はじめに言葉ありき『言葉と脳と心 失語症とは何か』
2011年 02月 05日

米国では最初の到着地で入国審査と税関があって、荷物を一旦ピックアップしなければならないのが、ちと面倒。
911前は違ったのにね……。
機内は爆睡で最後、見始めた映画『Due Date』は最後まで到達できず……。
ドタバタコメディー、おきまりの車での大陸横断ものですが。
さて、ご恵贈頂いた『言葉と脳と心 失語症とは何か』(山鳥重著、講談社現代新書)を読んだのでご紹介。
山鳥先生は、東北大学の医学部教授を御退官の後、神戸学院大でも教鞭を取られてらしたが、今年のお年賀状では「これからは悠々自適に」と書いておられた。
神戸大医学部のご卒業で、御留学先がボストン退役軍人局所轄病院というのも、以前よりさらに親しみを感じる。
すでに講談社新書でも『ヒトはなぜことばを使えるか』という名著があり、神経心理学、とくに失語症研究では著名な先生だが、お話はユーモアがあって楽しい。
一昨年まではCREST研究プロジェクトのアドバイザーでもあり、いろいろとお世話になった。
山鳥先生は「心は脳の働きで生じる」ことを明確にした上で、「脳が考えるのではない、心が考えるのだ」という立場を取られている。
外界からの刺激を認知することにより心に一定のイメージ「心像」が生まれ、「言葉」はその「心像」のイメージとしてとらえられる「かたまり」のような「カタチ」を「ときほぐそうとする営みによって生まれる」と考えている。
このような筆者の説は、多数の失語症患者を臨床で診た経験に基づく。
それは「健忘失語(名前がわからなくなる)」、「ブローカ失語(発話できなくなる)」、「ウェウニッケ失語(理解ができなくなる)」、「伝導失語(言い間違い)」など、それぞれ特徴のある病態を示す。
「心像」を言語化する複雑な過程のどこが傷つくかによって異なる症状が生まれる。
山鳥先生は「心像」というカタマリをほぐして言語化するのに、リズム、抑揚、強勢などの「音節プロソディ」が関わるのではないかと考える。
この考え方はもしかすると、岡ノ谷さんの「言語の歌起源」につながるかもしれない。
初めてブローカによって「タン、タン」しか話せなくなった症例が報告されて150年。
聖書『聖ヨハネ伝』によれば「はじめに言葉ありき、言葉は神とともにあり、言葉は神なりき」と著されたように、言葉は神から人間に与えられた特別な能力と思われていた時代に、それが脳に関係するという主張はセンセーショナルであったことだろう。
だが言語に関わる脳の部位でどのような生物学的事象が起きているのかについては、まだ謎のままといっても良い。
未知であるというのは魅力的であることでもある。
「わたしの心の奥にうごめいている超知覚性心像のカタマリ(観念)は、何かをつかんでいるようにも感じられます。(エピローグ)」と書かれている山鳥先生の次の御著書にも期待したい。
【山鳥先生の他の著書(お薦め!)】
「わかる」とはどういうことか―認識の脳科学(ちくま新書)
【関連拙ブログ】
仙台通信:書評『さえずり言語起源論 新版 小鳥の歌からヒトの言葉へ』