日本の大学のセンセイはなんでこんなに忙しいんだろう?
2011年 01月 15日
一番はじめに思ったのは、「私がいなくても委員会は成立する」ということだ。
いや、当たり前なのだけど、各種日程調整を頂くと、小心者は自分のスケジュールを可能な限り合わせて詰め込まなければならない強迫観念にかられてしまうのだが、結果として体勢に影響は無い。
もちろん、自分が頭になって動かなければならない組織は別の話。
次に感じたのは、やっぱり日本の大学のセンセイは、あまりに用務の種類が多すぎる、ということ。
例えば、うちの医学部医学科の学生の定員が1学年約120名いて、6年分の学生たちの「進級判定」を、教授会のメンバー全員が頷く会議を経る必要がある、というのは、無駄なのではないだろうか?
教育の義務として、担当の授業を分担するのはやぶさかではないが、それぞれの学生さんを進学させるか留年させるか、全員で責任を持つ(=誰も責任を負わない)という制度はいかなるものか。
同様のことは、人事の承認などにも当てはまる。
同僚に誰が来るのかについて、教授会メンバーで承認する仕組みというのは、ともすると、自分よりも優秀な人を求めないような人事になるという危険性もはらんでいる気がする。
で、医学部はポストの数もそれなりに多いので、それぞれの人事の投票だったり承認だったりが、やたら多いのも、研究の時間を減少させる原因。
年末から「安全管理」について、研究科内の立ち入り調査が続いていて、まぁ、今まで緩かった制度がグローバルスタンダードに近づくことは仕方ないと思う。
だが、往々にして、責任ある立場に着いた方が、自分が仕事をhしていることを自覚・証明するためにも、いろいろなチェックを厳しくする、という方向に傾いてはいないだろうか?
……まぁそんなこんなで、制度的には変わっていくための過渡期でもあるのだが、悪い方向には変化してほしくないとつくづく思う。