欲しい支援は多様ということ
2011年 04月 26日
必要なものを必要なタイミングで必要な方に届けるのは難しい
全国から集めた支援物資が東京の広大な倉庫に眠っているのだけど、地域の行政はいっぱいいっぱいでそれを配る力が無く、小さなボランティア団体が申請すると許可が下りるのに延々時間がかかってしまう。
必要な支援物資は日々刻々と変わりうるから、被災直後に必要だった防寒服は、さすがにもう、届いても仕方ない。
欲しいものは人それぞれ多様
例えば、小学生の子供に鉛筆を、といっても事務用の普通の鉛筆では嬉しくない、
高校生なら鉛筆なんて使わないからシャーペンじゃないと……。
「被災者なんだから有り難く受け取るべき」と思われているだろうと想像すると、それは欲しくないと言うのは「贅沢だから」言えない。
そもそも始業式に学校で配って、それを受け取ることができるのは、通う手段のある子供であり、避難所生活を続けている子供は受け取れないということもある。
TV報道などに映らないところに真実がある
今なお避難所生活を続けている人が何千人もいる訳だが、働き盛りの世代が、体育館で一日中ぼうっとして暮らしている姿は他人に見られたくないから、そういう人達は撮影を拒否される。
自衛隊のお風呂サービスがあっても、裸になって知らない人同士で並んで待って、お湯に入っても10分程度で急いであがらないといけないから辛い・
たぶん戦争を経験された方々が「あの頃はもっと酷かった」というのと、
今回の震災を比べることは難しいのですね・・・
つまり、日本全体から見たら一部の地域である東日本大震災は
日本全土のかなりの部分が数年にわたって荒廃していたところから
戦後の復興に向かった頃とは大きく違うのです。
自由に選んで購買できる品物が多種類にわたってあるというのが普通
という生活をついこの間までしていて、
普通の生活を今でもしている人達がたくさんいるところで、
なぜ、自分だけが……?という気持ちにもなるでしょうね……
多様なニーズに対応するのは本当に難しい。
それは「研究室の被害も大変でしょう。必要なことがあったら遠慮無く言って下さいね」と言って下さる方々に「大したことはありません。大丈夫ですよ」と答える自分にとって身近な真実であったりもする。