英語、いつから誰が教えるの?

昨日に引き続き、慶應大学グローバルCOE「論理と感性の先端的教育研究拠点」が主催する国際シンポジウム「Future Trends in the Biology of Langage」にディスカッサントとして参加している。
最後1つのトークを残して仙台に戻る途中なのだが、最後にコメントを、と言われたので、「言語学には個人的にとても興味を持っています。これから楽しみな学問領域だと思います。」と前置きした上で、ちょっと辛口の指摘を一つした。
それは、やっぱり、遺伝子・分子・細胞までのレベルと、それ以上の階層の間のギャップが大きいということ。
言語だけに限らないのだが、ここをどんな風にブレイクスルーするのかは、若い方々のモチベーションと知恵の結集にかかっていると思う。
時間を気にして言わなかったコメントは、例えば日本語を母語として習得する過程で、他の言語を習得する場合と、脳はどのように変わってくるのか、調べたら面白いだろう、ということ。
集団としての平均値で議論することも面白いが、個人の脳画像データとゲノムデータ、エピゲノムデータの突き合わせというのも興味がある。

ところで、今回はいわゆる「言語学」を専門とする研究者の中でも、進化学や認知科学寄りの方々が集まっている訳だが、やたら英語での発表が上手な先生方が多いということが印象に残った。
必ずしも発音が良くなくても、シンタックス(統語)がしっかりしているのだ。






「英語はいつから勉強されたのですか?」と伺うと、「普通に中学生からですよ。でも私立だったので、比較的先生が良かったかもしれません。」という方もあれば、「将来、外国で活躍したいと思ったので、小学校の高学年から意識的に勉強しました。ラジオ番組の他に、教会での英語レッスンがタダだったので参加していました。」という方も。

この春から、小学校で英語の授業が開始することになるのだが、いったい、義務教育を終える時点でどの程度の英語スキルを持った人材を輩出するつもりの制度設計なのだろう?
例えば、日本語のレベルが100%で、英語のスキルが60%(ここではざっくりとイメージで言っています)の方がいれば、それは社会人としてある程度国際的なことにも対応できる仕事に就けると思われる。
だが、もし日本語・英語がそれぞれ80%であったとしたら、果たして使い物になるかどうか……。
「あの人は日本語がちょっとね……。英語も中途半端だし……」ということにならないか?

小学校で英語を教える教師は、60%以上のレベルの英語力が必要だろうし、中学では80%、高校で英語での授業を行うのであれば100%のスキルが無いと務まらない。
そのような英語教師が促成できるのだろうか?

もし、英語が苦手な教師が英語を教えたら、子どもは英語をポジティブに捉えることができるだろうか?
これは、理科が苦手な理科教員が増えて、理科離れが進んだことを考えると、ありそうなシナリオだと私は思う。

また、かねてより主張しているが、「自然にたくさんの英語に触れて、使える英語を習得する」には、そうとう大量の英語のシャワーを浴びせなければ難しい。
たくさんの「生の英語」を聴く間に、単語やフレーズの使用頻度を脳の中で統計処理し、使い方を帰納的に理解することが必要だからだ。
なので、効率よく少ない時間で母語以外の言語を習得させようとする場合には、その言語の「構造」を理解させることが大事である。
一つの言語から別の言語への変換は、そういう「構造」を理解すると、おのずと腑に落ちることが多い。
「文法を教えるから英語嫌いになる」というのは、教え方の問題であって、文法が悪い訳ではない。

もう一つ、母語以外の言語を教えるということは、その言語が話される地域の文化を教えることでもある。
そしてそれは、あくまで自国の文化を大事にした上でのことだと私は思う。

「科学に国境は無い。だが、科学者には祖国がある。」(パスツール)

by osumi1128 | 2011-03-10 18:00 | 雑感

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