学習するということーラットから学ぶ
2011年 02月 11日
12月に来たときには、Long Evansという系統の、白地に黒い斑があるラットを使っており「これが一番賢いから」と言われていたのだが、確かに、今回用いている野生型ラットはSprague-Dawleyという系統で真っ白(アルビノ種)で、明らかに学習速度が遅い。
系統が違うことに加えて、今回、検疫室からなかなか出られなかったために、生後5ヶ月齢(500g前後)になっていて、加齢による影響も考えられるのだが。
例えば今日の課題は「真ん中の穴をつつくと、左右の穴からご褒美の水が出る」ことを学習させるもので、ラットは丸一日、水を与えられていないので、報酬としての水を求めて真ん中の穴をつつくことを覚えさせるのが狙い。
だが、人間がラットに「真ん中の穴をつつくと、左右の穴からご褒美の水が出るのですよ」と言葉で教えることはできない。
テストボックスに入れられたラットが、「あれ、穴が三つあるぞ」「ご褒美の水は左右の穴から出るけど、真ん中の穴からは水はでないぞ」「真ん中の穴をつついた後に、どうも左右の穴から水が出るようだ」ということに自ら「気付かなければならない」。
ラットの様子は赤外線カメラでモニタしているのだが、この様子を見るに付けもどかしい。
左右の穴だけをつついていたり、せっかく真ん中の穴をつついた後に、左右の穴から水が出ていることに気付かないなど、はらはらはドキドキ、あるいはちょっとイライラする……。
昨日の課題は単なる「条件付け(オペラント)」で、テストボックスに馴れさせつつ、左右の穴をつつくと水が出る。
これに比べればはるかに高度な学習であることは間違いない。
自らが世界(=環境)に働きかけ、その結果起こる変化との間の関係性を見出すことが必要なのだから。
おそらく、子どもが学習する場合においても、「世界はこうなっているのですよ」と教わるのではなく、自分で世界の成り立ちを学びとることこそが、本質的な学習であり、絶え間なく変化する世界の中で生きていくためのスキルといえよう。
逆に言えば、大人は子どもに「世界はこうなっているのですよ」と教えてしまうのではなく、自ら「発見」できるような環境を整えてあげることが大事。
それがなかなか難しいのではあるが……。