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国立情報学研究所オープンハウスで講演など



各種講演会が開催される学術総合センターは、「一橋講堂」があるところなのですが、2000年に建て替えられた際に国立情報学研究所(NII)ほかいくつかの国の機関も入った複合ビルになっています。そちらのオープンハウスが金曜日、土曜日で開催され、講演ほかのために参加しました。
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今回の講演タイトルは……
夢を描こう!:顔面発生から超音波発声まで
だったのですが、タイトルスライドにいきなりミスタイプが……orz(スクリーンに移したリハーサルをしていないせいですね。自省)。 めげずにきっちり50分話しました! ……が、本当は5分前に止めて質疑応答の時間を取る予定でした……orzorzorz(関係各位、ごめんなさい)。 ともあれ、要所要所でジョークも入れて楽しい講演となったと思いますので、追って動画がアップされたらお楽しみ下さい♬

NIIは2年前に所長が喜連川優先生になったこともあってか、今回は女子高校生のためのワークショップも開催されました。スーパー・サイエンス・ハイスクール指定校の都立戸山高校なども含む女子生徒さんが参加して、自分の夢(将来、なりたい職業、やりたいことなど)、その上でどんな不安があるか、など、グループ討論の後、各班の代表者から発表してもらいました。
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こんな意見も出ましたが……。
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講演でも話しましたが、高校生向けには、広く学ぶこと、大学入学がゴールではないことなどを強調しました。かなり踏み込んだプライベートなアドバイスも……。皆さん、素敵な人生を歩んで下さいね!

講演とWS後に、ビルの22階にある所長室にお邪魔しました。眼下には皇居の緑が広がります。新宿などのビルの夜景も美しいとのこと(室内のライトが写り込んでいますね)。
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こちらは、所長室の一面、白く塗ってホワイトボードにしたところの前に署名をし、喜連川先生と記念撮影。マーカーの文字がちょっと見にくいかな……。



by osumi1128 | 2014-05-31 18:33 | 科学 コミュニケーション | Comments(0)

マイナス x マイナス = プラス

東北大学は1913年に旧帝国大学として我が国で最初に女子学生を受け入れた大学であり、昨年はその百周年のお祝いをしました。その折に、平成13年頃から行ってきた男女共同参画関係アクションの今後の展開のための「行動指針」を発表し、いよいよ今年からは「男女共同参画推進センター」が立ち上がりました。これまでの活動の中で、文科省の大学システム改革系の予算を得て自然科学系の女性研究者育成について行って来ましたが、今年度からはすべて大学独自の予算のみで展開し、より広く、人文社会系や男性にも「門戸開放」することになります。

東北大学では、女性研究者育成のためのメンター制度として、「澤柳フェロー」を設立していました。冠にした「澤柳」は「門戸開放」を開学の理念として謳った初代総長、澤柳政太郎の名前に因みます。澤柳フェローは、女性教授の中でメンターになって頂く方にボランティアをお願いするものであり、例えば過日は「ランチ・ミーティング」を行いました。
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フェローも他の皆さんも皆、一律実費参加。集まったのは、女性教員だけでなく、ポスドクや研究支援者も含めた方々や、共同参画センターの方、部局独自の女性研究者育成支援室の方など多様なバックグラウンド。年度最初のイベントでもあり、立場上、冒頭のご挨拶をさせて頂き次のようなことを話しました。

本日は、今年度初めての澤柳フェロー・ランチ・ミーティングにお集まり頂き、ありがとうございました。今年度からは支援の組織が発展的に「東北大学男女共同参画推進センター」になり喜ばしいことと思います。定期的にこのようなミーティングを開催し、女性研究者の方々の交流を図って頂いたり、タイミングによっては「研究費獲得スキルアップセミナー」なども開催されると思いますので、ふるってご参加下さい。

ところで、この場を借りてご紹介したいエピソードがあります。本日お集まりの方の中には、仕事上のお名前が戸籍名とは異なる方もおられると思います。2001年より、国立大学では就業時の「通称使用」が認められているのですが、ごく最近、私の友人の女性から、文科省提出書類上で戸籍名を使わなければならない場合があることを指摘されました。実際、文科省関係の学術賞などにおいても、その賞状に記載される名前、つまり新聞報道等で発表される名前が「戸籍名」であることは、本センターの副センター長でもある、医工学研究科教授の田中真美先生(本日はご欠席ですが)の科学技術に関する文科大臣表彰の際にも耳にしました。

