待つ間にしたためた書評になります。

その前に、ホワイト・デイにもらった『働きマン』3冊は、結局一晩で読破。
登場人物がうまく描き分けられていて面白かったです。
作者の安野モヨコは『さくらん』も描いた人と知り、ちょっと興味が沸きました。

そんな折、『博士の愛した数式』に泣いてしまった私に、学生のHさんが「先生、これ、小川洋子の新刊です」と渡してくれたのが『凍りついた香り』(幻冬舎文庫)。
「サンキュー、ちょうど今度の出張のお供に連れて行くね!」
という訳で、先週金曜日の新幹線で一気に読んでしまいました。

実は、仙台駅一階のスタバでモーニングコーヒーを飲みながら読み始めたら指定席を取っていた新幹線に乗り遅れてしまった、というくらい最初からのめり込みました(苦笑)。
かつて鼻粘膜に存在する嗅覚の神経細胞の発生を研究したこともあるため、「香り」モノはツボに嵌るようです。
ちょうど今、映画となって公開されているパトリック・ジュースキントの『香水』(映画の邦題は『パーフューム』)も不思議な魅力なのですが、小川さんの方の主人公の恋人も調香師(見習い)です。

物語は、主人公がプラハ行きの乗り継ぎ便に搭乗するところから始まります。
実は、主人公はしばらく前に恋人を自殺で亡くしたのですが、死の直前に「記憶の泉」と名付けられたオリジナルの香水を調香するに至った恋人の過去を知りたいと、恋人の実家や、かつてのガールフレンドのところを訪ねます。
分類好きで妙に数字に妙に強いと思っていたら、実は数学の天才少年として数々のコンテストで優勝していたことなど、主人公の知らないエピソードが次々と浮かび上がります。
やや精神を病んでいるらしい恋人の母親という存在が、ちょっと「博士」を思い出させます。

匂いが記憶としっかりと結びつくのは、嗅球や海馬が進化的に古い脳であるというつながりがあるからかもしれないのですが、視覚と違って、それを形容する専門の言葉が無いというのは何故なのでしょう?
必然的に、匂いは「檸檬の香り」だったり「夏の海辺の匂い」だったり「凍ったばかりの明け方の湖」(本書より)だったり、何かになぞらえて呼ばれることになります。
あるいは、「あのひとの香り」のように、きわめてパーソナルな場合や、匂いと生殖の密接な関係などの連想性から、本書は香水瓶のように、ひっそりとエロチシズムを閉じこめているように思えます。

ちょっとミステリーのような、そしてプラハの幻想的な風景がファンタジーのような、印象深い本です。
遠い記憶の中の香りを思い出しました。

追伸:
子供の「数学オリンピック」が挿入されていたのは何の本だったのか、読み終わってしばらく気になっていましたが、瀬名さんの『デカルトの密室』の中でフランシーヌ・オハラと尾形祐輔が参加していたのでした。
by osumi1128 | 2007-03-18 20:16 | 書評 | Comments(0)