偶然の一致、必然の直感

「偶然の一致」は、研究上の新発見物語でも、ラブストーリーでもよく言われる話。
「たまたま同じ研究室に……」「たまたま同じ電車に……」などから、物語は始まる。




例えば私の場合……。
たまたま所属していた研究室で博士号を取得したいという製薬会社の方が、研究のネタとして「目鼻のできないラット」を持ち込まれた。
助手の頃だったので、その方の実験指導に直接関わって、目ができないのは誘導の初期で躓いていることが分かった(1)。
面白そうだったので自分のテーマにも使って、鼻の形成に関係して神経堤細胞という細胞集団の遊走異常や遺伝子変異を明らかにした(2)。
その遺伝子は目鼻の発生だけではなく、(たまたま)脳の発生過程でも働いていることが分かっていたので、脳の発生に研究対象を広げ、神経細胞の特殊化に関する働きを明らかにした(3)。
さらに、海馬でも働いているようだったので、詳しく調べると脳細胞を増やすのに重要だった(4)。
この過程でさらに、グリア細胞という神経細胞を助ける細胞でも働いていることを発見し、脳腫瘍の発生に関わる可能性を見出した(5)。
一方、親分遺伝子のようだったので、子分を捜したら脂質の生理作用に関わる分子を規定する遺伝子が見つかって、その脂質の生理作用に関わる分子は、脳細胞を増やすのに重要だった(6)。
では、脂質そのものも脳細胞を増やす作用があるかを調べたところ、DHAと対比させようとして(たまたま)アラキドン酸も使ってみたら、こちらの方が効果絶大だった(7)。
元々の親分遺伝子は心の病にも関係しそうだったので、アラキドン酸で精神疾患モデルラットの症状を改善できるか試したら、完璧ではないけど良くなった……(7)。
てな具合に、ところどころに「たまたま」が入るのですね。
(上記とは別の流れの研究もありますが、それはまたいつか……)

でも、ここまで辿り着いてみると、もはや「必然だった」ように思えてくるのです。
大学時代には『栄養と料理』という雑誌を毎月読むほどだったし、美味しい食べ物は大好きだし。
あるいは、父の研究分野が農学部・水産学科ということも間接的に作用しているかも。
とにかく、何かどこかで「直感」が作用しているように思えます。
あるいは、天のお告げか神のお導きか……。

……助手をしていた頃、とある後輩が「アイディアなんて若いときの方が思いつくものだから、年を取ったら困るのでは?」と言いました。
それから何年も経った先日、若い方に「どうしたら研究のモチベーションを維持し続けられるのですか?」と訊かれました。
たぶんこの業界で生き残った研究者は、自然と次々、研究するアイディアが沸いてくるものなのではないでしょうか。
もしかしたら、限りなく抽象的な数学などとは違うのかもしれませんが、頭の中の知識のアーカイブが大きくなることによってこそ生みだされるアイディアもある。
だから、常に時間が足りない気がするし、もっと学生さんやポスドクさんがいたら、これもあれも調べられるのに…・という気になる(実際に、どのくらいのサイズのラボを維持するのが良いかは別として)。
あるいは、ものすごくモチベーションが高くなくても、それなりのポジションに着いていて研究遂行能力が高かったら、たぶん苦もなく淡々とこなせるのでしょう。

若い方にありがちなのは、「この先生が好きだから、この研究をする!」というタイプ。
実験が上手くいって良い結果が出ると先生に褒められる、というご褒美がモチベーションになっているのですね、実は。
良い師弟関係や上司・部下の関係を続けられたら、これはこれで両者にとってハッピーなことと思います。
でも、研究は失敗の方が多いから、いつもそのご褒美があるとは限らず、人間関係も永続的ではありません。
「脳の標本を見ていると、いつまで経っても見飽きない」的な方なら、失敗しても、周囲の人間関係が変わってもやっていけるでしょう。

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上記は一般の方向けなので、必要があれば文献をご覧下さい。
(1)Fujiwara, M., Uchida, T., Osumi-Yamashita,N. and Eto, K. Uchida rat (rSey): a new mutant rat with craniofacial abnormalities resembling those of the mouse Sey mutant. Differentiation 57, 31-38, 1994.
(2)Matsuo, T., Osumi-Yamashita,N., Noji, S., Ohuchi, H., Koyama, E., Myokai, F., Matsuo, N., Taniguchi, S., Doi, H., Iseki, S., Ninomiya, Y., Fujiwara, M., Watnabe, T., and Eto, K. A mutation of the Pax-6 gene in rat “small eye” was associated with migration defect of midbrain crest cells. Nature Genet. 3, 299-304, 1993.
(3)Osumi,N., Hirota, A., Ohuchi, H., Nakafuku, M., Iimura, T., Kuratani, S., Fujiwara, M., Noji, S. and Eto, K.: Pax-6 is involved in specification of the hindbrain motor neuron subtype. Development 124, 2961-2972, 1997.
(4)Maekawa, M., Takashima, N. Arai, Y., Nomura, T., Inokuchi, K., Yuasa, S. and Osumi, N. Pax6 is required for production and maintenance of progenitorcells in postnatal hipocampal neurogenesis Genes Cells. 10(10),1001-1014, 2005.
(5)Sakurai, K. and Osumi, N. The neurogenesis-controlling factor, Pax6, inhibits proliferation and promotes maturation in murine astrocytes. J.Neurosci. 28(18), 4604-4612.
(6)Arai, Y., Funatsu, N., Numayama-Tsuruta, K., Nomura, T., Nakamura, S. and Osumi, N. Role of Fabp7, a downstream gene of Pax6, in maintenance of neuroepithelialcells during early embryonic development of the rat cortex. J Neurosci. 2005 Oct 19;25(42):9752-61.
(7)Maekawa, M., Takashima, N., Matsumata, M., Ikegami, S., Kontani, M., Hara, Y., Kawashima, H., Owada, Y., Kiso, Y., Yoshikawa, T., Inokuchi, K., and Osumi, N. Arachidonic acid drives postnatal neurogenesis and elicits a beneficial effect on prepulse inhibition, a biological trait of psychiatric illnesses. PloS ONE 4(4), e5085, 2009
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by osumi1128 | 2009-09-22 11:49 | 雑感

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