また、通称を「ハイフン付き姓」にしたりすると、ややこしいことになります。研究者にとっては論文業績はとても大事なことですが、私自身がかつて使っていた名前の「Osumi-Yamashita, N.」さんは、現在の「Osumi, N.」さんとは別人としてPubMedという業績検索ソフトで扱われてしまいます。また、新聞報道などに名前が載るというときには「どちらかの姓にして下さい」と言われます。おかしなことですが、外国人の姓が含まれる場合は良いので、有名な女子テニス選手「クルム伊達公子」はOK。「橘フクシマ咲江」(G&S Global Advisors代表取締役社長)氏は、ご主人が確か日系二世の方なので、このようなお名前で文科省の委員会名簿にもお名前が載っています(戸籍名については存じ上げません)。

ともあれ、こういう小さなことも少しずつ改善されるようになると良いですね。そのためには、皆さん一人ひとりの小さなアクションが大切です。東北大学の男女共同参画推進センターも、これまでの女性研究者育成支援室の活動をさらに広げていけるようにしたいと思います。また、皆さんにおかれましては、このような活動の場を有効に利用して頂いて、人脈を広げ、ネットワーキングして下さい。

初めて顔を合わせる方も多かったので、順に自己紹介をして頂きましたが、皆さん個性溢れるスピーチをされておられました。その後、簡単な立食のランチを取りながら歓談した後、遅れて到着された方のスピーチになりました。東北大学で初めての理系教授であった栗原和枝先生も、我が国の女性研究者育成推進にご尽力された方のお一人ですが、このときのスピーチの中で言われた言葉が素敵でした。

……先日も、国際会議でロシアに行ったときに、懇親会で女性研究者の話題になりました。◯☓国(聞き損ねましたが、いわゆる開発途上国だったと思います)から来られた女性研究者が「私はとてもマイノリティーなのです」と言われて、「でも、マイナスかけるマイナスはプラスですよ!」とお話したら、「Oh! 今回の学会参加でもっとも嬉しい言葉を聞きました。ありがとう!」と言われました。

女性が科学の仕事を続けることは、現時点で男性よりもたいへんなことがあるかもしれませんが、これでも、前の世代の女性研究者よりはベターになってきています。何ごとも考え方ですから、前向きに行きましょう!

理系・文系という二分法が、高校生の進路選択に影響すること自体、大きな問題と思っていますが、日本でマイノリティーである理系であり、なおかつその中のマイノリティーである女性、すなわち「理系女子(リケジョ)(注)」は、ざっくり言えば超マイノリティーです。これは、多くのOECD諸国において、学部進学時点の理系女子が約40〜50%(分野による違いあり)なのに対して、日本では約半分程度の割合であることから差が生じています。

そのため、東北大学では次世代の女性科学者・工学者育成のためのロールモデルとして、「東北大学サイエンス・エンジェル(SA)制度」を9年前から始め、今年も71名が総長名で任命される予定となっています。今年もオープンキャンパスでのイベントや、地域の科学館での科学実験デモ、高校等への出前授業など、たくさん活躍してくれることと思います。

【関連リンク】
東北大学女性研究者育成支援推進センターHP:追ってセンターのHPに改組予定
北米神経科学学会会長Prof. Carol Masonのメッセージ:A Call to Action

【注】どうも昨今、「リケジョ」という用語の定義が「若くて可愛らしい理系女子」というような狭く特殊なもの変化してしまったような気がしますが、本来の用語はそうではありません。例えば、公立はこだて未来大学教授、美馬のゆり先生「理系女子的生き方のススメ」をご参照下さい。

by osumi1128 | 2014-05-25 20:29 | ロールモデル | Comments(1)

