英語教育私感(1)「文法」を教えると英語キライになるの?
2010年 09月 06日
曰く「文法を教えるから英語がキライになる生徒が増える」ので、それを避けるために学習指導要領が変わっていったのだという。
しばらくの間、「ゆとり教育」という名の下に、初等中等教育の教科書はどんどん薄くなり、大学入試の問題を作るときにも、本当に教える範囲に入っているかを気にしなければならなかったので、問題は英語だけではないことは確かなのだが、今日は英語の問題、それも、将来、科学・技術の分野で活躍する人材を育てる上での英語教育の問題のごく一部について述べたい。
(言いたいことはたくさんある、という意味)
学部生、大学院生、博士研究員の指導を行う大学という現場においては、それぞれの専門性(expertise)に合った用語(英語の)を学んだり、(英語の)論文作成というスキルを学ぶべきであって、中学で学んでいるはずの英文法を改めて教えることは無駄が多いことになる。
論文指導において大学の先生が「that節にはS(主語)とV(述語)が必要だよね」なんてことを言っている場合ではない、本来は。
そもそも、科学者のトレーニングを受けて育った教員のexpertiseには、英語そのものを教えるスキルが必ずしも含まれている訳ではない。
確かに「数えられる名詞には冠詞が必要」とか、「動詞の三人称単数現在形には〈s〉を付ける」とか、日本語のルールに無い英語のルールで、しかも「そんなこと、どっちだっていいんじゃない?」的な感じのする英文法に対して、モチベーションが沸かないであろうことは容易に想像できる。
ちなみに中国語では「彼」も「彼女」も区別が無いらしく、heとsheをよく間違えるし、過去形も無い。
だが、ルールを知るということは、その言語をリスペクトすることなのだと私は思う。
もう一つ、外国語を「学校で」学ぶプロセスは、母語を学ぶのとは状況が大分異なる。
バイリンガルに育ちつつある子どもなら、2つの言語のシャワーを大量に浴びている訳だが、学校で学ぶ機会というのは、いったい週何時間なのだろう?
仮に、毎日1時間だったとしても、それはたった4%くらいの時間にしか過ぎない。
いや、この計算は睡眠時間が入っていないから、6%程度か。
いや、土日もある……。
いずれにせよ大した時間ではない。
そんな少しの時間で、文法を教えずに「パターンで覚えましょう!」なんていうのはまやかしだ。
「こういうときには、こういう言い方をします」的なパターンを、個々に覚えていったとして、挨拶くらいならともかく、英語をネイティブとする中学生と中身のある会話をすることができるようになるとは思えない。
ルールを知るからこそ、そこから演繹的に、つまり、ルールを利用することによって、無限の文章を作ることができるのである。
自分でルールを帰納的に見出すには、大量の外国語を浴びる必要がある。
例えば、自宅にいる間中、ずっと英語の番組を見ているとか、podcastingを聞いているとか。
(他の勉強ができなくなるけどー註)
英語のルールを知るということは、同時に日本語のルールとの違いを見つけるということでもある。
母語として何気なく喋れてしまう日本語にもルールがあることを知ることによって、英語への変換が容易になる。
「名詞」という分類を日本語でも理解できるからこそ、英語の「名詞」は「動詞」から例えば「ion」を付けて作れることが「一般的に」理解される。
これをいちいち、satisfyの名詞がsatisfactionとか、competeの名詞はcompetitionなどとやっていたら大変ではないか。
ルールを知るというのは「省力化」「効率化」なのである。
むしろ、義務教育である中学の英語は、きちんと英文法を教えてあげるべきだろう。
そのことによって、無限の可能性が将来広がることになる。
無限に言葉を操れる能力こそ、人間らしさの象徴である。
「A」と「The」の違いを教わることにより、英語を母国語とする人たちが何を気にするのかの一端を感じ取れるようになる。
相手の文化を大事にすることは、大人になってグローバルに活躍するときに、とても役に立つ。
初等中等教育で英文法を教える先生は、是非、子ども達にとって一生使い回せるスキルを教えているという誇りを持って臨んで欲しい。
たぶん大事なのは、これまで「面白くない」と思われていた「英文法」を、どうやったら「面白く」教えることができるかだ。
脳は、興味を持つと記憶が定着しやすいという性質がある。
あるいは「満足感」「喜び」といった刺激が加わることがポジティブな効果を持つ。
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註:記憶力の良い方なら、「大量の英語を浴びる」やり方も良いだろう。英語の本を読む、CNN等を付けっぱなしにしておくなど。