マルチメディア時代の学びとは:オープンエデュケーションのススメ

子どもの頃、図鑑を見たり辞書を読むのが好きだったが、もし今、小学生だったら、中学生だったら、高校生だったら、大学生だったら……と考えずにはいられない。
起きている時間のうち、かなりの部分をインターネットにつながった状態で過ごし、ことあるごとにウェブ検索をかける生活を、小さなうちから行っていたらどうなるのだろう。
クラウディングされた巨大なメモリとシステムには図書館以上の知識が詰め込まれていて、それをどんな風に活かすことができるかと思うとワクワクする。

刊行時期はちょうど10年の隔たりがあるが、関係のある2冊の本を読んで考えたこと。

『メディア・リテラシーー世界の現場からー』(菅谷明子著、岩波新書)
『ウェブで学ぶーオープンエデュケーションと知の革命』(梅田望夫、飯吉透著、ちくま新書)





『メディア・リテラシー』は在米ジャーナリストの菅谷明子さんが2000年に書かれた本で、先日読んだ『未来をつくる図書館』がとても面白かったために、こちらもネット注文した。
メディア・リテラシーとは、ひと言で言えば、メディアが形作る「現実」を批判的(クリティカル)に読み取るとともに、メディアを使って表現していく能力のことである。……メディアの特性や社会的な意味を理解し、メディアが送り出す情報を「構成されたもの」として建設的に「批判」するとともに、自らの考えなどをメディアを使って表現し、社会に向けて効果的にコミュニケーションをはかることで、メディア社会と積極的に付き合うための総合的な能力を指す。(「はじめに」より)


2000年といったら、Googleが検索エンジンとして広く知られるようになった頃、だろうか。
個人のホームページを持つ方もいただろうが、手軽なブログサイトがポピュラーになったのはもう少し後だし(拙ブログは2005年から)、YouTubeも無かった。
それでも、本書を2010年に読んだ私としては、「日本ではきちんとしたメディア・リテラシー教育が為されていない」という菅谷さんの主張はまったく変わっていないように思う。

ここでいう「きちんとした」の中身としては「クリティカル」であることが極めて重要な意味を持つ。
Criticalという用語は日本語では「批判的」に当たるのだろうが、日本語の方がネガティブな印象を持つのに対し、英語のcriticalは「建設的」なポジティブなニュアンスも含みうる。
つまり、日本では「和をもって尊し」という精神が重んじられ、「空気を読む」ことが求められ、それは子ども達の教育現場においても同様であるように見られる。
例えば、私が授業や講義を行うのは高校生以上がもっぱらだが、高校生にしろ学部生にしろ、「これこれについて、どう思いますか? 誰か?」と問いかけて、すぐに手を挙げる生徒や学生は通常はほとんどいない。
この延長線上に、例えば新聞やテレビの報道をそのまま鵜呑みにする体質があると考えられ、鳥インフルエンザだ、豚の口蹄疫だ、云々……と右往左往することになる。

本書では、小学校からメディア教育が為されるイギリス、カナダ、アメリカの事例が紹介されているが、そういう面で日本が世界から大きく立ち後れていることは間違いない。

一方、『ウェブで学ぶ』の方は本年9月に刊行されたばかりの新書である。
著者の梅田氏は『ウェブ進化論』や『ウェブ時代をゆく』等で有名な、シリコンバレー在住のIT企業経営コンサルタントの方で、共著の飯吉氏はマサチューセッツ工科大学(MIT)教育イノベーション・テクノロジー局シニア・ストラテジストという肩書き。
私としては、これまでこの手の本は読まなかったのだが、Twitterでもフォローしている石倉洋子先生がご自身のブログで絶賛されていたので手を伸ばしたところ、感じ入ることが多かった。

実は東北大学の広報戦略委員会のメンバーでもあり、医学系研究科の広報室長である私にとって、「広報」は本来の専門ではないのだが、もはや避けられない仕事となっており、日々是精進の世界。
拙ブログやらTwitterやらFacebookやらも、そういった一環で取り組んでいる。
……それはさておき、先日の広報戦略会議において「大学の所有する動画コンテンツをYouTubeに提供する」方針が打ち出され(このくらいの情報リークは良いでしょうー苦笑)、我が東北大学も、ようやくオープンエデュケーションに向かうのだと思っていたところに、丁度良い参考書を得た。

オープンエデュケーション以前にも、インターネットによって教材を共有する試みは行われていたが、大々的になったのは2001年のMITの「オープンコースウェア(OCW)」がきっかけという。
著者の一人である飯吉氏は、まさにこのプロジェクトに参画した経験を持つ。
つまり、上記の『メディア・リテラシー』の本が刊行された頃には、先日のトムソン・ロイターの世界大学ランキングで第3位のMITでは「自校の約1800の講義で使われている教材のすべてをウェブ上で無料で公開する」方針が検討されていたことになる。

オープンエデュケーションは自主的な学びの上に成り立つものであるが、ドメスティックなレベルだけでなくグローバルなレベルにおいても、経済格差による教育格差を是正する効果がある。
また逆に、意欲さえあれば、例えば中学生が大学の講義をオンラインで受講することが可能になるという意味において、才能教育の推進にもつながる(この点は本書ではあまり注意されていない)。

では、リアルな授業はどうなるのか、と言えば、よりインタラクティブなものが求められることは必至であり、物理的に人と人がある空間の中で相互作用することによって、よりイノベーティブな、クリエイティブなアウトカムが生まれることが期待される。

どちらの本を読んでもの共通する感想は、新しい画期的なコトを始めるのに、日本という環境は向いていないなぁ……ということである。
「まずやってみたら」というエンカレッジではなく「前例がない」「効果が予測できない」等によってずるずると先送りされるか、お上に頼む間に時間がかかったり違ったものになっていく。
このあたりの国民性や国の体質も、これからのグローバル社会を生き抜く上で、大きな障害になっていることは間違いない。
そして、その根本にあるのが「クリティカルな議論を避ける」「自主性を重んじない」「ダイバーシティーを認めない」教育スタイルのような気がしてならない。
by osumi1128 | 2010-09-24 00:39 | 書評

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