研究倫理についてのセミナー

d0028322_17193842.jpg昨日、元の職場である国立精神・神経医療研究センターで講演をしてきました。

「研究倫理について話してほしい」という依頼が来たのは3月下旬のこと。学生さん相手の講義などでは、折に触れ「コントロールを取ること」「再現性があること」などを盛り込んで話をしてきましたが、正面から「研究倫理」について講演するのは、ほぼ初めてで、PowerPointスライドもまったく最初から作りました。タイトルも悩んだ末に次のようなものに決めました。
「SXXP細胞に学ぶ〜研究行為における「誠実さ」とは〜」(ポスターのものと、ちょっと変えました)
導入でNature誌の論文を取り上げて、具体的な問題点についても、日本分子生物学会のHPに置かれている「正しい知識が捏造を防ぐ データを正確に解釈するための6つのポイント」などに触れましたが、強調したかったことは、科学という営みが「誠実さ」にもとづいていること、日本語で「研究公正局」と訳される米国のOffice of Research Integrityという名称に使われている「Integrity」の意味、科学を行うことの根源的な喜びはどういうところにあるのか、などでした。また、聴衆は学生さん、研究員、研究支援者、研究室主催者等、広がりがありましたので、皆さんそれぞれに聞き所があるようにしたつもりです。

幸い、主催者の方によれば「140名ほど集まり、さらに入りきれずに40名ほどが帰ったので、撮影したヴィデオの上映会を開催したい」とのことで、ともすると聴衆が集まらない傾向のあるテーマのセミナーにしては、目的を果たせたかなと思っています。やはり、関心の高いタイミングであるということもあったのでしょう。

脳神経科学関係の研究所ですから、主催部局である「トランスレーショナル・メディカルセンター」の武田センター長始め、存じ上げている先生方も多いのですが、さらに加えて2年間、室長として過ごした元の職場でしたので、当時の部下や、さらに、うちのラボ出身者、元東北大学の方など何人もの方に久しぶりに会えたのも嬉しいことでした。

セミナー終了後に、四川料理をご馳走になりました♬ お世話になりました松岡先生、ありがとうございました。
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by osumi1128 | 2014-05-21 17:29 | 科学技術政策 | Comments(1)

研究倫理についてのセミナー

d0028322_17193842.jpg昨日、元の職場である国立精神・神経医療研究センターで講演をしてきました。

「研究倫理について話してほしい」という依頼が来たのは3月下旬のこと。学生さん相手の講義などでは、折に触れ「コントロールを取ること」「再現性があること」などを盛り込んで話をしてきましたが、正面から「研究倫理」について講演するのは、ほぼ初めてで、PowerPointスライドもまったく最初から作りました。タイトルも悩んだ末に次のようなものに決めました。
「SXXP細胞に学ぶ〜研究行為における「誠実さ」とは〜」
導入でNature誌の論文を取り上げて、具体的な問題点についても、日本分子生物学会のHPに置かれている「正しい知識が捏造を防ぐ データを正確に解釈するための6つのポイント」などに触れましたが、強調したかったことは、科学という営みが「誠実さ」にもとづいていること、日本語で「研究公正局」と訳される米国のOffice of Research Integrityという名称に使われている「Integrity」の意味、科学を行うことの根源的な喜びはどういうところにあるのか、などでした。また、聴衆は学生さん、研究員、研究支援者、研究室主催者等、広がりがありましたので、皆さんそれぞれに聞き所があるようにしたつもりです。

幸い、主催者の方によれば「140名ほど集まり、さらに入りきれずに40名ほどが帰ったので、撮影したヴィデオの上映会を開催したい」とのことで、ともすると聴衆が集まらない傾向のあるテーマのセミナーにしては、目的を果たせたかなと思っています。やはり、関心の高いタイミングであるということもあったのでしょう。

脳神経科学関係の研究所ですから、主催部局である「トランスレーショナル・メディカルセンター」の武田センター長始め、存じ上げている先生方も多いのですが、さらに加えて2年間、室長として過ごした元の職場でしたので、当時の部下や、さらに、うちのラボ出身者、元東北大学の方など何人もの方に久しぶりに会えたのも嬉しいことでした。

