祝:井ノ口先生時実賞受賞@神経科学大会1日目
2010年 09月 02日
塚原仲晃賞は、仲良しの後藤由季子さん@東大分生研と澤明さん@ジョンズ・ホプキンス大の共同受賞。
時実利彦賞は、15年に渡るコラボレーターの井ノ口馨先生@富山大が受賞。
井ノ口先生と三菱生命研時代に重なっていらした工藤佳久先生@東京薬科大が座長をされ、受賞講演のタイトルは「記憶の形成の分子・細胞機構Molecular and cellular mechanisms underlying formation of long-term memory」。
プレナリー・レクチャーはベルト・ザックマンBert Sackmann先生@マックスプランク研究所
本日は井ノ口先生の受賞記念講演がらみの話題。

こういうレクチャーに相応しく、井ノ口先生はご自分の経歴から話し始められた。
最初は大腸菌の遺伝学の研究だったところが、ターニングポイントだったのは、塚原仲晃先生が書かれた(実際には、塚原先生が1985年8月に日航機の事故で亡くなられてから2年後に、塚原先生の奥様と、お弟子さんだった村上富士夫先生@阪大や小田洋二先生@名大、その他の方々のご尽力によって出版されるに至ったのだが)『脳の可塑性と記憶』を読まれて、分野替えを決意されたのだという。
当時、三菱化学生命科学研究所の研究員であった井ノ口先生は、さらに、エリック・カンデルErick Kandel先生の総説を読み、「記憶の分子的制御は、まだ未踏の地だ」と考え、コロンビア大学のカンデル先生のところに留学された。
そこで行ったのは「アメフラシの記憶が定着するときに、量が増えるタンパク質を見つける」というプロジェクトだった。
帰国後に、井ノ口先生は、同様の研究をマウスを用いて開始された。
そうして、いくつかの「記憶の形成に関係する分子」を同定されるとともに、「シナプス・タグ仮説」の検証にチャレンジすることになる。
これは、1個のニューロンには数千から数万の結合部が存在するが、神経活動の刺激を受けたときに、記憶形成に関与する分子がそのシナプスに集まっていくことにより、強固なシナプスが形成される、これが記憶の素過程である、という考え方だ。
井ノ口先生はVesl-1sという名前の分子に当たりを付け、実際にこの分子が、神経刺激に依存して「目印の付いた」シナプスに輸送されることを、最先端のテクニックで証明され、この成果はScienceという雑誌に掲載された。
並行して、井ノ口先生は「神経新生が記憶の場の移行に関わる」という研究も行われた。
マウスの恐怖条件付け記憶という実験パラダイムにおいて、当初は海馬依存的な記憶が1ヶ月くらいの間に大脳皮質依存的に変換することが知られている。
つまり、記憶が保持される場所が海馬から大脳皮質に移行するのだ。
X線照射等によって実験的に神経新生を低下させると、この記憶の移行が遅くなり、逆に、マウスを運動させて神経新生を向上させると、記憶の移行が早まった。
こちらの研究もほとんど同じくらいの時期にCellという雑誌に掲載され、しかも表紙になる研究として選ばれた。
昨年、富山大に異動されて新しい研究室を立ち上げられた井ノ口先生は、さらに記憶のメカニズムにチャレンジしていこうとされている。
そのことによって、心の病を治す薬等の開発につなげたいと考えておられる。
井ノ口先生の時實賞受賞は、本当に嬉しい。
先生は15年来の共同研究者であり、2005年からの神経新生に関するCRESTプロジェクトをともに行ってきたチームの仲間である。
(そして、CREST研究を始めてから知ったことなのだが、高校の先輩でもある。)
実は井ノ口先生は、CRESTで発行してきた市民向けニュースレターBrain & Mindの第一号の書評「Brain Scientistの書棚から」というコーナーで『脳の可塑性と記憶』を紹介された。
出版からすでに20年近く経っていたこの本が大変、示唆に富んで素晴らしいものである、という井ノ口先生の書評が岩波書店の編集部の方の目にとまったことにより、『脳の可塑性と記憶』は新たに創設された「岩波現代文庫」として生き返ったというエピソードがある。
きっと天国の塚原先生も、井ノ口先生が時實賞を受賞されたことを喜んで下さっているに違いないと信じている。合掌
【参考リンク】
CRESTプロジェクトHP
ニュースレターBrain & Mindの第一号(PDF)
ニュースレターBrain & Mind第二号:井ノ口先生の対談
脳の可塑性と記憶(単行本)