報告書は誰のため?

本日朝刊にて文化勲章および文化功労者の発表がありました。
例えばこちらのasahi.comの記事などご参照あれ
仙台通信的には、飯島澄男先生は東北大学大学院工学研究科で学位を取られたことや、ウイルス学の日沼頼夫先生が東北大学医学部ご出身ということを取り上げておきましょう。
医学部HPにおける日沼先生受賞のアナウンスはこちら
本当は、昨年のノーベル生理学・医学賞の折に、ウイルスが受賞対象なら惜しかった、と話していたところでした。
ノーベル医学・生理学賞、ウィルス発見の独仏3氏に
詳しいストーリーをお知りになりたい方は、こちらのアニュアル・レビューをダウンロードして頂いて、最後の頁の菅村元研究科長のお話をお読み下さい。

で、今日の話題は研究費の「報告書」についてです。




一昨日、科学技術振興機構(JST)からの支援による5年間のプロジェクト「ニューロン新生の分子基盤と精神機能への影響の解明」が終了するにあたり報告書のメイン部分を書くのに12時間くらい費やしました。
しばらく前に少しだけ、こんなことを書くつもり、的な目星は付けておいたのですが、メインの「研究内容」の部分だけで20頁以上(しかも10.5ポイントで)、ということを要求されていたので、かなりの力仕事になりました。

今回の報告書は「事後評価」を受ける際の資料になるということを言い渡されています。
評価をされる委員の先生方のバックグラウンドは、脳神経科学とはいえ、教育学系の方や脳イメージングの方、ロボット系の方もおられて、必ずしも遺伝子・分子・細胞の言葉が通じやすい方々ではありませんので、なるべく平易にはなるように気をつけたつもりではありますが、それでも「一般向け」というレベルでは、肝心の成果の説明の前置きの方が長くなってしまいそうなので、そこまでは噛み砕いていません。

すべての論文発表(チーム全体で100報以上です)、学会発表(まだ数えていませんが、数百に上るでしょう)、特許、メディア報道、などなど、とにかくすべてを書き込むことを求められています。
ふぅー……。
ま、これがPIのお仕事ですね(←事務職員の方にも手伝ってもらってますが)。

研究者の中には、研究費を取ってくる申請書はいいとして、こういう報告書書きを「雑用」と言う方がいらっしゃるのですが、私はそうは思いません。
税金を投入して行う以上、報告書を提出することは社会に対する義務だと考えます。
ただ、多くの報告書は「一体誰が読むのだろう?」というものもあるのは事実です。
立場上、いろいろな研究プロジェクトの報告書が送られてくることも多いのですが、大量の紙が消費されていて、心苦しく思うことはしばしばあります。

ですので、「印刷物」を作成する際には、極力「読んでもらえるもの」にしたいと願っており、このCRESTプロジェクトでは市民向けニュースレター「Brain & Mind」を年2回発行してきました。
脳科学グローバルCOEでも、文科省向けの報告書の他に、活動報告を
アニュアル・レポートとしてまとめています。
Webにはwebの良さがあり、紙物には紙物の楽しさがあると思います。

……そんなことをずっと思っていましたが、科学コミュニケータのNさんが、こんな「極論」をブログにアップしていました。
極端な試論として―日本語総説
曰く、「研究費の報告書の代わりにきちんとした分かりやすい日本語総説を書いて、誰でも読めるようにする」という試案です。

これは、もう一つ「日本語総説、誰のため?」という別の流れの話があって、つまり、いろいろ出ているとんでもなく短い日本語総説って、本当に研究者にとって必要か?
研究者なら、卵もニューカマーも英語の教科書・総説で育てるべきでは?
でも、科学コミュニケーションとしての日本語総説は存在意義があるのでは?
というあたりに関係しています。

いずれにせよ、理系の研究者でも国語力・英語力は必須なので、高校生向けなどで話をする際には、万遍なく勉強すべきと伝えるようにしています。
今の大学の理系の教育では、きちんとした文章を書くトレーニングが足りなさすぎですね。
レポート出すとコピペで作ってきてしまうヤツもいるし……orz
by osumi1128 | 2009-10-28 22:30 | 科学技術政策

大隅典子の個人ブログです。所属する組織の意見を代表するものではありません。


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