三陸のサンディエゴ
2005年 07月 05日
リアス式海岸による湾が入組んでおり、江戸時代には「十五浜」として漁村集落が発達していたらしい。
http://precious.road.jp/miyagi/
伊達政宗の時代にこの地を訪れた外国人がいたということを「みやぎ県政だより7月号」によって知った。
海外交易をもくろんだ政宗の意を受け、イスパニア大使のビスカイノという人物が、航路開拓のために仙台量の海岸を測量しに来た。
ビスカイノはめぼしい港にはキリスト教の聖人の名を付けて、日記に書き残した。
それによると、水浜(旧雄勝町)は「サン・ディエゴ」!
なんとカリフォルニアの同名の市もビスカイノの命名によるという。
そこで、聖ディエゴとはどんな人物だったのかを検索。
「聖人カレンダー」というサイトによると、9月11日に「福者ディエゴ」という聖人が当てられている。
<以下引用>
ポルトガルに生まれたディエゴは、17歳のときにイエズス会に入り、1609年に来日した。天草、京都、大阪で宣教したが、家康の追放令でマカオに退き、再び来日して各地を回り奥州に着いた。そこでは、同会のアンジェリス司祭が熱心に宣教をしていて、互いに再会を喜び合った。その後、日本人の司祭・修道士の応援もあり、東北を巡回し、共に宣教活動に励んだ。
1624年の江戸の大殉教が終わったころ、仙台藩にもキリシタン迫害が起こった。ディエゴは信者とともに捕えられ、仙台の信者9名とともに広瀬川で殉教した。毎年2月、仙台の信徒たちは、殉教碑のある広瀬川の河原に集まって、殉教者たちを記念している。
<引用終わり>
どうも、ディエゴさんは仙台に縁の深い方のようだ。
カリフォルニアのサンディエゴは大好きな街の1つで、Salk Instituteという有名な研究所やScripps Research Institute、UCSDなどのある研究都市でもある。
今度その辺でセミナーをするときのネタに「三陸、仙台、サンディエゴ」を使おうと思う。