村上春樹のロングインタビューを読んで
2010年 07月 19日
気温は32℃超えて、いかにも夏が到来したことを感じさせる日。
今のうちに夏を楽しまないと……。
さて、本日は雑誌「考える人」2010年夏号に掲載されていた『村上春樹のロングインタビュー』を読んで……(書評ではないのですが、そのカテゴリに入れておきます)。
ちょっといつもと文体も変えてみます。
正直なところ、私は村上春樹の本をあまり読んでいない。
あまりにメジャーな当代の作家の本なら、私が読まなくてもいいか、という天の邪鬼さもあるが、もともとはベストセラーの一つでもある『ノルウェイの森』を読んで、さらに『ねじまき鳥クロニクル』も読んで(再現性は取らないとね)「合わないなぁ…」と思ったからなのだ。
ただし、2006年に『グレート・ギャッビー』の翻訳本を読んでから、春樹アレルギーが少し減ったかもしれない。
『グレート・ギャッビー』の感想はこちら
で、2009年の8月には『1Q84』のBOOK1とBOOK2を読み(かなり遅い方)、ついにBOOK3はAmazonで予約して読んだのであった。
その時期のことなどのブログ
BOOK1を投げ出さなかったのは、サブ・キャラクターの「ふかえり」の話す言葉が独特でツボにはまったからなのだが(本当に読字障害の方がこんな風なのかは残念ながら知らないけど…)、いまどき、こんな純愛をテーマにした物語を書く人がいたのか! という意味で新鮮な気持ちになった。
というくらいのレベルであって、まったく「ハルキ・ファン」ではないのだが、丸善本店でエスカレーターを2階に上がった正面に「考える人」という雑誌が平積みされていて、ふらふらっと新幹線のお供にと買ってしまった(他にも読むところがぎっしり詰まっていて1333円なんて、これでいいのだろうか…?)。
「ロングインタビュー」って何?と思ったら、箱根で3日かけて取材したらしい。
モノクロの写真が菅野健児だったっていうのがランクを上げている(そもそも、表紙になっているし)。
何事も「メイキング」や「プロセス」を知るのが好きなタチなので、このインタビューの中では『1Q84』の構想などの打ち明け話がまず興味をひいた。
そもそもは、1984年をキーにしたものが書きたかったこと。
なぜ1984年かというとジョージ・オーウェルの同名の小説があったため。
『1Q84』という題名が決まったのが最初。
次に「青豆」と「天吾」というメイン・キャラクターの名前を思いついて、これはいける、と感じたらしい。
ちなみに、BOOK3を読んだ後に気付いたこととして、二人の名前を合わせると「天豆(そらまめ)」になる、というところが面白いと思っていて、それは、小説の中に出てくる「空気さなぎ」に通じるイメージを持つからなのだけど(ほら、莢って、なんだか繭みたいじゃないですか)、そんな話は出てきませんでした…(苦笑)。
で、最初のシーンである、首都高速の階段を降りていくと別の1Q84年という世界になっている、というモチーフがどこからきたか、などの説明。
これだけあって、後は書きながら創っていく! というところに驚いた。
え? 最初に大まかなストーリーって創られている訳じゃないのね???
ちなみに、村上春樹は基本的に毎日、原稿用紙で十枚分を書くとのこと。
それ以下でもそれ以上でもなく、毎日、朝の4時、5時くらいから5〜6時間かけて書く。
それは、本人曰く、長距離ランナーのトレーニングのようなものであり、今日は気分がいいから、今日は調子が悪いから、という理由で変動させてはならないらしい。
翻訳は「趣味」として、でもこれも日課となっていて、2〜3時間程度は書く。
これは頭の違うところを使うので、バランスを取るのにいいとのこと(その感覚はよく分かる)。
さらに還暦超えた村上が考えているのは、身体を健康に保つことによって、これからも世界を広げることができるか、なのだ。
そのために、毎日1時間は走る。
暴飲暴食しない。
自分で作ったものを食べるのが基本。
……なんてストイックなのだろう……。
(青豆のキャラクターにも反映されてますね。)
BOOK3も上梓して、しばらく1年くらいは充電が必要だと話していた。
確かにそうだろうな、と思う。
そういう作品であったと感じた読者は多いだろう。
数年かかっても構わないから、次が出たら是非読みたいと思う読者に恵まれるレベルというのは、プロとして幸せなことだ。
多くは、読者から忘れられないようにと、せっせと書き続けなければならないのだから。
最初の作品を上梓したのが30歳、そこから30年走り続けられるプロは、そんなに多くない。
惰性で転がっている人は沢山いるけど。
いろいろな意味で、凄い人なのだと分かった。
でも3日分のインタビューを消化するには、まだ不十分で、3ヶ月でも3年でも足りない気がしている。