Twitterまとめ:新エディターシップ
2010年 02月 02日
対象にしたのは『新エディターシップ』(外山滋比古著、みすず書房)で、それは、研究内容を論文という形にするのも「編集」だなぁと思っているからです。
実際にこのエッセイ集を読んだ感想として一番印象に残っているのは、外山さんが扱っている「エディターシップ」には、人間の認知機能そのものがかなり含まれていて、それはまさに、現在の脳神経科学で扱おうとしている課題であるということでした。
さて、日曜日の午後なので、1週間前から企画を暖めていた「140文字要約シリーズ:第一弾」として『新エディターシップ』(外山滋比古著、みすず書房)を開始したいと思います。
posted at 13:53:02
【140文字要約】では、1章ごとに1つ(もしくは2つ)の「珠玉の言葉」を140文字以内で引用したいと思います。
posted at 13:54:28
離れたものは、そのままでは近くならない。性格を異にするもの同志は結ばれることは難しい。断絶を解消するには第三者の介入が必要になる。そこに社会形成の原理のひとつがあると考えてよい。(新エディターシップ・ミドルマン)
posted at 13:56:31
人間の潜在的能力を引き出して具現するのが教育の本義であるとするならば、編集はまさにすぐれて教育的だと言ってよい。よく新人の発掘だとか発見だとか言われるが、これはまさに才能が存在して、それが何らかの事情であらわれないでいる、それを見つけ出してくるということ… (見つけて育てる)
posted at 13:59:17
選ぶには、棄てなくてはならないということである。棄てるには永続性のある価値は何かがはっきりしていなくてはならない。選択は整理と表裏をなしている。アンソロジーの編者、選者は公正な判断力をそなえた批評家であることが条件である。(新エディターシップ・アンソロジー)
posted at 14:01:53
いかに記憶のすぐれた人でも、すべてを記憶していられるものではない。不必要なものは、ゆすり落として、忘れてしまう。夜毎の睡眠はその忘却を推進する過程であるとも考えられる。いくら時間が経っても、また、いくら忘れようとしても忘れられないものがひとりひとりの人間の意識の世界をつくり上げて…
posted at 14:04:39
近代人はながい間、名詞的文化を主流とする伝統の中で生きてきたために、ともすれば動詞的文化の意義を忘れがちである。…動詞的人間、動詞的文化は異質なものを結び合わせる機能をもつところにその面目がある。(新エディターシップ・変化の論理)
posted at 14:06:07
星の位置を結んでそこに図形を読みとり、星座の命名を行うのは、点から線をつくろうとする潜在的傾向のあらわれである。一見バラバラなものを心理で補充して線化する作用は、星座を生みだすときに限られるものではない。(新エディターシップ・統合の傾向)
posted at 14:08:20
ほとんど無数にある生活経験の断片の中から、何を選び出し、それをいかに統合していくかによって、同じような人間に千差万別の人生がつくり出される。それは、知恵をしぼって、原稿を集め、これを整理、配列して一冊の雑誌にまとめ上げるのに比べると、はるかに複雑なエディターシップだと…
posted at 14:09:52
人間はいまだかつて一度もなまの物理的世界に接したことはないと言ってよい。なまの世界と思っているのは、心のエディターシップによってつなぎ合わされた心理的世界の投影にほかならない。(新エディターシップ・つなぎ)
posted at 14:11:00
われわれは一ヶ所に止まっていると、結合作用もおのうから萎縮してきて退屈を感ずるようになる。生きるということは新しいエディターシップの発動の対象を見つけることである。(新エディターシップ・つなぐ)
posted at 14:12:12
ものごとそのものは「存在」するものとしても、ものごとの相互関係、意味は、見る人、理解する人によって「創られる」ものである。(新エディターシップ・アイロニーの三角形)
posted at 14:14:06
いかに生一本が大切にされるからと言っても、複合文化がまったく欠けているということは考えられない。ひとつひとつは純一のものであっても、そうしたものをとり合わせて、独特な調和をかもし出すというのもやはり複合美学の一種であるとしてよい。(新エディターシップ・二次的創造)
posted at 14:15:38
エディターシップは、すでにのべたように、基本的創造ではなく、二次的創造、つまり、すでに創造物であるものに、さらに創造機能を加えるメタ創造である。とすれば、言語的創造は原理的にはすべてエディターシップであるということになる。(新エディターシップ・二次的創造)