セミナー終了後に、四川料理をご馳走になりました♬ お世話になりました松岡先生、ありがとうございました。
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by osumi1128 | 2014-05-21 17:29 | 科学技術政策 | Comments(0)

賢慮(フロネシス)のススメ

『仙台通信』が全国区のハフィントン・ポストに自動転送されるようになり、ちょっと窮屈な感じが無いこともない。いつもいつもアジった文章を書くのはエネルギーがいる。軽い、内輪受けのネタが書きにくいのだ……。やれやれ。気にせず書いてみたら、先方が勝手に判断するだろうか。

 

ともあれ、この話はちゃんと取り上げておこうと思っていた。1ヶ月ほど前に、総合科学技術会議(←まだこの名称で良い?)常勤議員の原山優子先生を囲んで、仙台縁のメンバーで集まった夕食会(原山先生は元東北大学大学院工学系研究科教授)があり、まぁ、久しぶりにお目にかかった方々で、SXXP細胞のことやら、これからの第5期科学技術基本計画はどうあるべきかなど含め語りあったのだが、そのときに原山先生が「フロネシス」について言及されていたことが話題に登った。

 

「フロネシス」とはちょっと聞き慣れない言葉かもしれない。アリストテレスによれば「中庸を守る特性」であり、智恵や叡智を意味する「ソフィア」とは区別され、バランスを大事にした実践的な智とされる。富士通総研理事長、カリフォルニア大学バークレー校ゼロックス知識学ファカルティー・フェローの野中郁次郎は、第二次世界大戦における日本の敗戦について、この「フロネシスの欠如」が問題であると指摘し、20061130日の第3回イノベーション25戦略会議では、こちらの資料のようにフロネシスを定義している。

 

イノベーター育成-- 知識創造人材を育てる--(PDF)


野中は「イノベーションの本質は知的創造プロセスである」とし、そこでは「暗黙知=アナログ知」と「形式知=ディジタル知」との相互作用が必要であると論じる。そして、「知識創造の根幹に、知識の知恵化を支援するフロネシスがある」とする。

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ここで特筆すべきは、「フロネシス」には「賢慮prudence」や「実践的智恵practical wisdom」に加え「倫理ethics」の意味があるという捉え方だ(末尾補足参照)。野中によれば、フロネシスは「倫理の思慮分別をもって、その都度の文脈で最適な判断・行為ができる実践的知恵(高質の暗黙知)」と定義される。そして、野中はフロネシスを備えたリーダーがイノベーションを生み出すのに重要であると主張する。

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同様の主張が為されている、より実践的に噛み砕いた文章として、下記の原山先生のエッセイを挙げておきたい。その中の野中からの引用によれば、「イノベーティブなひと」に必要な特質であるフロネシスとは、「個別具体的な場面のなかで、全体の善のために、意思決定し行動すべき最善の振る舞い方を見出す能力」と定義されている。


東北大学原山優子教授の産学連携講座現場からのレポート第18回「イノベーティブなひと」とは?


ちなみに、上記2つを引用されている黒川清先生の文章はこちら。合わせて読むと理解が深まるだろう。


黒川顧問からのメッセージ・第4回「イノベーティブな人」の条件「フロネシス(Phronesis)」とはなにか?(2006/12/11)


さて、これらの文章はみな8年前のものであるが、まったく古びていないどころか、ほとんど実践されていないのではと思えるほどだ。フロネシスが必要なのは「イノベーションを生み出すリーダー」だけではない。社会の変化のスピードが早い今日、産官学すべての組織のリーダーに求められるのはフロネシスという特質、あるいは「徳」であろう。種々の研究不正が問題となっている現場においても然りである。


フランスからレジオンドヌール勲章を授与されている原山先生は、上記のエッセイの中でフロネシスという言葉の引用に至るまでにパスカルを引用し、「幾何学の精神esprit de geometrie」と「繊細の精神esprit de finesse」という捉え方の両方が重要であるということも述べておられる。それらは論理的思考と情動的判断と言い換えることもできるかもしれない。それらがバランスしていることが重要なのだ。「正しい」ことの判断には、主観的な倫理観や公正性の背景がある。以下、原山先生の文章を引用することで締めくくりたい。


