経年変化の味わい【画像アップ】
2011年 02月 02日
この数ヶ月の加速度的なバタバタ感というのは、研究所の方々にはわからないかもしれないけど、自分自身は結構、好きだったりする。
このドタバタした数ヶ月の間に、いかに学生さんたちが大人びたり、しっかりしていくのかを見るのは、毎度のことながら面白いし嬉しい。
今年の当事者だけでなく、去年、同じようなプロセスを経た人、来年は我が身と思う人、そういう若い若者達の近くで仕事をするのが楽しい。
変化の中に生命が宿るという意識を私自身は強く持っていて、でも、だからといって「ナントカと畳は新しい方が良い」ということにすべて賛成ではないのだけど、日本の文化としてそういう傾向は、どちらかといえば強いのかもしれない。
元旦をもって改まる、ということも然り。
風水に影響されているのかもしれないけど、伊勢神宮を初めとするお社が遷宮するのは、建物を移すことによって綿々と続くパワーを維持するという論理に基づいている。
でも一方で、「法隆寺の古材で誂えた炉縁(ろぶち)」などが重用されたり、謂われのある伝来物に高い価値が付けられることもある。
新しいものと、古いもの、どちらも移ろいの中に価値がある。
大事に使われた茶碗が欠けた場合には、金で繕われることにより景色が生まれる。
そうやって変化するものを慈しむ文化が日本にはある。
卑近な例で恐縮だが、昨年、新しくペンケースを購入した。
オレンジ色の皮でできていて、ラミーの万年筆、四色ボールペン、ラインマーカーの3本が入っている。
革製なので、すでに傷も付きつつあるのだが、そうやって徐々に味が付いていくのを楽しみたいと思っている。
経年変化というものは人の体にも認められて、とくに外界とのインターフェースである皮膚において著しい。
「柱の傷」は背比べの思い出だが、皮膚にも歴史が刻まれていく。
手術の後だったり、転んだ傷だったり、笑ったときの皺だったり。
無垢な肌の美しさを限りなく賞賛する一方で、私は経年変化もまた味わいだと思う。