手を合わせる:世田谷美術館に行って来た

今日も茨城県で震源の震度5強の地震があったのだが、Wikipediaの地震年表を見てみると、昔から日本中地震だらけだったことがよくわかる。
地震の年表
本震後の復旧作業を打ち砕く余震が来たために気持ちも萎えがち。
この週末は心のエネルギーをチャージしようと「白洲正子 神と仏、自然への祈り:生誕100周年特別展」を観に世田谷美術館に行った。



白洲正子は1910年生まれなので、まぁざっと半世紀年上の方だが、亡くなった梅園和彦さんから「これ、面白いバアさんの本だよ」(←失礼な!)と教えて頂いた。
最初に読んだのが1994年に刊行された『白洲正子自伝』だったと思う。
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でもって、嵌って読みまくった。
自由な生き方なのか、独特の審美眼なのか、何が私の心を捉えたのかは今でもまだわからないのだが、次々と著作を求めた。
(全集や大型本は持っていないが、本棚の一角を占めていた何冊もの著書は、今回の地震で崩れ落ちたが、ガラスや陶器とは違って、ちゃんと読める。)

今回の世田谷美術館の25周年も記念した特別展のテーマは「神と仏、自然への祈り」ということだが、それはとくに54歳で訪れた近畿地方の寺社などの体験に基づくものといえるだろう。
その歳であれだけの場所を歩くことができるというのは、体も心も強かったと思う。
代表作ともいえる『西国巡礼』『かくれ里』『近江山河抄』『十一面観音巡礼』には、それぞれの場所での新鮮な感動が綴られている。

今回の展覧会では、白洲正子旧蔵の品だけでなく、多数の絵画や仏像が関係する寺社から集められ、正子の「言葉」とともに展示されている。
それは、原稿用紙に書かれたような体裁をとっていて、なかなか良かった。

唯一、手書き原稿で展示されていたのは『手を合わせる』というエッセイだ。

手を合わせるというのは、古今東西を通じて、神に祈る時のかたちである。そこに十字架とか、マリア様とか仏像の類があるときはやりやすい。人に祈ることを教えるためにそういう目標を作ったのではないかと思うことさえある。だが、もし盲人の場合はどうするのか。自分の心に対して手を合わせることしかできないだろう。それをイメージと呼ぶのかもしれないが、心は心が思っているほどじっとしているものではない。始終雑念を生じたり、右往左往する厄介な代物だ。そういう時私は手を合わせる。手を合わせていると、右の指先から左の指先へ血が通い、その逆にも行くようになって、次第にバランスがとれて落ち着いてくる。それは自分だけの事だろうが、今もそういう風にしてこの原稿を書いた。
(『手を合わせる』より)


地震と津波から5週間、今なお行方がわからない方々は東北地方で1万人以上もおられる。
大きな余震のときなど、思わず手を合わさずにはいられない。

世田谷美術館で白洲正子展というと、「○○画報」か「和樂」の読者のオバサマ方ばかりかと思えば、さにあらず。
NHK日曜美術館で取り上げられていたのは確か先々週のことだったか。
来場者には思いの外、若い男女が多かったのは、どういう媒体経由だったのだろう。
日本人の心のルーツである「自然への祈り」は、21世紀になっても変わらないのかもしれない。

さて、美術館・ギャラリー訪問のお決まりの「もし下さるのなら」は、今回は白洲正子旧蔵の法隆寺の可愛らしい鈴ですね(笑)。
発生学者としては「曲玉」にも心惹かれますが……。

白洲正子展(3月19日〜5月8日)
世田谷美術館
NHK日曜美術館:白洲正子 日本美へ誘う眼
白洲正子著作
by osumi1128 | 2011-04-16 18:37 | アート | Comments(0)

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