東北芸術工科大学に宮島先生を訪ねた【追記あり】
2010年 10月 31日
用件は、来年1月21日(金)夕方に行う脳カフェスペシャル版「脳科学と芸術との対話(仮)」の打合せ。
普通、メイキングの過程はオープンにはしないものだが(苦笑)、すでに宮島@tatsuomiyajima先生からもTwitter上で予告されているので……。
【画像アップしました】
東北芸術工科大学は山形市にある。
仙台から通う学生さんも多く、仙台市内から大学前までの直通のバス(最短63分!)も運行されている。
直行便の時間は合わなかったが、仙山線の本数よりも山形駅行きのバスの方が多い(昼間で20分に1本)ので、高速バスを使って行った。
山形駅からはタクシーを飛ばし、色づいた街路樹を眺めながら芸工大の正面入り口前で降り、玄関脇にある能舞台を横目で見つつ、コンクリート打ちっ放しの壁の建物の中に入ったところで、合流する同行者のNさんから「6階エレベータ裏の待機スペースにいます」との携帯メールをタイミング良く頂いた(ありがとう)。
遠くに朝日連峰が臨めるという広い副学長室で初めて宮島さんにご挨拶した。
「いやー、Twitterなどでもやりとりがあって、なんだか初めてではないような感じですね」
「そうですね、最近、そういうパターンが多いです(微笑)。改めまして、この度は東北大学グローバルCOE主催のイベントに御登壇頂けるとのこと、誠にありがとうございます……」
ご存じの方も多いと思うが、宮島さんはLEDのディジタルカウンターを用いた作品が有名な現代美術家。
1988年のヴェネツィアビエンナーレで発表された「Sea of Time」で世界的に高い評価を受け、1999年には日本代表として「MEGA DEATH」を発表し、その地位を揺るぎないものにした。
私がその作品をもっとも最初に見たのは、実は日本国内ではない。
それは21世紀になる前、ハイデルベルグであった国際会議に出席した折、当時、EMBOの研究所にいたスティーブ・コーエンのご自宅にディナーを呼ばれ、彼のリビングに飾られていたいくつものアートのうちの一つに、ディジタルカウンターの小品があったのだ。
ちなみに、スティーブは大の日本贔屓でもあり、和箪笥等も置いてあった。
その折には「日本のアーティスト」として記憶されたのだが、次に名前とともにしっかり覚えたのは、両親とともに直島を訪れたときだ。
村の民家の薄暗い部屋の中、床の水の下でディジタルカウンターが点滅していたのは幻想的だった。
という訳で、憧れのアーティストに直にお目にかかるということで、若干緊張もしていたのだが、小一時間ほど今回のイベントの趣旨等をご説明し、お打合せさせて頂いた。
ちょうど、東北大学包括脳科学研究・教育推進センターが主催する国際シンポジウムにおいて、招聘するスピーカーのお一人に、視覚認知科学者のセミール・ゼキ先生の御名前を見つけたので、ご担当のT先生に尋ねたのがきっかけ。
「先生、まさかゼキ先生に、仙台で1回トークしてもらって、それだけ、ってことないですよね?」
「え? どういう意味で……?」
「だって、ゼキ先生ですよ〜。神経美学の大家ですよ! 一般の方にもご講演、聴いてもらわなきゃ、勿体ないですよ!」
……つまり、貧乏性なワタシ。
帰り際に、『宮島達男解体新書』にサインを頂きました!(右画像)
1月21日はどうぞ宜しくお願い致します。
【関連リンク】
ブログ「フクヘン。」:『宮島達男解体新書』
Togetter:iPhoneで撮影した画像をまとめてアップしました。