科学的知識と実践的知識を融合してアクションを取るイノベーティブなひとには規範的な側面においても卓越していることが求められるのではないでしょうか。


補足:私はフロネシスの概念の中に入るものは、「倫理」よりも「公正性integrity」という言葉を当てはめた方がぴったりくると思う。Integrityの語源はラテン語の「全体、完全、健全」に由来するが、今では「誠実、正直、高潔、品位」などと訳され、Research integrityという用語は「研究の公正性」という日本語が定訳となりつつある。個人的には「誠実さ」がもっとも好きな言葉である。(下引用した図はLinda Reidという方のコーチングサイトの記事The Power of Integrityより)

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by osumi1128 | 2014-05-18 22:54 | オピニオン | Comments(1)

研究不正防止の「これから」を考えよう

GW明けに理化学研究所からの調査結果発表がありました。

疑義のあったNature論文2本について、それ以上の調査はしないこと、Nature Articeについては取り下げ勧告が為されました。今後、研究不正を行った者に対する処分や再発防止策の検討が為されることになります。

21頁にわたる調査報告書は、きちんとした証拠を挙げつつ厳密な論理展開で不正を認定し、不服申立て者側の意見を退けていると思われました。この報告書の中で新たにわかった事実(日経BPの宮田氏による記事でいうところの「隠し球」)は、当該Nature Articleの原稿が、Cell誌、Science誌にも投稿されており、その査読評価プロセスにおいてすでに「電気泳動データの切り貼り」が指摘されていた、ということでした。それら投稿論文の原稿ファイルなどの物的証拠が提出されなかったために詳細は不明ですが、査読コメントがなぜ、2014年にNature掲載となった論文の原稿作成に活かされなかったのか、大いに疑問が残ります。査読コメントは、単に批判するだけでなく、匿名の査読者が当該論文を「良くするため」に行われるものであり、それが次の投稿に活かされていないということが不思議であり残念でなりません。また、科学者としてはLetter論文の方にも種々の疑義があるまま放置されて良いのかと感じます。まぁ昔なら、再現性が無ければそのまま見捨てられ風化していくのだと思いますが。

これらNature論文のオーサーシップについてはこちらを参照。

科学コミュニティーとしては、今後の防止策についてより真剣に考えるべきと思います。過日も取り上げましたが、平成18年に文科省からはすでに「研究不正防止のためのガイドラインについての報告書」が提出され、昨年末からその「見直し」が検討されているところです。

研究不正の対応は、大きく分ければ「不正を予防するための方策(教育・意識啓発・その他のしくみ)」と、「起きてしまった不正に対応するための方策(告発・調査機関の設置など)」になります。個人的には前者の方が長期的な観点からより重要であると思い、その中には初等中等教育からの倫理啓発、タイピングの基礎の習得時に行うべき「引用のエチケット」教育、科学ジャーナルの投稿・査読システムの改善、研究業績評価におけるハイインパクトジャーナル偏重の是正などが含まれると考えます。

ただし、今回のSTAP細胞事件だけでなく、生命科学・医学系において多数取り上げられている現状を鑑みると、喫緊には、いわゆる米国における「研究公正局Office of Research Integrity(ORI)」などの組織を設置するのかどうか、という問題があります。すでに拙ブログで述べましたが、米国は1980年代の研究不正多発を受けて、ORIが設置されたという経緯があり、ただし、現状ではその活動としてはeducationの方に重きが置かれているようです。研究不正対応の「第三者機関」は「あった方が良いよね」という認識で捉えるべきではなく、誰がその任務を行うのか、その力が強くなるということは国家が科学の自由に制限をかけることになっても良いのか、という大きな問題があります。

日本分子生物学会では、研究倫理委員会を中心として、昨年に行った会員アンケート年会におけるフォーラムをもとに研究不正対応の提言をまとめる予定ですが、ぜひ、本ブログのコメント欄を利用して、ご意見をお寄せ下さい。


by osumi1128 | 2014-05-11 11:56 | 科学技術政策 | Comments(26)

