ラタトュイユ
2005年 07月 21日
今では野菜はほとんどオールシーズン手に入るから、別に夏でなくてもよいのだが。
私の作り方は以下の通り。
使う野菜は、ズッキーニ、茄子、玉葱、セロリ、パプリカを基本とし、その時々の気分でちょっと変えてみる。
全体をまとめるのがトマトで、これは水煮の缶詰を使っている(イタリアのものが赤味が強くてグッド)。
まず、煮えにくい野菜から刻んでいく(大きさや形は、これも気分次第だが、茄子やズッキーニは半月切り、セロリは小口切り、玉葱は大きめの微塵切りといったところか)。
それをフライパンで焦げない程度にオリーブオイルで軽く炒め、軽く塩胡椒し、煮込み用の鍋に順に移していく。
すべての野菜が鍋に移ったら、トマトの水煮缶を開けて、中身を鍋に入れる。
トマトの水煮は柔らかいので、炒めるのに使った木べらなどで簡単にほぐれる。
月桂樹の葉、あるいはブーケガルニも鍋に入れて、中火で約30分程度煮込む。
(超簡単レシピで失敗しようがないくらいなのだが、最後ここで何か他のことに没頭して、1時間加熱し続けると、さすがに鍋が焦げるかもしれない)
水分がある程度飛んだくらいが丁度良い。
冬なら暖かくてもよいが、夏向きには予め作って冷蔵庫で冷やしておくと、本当に美味しい。
そのまま沢山頂いても、メインディッシュの付け合わせにもなる。
この他に夏のお気に入りは、ごくシンプルな焼き茄子。
網で焼いてもいいし、フライパンで直火で焼いても大丈夫。
皮の周囲に焦げ目が付いたら、火傷しないように水に取って、皮を剥く。
あまり水に浸けると水っぽくなるので、アチチ・・・と言いながら我慢して剥いた方が美味しい。
これも冷蔵庫でキンキンに冷やしておいて、食べるときにおろし生姜を添え、醤油をちょっと垂らす。
非常に簡単な料理で、祖母の作るのを見よう見まねで覚えたもの。
当時住んでいた神奈川県の逗子というところは、鎌倉の隣で、同じように海に面していて山というよりは丘に囲まれていた。
元々は東京の避暑地のようなところだったのだろうが、当時でもすでに郊外型住宅地。
でも、夏になると地元の農家が野菜をリヤカーに乗せて売りに来る。
朝どれのトマト、胡瓜、茄子、玉蜀黍などは新鮮で美味しかった。
そういえば約30年前までは、いろいろな「御用聞き」の人たちが来ていた。
お豆腐屋さん、乾物屋さん、魚屋さん。
小坪という漁港があり、相模湾の地の魚が揚がるので、午前中に「今日は鯖がありますよ」という魚屋さんのsuggestionに従い「じゃあ、しめ鯖にして頂こうかしら」と言うと、夕方、しめ鯖が届けられて、後は切るだけで食卓に上る。
祖母の時代が羨ましい。
また、こういう商売は「プラスチックフリー」だった。
お豆腐はボールやお鍋に入れてもらえばよかったし、魚も野菜も然り。
御用聞きだけでなく、普通の小売店も、パックには入っていない状態で売っていた。
これが変わったのはスーパーが進出してきたからだろう。
大学に入ったばかりの頃、高校の同級生と軽井沢に行ったときに、地元の八百屋の店先でトマトが一山で売られているのを見て「まあ、美味しそう!」と私が言うと、「えっ? 汚いんじゃない?」と言ったのでびっくりした。
彼女が住んでいたのは小田急線沿線の新百合ヶ丘だったが、すでに彼女は「パックに入った野菜・魚」で育ったのだろう。
「プラスチック・フリー」の時代にはもう戻れないのだろうか。
数百年後、21世紀の貝塚から様々なジャンクなプラスチックが掘り出されるのは、あまり頂けない気がする。
明日は朝から1コマ講義、2コマ目は理研BSIのOさんの特別講義。
Oさんには夕方にセミナーもして頂く予定。
よって、明日は投稿お休みします。