書評:『茶 利休と今をつなぐ』
2011年 03月 01日

模擬試験の段階でさえ、こんな調子なんだし……。
大学は、一括採用の企業に不満を言う前に、一括大量入試をなんとかすべきなのだろう。
これについては、入試がすべて終わった頃にでも述べるとして、今日は書評。
武者小路家の後嗣である千宗屋氏による『茶 利休と今をつなぐ』(新潮新書)を取り上げておく。
お茶を始めたのは比較的遅くて20代の終わりの頃だったが、この趣味は見事に嵌った。
和物のお稽古事の中で「お花」や「踊り」を好む方と、「お茶」が面白いと思うタイプは、たぶん違うんだと思う。
本当に極めることができるなら(とっても難しいことだけど)、茶道は総合芸術という面が一番面白いのではないかな。
高校時代、たった1コマ少ないからという、いかにも高校生な理由で「日本史」ではなく「地理B」を選択してしまったことは今でも後悔しているのだが、自国の歴史に対する乏しい素養を補う気持ちになったのは、中世から近世にかけて確立した茶道に興味を持つようになったからだ。
一番最初に行うのが帛紗捌きで、いかにも「型から入る」和物のお稽古だったが、畳の上に正座して棗(=お茶を入れる容器の一種)を清める(英語ではpurifyという動詞を使う)ときに、自分のこころが鎮まっていくのを感じたのは、バタバタと忙しい日常からの逃避であったかもしれない。
(着物を着てできれば、なおよろし)
掛け軸やお花などの床の間のしつらい、お茶のために進化して一定の形に落ち着いた道具類のデザイン、お茶を点てるために沸かす釜からの松風の音、お炭をくべるときに夏は白檀、冬は種々の練り香から立ち上る匂い、お抹茶の入った茶碗の温もりや重みや手触り、季節を取り入れた主菓子やお干菓子の味わい……と、すべての感覚センサーが刺激される心地よさ。
……なんてことを書いても、お茶の世界から遠い方にはぴんと来ないかもしれないのだけど(苦笑)、お茶に嵌っている人間は、語りたくなるのですよね……。
まして、利休につながる三千家の家元の跡取り若宗匠で、文化庁からの派遣により留学の機会も得られて、外から「茶の湯」を眺めた経験まである方ならば。
最初に言っておくと、本書は、まったくお茶を知らない方には、ちょっと難しいかもしれない。
専門用語を全部説明していたら、740円の新書にはならないし。
でも、バランス良く構成された本だし、言葉は吟味されているし、茶道の歴史や日本のアートに興味があれば、何かしらのとっかっかりがあるだろう。
茶室はなぜ狭いのか、手のひらサイズの茶入れに、お仕覆という綺麗なおべべを着せ、何重にも箱に入れたのは何故か、など、日本の文化のエッセンスを理解する上でも、筆者の留学経験が活かされた説明が為されている。
私が一番面白いと思ったのは、「茶事はコミュニケーション」という章だ。
型どおりの点前があることによって、「日頃人間同士を隔てている身体や言葉が取り払われて、心と心が直に繋がっている、と感じられる瞬間が出現する」、その一期一会。
茶事とは、人間が生来持っている、「他者と一体になりたい」という困難な願望を成就させるための、非常によく考えられたシステムなのです。(第八章より)
確かにキリスト教のミサなどにも通じるシンクロ感が原点なのかもしれない。
そういう意味では、やっぱり宗教っぽいかも。
(私も「宗典」というホーリーネーム頂いているし……ww)
実はもっとも良い読者は、三千家の中の最大派閥である裏千家のお弟子さん達なんじゃないだろうか……(私も裏ですが)。
お稽古を通じて習っていたことを、異なる視座から見直すきっかけになると思う。
……と書いてハタと気付いたのだが、目下の問題は、お稽古に通う時間が無いこと。やれやれ、これでお茶を語る資格があるとは到底言えず……(溜息)。
【関連リンク】
もしや、と思ったら、お茶のことはすでにけっこう書いていた……(汗)。
仙台通信:お茶の世界
仙台通信:お初釜
檀ふみの茶の湯はじめ:婦人画報の連載の本。ヴィジュアルで楽しい。
和樂:今出ている2011年3月号がお茶の特集です。