「切り貼り」の一人歩きを憂う

予めお断りしておくが、本ブログは実名で公開しているものの、その記事は大学や学会など筆者の所属する機関の見解ではなく、あくまで個人の意見である。

1月末にNature誌に発表された2本の論文をきっかけに、話はさらに広がってNature誌論文筆頭著者の所属研究機関以外の研究者へも疑義が飛び火した。理研の不正調査委員会委員がすでに発表していた論文に関して、不正の疑いがあるという指摘が理研や他の大学に通報されたのだ。誰がどのような意図をもって「匿名の告発」を行ったのかは不明であるが、くだんのNature誌論文筆頭著者の弁護団からは「捏造・改竄の定義を求める」質問状が理化学研究所に提出されていた

質問状は、理研の調査報告書が解釈を明らかにしていないため、弁護団との主張がかみ合っていないとしている。理研の規定で改ざんは、「データの変更などにより結果を真正でないものに加工する」と定義されている。これに対し弁護団は、「加工した画像の結果が、真正な画像によって得られる結果と異なる場合」でも、真正な画像があれば改ざんには当たらないと主張している。捏造についても、実験せずにデータを提出した場合などを指すとし、小保方氏の画像切り張りや取り違えは改ざんや捏造に当たらないとしている。【毎日新聞4月30日付け畠山哲郎】


5月2日付けの調査委員の一人の所属先大学からの予備調査結果の開示により、メディアは、弁護団がさらに申立人擁護の根拠を得たかのようなコメントを報じた

三木氏はコメントの中で「STAP論文は許されず、田賀論文は許されるとすれば、画像の切り張りや引き伸ばしについて許される場合と許されない場合があることになる」と指摘。「改竄(かいざん)の定義を明確にすることを改めて求める」とした。(5月3日、産経新聞)


まず、「画像使い回し疑義」については、これを告発した方が、論文の中身はおろか科学論文の作法をまったく理解していない可能性があるので、まずそのことを指摘しておく。画像のデータでは、低倍率で広い視野を示すものと、その中の特定の細胞などを拡大してわかりやすく示すことは一般的に行われている。むしろ、高倍率の画像のみを示すことにより「捏造・盗用ではない」ことを示すものである。筆者は「告発文」そのものは見ていないが、そのことを理解した上で告発文に含めていたのだとすると、そのこと自体が「悪意」をもった告発であることを示す可能性も考えられる。

今回の騒動では告発者が、分子生物学系の研究において多用される各種の電気泳動データに関して疑義を申し立てているようなので、どのような「ルール」があるのかを示しておきたい。以下は、日本分子生物学会の若手教育ワーキンググループ(当時)が行ったフォーラムをもとに、2008年に中山敬一氏が「蛋白質核酸酵素」という雑誌に寄稿した文章「Photoshopによるゲルの画像調整」からの抜粋である。

1)コピー&ペースト(当たり前) ←しかし過去の捏造の大部分はこれ
2)タッチアップ(写真の傷を修正するためのツール)の使用
3)画面の一部のみ、明るさやコントラストを変更すること
4)異なった時間・場所で行った実験結果を、あたかも一つのデータのように見せること(例えば、同じ電気泳動ゲル上の離れたレーンを近づける場合でも、間に境界線を描かなければならない)

1)~3)は誰でもわかることで、確信犯的なケースしかこのルールを破る人はいないだろう。また専門家が見れば、このような処理は簡単に見抜くことができる。4)に関してはきちんと境界線を描いていないケースを時々認めることがある。注意されたい。


上記の抜粋において、1)はわかりやすいだろう。生命科学系の実験はかなりの部分「相対的評価」をするので、常に「対照群に比してどうか」を示す。したがって、電気泳動の場合にも、同じゲルに分子量マーカーや、対照条件、それと比較したいサンプルA、B、Cをともに泳動する必要がある。「対照条件はいつでも同じ結果が得られる」からといって、その結果の「バンド」を「使い回し」してコピペしては実験の意味を為さない。だからこそ、実験ノートにはどの「レーン」がどんな条件のサンプルであるかを記載することが必要である。

