書評『脳の中の美術館』
2010年 10月 21日
なので、丸の内エリアは馴染みが深いのだが、近年、どんどんリニューアルしている。
富国強兵をリードしていた頃の面影は、建物が替わった今でも随所に感じられる。
三菱一号館は美術館になったし。
さて、本日は15:00から新東京ビルヂング(←この名前がいいですねww)の中で会議があって、その時間調整に(←はやて号が基本1時間に1本なので)スタバでメール処理等していたが、それも終わって、会議にご出席の方と広報にまつわる雑談などして、あと少しだけ時間があるので、ブログ更新。
布施英利氏の『新編 脳の中の美術館』(ちくま学芸文庫)を読んだので。
筆者は東京藝術大学の大学院博士課程の間、東大医学部に当時いらした養老孟司先生のところに出入りされ、その後助手になっていた方だとは知らなかった。
養老先生は鎌倉のお住まいだったこともあり、また、元ボスの友人とのことで、あの頃は毎年特別講義に来て頂いていた。
解体新書とターヘルアナトミアの違いのことや、九相死絵巻のことなどを伺ったのは良かった。
さて、本書のポイントは「目の視覚」と「脳の視覚」についての考察である。
「目の視覚」というのは、別の言葉にすると「写真的な捉え方」であって、瞬間を切り取ったもの。
「脳の視覚」は、抽象化されていたり、時間軸が含まれていたりするもの。
例えば、モネの絵画は「目の視覚」に当たり、セザンヌは「脳の視覚」に相当する。
「目の視覚」で捉えると、クローズアップがあったり、意味のないフレーミングだったりするが、「脳の視覚」の場合には、ピントが合っていなかったり、モンタージュだったり、リアルではなくて文様的だったり。
だから、エジプト絵画や光琳は「脳の視覚」で、カラバッジョやレンブラントは「目の視覚」に筆者は分類する。
まぁ、カメラ・オブスキュラも用いて描いていたフェルメールが、「目の視覚」かというと、私ニハもう少し脳が刺激される感じがするので、二項分類できる訳ではない、
ほう、と思って生物学屋からの書評を思いっきり書こう、と思っていたら、なんと中村桂子先生が文庫本の「解説」を書いておられた!
これが非常に良いので、私などは何も言う必要が無くなった(苦笑)。
ただ、面白い本なので、お薦めします!!!
【リンク】
『新編 脳の中の美術館』(布施英利著、ちくま学芸文庫)