鷲田先生講演@メディアテーク「歩きだすために」【追記】
2011年 05月 04日

今年は、おそらく仙台から脱出する人々が少なくて、学生さんたちもちょうど戻って来たところだし、震災後にそろそろ物資も豊かになってきたからお買い物モードに入って、しばらく休業していた百貨店さんなどもそれを煽るようにセールを行っていて、街の賑わいたるや、初売りか、七夕祭りか、というくらいの人出だった。
50日もの間、休館となっていたせんだいメディアテークが部分開業し、その記念イベントが開かれ、本日は阪大総長の鷲田清一先生の講演があって聴きに行った。
【画像は講演後、鷲田先生に御礼を述べる奥山市長】

そもそもはTwitterで阪大医学部の仲野徹先生@handainakano経由で、この講演があることを知った。
若干遅れて到着した馴染みのメディアテーク1階フロアには、児童書のテーマ展示(左画像)、震災防災関連資料、トークゲスト関連図書等の展示などもあり、その奥にいつものオレンジの椅子のエリアがあって、すでに鷲田先生のお話が始まっていた。
なにせ、15:00-16:30という時間設定をさらに10分弱延長しての大講演だった訳だが、いくつか心に浸みたお話を記しておこう。
【被災のカタチはそれぞれ異なる】
鷲田先生のご専門は哲学。
哲学者を総長に据えるなんて、阪大ってそういう大学だったのか、と見直したのが数年前のこと。
ご自身は阪神淡路大震災を経験されており、今回の東日本大震災の最初の地震が起きたのが14:46で、阪神淡路の地震は朝の5:46だったということを真っ先に思い出されたという。
16年前のご自身が被災エリアにいらしたときにも、その中での温度差があったこと、例えば報道ヘリ一つ取り上げても、「煩い、配慮に欠ける」という感じ方もあれば「報道に来てくれた」という捉え方もあった。
今回、地震や津波だけでなく停電も無かった関西以西からは、どのように言葉をかけてよいか難しいものだと感じたという。
【〈いてくれる〉ということ】
日本語特有の表現として「死なれる」という言い方がある。
本来は「自動詞」の「死ぬ」が受け身になるはずはないのだが、日本語では「受け身」っぽいカタチを取る(あー、だから日本人にとて英語を学ぶのが難しいのかなぁ……)。
今回の震災で、「まだ元気だった親に死なれた」というような方は多いことだろう。
そういう大きな喪失感を抱いている人に対して何ができるのか、というと、誰かがただ〈いてくれる〉という意味が大きい。
これは、神戸の精神科医である中井先生が使われた「co-presence」という英語の訳語なのだけど、阪神淡路大震災のときに言われたエピソードを取り上げていらした(詳しくは下記、阪大卒業式式辞をご参照あれ)。
外からの応援部隊の方々が「いてくれる」ことによって、その方々自身が何かをしなくても、それを拠り所にして全力を尽くすことができる。
【自分の言葉で語り直すということ】
まだ現時点では難しいことなのかもしれないが、また受けた経験は個々に違いがあるにせよ、大きな喪失感を抱いた人間がそれを乗り越える、あるいは、その事実とともに生きるためには、どこかの時点でそれを自身の言葉として語り直すことが必要。
その際に、記憶は書き換えられたりするかもしれないが、むしろそれが健康的な姿であろう。
回りにいる人は、そういう人の言葉に耳を傾け、その言葉を受け入れるのが大事。
「頑張ってね」という励ましよりも。
あるいは、その人の代わりに「こうこうだったんですよね……大変でしたね」と代わりにまとめてしまうよりも。
【復興後のあるべき姿】
アメニティーを追求した現代社会について、再度問い直すべき時ではないか?
「命の世話」(出産、教育、介護、葬儀等)をシステム化してきた社会は、震災時に脆弱である。
「クレイマー」は「安心・安全」を行政やプロ集団に任せてきた今の市民の象徴的存在。
社会が復興する際に必要なのは「リーダー」だけではない。
「請われれえば一差し舞う」ことができる「フォロワーシップ」を備えた人材が大切。
【プライオリティー】
今回のような大震災は根本的なことを問い直す良いきかっけ。
絶対無くしてはならないもの
あったらいいけど無くても構わないもの
どちらかといえば無い方がよいもの
あってはならないもの
私自身、本当にこのことを強く感じた。
存じ上げなかったのですが、鷲田先生はファッションにも造詣が深くていらっしゃるようで、本日のジャケットも黒に赤いステッチやボタンなどがお洒落でした☆
(仲野先生によれば「ファッション哲学」がご専門で、今回のお召し物もYoji Yamamotoだったかも)
【参考リンク】
鷲田総長の阪大卒業式・学位記授与式式辞
関西文化人からのメッセージ