最適化問題

これから帰国の途に付きます。
エジンバラは5泊しました。
このくらい長く滞在すると、さすがに超方向音痴の私でもホテルから会場まで最短の経路を黙々と歩いて通えるくらいになります(←空間学習)。

チェックインしてまず行うのは、部屋の撮影、その後にアンパッキング、すなわち、トランクに詰めてきた衣類等をクローゼットにしまったり、洗面用具を配置したり、というカスタマイズです。
数日滞在する間に、デスクの上には書類が散らかったりしていく訳ですが、それもカスタマイズで心地よいですね。
朝起きたらまずお湯を沸かして紅茶を飲む(今回のホテルはお気に入りのアールグレイのティーバッグがあってラッキー♪)などのいくつかの行動パターンが儀式のようになっていきます。



考えてみると、「最適化」するのが好きなのですね。
トランクの中に物を詰めるという課題なんて、毎回ほとんど同じようであって、ちょっとずつ違うので楽しいです。
衣類は2つか3つのカテゴリーに分け、同じような形になるように畳み、積み重ねて風呂敷に包む、というのが基本パターン。
トランクに入れていく際には、重たいものを下に、嵩の大きいものを先に、というようなルールがあって、小さなものは隙間に入れていきます。
きっちり詰められると非常に達成感を感じます(←報酬系活性化)。

*****
ところで、島岡要さんの著書『やるべきことが見えてくる研究者の仕事術—プロフェッショナル根性論』をご紹介しましたが、研究者ブロガーの第一人者stochinaiさんのところでも取り上げられています
また、神経科学者SNSの方でも話題になったようです。

そこで挙がった論点として「研究はビジネスか?」というものがあります。
研究は、言われてやることではなく、研究者のオリジナルな発想に基づくことが基本であり、「研究は冒険でありロマンだ!」という面もあります。
一方で、どんな世界にもあるように、競争原理は働いていて、複雑な人間関係の中でいろいろな折り合いをつけなければなりません。
また、個人で大型望遠鏡を設置したり、野外で鳥の渡りを調査するような方は別として、大多数の人にとって多くの研究は税金に頼っているのが現状です。
研究費も、国公立系なら給料も。

ギリシア時代には哲学者が森羅万象の理について思いを巡らせましたが、彼らは衣食に困る身分ではありませんでした。
レオナルド・ダビンチにはパトロンが付いていましたし、メンデルは修道院で生活が保証されている司祭でした。
たぶん、明日の生活がどうなるのか分からない立場で科学するのは難しいことと思われます。

科学研究が国益と結びつくということが浸透するようになって、研究の中にビジネスの要素が入り込んできたのは、とくに前世紀からでしょうか。
もはや、一般的な感覚で言えば、「研究はロマンだ」というロマンチックなことは言っていられない気がします。
でも、「研究はビジネスだ」というと、何か抵抗感を感じてしまうのですね……。

一方で、自分の性質や行動パターンを振り返ると、おそらく「ビジネス」の部分を最適化するように動いていると思います。
ほとんど無意識なのですが、無駄を無くしたい、効率化したいという規範で活動するのですね。
それが嬉しいのだから、どうしてもそうなってしまいます。
もちろん、人間社会は多様な人々でできあがっているので、自分の価値観とは異なる人も多く、思い通りにすべていく訳ではないのですが。

さらに別の軸では、誰かの役に立ちたい、困った人がいたら助けたい、というビジネス的ではない気持ちも働きます。
やれやれ……。

という訳で、私としては「研究はビジネスとして扱える側面もある」という立場に立ちたいと思います。
「ビジネス」の部分は、おそらく「最適化」できるでしょう。
さまざまな「ハウツー本」なども、それぞれの必要に合わせて取り込めばよいということで……。

*****
さて、お知らせをいくつか。
……と思いましたが、ちょっと長いエントリーになったので、別立てにしましょう。
by osumi1128 | 2009-09-10 17:42 | 雑感

大隅典子の個人ブログです。所属する組織の意見を代表するものではありません。


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