当然のことながら、画像ソフトを用いて論文用の画像のコントラストなどを変えると、これらの「細工」は露呈する。

2)のタッチアップは、画像の一部についた傷を「スタンプツール」などで修正することであり、芸術作品ならばそれもありえるかもしれないが、科学論文では「やってはいけない」ことになっている。では、ほんの少しだけ傷があるデータはどうするか。それは「実験をやり直す」ことが必要となる。些細なことなのに、と思うかもしれないが、ここで「不誠実」なことをすると、すべてのデータが疑わしくなってしまうからである。

この場合もまた、画像ソフトを用いて論文用の画像のコントラストなどを変えると、傷の修正は露呈する。

3)はもう少し深刻な問題がある。電気泳動のデータから「定量的な解析」を行う場合には、「バンドの濃さ」を測定することがある。このとき、Photoshopアプリ上で不適切な「調整」を行うと、例えば対照群とサンプルAの量を比較したい場合に、生データ上の比と異なる値を出すことが可能である(中山先生の図を拝借するので参照されたい)。もし、自分なりボスなりがある仮説を持っていたとして、それに合うような数値が欲しいというような場合に、こういう処理をするとその値が得られてしまうのである。

この場合、生データを見ないと本当のところがどうなのかは不明である。ただし、このような処理をした結果として、バンドの画像が不自然になることにより、改竄が発覚することもある。

4)が今回、新聞などの見出しにもなった「切り貼り」処理に近いものであろう。これはどのような場合に生じるか? 実験の際に、ゲルの左から、分子量マーカー、サンプルA、B、C……というサンプルを各レーンに流して結果を得て、さて論文の原稿を書いてみたところ、論旨として、A、C、Bの順に述べた方が論旨がわかりやすい、となったとしよう。もっとも誠実な対応は、サンプルの順番をA、C、Bにして再度実験をやり直してデータを取ることである。だがその時間が無い。そこでPC上でレーンの「切り貼り」を行うことにして時間を短縮する、という対応がこの場合に相当する。

このような「同じ条件で行った実験(当然ながらそのことがノートに記載されているとして)」のゲルのレーンBとCを入れ替えて示す場合には、「入れ替えた」ことが明示されるように、レーンの間に隙間を入れる(もしくは白い線を入れる)などをすることが推奨されている。各条件を3レーンずつ流しておいて、もっとも美しいバンドを選択して(切り貼りして)並べて示したい、というような気持もわからない訳ではないが、できれば全部並べて示すべきであるし、切り取って貼り合わせたのであれば、それがわかるようにしなければならない。

この場合、「異なった時間・場所で行った実験結果」を貼り合わせるべきではない。なぜなら、上記にも述べたように、生命科学系の実験のかなりの部分が「相対評価」であって、「絶対定量ではない」ため、同一の実験条件でサンプルA、B、Cを比較しなければ、本当に相対的な評価ができないからである。

当然のことながら、これらの「貼り合わせ」は、画像ソフトを用いて論文用の画像のコントラストなどを変えると、簡単に露呈する。

さて、ここが重要なのであるが、これらの「画像の切り貼り」が「意図をもって為された改竄」かどうかは、論文を読んだだけではわからない。

では、どうやって「意図をもって為された改竄」か、そうでないものかを見分けるのか? それは、日時やサンプルについての情報が適切に記述された「実験ノート」などに残された「生データについての情報」を照らし合わせることにより、当該実験に詳しい研究者であれば理解できる。

しかしながら、このような「生データ」が無い場合には、実験者がいくら『悪意がない』ことを主張しても疑義を晴らすことができないのである。

ただし、ここでまた問題なのだが、現時点では「生データ」を何年間保管すべきか、ということについて、明確に示されたルールが存在していない。現在では考えられないことだが、かつては研究者によっては、論文を投稿し、査読とリバイスを経て無事に受理された時点で廃棄することもあったかもしれない。普通は、まぁ、もう少し長い期間、その研究を引き継ぐ学生さんやポスドクなどが研究の筋道を辿ったり、論文への問合せに対応するために残しておいたりしただろう。ただし、実験を担当した学生やポスドクが研究室を移動する際に持って行ってしまう、研究室の引っ越しなどに伴って処分するなどは、現実的に起きたことなのではと思われる。特許等への対応が一般的となった現在では、原則、実験ノートや成果物は所属機関に帰属するが、2000年くらいまでの日本国内では、上記のようなこともあったと思う。