posted at 14:17:00
すべての語は、それだけで独立しているのではない。ほかの語と結び合うようになっている。もっとも、どんなことばでもやたらにくっつくというわけではない。結びつくものとそうでないものとがある。(新エディターシップ・結ぶ)
posted at 14:19:07
文化は、こうして関係づけられた体系である。伝統が長くなるにつれて、関係の網目はいよいよ細く密になって行く。すべてのものが、全体との関わりをもっていて、孤立したものは考えられないようになり、ついには人間のこしらえた文化が自然と感じられるようになる。(新エディターシップ・結ぶ)
posted at 14:20:30
学問がどことなく人間ばなれしていて、創造の精神とも異質であるように感じられるとすれば、その一員は、分析を原理とするからであろう。…かくして、学問は創造ということと袂を分かつことになる。(新エディターシップ・結ぶ)
posted at 14:22:02
もうこれ以上は「切ることができない」という意味でアトムという名をつけられた原子でもまだ分析の鋒は収まらず、電子とか素粒子とかいった、素人では概念もはっきりしない物理的世界が追求される。…分析的文化は物理的世界であると言ってよい。(新エディターシップ・結ぶ)
posted at 14:24:37
物理学の世界だけでなく、精神の世界も、バラバラになって、秩序を失いかけているように見える。混乱である。この混乱は新しい創造にとってきわめて好都合なはずである。(新エディターシップ・結ぶ)
posted at 14:25:57
人間はひとりでは生きていかれない。…桃太郎はその統合のシンボルである。そして、世の中が乱れてくると、きまって、それを収拾する英雄が待望される。英雄はしばしば桃太郎のような存在である。(新エディターシップ・桃太郎)
posted at 14:27:24
知的教育が始まると、統合にかわって分析に関心がもたれるようになる。そうして、幼いときはすべての人が詩人であり得るのに、次第に詩心が枯れて、限られた人々しか、ものごとにひそむ親和力が見えなくなってしまう。(新エディターシップ・桃太郎)
posted at 14:28:39
社会が理性的になるにつれて、宗教にも啓蒙時代が訪れる。神秘性、超合理性は廃棄されるべきものだと考えられる。政治と宗教は別々のものであるという分析的概念が肯定される。それで人間が本当に幸福になれるのなら、問題はない。しかし、やはり幸福ではないのである。(桃太郎)
posted at 14:30:24
学問においても、学際(インターディシプリナリ)ということが言われ出して、ようやくイヌ、キジ、サルを統合する桃太郎の方法が創造的に有効であることが注意されるようになった。…エディターは、現代における司祭であり、桃太郎である。そのことがほとんど認識されていない。(桃太郎)
posted at 14:32:12
文脈的意味は辞書的意味を算術的に加え合わせただけでは生まれない。つまり部分を物理的に集合させただけでは全体にならないのである。(新エディターシップ・関係価値)
posted at 14:34:04
エディターシップは知的な次元において、この取り合わせをするアートである。…人間の創造そのものが新しい関係意味、関係価値の発見に存することに着目するならば、このアートはむしろ芸術と見なされるべきものとなる。(新エディターシップ・関係価値)
posted at 14:35:41
われわれにとって外界はまず混沌として出現する。それは分析によって認識に達することができる。「分かる」というのは「分かつ」ことだという。知的な活動がつねに分析的方法を要請し、それがやがて分析的感覚を発達させる。(新エディターシップ・編集人間)
posted at 14:36:53
本来は結び合わないものが、見ている第三者の立場によいて自然に結ばれる。見えることが統合になる、いわば、光による統合である。われわれにものが見えるというとき、しばしばこの種の統合が行われているのである。(新エディターシップ・編集人間)
posted at 14:38:36
人間はすべて、自覚しないが、エディターである。(新エディターシップ・編集人間)
posted at 14:39:00
さて、約40分間、「140文字要約シリーズ:第一弾」として『新エディターシップ』(外山滋比古著)を取り上げてみました。これって、国語教育にも使えそうな気がする。英語の140字ではちょっと足りなさすぎる印象。
posted at 14:41:32
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明日は脳プロ主催のシンポジウムでパネル討論に参加します。