研究者のアウトリーチ活動について考える(その5):科学雑誌ってどうよ?
2010年 11月 05日
研究者人生双六において、結構、試練が続く期間。
大学によって基準は異なるが、論文投稿、学位申請、第一次審査、論文再投稿、などなど……。
なので、抱えている大学院生が多ければ、教育(=科学人材育成)にかかる時間も多い訳で、それが教員としての本務の中ではプライオリティーの高い事項となる。
さて、本日の「研究者のアウトリーチ活動」の例は、科学雑誌を介して。
日本の科学雑誌といえば、今なら「Newton」と、「日経サイエンス」(日本語版Scientific American)が二大巨頭だろうか。
(今、ウェブサイトを見たら、紅組と青組だったのが面白い)
個人的には「Newton」よりも岩波書店の「科学」や「日経サイエンス」を読むことが多い。
かつては「科学朝日」「Quark」「科学と学習」の「〜年の科学」などがあった。
それらの科学雑誌が次々と廃刊になったことや、上記の科学雑誌の発行部数が、例えば米国におけるScientific AmericanやNational Geographicと人口比で見て少ないことについては、ここでは論じないこととするが、こういう科学雑誌に記事や解説等を書くことも研究者の行うアウトリーチ活動の一つであると思う。
実際、上記の科学雑誌では、執筆者や翻訳者、監修者等に、多数の研究者が関わっている。
ちなみに、自分が関わったもので、web上で拾えるのは下記:
仙台通信:日経サイエンス08年7月号での茂木健一郎氏との対談記事
エッセイ集:岩波「科学」の書評『脳は美をいかに感じるか ピカソやモネが見た世界』(セミール・ゼキ著、日本経済新聞社刊)
「科学者と社会との対話」という観点から言えば、雑誌の記事というのは、「一方通行」になりがちである、ということが問題なのであろう。
そういう意味では、科学書籍も同様の「啓蒙書」的な捉えられ方をされるかもしれない。
だが、「書かれたもの」は読者の時間の都合や、読むペースに合わせて情報収集できる、という意味において、「一期一会のパフォーマンス」である「講演」や「サイエンスカフェ」とは、異なる利点も多いと思う。
ただ、「雑誌」という媒体は、科学雑誌に限らず、大きな転機を迎えている。
大きな意味では「活字離れ」ということもあるし、「電子書籍」等の流れが今後どうなっていくのか、という点が不透明な時代。
そもそも、クレジットやコスト等を考えた場合に、「日本語」という制約も大きい。
英語のコンテンツなら、マーケットは何百倍、何千倍も大きいだろう。
試しにSCIENTIFIC AMERICAN本家のwebsiteを覗いてみた。
THE PRINT EDITIONの割合が非常に少ないことが一見して分かる。
トップ記事が「Today's Science Agenda」であり、「Latest Headlines」は「5 hours ago」となっていて、非常に動的だし、当然のことながら、FacebookやTwitter、YouTubeにすぐにリンクできるようになっている。
「Editor's Choice」というお薦め記事も関係する画像を配して目立つようになっている。
さらに下までスクロールすると、Multimediaのコーナーには、Videos, Podcasts, Side Showsとあり、またGuest Blogというコーナーもある。
うーーん……。
私が小学生だった頃、1ドルは360円で、日本はアメリカから10年遅れていて「追いつけ、追い越せ」と言われていた。
逆に言うと、「目指すべきお手本」(過日、鼎談を行った小宮山前東大総長のお言葉では「坂の上の雲」)が明確にあった。
1ドルが80円台になってしまった現在、アメリカをお手本とすることもどうかと思うし、一方では、10年遅れに追い着くことを目指していては、今、戦うことなんてできないだろう。
あるいは、日本人の8割が中流意識を持っていた時代に比して、格差が広がった現代において、多様なターゲットの満足を考えるためには、物事を「効率」で考えるのではなく「合理性」で捉えることも必要だ。
ヴィジュアルコンテンツとしての画像や動画はインパクトが大きいが、長さのあるテキストは論理的なストーリーを伝えるために重要。
言葉を発明した人類が絵文字の時代に戻ってはいけない。
伝えるものが「科学」であるなら、科学者自身はもっと語らねばならない。
科学者だけでは伝えきれないし、得意ではない人も多いのだから、サイエンスライターの存在も大切だ。
正確に伝える上で、文字を使ったコミュニケーションは基本であり、もっと重要視されるべきである。
新しい媒体を模索するにはどうしたらよいか。
それは、自由で、可塑性があって、動的でなければならない。
外に向かって開かれていなければならない。
多様なスキルやアイディアを持った人間が協力しなければならない。