さて、では「論文捏造は切り貼りをしないとできないか」というと、残念ながらまったくそうではない。注意深く実験を組み立てれば、生データレベルから「真正ではない」結果を出すことは可能である。そのような事例として、1980年代初頭の「マーク・スペクター事件」を紹介しておく。すでに、読み物としては、『背信の科学者たちー論文捏造、データ改ざんはなぜ繰り返されるのか』(松野賢治訳、講談社ブルーバックス)や、福岡伸一さんの『世界は分けてもわからない』(講談社現代新書)に取り上げられているので、詳しくはそちらを参照されたし。

ちなみに、コーネル大学HPではこちらのように経緯が詳しく情報公開されている(英語PDF)

当時、ATP分解酵素に関する研究で世界をリードしていた米国コーネル大学のラッカー研に大学院生として、参入したスペクターが、他のラボメンバーが決して成功しなかった実験を次々とこなして、ひと月足らずの間にデータを出して論文に発表していった。この場合のデータ捏造は、ラッカーの仮説がどういうものかをよく理解し、それに沿ったデータを「作る」にはどうしたらよいかを考えて、最適化した実験を組んでいるのだ。この場合は、論文を見ても、ノートを見ても捏造かどうかはわからない。いわば完全犯罪である。

……とはいえ、共同研究者のヴォークトが「たまたま」誰もいない実験室でスペクターの実験に使用した電気泳動ゲルにガイガーカウンターを近づけてみたことによって捏造は発覚した。ただし、もしヴォークトによる捏造の発覚が無かったとしても、恐らくその後数十年の間に追試ができず、「あれは間違いだったね」ということになっていたのではと想像する。この件は、少なくともニューヨーク・タイムズには載ったのだろうが、当時の米国市民の間でどこまで話が伝わっていたかについては私にはわからない。

ヴォークトからその話を聞いたラッカーは驚いた。そして、スペクターに事の経緯の説明を求めた。以下、福岡さんの本より引用する。

スペクターは何も認めなかった。捏造の意図も、捏造の実行も。自分は何も知らない。こんなことは誰かが自分を陥れるために行ったことだ。そう主張した。ラッカーは考えた。重要なのは予断を持って何ごとかを決めてしまわないことだ。スペクターがデータを捏造したという証拠は何もない。ラッカーはスペクターに命じた。三週間の猶予を与える。すべてのリン酸化酵素を新たに生成しなおして自分に手渡してほしい。その活性をこちらで調べ直す。スペクターは言下にイエスと答えた。自信に満ちていた。(福岡伸一『世界は分けてもわからない』第12章「治すすべのない病」より)

結局、スペクターは姿を消し、3週間経っても戻ってこなかった。ラッカーはスペクターを解雇し、学位審査プロセスを中止し、スペクターが行った実験の再現性を他の研究員に命じた。何一つとして再現性が得られなかった。

ちなみに、スペクターはコーネル大学追放の後、どうなったか? 上記のコーネル大学で公表されている記録によれば、その後、アイオワ大学にてオステオパシー医療の資格を取り、心臓外科のチームに入ってデータ処理に関わっていた。ところが、このときもまた、虚偽の医師免許を使っていたという。つまり、「捏造は習慣性がある」のである。

さて、以上、長くなったが、過日、朝日新聞オピニオン欄の「耕論」に挙げたことを繰り返しておこう。生命科学論文の世界にIT技術が浸透してきて、まだ私たちはそれを使いこなしていないように思う。データの示し方のルール、保管の仕方、雑誌での取り扱い方など、研究者コミュニティーが早急にルールづくりを進める必要がある。そうでないと「論文のあら探し」によって、健全な科学の進歩が損なわれる可能性がある。もちろん、その大前提として、科学者自身が襟を正し、自らが研究不正を防ぐ意識を高く持たなければならないのは言うまでもない。

【関連リンク】
日本分子生物学会理事長メッセージ(初夏):「科学」という手続き

by osumi1128 | 2014-05-05 10:46 | サイエンス | Comments(7)